明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(677)【再掲】台湾のおばあさんたちのこと(性奴隷問題被害者の素顔を知ってください!)

2013年05月16日 23時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130516 23:00)

相変わらず橋下維新の会共同代表による性暴力発言が続いています。そのあまりの酷さにアメリカ政府も厳しい非難の声明を出しましたが、アメリカを恐る橋下氏はこうした流れを察知してトーンダウンを開始。自分は「慰安所は認めてない」と、得意の言い換えを始めています。
しかし彼が最初に言ったのは次のようなことです。「銃弾が雨・嵐のごとく飛びかう中で命かけてそこを走っていくときに、休息をさせてあげようと思うと慰安婦制度が必要なのは誰だってわかるわけです」。
しかも橋下氏は、意に反して慰安婦になった方の心情を理解するなどという形で、性奴隷にされた女性たちが、けして自らの自由意思でそれを選んだわけではないことを認めつつ、「制度」を強く肯定したのです。

今更、「慰安所を肯定したわけではない」などという言い逃れを許すわけにはいきません。今まで自民党右派などから、慰安所そのものの存在を認めなかったり、認めても「自由意思に基づく商行為だった」などという、被害女性を苦しめる言説が繰り返されてきたことに対し、彼の場合は、もっと明確に「慰安所は必要だった」「意に反して慰安婦になった人には気の毒だが」と言い放ったのです。
要するに男性、とくに軍人の暴力的な性欲の処理のために、女性を道具として使うことをまるまる肯定したのであり、そこには彼の女性感が非常にはっきりとした形で現れています。
これまで述べてきたように、これは明らかな性暴力発言です。これまで性暴力の被害を受けてきた多くの人々、いやそうでもなくても本当にたくさんの人々が深く傷つけられました。犯罪行為です。責任をとってすべての公職から退くべきです。言い逃れなど許せません。

同時に、こうした女性に対する暴力をむき出しにした男性が、二度と政治の世界に出てこれないようにするためにも、今こそ、性奴隷問題を正しく解決する必要があります。安倍政権の河野談話の否定の動きを許さないだけでなく、当時の政権もきちんとなさなかった被害者への全面謝罪と補償の実現まで私たちは進む必要があります。
そのために、みなさんに是非とも知って欲しいのは、被害女性たち・・・おばあさんたちの素顔です。もちろん名乗りをあげた彼女たちは、犠牲者の中のほんのひとにぎりの存在です。被害者は推定で20万人。声を挙げられたのはその中の1%にもみたない。なぜでしょう。これまでの世界ではしばしば性暴力の被害者がさらに迫害される構造にあり、とても言い出すことができなかったからです。
その意味では、悲しいけれども泣き寝入りする方がむしろ楽であったのです。それほど性暴力の被害者が名乗りを上げるのは難しいことだったのです。

しかし韓国で初めて女性が名乗りをあげて以降、次々と、各国でおばあさんたちが手を上げました。ほんのひと握りだった彼女たちに共通するのは、高い志を胸に宿していることでした。「二度と、こんな目に若い人を合わせたくない」・・・。自らの被害への怒りを越えた大きな愛を胸にしてこそ彼女たちは声を挙げられた。そして未来世代のために闘い出したのです。
僕自身、何度もそうしたおばあさんたちと接し、交流し、心を通わす中で、人間の尊厳とは何かをたくさん学ばさせてもらいました。あれほど過酷な体験を経て、しかし人間はなおかつ、これほど深い愛情を持てるのかと、胸を打たれることしばしばでした。そんな威厳をたたえている彼女たちの話が、偽りだなどということは絶対にありえない。そのことはおばあさんたちと親しく接すれば確実に分かることです。
みなさんにも、そうした確信を得て欲しい。そのために、僕がたどってきたおばあさんたちとの交流の一端を知っていただき、彼女たちの横顔を見ていただきたいと思うのです。必ず何かをつかんでいただけると思います。

今回は台湾のおばあさんたちのことを紹介するため、2006年に初めて京都にお呼びしたときのことをまとめた文章を掲載します。昨年秋に、台湾を訪問するにあたり、「明日に向けて(548)」に掲載した文章の再掲です。
この中に、このとき来てくださった3人のおばあさんが出てきます。呉秀妹(ウーシュウメイ)アマア、陳樺(チンホア)アマア、イアン・アパイアマアです。それぞれ客家、漢族、タロコ族の方です。アマアは漢字では「阿媽」、台湾語でおばあさんの意味です。
一番高齢だったウーシュウメイさんと私たち夫婦は、その後に義理の親子のような関係になって、本当に深く心を通わしたのですが、しかし彼女は昨年の秋に亡くなられてしまいました。とても悲しい別れでした。

私たちは他にも、これまで知り合った何人ものアマアたちをお見送りしてきました。こうして文章を書いていても、彼女たちの顔が次々と浮かびます。そんな彼女たちの生を知る僕には、本当にあの橋下発言が許せないし、安倍首相による「強制の否定」も許せないのです。
どうか彼女たちと過ごした時間を追体験してください。そうして彼女たちの息吹を身近に感じてください。その中で一緒になって、性奴隷問題の解決のために歩んでくださればと思います。その流れが強くなる中でこそ、橋下氏のように、公然と性暴力発言を行う人物が政治家になってしまうような日本のあり方を正せるのです。

*****

台湾からアマアたちを迎えて
2006年11月 証言集会京都 守田敏也
 
「あなたの名前は何というんだい。名前を教えておくれ。名前が分からないから、今日はあなたのことを何て呼んだらいいか、分からなかったよ」
アマアたちに泊まっていただいた宿舎から、私が帰ろうとしたある晩のこと、呉秀妹(ウーシュウメイ)アマアが、パジャマ姿で玄関まで出てきて、こう語りだしました。アマアの話している言葉は台湾語、婦援会(台湾市婦女子援護会)から付き添いできていた呉慧玲(ウーホエリン)さんが、英語で通訳してくれます。そこにみんなが集まってきました。
「あなた」とは私の連れ合いの浅井桐子さんのことです。彼女が「桐子と言うのよ」と答え、それが英語になり、台湾語になってアマアに伝わりますが、「きりこ」という発音は少し難しかったらしい。何度か「何て言うんだい?き・り・こ?」というやりとりが繰り返されました。やがてアマアは語りだします。「桐子は、今日は実の娘のようだったよ。こんなに優しくされたことはないよ。なのに私は名前も呼べなかったよ」。
 
この日、私たちは、アマアたちに秋の京都を楽しんでもらおうと、紅葉の名所として名高い鞍馬温泉にみなさんをお連れしました。そこに大阪での証言集会のために来日した、イオクソン・ハルモニが大阪の方たちと合流してくれました。
一行は、紅葉を楽しんだあとに、鞍馬温泉にゆっくりつかり、釜飯を食べて楽しい一時を過ごしました。その後に、蓮華寺というお寺によって抹茶を飲み、さらに衣料品店のユニクロによってショッピングも楽しみました。
宿舎に戻ってからは、アマアたちとハルモニを囲んで宴会を開き、シュウメイアマアも、かわいらしい美声を披露してくれた後のことでした。
 
「きりこはね。ずっと一緒にいてくれたんだよ。温泉でね、私の身体を洗ってくれたんだよ」「私はね、子どもが産めなかった。だからとても淋しかったんだよ。でも今日は実の娘がいるようだったよ。こんなに嬉しい日はなかった。」そう語りながら、シュウメイアマアは、ポロポロと涙を流します。
「洋服のお店でね。きりこは私のそばにいて選んでくれたんだよ。ホエリンはどこかにいってしまったよ。でもきりこがずっとそばにいたよ」。
私が語りました。「アマア、僕もね、もうお母さんがいないんだよ。だからアマアのことを本当のお母さんだと思っているよ」「ここにいるみんながね、アマアの娘や息子だよ」。すると若い仲間たちから「違う、違う、私たちは孫だよ」という声が出て、その場に笑いの渦がおこります。
 
「そうかい。そう思ってくれるかい。でもね、私は貧しいんだよ。息子や娘のお前に何もしてやれないよ」アマアはまたそういいながらポロポロと涙を流します。「いいのよ。こうして来てくれただけでいいのよ」と浅井さんが返すと「でも私は何かをしてあげたいんだよ」とアマア。「それなら台湾に行くから、アマアの手料理を食べさせて」。そう私が答えると「私は料理が上手じゃないんだよ。おまえたちにおいしいものを食べさせてあげられないよ」と言う。
「いいんだよ。何でもいいんだよ。台湾に会いにいくよ」。アマアは「ウン、ウン」とうなずいて、また涙を流しました。周りのみんなももらい泣きしながら、笑顔が絶えません。そのままゆっくりと時が過ぎて行きます。
 
やがて私は車に乗り込み、自宅に向かいました。ハンドルを握り、暗闇の中に照らし出された道路に目を凝らしながら、「ああ、良かったなあ」という気持ちがこみ上げてくることを感じました。アマアたちに京都に来てもらい、証言をしてもらうのは、直接には政府の謝罪を引き出して、この問題の解決を目指すためですが、今すぐそれを実現することはあまりに難しい。ならばせめて、アマアたちに日本に来て、自分の思いを語って良かったと思って欲しい。日本の若者が分かってくれた、思いが伝わったと感じて欲しい。そのために、心を尽くしたおもてなしをしよう。それが私たちのグループが心がけて来たことだったからです。
この日は来日から3日目。まだスケジュールの後半が残っていましたが、今回のアマアたちとの出会いが、すでに素晴らしいものになりつつあることを、私は感じていました。あと2日間、何でも望みを叶えてあげたいなと思いながら、私は車を走らせました。
 

「今度は台湾からおばあさんたちを呼ばない?」
そんな話が私たちの間で出てきたのは、2005年秋に、フィリピンからピラール・フリアスさんをお招きした前後のことでした。
私たち証言集会京都がスタートしたのは、2004年の春。この年は韓国から、イ・ヨンスハルモニをお招きしました。翌年、春にも、桜咲く京都を楽しんでいただきたくて、彼女に来ていただき、秋にはフリアスさんをお呼びしました。
春過ぎから準備として、フィリピンのことに関する学びを深めましたが、それぞれの国や地域によって、同時にまた連れ去られた戦場によって、被害女性の辿った体験が、大きく違うことを私たちは学びました。
 
一方で、辛い過去を、勇気を持って告発し、社会的正義の実現を求めて行動しているおばあさんたちには、共通の、深い、人間愛があることを感じました。このような経験を経たあとだったので、ある方から「台湾は支援組織もしっかりしていて、ユニークな活動を行っている。お呼びしてみては」と持ちかけられたとき、私たちは、二つ返事で応じることにしました。違う地域のおばあさんたちと交流することで、より私たち自身が成長できるようにも感じたのです。
 
台湾からお招きすることを決めてから、私たちはまず台湾の歴史を学び始めました。すぐさま分かったことは、私たちがほとんど何も台湾のことを理解していないことでした。またそこには台湾の複雑な歴史の問題自身も横たわっていることを知りました。
自分たちで文献を探したり、大学の研究者をお招きしてレクチャーを受けたり、台湾からの留学生と交流して話を聞いたり、いろいろな角度から学びを深めましたが、その中で私自身は、1997年に発行された『台湾を知る(原題は認識台湾)』という台湾国民中学歴史教科書の日本語版と出会いました。
 
そこにはこう書かれていました。「1997年の台湾で、大きな話題になった一つが、初めての台湾史教科書(国定)、つまり本書の登場である。「初めて」というと、日本人には意外かもしれないが、実は台湾の学校教育で、これまで「本国史」として教えるのは中国大陸の歴史だけだったのである」「この国における「民主化」とは文字通り、台湾の「民」がよその土地から来た政権の統治から脱却し、初めてこの島の「主人公」になったことを意味している。」
つまり台湾の人びと自身にとっても、歴史は、ようやく自分たちの手で書き始められたところなのでした。日本の植民地時代への評価も含めて、台湾では今、歴史の捉え返しが進行中であることが分かりました。
 
しかしそのことに触れて、私は考えてみれば、日本も大して変わらないという気持ちを強く持ちました。とくに現代史について、日本の学校ではまともに教えていません。第二次世界大戦についてもそうです。それどころかわずかに教科書にあった性奴隷問題に関する記述も、なくなりつつあります。
それは同時に、太平洋戦争末期において、アメリカが行った大量虐殺の歴史が不問にふされていることも意味します。今、日本は世界中でも際立った親米国家ですが、アメリカには広島・長崎に原爆を投下され、沖縄は島民の三分の一が亡くなる上陸戦をしかけられ、さらに全国80以上の都市が、空襲によって焼け野原にされました。
私はそのことを、アメリカに謝罪させる必要があると思っています。アメリカは民間人の大量虐殺であった原爆投下も、都市空襲も、いまだに悪かったとすら思っていないからです。そして朝鮮、ベトナム、アフガン、イラク等々、大量虐殺の戦闘を繰り返し続けています。
 
このことを不問に付して来たことと、日本のアジア侵略の徹底した反省を深められなかったこと、そのもっとも非人間的なあらわれである性奴隷問題に、政府の真摯な謝罪がなされていなことは、密接にからみあっているのではないか。私はそう思うのです。
私自身、広島原爆後に、陸軍兵士として救助にかけつけながら、爆心地に入らなかったために二次被曝をまぬがれた父と、東京深川に生まれ育ち、東京大空襲の爆心地にいながら奇跡的に助かった母の間から生まれた子どもです。その私のルーツを探ることと、アマアたちの受けた傷をとらえかえしていくことは一つにつながっている。台湾の歴史を捉え返し、書き換えて行くことは、私たちの歴史を書き換えることであり、よりよきアジアの未来を探ることだと感じたのです。
 

さてそのような準備を経ながら、だんだんと予定の日にちが近づきだしました。私たちは、台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会の柴洋子さんと連絡を取り、台湾のアマアたちのことをさまざまに教えてもらい、やがて婦援会のホエリンさんと直接メールのやりとりを始めました。
10月には二人のアマアと、ホエリンさんが埼玉を訪れるになったので、メンバーの浅井さんと村上麻衣さんが埼玉まででかけ、たくさんのことを学んで帰ってきました。
ホエリンさんとの連絡のメールは、浅井さんが担当しましたが、私が英訳を行ったので、だんだん自分がメールのやりとりを行っている気持ちになってきました。
 
ところが来日が迫ってくるのに、なかなか来られる方が決まりません。こちらはアマア一人と付き添いの方一人分の旅費を用意していると伝えていたのですが、決まらないのです。スケジュールのディティールを教えて欲しいというので、証言集会のあとにウェルカムパーティーを用意していることや、鞍馬温泉へ遊びにいくこと、証言は他に仏教大学にいくこと、観光にも案内することなど、一緒に楽しみたいことを伝えようとしました。
それに対する回答は、なんと3人のアマアがやって来るとのことでした。さきほど紹介した呉秀妹さん(91歳)と、陳樺(チンホア)さん(83歳)、イアン・アパイさん(78歳)です。それにホエリンさんの他、楊麗芳(ヤンリーファン)さん、高秀珠さんが付き添ってくるとのこと。2人の予定が6人です。渡航費用は2人でいいとのことでしたが(後に台湾政府から援助が出ていることを教えてもらいました)、これには驚きました。
「えーい、やるしかない」と決断。すぐさま車の手配などに入りました。大きなレンタカーを借りる、2台、いや3台の車を使うなど、候補が二転三転します。
 
と、ところが、肝心のフライトスケジュールがこれまたなかなか決まらない。迎えに行く時間がきまらず、車の手配ができません。いやそれどころか本当に来日できるのか、だんだん不安になってきます。
ホエリンさんに問い合わせたところ、どこかのんびりした回答が帰ってくる。それが一層不安を募らせるのですが、間際になって彼女からのメールにも焦りが反映しだします。「まだチケットが取れないので、スケジュールの確定はもう少し待って欲しい」そんなメールが届きましたが、とうとう直前になって「帰りのフライトがまだ取れません。ここまできたら、私たちが行けるかどうかは運にかかっています」というメールが。しかも“See you soon”(直訳は「すぐにお会いします」)と結ばれていたメールが“I hope see you soon”(直訳は「すぐにお会いできることを願っています」)に変わっている。ホ、ホープ?
結局、このメールを最後に、連絡は途絶え、不安を抱えながら関空まで出迎えることになりました。最悪の場合、埼玉の集会のときに撮ったビデオを流すしかないと腹をくくりつつ、空港に向かいましたが、そこには一行6人がちゃんと来て下さいました。合流できた時の嬉しさは一塩でした。
 
その後に、怒濤のような毎日が始まりました。その詳細は取材日記として書かせていただいて、台湾の元「慰安婦」裁判を支援する会のホームページに載せていただきましたので、それにゆずりますが、とにかく毎日がハプニングの連続でした。
もっとも意外だったのは、アマアたちが3人ともとても元気だったこと。行動力があり、好奇心旺盛で、体力も抜群でした。高齢のおばあさんたちだからと、ふんだんにとってあった休憩時間は、すべて何かのスケジュールに変えられました。ホエリンさんが“Morita-san, Do we have time?”と尋ねてきては、あれをしたい、これをしたいと話してくるのです。その横でおばあさんたちが目をキラキラさせている感じがして、その都度、ご要望に応えることになりました。
今から思えば、アマアたちの身体の調子や疲れ具合を一番知っているのがホエリンさんでしたから、ざっくばらんに要望を出してもらえてとても良かった。結果的に、楽しそうにはしゃぐアマアたちの顔をたくさん見ることができました。紅葉や金閣寺を見て、日本語で「きれい、きれい」と語るアマアたちの顔、ショッピングにでかけて、たくさんの洋服を手につかんで、夢中になっている顔、どれも今でも思い出すと楽しくなります。
 
肝心の証言は、私たちの集会と、仏教大学での講演会の都合2回お話してもらいましたが、どれもが尊厳に溢れていて、強く感動させていただくものでした。そのすべてをご紹介したいところですが、あえてそのうちの一つを紹介したいのは、陳樺(チンホア)アマアの証言です。なぜなら彼女は、今回が初めての証言だったからです。とくに圧巻だったのは、二度目になる仏教大学でのお話でした。
 
彼女はフィリピンのセブ島に連れて行かれ、性奴隷の生活を強制されました。それだけでなく、フィリピン奪回のために大軍で押し寄せたアメリカ軍と、日本軍の戦闘に巻き込まれ、地獄のような戦場をさまよいます。私はフィリピンからフリアスさんをお招きする過程で、このセブ島やその対岸のレイテ島などで戦った、旧日本軍兵士のおじいさんからの聞き取りも行っていたため、とくにその背景がよく見えるような気がしました。
 
陳樺アマアは、戦闘の激しさを身振り手振りで表現しました。米軍は海から凄まじい艦砲射撃を加え、さらに徹底した空襲を加えて日本軍を圧倒していくのですが、アマアはそれを「かんぽうしゃげき」と日本語で語り、「パラパラパラ」と空襲や米軍の銃撃の様子を伝えました。装備の手薄な日本軍兵士とて、鉄兜ぐらいはかぶっています。そのなかを粗末な衣服で逃げねばならなかったアマアのみた地獄はどのようなものだったでしょうか。
 
そればかりか彼女たちは弱ったものから次々と日本軍に殺されていったのです。そして20数名いた彼女たちはとうとう2人になってしまいます。そこで米軍に投降した日本軍とともに米軍キャンプに収容されるのです。
ところがそこまで一緒だった女性が、そのキャンプの中で日本兵に殺されてしまいます。そのことを語りながら、アマアは号泣しました。過酷な地獄を励まし合って逃げたのでしょう。その友の死を彼女は、泣いて、泣いて、表現しました。
聞いている私も涙が止まりませんでした。20数名のなかの1名の生き残りは、この地域の日本軍兵士の生き残り率と気味が悪いぐらいに符合します。日本軍が遭遇した最も過酷な戦闘の中にアマアはいたのです。
 
この話を聞いているときに、私は不思議な気持ちに襲われました。被害女性たちが共通に受けたのは、言うまでもなく男性による性暴力です。その話を聞くとき、男性である私は、いつもどこかで申し訳ないような気持ちを抱かざるを得ませんでした。いや今でもやはりその側面は残ります。私たち男性は、自らの性に潜む暴力性と向き合い続ける必要があるのです。
私たちの証言集会では、このことを実行委メンバーの中嶋周さんが語りました。「男性ないし、自らを男性と思っている諸君。われわれはいつまで暴力的な存在として女性に向かい合い続けるのだろうか」「われわれは、身近な女性の歴史を自らの内に取り込んでいく必要がある。まずは女性の歴史に耳を傾ける必要がある」。すごい発言だなと思いました。正直なところ進んでいるなと思いました。そうあるべく努力をしてきたつもりでも、どこかでそこまで自信を持っていいきれないものが私の内にはある。
 
ところが戦場を逃げ惑う陳樺アマアの話を聞いているうちに、私にはそれが自分の身の上に起こっていることのように感じられました。まるで艦砲射撃の音が聞こえ、空からの攻撃が目に映るようでした。そして友の死。その痛みが我がものとなったとたん、それまでのアマアの痛みのすべてが自分の中に入ってきました。
騙されて船に乗せられ、戦場に送られ、レイプを受ける日々の痛みと苦しみ。同時にそこには、これまで耳にしてきた被害女性全ての痛みが流れ込んでくるような気がしました。私は私の内部が傷つけられ、深い悲しみに襲われました。そのとき私は、男性でも女性でもなく、日本人でも、韓国人でも、フィリピン人でも、台湾人でもなく、同時にそのすべてであるような錯覚の中にいました。陳樺アマアの体内に滞ってきた悲しみのエネルギーの放出が、私に何かの力を与え、越えられなかったハードルがいつの間にか無くなっていくような感じが私を包みました。
残念ながら、その感覚はすでに去り行き、私は今、やはり男性で日本人です。しかしあのとき垣間みたものを追いかけたいとそんな気がします。そこにはここ数年、この問題と向かい合う中での、私の質的変化の可能性がありました。今はただ、それを私に与えてくれたアマアのエネルギーに感謝するばかりです。
 
このようにしてアマアたちをお迎えした5日間は、あっという間に過ぎて行きました。それは夢のような素敵な日々でした。私たちは今、来京へのお礼をするために、2007年2月に台湾を訪問することを計画中です。
どなたとの再会も楽しみですが、とくに私が心にかけているのは、イアン・アパイアマアの山を訪れることです。アパイアマアは、独特の尊厳あふれる風貌を持ち、その上、いつも静かに笑っている方でした。その横に、アマアと同じ苦しみを受け、痛みを分け合ってきながら、先年、亡くなられた雷春芳(レイチュンファン)アマアの娘さんの高さんが寄り添っていました。
今回の短いお招きでは、タロコ族のなかで、被害女性として生きてきたアマアの思いに、十分、耳を傾ける時間を持つことができませんでした。それをアマアの愛する山に行って聞けたらと思うのです。そしてそのお話も、きっといつかまた、私の体内に流入してくるでしょう。
 
私たちは、彼女たちの受けた苦しみを、私たちの中に取り込むことで、人間的に豊かになり、平和を紡いでゆく力を、私たちの中に育んでいけるのだと思います。その可能性に触れることができることは喜びであり、誇りでもあります。そのことをしみじみと感じることのできた経験を、私は積極的に生かしていきたいと思います。

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明日に向けて(676)軍隊「慰安婦」問題と福島原発事故は底流でつながっている!

2013年05月15日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130515 23:30)

橋下維新の会共同代表の性暴力発言に対して、国内外から非常にたくさんの怒りの声が発せられています。
橋下発言にはたくさんの批判すべき内容が入っています。最も許しがたいのは、女性を男性の性のはけぐちとすることを当然のことと言い放ち、それを米軍にまで勧めたことです。女性に対する性暴力発言そのものです。
この発言でどれだけ多くの女性が傷ついたことでしょうか。重大な犯罪行為であり、即刻公職から退くべきです。こんな人物を代表から下ろすことができないのであれば、維新の会も即刻解散すべきです。

同時にこの発言は、私たち男性に対する冒涜でもあります。男たるもの、こんな人物と自分を一緒にされて黙っていてはいけない。何よりも男性こそがこの暴言と闘わなくてはいけません。黙っているならば、男性は野獣のような存在であり、女性を性的欲望のはけ口としかみてない存在であると認めることになってしまいます。
また目の前で女性の権利が侵害されたことを黙って見ていることはこの性暴力に加担することにほかなりません。あなたの愛する女性たちの権利が侵害されているのです。正義と、誇りと、愛にかけて、この暴挙と闘いましょう。
すでに多くの女性団体が抗議の声を上げています。日本には「男性団体」というものはほとんどありませんが、繰り返しますが、私たち男性こそが声を上げなくてはなりません。それでなければ、こんな人物が、政治家になれてしまう日本の現実が変わりません。ぜひ一緒に抗議を行ってください。

同時に僕は、いわゆる軍隊「慰安婦」問題、旧日本軍性奴隷問題が、根底において大きくつながっていることを強調したいと思います。どちらも正されてこなかった構造的暴力の問題であるからです。
こうしたことを僕はこれまでも折にふれて発信してきました。以下の記事などをぜひお読みいただきたいと思います。

明日に向けて(546)福島原発事故は戦争の負の遺産とつながっている(上)
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/430fed7c5227f1b2f3d950199e350215

さらにこうした事実をより鮮明に表した有力な証拠が高知の「草の家」の方たちから発表されたので、ご紹介したいと思います。
以下、「しんぶん赤旗」の記事を紹介します。

*****

「土人女を集め慰安所開設」中曽根元首相関与示す資料 高知の団体発表
「しんぶん赤旗」 2011年10月28日(金)
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik11/2011-10-28/2011102814_02_1.html

中曽根康弘元首相が、戦時中に慰安所設置に積極的に関わっていた資料が防衛省の公開している文書の中から見つかったと、高知市の平和団体が27日、高知市内で発表しました。

明らかにしたのは、高知県内の戦争遺跡の調査や保存に取り組んでいる民間団体「平和資料館・草の家」の岡村正弘館長や馴田正満研究員(63)ら。
今回見つけたのは「海軍航空基地第2設営班資料」。当時の第2施設隊(矢部部隊)工営長の宮地米三氏(海軍技師)の自筆を含めた資料をもとに1962年に防衛省(当時庁)がまとめたものです(26ページ)。第2設営班の主計長が中曽根氏です。
資料には班の編成や装備、活動内容とともにバリクパパン(インドネシア・ボルネオ島)で飛行場整備が終わり、「氣荒くなり日本人同志けんか等起る」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設氣持の緩和に非常に効果ありたり」(原文のママ)と書いています。バリクパパン上陸前の地図と上陸後、民家を接収し垣やトイレをつくり慰安所にした地図もあります。
中曽根氏は『終りなき海軍』の本で「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と書くなど慰安所建設は認めていました。しかし、外国特派員協会の記者会見でも「慰安所は軍人らが碁を打つなど休息所の目的で設置した」と、いわゆる「慰安婦」を置く慰安所設置は否定していました。
研究員は資料で(1)中曽根氏が慰安所建設に積極的にかかわった(2)インドネシア人女性を集めて慰安所をつくった(3)42年3月11日に海軍基地内に慰安所が開設されたなど具体的な記述がある(4)慰安所内の配置図が明らかになった―と説明。「防衛省の所蔵文書で確証は高い。中曽根氏が慰安所設置に能動的に動いたことが分かる。中曽根氏自ら真実を明らかにするとともに、政府はさらなる調査をすべきだ」とのべました。

*****

この事実一つだけでも、安倍首相や、橋下維新の会共同代表が唱えている「慰安所設置に国家の関与はなかった。強制はなかった」という発言が、まったくの偽りであることがはっきりしています。橋下氏は「そういう事実が出てきたら謝罪すべきた」と唱えてもいるのですから、即刻、全面的な謝罪を行うべきです。
同時に私たちは、日本の首相になった人物が、かつて慰安所=性奴隷施設を作っており、何らの反省もしてこなかったことを、非常に重大な問題として捉え返す必要があります。
しかも中曽根氏は、アメリカが日本に原発を導入しようとしたとき白羽の矢を立てた人物でもあります。中曽根氏と読売新聞・渡辺恒雄氏の連携のもと、アメリカは被爆国日本に原発の導入を行いえたのです。
そのとき導入されたのが、すでにアメリカで欠陥が確認されていたGE社のマークⅠ型原発でした。福島原発で採用されたものです。それが2011年3月にメルトダウンし、爆発を起こしたのです。

このように、慰安所設置と原発導入は、中曽根康弘氏という人物によって直接的につながっています。
しかも、一昨日、5月13日に行われた憲法改定を狙う超党派の議員連盟総会において、中曽根氏はビデオメッセージで登場し、「96条についてまず考えようという運動が起きたことは、憲法改正への門を開くものとして非常に評価する。同時に、改正手続きのほかに、どう改正するのかという中身も国民が聞きたいところだ。国民によく理解してもらい、改正へ前進できるよう一緒に努力したい」と述べています。
つまり慰安所設置、原発導入、そして憲法改悪という一連の流れの中にい続けてきているのが「中曽根康弘」という政治家であり、正されてこなかった暴力の歴史のつながりが、彼に象徴されているのです。

大事なことは、歴史が正しく捉え返されてこなかったことにより、私たち日本人、ないし日本に住まう人々の権利が、戦争の中でさんざんに蹂躙されてきたことも、ほとんど顧みられてこなかったことです。
あんなに酷い戦争に駆り立てられ、若い男性はまったく無謀な戦闘に放り込まれ、「玉砕」などを強いられ、各地で無残に死んでいきました。しかも侵略戦争の尖兵にされ、酷い虐殺の下手人にされ、さらに慰安所に連れて行かれるなど、人間としての尊厳と良心が解体してしまう場に何度も放り込まれました。
戦場にいかなかった人々も、軍隊最優先の耐久生活を強いられた上に、空襲などに何度もさらされ、塗炭の苦しみを舐めました。アメリカの明らかな戦争犯罪である諸都市への空襲や原爆投下、沖縄上陸戦闘などを受けてのことですが、戦後の政府はこうした日本民衆の「命と人権」の侵害に何一つ謝らず、アメリカの戦争犯罪への抗議もまったく行いませんでした。

それどころか「鬼畜米英を撃滅せよ」とか言っていた政府や軍の関係者ほど、戦後は一貫してアメリカに擦り寄り、朝鮮戦争やベトナム戦争に協力し、その中でボロ儲けし、権益を拡大してきました。
その流れの中にあったのが、核戦略の維持のために「原子力の平和利用」を打ち出したアメリカの手先となっての中曽根氏の暗躍でした。今回、彼が慰安所建設に携わっていた証拠が出てきたことが物語るのは、こうした日本が引きずっている歴史の暗部としての暴力構造です。

従ってこうしたことを正すのは、私たち日本人と日本に住まう人々の人権を確立し、発展させることであることを是非とも知ってほしいと思います。
自ら名乗りをあげた性奴隷問題の被害女性たちは、その意味で、私たちの人権をも守るために声を上げ続けてきてくれていることを知ってください。彼女たちが異口同音に繰り返すのは「二度と若い人たちがあんな目にあって欲しくない」ということです。
彼女たちは、今なお私たちの権利を侵害し続けている日本政府のあり方に、怒りを表明し続け、同時に彼女たちよりも若い世代すべてへの愛を表明してきてくれました。私たちの尊厳と人権にとって、もっとも心強い味方こそ、あのおばあさんたちなのです。

とくに男性のみなさん。私たちの国、日本が女性の地位が大変低い国であることをご存知でしょうか。さまざまな統計の中で、日本の女性の地位は世界の100番よりももっと低いところに位置しています。
そのことが意味するのは、私たち日本の男性が、国際水準でみてとても劣った存在であるということです。同時に、そのことはまた実は私たち男性の人権も未確立であり、非常に低い位置にあることを物語っています。

戦前・戦中の日本兵は、馬よりも価値の低いものとして扱われました。上官に絶対服従を強いられ、とりわけ新兵は、理由もないのに古参兵士たちから殴られ続けました。軍隊はそれ自身が、いじめと虐待の巣窟でした。
しかも戦闘指揮もめちゃくちゃ。まったく合理性のない戦闘を強いられ、玉砕やバンザイ突撃などが強いられました。まさにそれによってものすごいストレスが兵士たちを襲いました。
本当に残念なことに、その日本兵の中から反乱に立ち上がるものは現れませんでした。軍がその状態を管理するために、慰安所を設置し、半ば強制的に、システマチックに兵士をそこに送り込むことで、ストレスを吐き出させたからです。
兵士たちは自らレイプを行い、女性を虐待することで、自らの権利意識そのものも麻痺させてしまい、自らへの虐待に抗する意志を失って理不尽な命令に従い続け、各地で無残に死んでいったのです。

この歴史が正されていません。ということは私たちもまた同じような目にあう可能性が大きくあるということです。
いや、まさにそれが今、起こっているのが福島原発事故後の事態なのです。多くの地域が、それまで、飲み食い、寝ること、18歳未満を連れ込むことを禁じてきた「放射線管理区域」に該当していながら、当然の避難の権利も与えられないのが私たちの国の現状です。
それまでは「危険」と言われていた放射線量を「にわかに健康に被害がない」とかいう突然の言い換えによって浴びせられ続けている現実。それが今、私たちの前にあることです。

これは政府と東電による私たちへの虐待です。けして被災地の人々だけに加えられた虐待ではありません。被災地の人々の痛みを感じて心を痛めているすべての私たちが今、理不尽な虐待を受けており、著しく権利を侵害されているのです。
しかし私たちの中から、自らへの虐待に抗議する声は、まだまだ小さいものでしかありません。こうしたことと慰安婦問題を正せてこなかったことは大きくつながっていると僕は強く思います。

だからこそ今、それを正そうではありませんか。とりわけ男性のみなさん。この事態に対して、自らの問題として声を上げましょう。国軍創出を狙う、橋下氏、石原氏、安倍氏などのもと、女性にむき出しの暴力を振るう、野獣のごとき男性の列に入れられることを、断固拒否しようではありませんか。
戦前、戦中に、侵略への加担を強いられ、慰安所でのレイプを強いられた男性たちが、虐待に次ぐ虐待の中でそれを拒めなかったという、あまりに悲惨な歴史の流れに終止符を打とうではありませんか。そして未来において、日本の男性がこの時から変わった。けだもののようなあり方を一掃し、世界に誇れる男性に変わったと言われるように行動しようではありませんか。

そのために、橋下発言を一時期の問題にせず、ここに色濃く現れた、私たちの国の暴力性そのものを正すために行動しましょう。
福島原発事故後の、莫大な人々の被曝に心を痛めるみなさんが、一緒になって立ち上がることを訴えます。橋下氏を政治の世界から追放し、中曽根氏の犯罪を弾劾しましょう。そして安倍政権に、慰安婦問題への全面的謝罪と補償を行わせましょう。私たちの尊厳と人権もまたその中で確立し、輝いていくのです!

<橋下大阪市長への抗議先>
郵 便: 〒530-8201 大阪市北区中之島1丁目30番20号
大阪市政策企画室秘書部 宛
電 話: 06-6208-7237
FAX: 06-6202-6950
Email: 大阪市HP→組織一覧→政策企画室(お問合せ等)→総務担当

 

 

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明日に向けて(675)維新の会橋下共同代表の性暴力発言弾劾!

2013年05月13日 22時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130513 22:30)

みなさま。維新の会の橋下共同代表が、相次いで、とんでもない発言をしました。「慰安婦制度は軍の規律を維持するために必要だった」「沖縄米軍は、もっと風俗を活用せよ」というものです。
この発言自体、性暴力そのものです。なぜなら、女性への侵害を「必要なもの」「もっと活用すべきもの」と言い放っているからです。
もちろん「慰安婦」への強制はなかったなどという安倍首相の歴史の歪曲の追認もまったくのあやまりです。日本軍が女性たちを性奴隷として扱ったことは、世界中の多くの国々が確認していることであり、日本政府自身もまた一度認めたことです。それをくつがえすのは、二度目の強姦、セカンドレイプであり、被害女性たちへの侵害行為そのものです。

どうしてこんな許せない暴力を振るう人物が、公党の共同代表であれるのでしょうか。まったく信じがたい事態です。
維新の会は、即刻、橋下氏を代表から降ろし、除名などのしかるべき処分を下すべきです。そうでない限り、維新の会という団体もまた、性暴力を積極的に肯定する団体であると言わざるを得ません。
またこんな維新の会と選挙協力をしようとしている「みんなの党」も、この性暴力全面肯定発言への態度を明らかにし、橋下代表を追求すべきです。

とにかくこれはとんでもない暴言です。こんなことが許されていいわけがない。こんなことを言い放つ人物が、政治家でい続けられるとしたら、私たちの国の民主主義は地に落ちたも同然です。
今、問われているのは、私たちの発言と行動です。すべての女性に向けられた暴力そのものである暴言、同時に、男性の尊厳をも踏みしだくこの暴挙に、徹底して抗わなければなりません。
橋下代表と維新の会への抗議を集中しましょう!あらゆる場所で声をあげましょう!

以下、この事態に関する報道内容を貼り付けておきます。あまりに怒りが強くて、収まらないので、分析は明日以降にまわしますが、とにかく今、私たちの尊厳自体が問われていること、このことを強調したいと思います。
とくに男性のみなさん!私たちは、私たちの誇りにかけてこれと猛然と闘わなくてはいけない。私たち男性が、そんな暴力的で情けない存在であることを認めてはいけません。橋下維新の会代表のような、暴力的で、女性差別的で、非人道的な人物と一緒にされることなどまっぴらです。
だから正義のために、誇りのために、愛のために、ともに闘いましょう!

*****

維新・橋下共同代表「慰安婦制度は必要だった」
TBS News i 2013年5月13日16:43
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye5330977.html

日本維新の会の橋下共同代表が旧日本軍の従軍慰安婦について、意に反して慰安婦になった方の心情は理解するとしながらも、当時「慰安婦制度は必要だった」と発言しました。

13日、日本の過去の植民地支配と侵略を謝罪したいわゆる村山総理談話についての見解を問われた橋下代表。
「敗戦の結果として侵略だということはしっかりと受けとめなければいけない。実際に多大な苦痛と損害を周辺諸国に与えたことも間違いないですから」(日本維新の会・橋下徹共同代表)
話は従軍慰安婦問題におよび、事実と違うことは違うと言っていかなければならないとした橋下代表。「日本は国を挙げて慰安婦を強制していない。他の国でも慰安婦はあった」として次のように話しました。
「銃弾が雨・嵐のごとく飛びかう中で命かけてそこを走っていくときに、休息をさせてあげようと思うと慰安婦制度が必要なのは誰だってわかるわけです」(日本維新の会・橋下徹共同代表)
意に反して慰安婦になった方の心情を理解する必要があるとしながらも、当時、慰安婦制度自体は必要だったとの考えを示しました。

***

「もっと風俗活用を」と橋下氏 凍り付く沖縄の米軍司令官
産経ニュース msn west 2013.5.13 19:31 
http://sankei.jp.msn.com/west/west_affairs/news/130513/waf13051319370013-n1.htm

日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は13日夕、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)を視察し同飛行場の司令官と面会した際に「もっと日本の風俗業を活用してほしい」と促していたことを明らかにした。米兵による性犯罪などの事件が後を絶たない状況を踏まえての発言とみられるが、司令官は「米軍では禁止されている」などと取り合わなかったという。
橋下氏は今月1日、同飛行場を視察。その際、司令官に「合法的に性的なエネルギーを解消できる場所が日本にはある。真っ正面から風俗業を活用してもらわないと、海兵隊の猛者の性的なエネルギーをコントロールできない」と述べたという。
橋下氏によると、司令官は凍り付いたような表情をみせ、「米軍では禁止の通達を出している。これ以上、この話はやめよう」と打ち切った。
橋下氏は記者団に対して「事件が収まる因果関係があるようなものではないが、活用を真っ正面から認めないとダメ。兵士は命を落としかねない極限状況に追い込まれており、そのエネルギーを発散させることを考えないといけない」と述べた。
橋下氏はこの日午前、戦時中の慰安婦制度について「必要なのは誰だって分かる」と発言。夕方、その発言について改めて言及した際、司令官とのやり取りを明らかにした。

 

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明日に向けて(674)半断食というエクササイズ・・・ルポ10(最終回) 復食について

2013年05月08日 17時53分29秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130508 18:00)

みなさま。長きに渡った半断食参加ルポですが、いよいよ今回が最終回になります。といっても実は、前回までで体験ルポは一応の終わりを迎えていました。しかしここから蛇足がついてしまいます・・・。
この記事に、最終講義の前日に行われたミニ講義をつけています。「復食について」というもので、半断食を終えて家に帰って、どんな食べ方に注意をすべきかのレクチャーです。
ルポで、さんざん半断食について説明してきたので、このことも付け加えておかないといけないなと思ってご報告することにしました。

そこでは幾つか気をつけるものが書かれているのですが、その中に「白砂糖の入ったものに気をつける」とあります。白砂糖はとにかく健康に悪く、常日頃から避けた方がいいものですが、とくに半断食を終えたあとは、これを摂るとトリップしてしまうというのです。
えー、白状しますと、実ははまってしまいました!半断食道場にいたときは、ほとんど感じなかったのですが、帰ってきたら、何かすごい禁欲生活をしたような感じが襲ってきて、何でもいいから「悪いものが食べたい」と思い、ポップコーンを買いに行きました。そして、つい横に並んでいたチョコレート(白砂糖がたくさん)も買ってしまいました。
「まあ、少しずつ食べるぐらいならいいよね」と封を切ったら、もう止まらない。夢中でムシャムシャと食べてしまいました。それでトリップしたせいか、さらにピーナツ、甘栗なども買って食べてしまいました。酒だけは飲むまい!と決めていたのですが、心が「お酒以外ならいいでしょう?」となっていたようです。ちなみにピーナツと甘栗は、身体にそれほど悪くはないと思うのですが、半断食明けなのに食べ過ぎました・・・。

実は、宙八さんに「今は排毒が続いていて、前に食べていたものの記憶が蘇ってくる時期なので、それに気をつけるといい」と「復食について」の中で言われていました。僕が「今は無性に寿司が食べたい。魚が食べたいです」と言ったら、「それなら大根おろしを食べるといい。気持ちがスッとおさまります」と言われたので、初日の夜は大根おろしを食べました。確かに寿司への欲求はスッと消えました。
この場合、寿司や魚が身体に悪いというわけではありません。しかし魚は陽性が強いので、中庸な状態になっている身体にいきなり摂ってしまうと、バランスが崩れ、陰性のものも欲しくなってしまう、とくにお酒が飲みたくなる。バランスが陰陽で激しく揺れるので、すぐには摂らない方がいいということだったのです。
ところがそれが収まったら、今度は違う欲求が出てきた。ではどうすれば良かったのでしょう。悪いものではなく、良いもので欲しいものを取れば良かったのだなあと思っています。ポップコーンに何を変えるか、パッとは思いつきませんが、僕は実際には甘いものも欲しかったわけで、これに対しては、メープルシロップなどを使えば良かったと思っています。
というか今も甘いものへの欲求は続いています。こういうとき目につくものは抑えられないので、明日からはチョコレートなどが売っているところには近づかず、甘いものが欲しいときは、パンにでもメープルシロップをかけて、ゆっくり噛んで食べてみようと思います。

良くないのは「悪いものを食べたい」という思いなのでしょう。体が求めているのは「悪いもの」でも「良いもの」でもなく、「甘いもの」であったはずで、「それは悪いものだ。でも我慢できない」と考える中で、白砂糖の入っているものを衝動買いし、ぺろっと食べてしまった。
なんというか「悪いものだ」と思うからそれが余計に欲しくなったように思います。抑えるべき欲求だと思うから反発力も出てくるのでしょう。そうではなく、同じチョコレートでも、白砂糖ではないもっといい糖分を使っているものを選べば良かったわけで、身体は別に「悪いもの」を欲したのではなかったのだと思います。
連休中で自然食のお店がしまっていたこともあるし、そもそも、つい目に入ったものに手が伸びたのでもあるのですが、身体の欲求に対して、それをただ抑え込もうとするのではなく、うまく「いいもの」で対応していくこと。また魚に対する大根おろしのように、その欲求をちらしてくれるものを摂ることなどを、もっと覚える必要があるのだなと思いました。

食べ物への欲求を、意志力でねじ伏せるのではなく、どういう食べ方の連鎖で、欲求が形作られてきていて、だから何をどう食べて、その波を超えていくのかを知り、それに沿った、うまい対処法を身につけていく必要があるのだろうと思います。
その点、僕はまだまだ本当に未熟もの。桜沢如一さんの言葉に「陰陽1日、食養3年、真生活7~8年、無双原理は一生よ」という一句があると学びましたが、まさに僕が立っているのは「陰陽1日」の境地のようです。

とまあ、締めくくりがなんともお恥ずかしいお話で、大変、恐縮ですが、宙八さんの最後の講義にもあったように、本当に僕はまだ「命の運転法」の仮免許をもらったに過ぎないようです。公道に出たらとたんにフラフラです。この状態の自分をある種の愛おしさを持ってみすえ、焦ることなく次の一歩に進んでいこうと思います。そしてこの貴重な経験を、放射線防護活動、命を守る活動につなげていこうと思います。

みなさま、長きに渡る連載にお付き合いいただきありがとうございました。以上をもって半断食実践ルポを終わります。

*****

半断食道場ミニ講義 復食について(5月2日)
橋本宙八談
ノートテーク 守田敏也(小見出しは守田)

断食のあとはセンシティブになっている。断食を1週間したら1週間かけて戻せと言われている。
昔、断食を1月したあとにうなぎを食べて死んだ人がいるとお坊さんに脅かされた。食べあわせが悪かったのだろう。
半断食ではそれほどのことは起こらないが、やはり気をつけた食事をとらないといけない。

いわきで半断食に参加した50歳の男性が、帰りに東京駅でお腹を抱えていると連絡してきたことがある。
どのように食べたのか。凍らしたタンブラーに入った冷えたビールを一気に飲んでから、てんぷらそばを食べた。
当然にも胃がびっくりして、守るために収縮した。そこにてんぷらが入ってきた。油と水は中が悪い。それで胃がねじれてしまった。
そういう場合はどうするか。冷えて問題が出たのだから暖めるといい。
マクロビでは、そういう場合はしょうがシップをする。しょうがをお湯に溶かして、手拭にひたして患部にあてる。

患部によるがお腹が痛いときは、バスタオルの入る大き目のなべに水を沸かし、しょうが汁を入れる。しょうがひとかけらをすりおろして、汁をしぼって中に入れる。最適温度は80度。指を突っ込んでいち、に、あちが80度。100度だとしょうがの汁が揮発してしまう。ぬるくても効果がでない。
火を中火、弱火にして温度をたもり、バスタオルをつけて両端をもってしぼり、お腹に当ててあげる。これをショウガ湿布という。この時は東京駅なので、しょうが湿布ができなかったので、ホッカイロを貼ってもらってしのいでなんとかなった。

女性の場合。お腹が痛くなって救急車で病院に運ばれた人がいた。2日目にマクドナルドいってクラッシュアイスのコカコーラを呑み、さらに豆腐を二丁食べた。冷たいところに、熱をとる豆腐を食べてしまった。
この場合も、冷えて捻転をおこしたのだから、しょうが湿布をすればいい。
お腹が想像以上にきれいになっている。だから不自然なものが入ると吐く。アンパンを食べて吐いた人もいた。

最低、一週間はおとなしいものを食べる。ここで後ろ向きにしてはいけない。

どういうことに気をつけるか。
1、農薬や食品添加物他、化学物質の入った食べ物を食べない。

2、動物性食品(肉、魚、乳製品)を気をつける。陽性のもの。今の身体は中庸状態。いきなり入るとエネルギーがあるだけに熱がカーっときたり、身体の中に身体によくないガスが出たり、悪玉菌が増えたりする。バランスが壊れやすい。
またこういうものが入ったとたんにアルコールや甘いものが欲しくなる。
2、3日は2食に収める。ゆっくりと戻していく。悪いものが入るともったいない。バランスを崩すこともある。3日目ぐらいから三食とってもよい。

3、白砂糖の入った食品、飲み物を気をつける。白砂糖は精製してあって極端。血糖値がいきなりあがりインシュリンがでる。いまだったらトリップしてしまう。
ちなみに放射能の事故があったときは、甘いものはだめ。原爆を受けた長崎では秋月医師が、「水は飲むな。甘いものを食べるな。玄米食べろ。味噌汁を飲め」と言って、スタッフを原爆症から守った。
味噌も放射能に有効。伊藤明弘教授の研究成果がある。ねずみ実験で味噌をとらしたネズミは放射能を排出しやすかった。
白砂糖の代替物としては、てんさい糖、黒砂糖、メイプルシロップなどがある。ミネラルを含んだ多糖類のため、血糖値をいきなりあげない。トリップしない。わさんぼんもいい。蜂蜜は単糖類なのでトリップしやすい。
白砂糖をとるとぼける。認知症のかなりの理由はおやつにある。記憶力が飛ぶ。極陰のものだ。肥満の問題の最たるものも白砂糖だ。
白砂糖をいれると防腐剤になる。酸素を受けつけない。ということは採っている人は酸欠になりやすい。
ストレスは緊張。そのため緩めるものが欲しくなる。だからこういうときは砂糖を気をつけなくてはいけない。

4、香辛料に気をつける。いきなり刺激物がくると、胃腸はびっくりしてしまう。カレーライスも同じ。

5、油の多いもの。1週間はセーブして採る。

この5つを気をつける。
身体をもっとよくしたい人は、ここでの食べ方で学んだことを継続する。
ここで出たものは多く食べてもいい。

6、アルコール 一週間は切るのが理想。

ともあれ排毒が続いているので、昔のものをひっぱる傾向がある。
ただし失敗したらそれを勉強する。自己嫌悪は役に立たない。自分を知ることが大事。

飲み物も気をつける。身体にあったものを摂る。番茶、玄米コーヒー。

*****

半断食セミナーのお知らせ
次回は6月1日から7日。伊勢市で開催です!

【2013年 セミナー日程】
 
3月16日(土)~3月22日(金) 愛媛県伊方にて →終了しました。
4月27日(土)~5月3日(金) 奈良県明日香村にて →終了しました。
6月01日(土)~6月7日(金) 三重県伊勢市にて →申込受付中
7月27日(土)~8月2日(金) 長野県小淵沢にて →申込受付中
9月28日(土)?10月4日(金) 長野県小淵沢にて →申込受付中
 
【内容】
菜食の実践、講義、カウンセリング、体操、マッサージ
リラクゼーション、ロードワーク、呼吸法、瞑想
 
【参加費用】
初回 17万円(税込)
※講義・食事・宿泊全て込みとなります。
※リピーター割引もあります。

詳しくは以下をご覧下さい。
マクロビアン
http://www.macrobian.net/

 

 


 

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明日に向けて(673)半断食というエクササイズ・・・ルポ9 命の運転法を学ぶ

2013年05月07日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130507 23:30)

半断食参加ルポ、今回は橋本宙八さんの最終講義の「命の運転法を学ぶ」をお届けします。半断食道場で私たちが学んだものとはなんだったのか。「命の運転法だ」という内容です。
この中で、宙八さんは、能の達人、世阿弥の語った「道」の学び方について教えてくれました。一言で表せば「守破離(しゅばり)」の順を踏んでいくことだと言います。

守るとは、まずは型を覚え、それに従うことです。マニュアルを覚えて、それを忠実に実行することです。食養の道では、玄米を中心に、5対2対1の割合で、穀物・野菜・肉類などを食べるようにするということでしょうか。
破るとは、型を一度覚えたら、それを破ってみよということです。これまでも繰り返し強調されたように、私たちの命は、一つ一つが個性的で違いがあります。従ってその全てに通用するマニュアルはありません。自分にあったものを探す必要があるのです。そのために型を身につけたそばからそれを破ることが進められているのです。
では離れるとは何か。一番、難しい境地だと思いますが、型を守ること、型を破ること、その双方からも離れて自由自在になっていくこと。何を食べたらいいのかを離れ、あるいはこれは食べてはいけないという縛りも離れ、目の前に何があっても、自由に選択して美味しく食べながら、しかし道を外さない・・・ということなのだと思います。

おそらく、この「離」の境地は、実践的にしかわからないことなのでしょう。しかし「守る」と「破る」は頭でもよくわかります。というかそこまでは何をしたらいいのかが見通せるように思います。
まずは身体に良い食べ物、食べ方とは何かをもっと学び、それを実践していくこと。しかし「これが正しい食べ物で、これが間違った食べ物」と硬直して理解してしまうのではなく、自分の身体と相談しつつ、あるいは自分の身体の声を聞けるようになることを目指し、適切な食べ方を体得していくことなのだろうと思います。

僕はこうした話に非常に強く「自由」を感じました。何より、これなら「肉好き」な人も含めて、一緒になって、「良い食べ方」を見出していくことができるように思うからです。
何よりこのことを放射線防護活動に組み合わせつつ、単に「防護」という受身的な立場を越えて、現在社会の矛盾の一端である食の問題をも能動的にこえていくこと、アートとしての料理と食べ方を身につけていくことができるように思うし、ぜひともその道を歩みたいものです。
僕にとっては、自分の身体の問題を越えて、こうした展望が見いだせたことが最も大きな獲得物です。何というか、腹の底から「ハハハハ」と笑いがこみ上げてくる気がします。命の問題の根本で、積極的にやれることがこんなにもたくさん目の前にあることが知れたからです。

講義の後半では、命の問題の一つの核心である「お産」のことが語られ、さらにその後の人生のサイクルの問題、晩年の問題、そして、最後に宿便を出して死んでいく人間の生の問題が語られました。
この部分は、宙八さんが到達している人生観であるとも言えますが、子どもを持ったことのない僕には、体験的に語れることがありません。ですので、この部分はみなさんそれぞれで味わい、受け止めていただくのが良いかなと思います。
ただ、講義のしめに語られた「この世は素晴らしさに満ちている。その感覚を取り戻すために、食養を進めてください」という言葉に、深く共感しました。僕もこの世は素晴らしさに満ちていると思います。それをさらに味わう感覚を、食と命ににまつわるあらゆることを見つめ直しながら、磨き続けたいと思います。
こうしたことの気づきの機会を与えてくださった、橋本宙八さん、ちあきさん、スタッフのみなさんに、深い感謝を捧げたいと思います。

なお、自分も半断食に参加してみようという方は、以下をご覧下さい。
マクロビアン http://www.macrobian.net/

*****

半断食道場最終講義 命の運転法を学ぶ(5月3日)
橋本宙八談
ノートテーク 守田敏也(小見出しは守田)

1 危機の中で、命の運転法を学ぶ
この明日香村の道場でみなさんは何を学んだのか。命の運転法だ。
世間の人は、食べ物と命の関係を分かっていない。それで無茶なことをやっている。命とはいったい何によってドライブされているかを理解していない。

みなさんは、明日香村の宿坊で何を食べればアクセルで、ブレーキで、クラッチなのかを学んだ。ここは命の教習所だった。命の運転法を身につけてほしい。
みなさんには仮免許をさしあげたい。本当の運転にはまだまだおぼつかない。日常生活に戻ったときに、自分の命を運転できるか。まだまだだ。
自分の周囲に命の運転法を得ている人がいたら、そうした人に学んで、一日も早く免許を得てほしい。

現代は、高速社会で、東京に住むのはシュレッダーの中にいるようなものだ。社会全体もどんどん環境が悪くなっている。大人としてこうした世の中を若い人に託すのは申し訳ないが、だからこそ命をつないでいく方法を身につけて欲しい。
命はそのようにしてつながれ続けてきた。かつて恐竜たちは氷河期に滅んでいった。そのときにねずみが生き延び、哺乳類が生き延びて、そして人間が生まれた。
その人間も淘汰の時代に入っている。免疫力が弱い人々を大自然が振るいにかけている。これは生物の世界の基本だが、その中でぜひ若い人たちに生き延びて欲しい。
チェルノブイリでもねずみが生き延びている。放射能に強いねずみがいる。危機的な状況は最大のチャンスである。そういう感覚をもった人々だけが生き延びられるチャンスだ。日本のすべてが揺さぶられている。

2 マクロビオティックの意味するもの
「マクロビオティック(Macrobiotic)」という発音はフランス語読みしたもの。英語ではマクロバイオティクスになる。桜沢如一先生が生み出した。
「マクロ」は大きなという意味、同じく「ビオ(バイオ)」は生命、「ティック(ティクス)」は学術。従って、マクロビオティックとは、大きな命の学術、生き方術という意味だ。世界に少し広がってきている。自然食のさきがけ。
日本語では食養法という。昔は食養生という言い方があった。正食とも言えるが、そうすると、あれは悪食だという言葉がでてきてバランスがよくない。それでマクロビオティックになった。
私はそれを実践するものとして、自分たちの屋号として「マクロビアン」という言葉を作ったが、今ではこの言葉は般化している。

食養道ともいう。
日本には道のつくものがたくさんある。華道、茶道、書道、剣道など。
日本は昔から、アジア大陸から伝わってきたものを、体系化するのが得意。それを「道」にする。そもそも「道」とは老子が名づけたもの。宇宙を生み出す土台のことだ。
茶道とは何か。お茶を通して自然や宇宙とつながることを遊ぶ世界。
これに対して、食養道は、食を通じて世界とつながること。食べ物を食べるのは、宇宙の命を取り込む行為。だから「道」だ。食を通して遊び、人生を存分に楽しむ。それがマクロビオティックだ。

3 「道」の学び方1 「守」と「破」
道には学ぶことのプロセスがある。演劇では、能の世阿弥の世界がある。能を身に着けるにはプロセスがある。世阿弥は、守破離(しゅばり)を守りなさいと説いた。
まずは先生に学んだことを型として守りなさいという。それを身に着けないと次には進めない。これが「守」だ。
食養で言えば、お腹が痛いなら梅しょう番茶を飲むなど。マニュアル化されたものを覚え、守ることだとも言える。

ところがそれを身につけたら、次にはそれを破りなさいという!「破」とはそういう意味だ。
命はみんな違う。万人に100%答えを出すマニュアルはない。だから一度学んだマニュアルを壊してみる。そうするとそれが自分の命にあっているかどうかが分かってくる。
ここでもいろいろなことを教えたが、そのすべてがみなさんにあっているかどうかは分からない。それぞれの命が違うからだ。だから自分にあてはめて確かめなくてはいけない。それが破るということだ。

禅の世界で私の好きな言葉に次のようなものがある。「師匠といえどもくそ食らえ」。
「あそこにいい月があるね」と指差してくれるのが先生だが、それを聞いて、月をみて、楽しむのはそれぞれの命だ。
そこでどう感じるかは、先生の領域を超えている。先生に従って月を見つめたら、あとは自分が味わう。そのときには先生は何の役にも立たない。だから破りなさいと言うわけだ。
子どもには反抗期がある。3歳ぐらい。子どもは初めはイエスマンだ。しかし自分の自立心が育ってくると、お父さん、お母さんの言ったことが本当かを確認しはじめる。親にノーと言い出す。それで本当にそれが正しかったどうかを見出す。

マクロビオティックの中には、幅の狭い世界もある。とくに勉強だけでこれを学んでいくと、習ったことをはずすことが怖くなる。命の関わることだからなおさらだ。
海外ではとくにそうだ。先生がナスを食べてはいけなというと、一生食べない。でもちあきは、海外のワークショップで、ナスをどんどん料理して出してしまう。
頭だけでやっていることと現実は違う。ナスでもばりばり食べる人もいる。食べたほうがいい人がいる。もちろん、食べるとヘナヘナする人もいる。だから「破る」ことが大事だ。
ある人に正しいことが、自分の命に正しいかは分からない。科学的な治療のあやまりもそこにある。自分の命で検証しないものは役に立たないのだ。

4 道の学び方2 「離」
最後の離とは何か。そんなものはやめてしまいなさいということ。
能でいうと、舞台に出ると、お客さんが高いお金をはらって見に来る。なぜか。私のすり足がすごいとか、型がすごいとか、そんなことで来るのではない。
生の、その舞台だけでできるものが、本当のプロの世界だ。だから一切の囚われから自由になることが必要だ。

桜沢先生も同じことを言っていた。玄米を食べることではなく、食養とは、世界のあらゆるものを食べられるようになることだ。しかし最初から何でも食べいては絶対にできない。はじめは型から入らないとダメだ。
自分の命と食べ物の実践をしていけば、目の前にどんな食べ物が出てきても選択できる。食べ物に対して、自由自在になることが大事だ。人のことを、「悪食」と指摘したり、マクロやってないからダメだと批判したりしがちだが、そんなことはどうでもいいことだ。

自分も1ヶ月の断食をした。命のぎりぎりで命をみつめてみたかったからだった。
そうしたら20日目ぐらいに、雪の降る中で、6時間、薪割りをして一度も休むことがなかった。玄米を食べた身体はこんなに強いものかと思った。

ある意味で、身体を変えること、細胞を変えることは命がけだ。心と身体は表裏一体で、心が良くなければいいものを食べてもけして身につかない。
そのぐらい命がけのことだ。食べ物を変えるということは、自分の過去を変えることだ。繰り返すが、動物は食べ物を変えることはない。人間だけだ。だから守破離。

桜沢先生は「陰陽1日、食養3年、真生活7~8年、無双原理は一生よ」と言った。私はこれをやろうと思って、山奥に入った。ゼロからやろうと思った。
だから最低でも1年やらないと変わっていかない。しかしそれを続けると発想も変わっていく。その先は無限だ。世界の原理とは何か。文明とは何かを追い続ける。その意味で道の学びのためには「守破離」が一つの指針だ。

5 過去と未来につながるお産
命はずっと変化している。
私が家を建てたのは、昔の人がそうしてたから。お産も自分たちでやった。それも昔の人がそうしていたから。お産のときは多くのことを学んだ。
女の人は、お腹の中で38億年の歴史を創りだす。胎児はそう育つ。魚から鳥へ、爬虫類、哺乳類、人間になっていく。
命がどう変わるのか。換わるときに過去の毒素を出す。
つわりがおこる。すっぱいものが欲しくなる。これは動物性の毒を消すためだ。半断食でもすっぱいものが欲しくなるのは、動物性の毒を消すため。

出産の時は、お母さんがどんなにいきんでもそれだけでは胎児は出てこない。お母さんと胎児のバイオリズムがあったときに生まれてくる。
もう一つ、自然界の運行にも関係がある。自然環境のバイオリズムが必要。胎児にとってのお母さんは、すべての環境であり、すべての過去だ。
胎児は永遠の未来につながっているもの。自然には過去や未来がない。人間が概念の中で決めた妄想だ。

座禅をなぜするか。なぜその時に呼吸に集中させるか。座っていると過去や未来の想念に惑わされる。それに対して呼吸は今のものだ。そのために座禅をし、まず呼吸に意識を集中させる。
時空を越えて今しかないこと。お産は過去の環境と未来に続く命と今、それが合わさったものだ。全体の力が合わさらないといけない。そのときないものからあるものが生まれてくる。

女は悟りから人生をはじめるという。男は悟りにむかって人生を歩くという。無限から有を生み出す。
老子は、実体とは女性だと語った。男はその実体の染色体がちょっと傷ついたものだ。男は唐傘お化けだ。それが威張っているいるから社会がおかしくなる。
かつてちあきはお産のときに「子どもが生まれた瞬間にすべての命とつながった」と語った。女の人はなんてすごいのだと思った。

6 誕生と宿便
赤ちゃんは生まれると数時間で排便する。これをカニババと言う。胎児の宿便だ。胎内で水の中にいたときに、お母さんの身体から受けた毒素を出す。
山岳部族は、ほうずきなど、苦いものを赤ちゃんにかまさせた。苦いから締める。締めるからばっと出る。
ところが今は、ぶどう糖を与えてしまう。身体が緩んでカニババがでない。カニババを出す力は、お母さんの初乳にはいっている。

お産ではなぜあの狭い産道を出てくるのか。スパイラルで出てくる。おかあさんも赤ちゃんの世界の波と合わせて出てくる。
そのときに人生の危機的な状況をこえていくホルモンが出てくる。大自然には無駄はひとつもない。

7 生まれてからの7年毎のサイクル
赤ちゃんが生まれて、宿便がでて、人生がはじまる。
7年のサイクルがある。まず歯が抜け替わる。14歳で生理がはじまる。昔は男は15歳で元服した。

21歳で細胞分裂が終わる。その後は細胞が縮んでいく陰の時代になる。しかしその裏側に広がる世界がある。
21歳ぐらいでパートナーが欲しくなる。自分を映す鏡だ。自分は絶対に見れないように人間は作られている。だから相手をみつめて自分を作っていく存在だ。そのため神社には鏡が祭ってある。
21歳からは何を作るのか。心を作っていく。肉体の成長は終わっていく。パートナーをもって訓練していく。
パートナーシップを持つことは大変だ。年中けんかする。それでしか人間は育たない。我をとる世界だ。その訓練がはじまるのは、二人の結びつきだ。

その後、子どもが生まれてくる。自分の分身が生まれてくる。さらに我をとる世界だ。自分の我があったら子育てできない。
今、子どもを生んで殺してしまうのは、自我が強すぎるからだ。そこまで成長していないから育てられない。目に見えない波動の世界。

子どもが育っていくと巣立っていき、ふたりの世界に戻る。ボランティアの時代が始まる。
60歳。マラソンでいうと、往路が終わって復路になるとき。このときに赤いちゃんちゃんこを着る。人間は本来は120歳まで生きられる。
これからはどんどん手放していく世界。精神世界の赤ちゃんだ。もう家庭だけではなく、もっと広い世界を育てましょうという年。

最後は一人になる。生命力の強いほうが生き残る。パートナーの死で、死とは何かを学ぶ。最後にある人生のステージ。

8 宿便を出して死ぬ
すべての人は最後には死ぬ。
生まれた瞬間から死に向かって歩んでいる。どういう死に方をするかを学んでいるだけだ。

死ぬときに宿便を出して死んでいく。赤ちゃんで生まれたときもカニババを出し、死ぬときも出す。しかしスパゲッティ症候群だと出ない。
最後に宿便を出して死ぬのは、人生の総決算。肉体の整理をして、心を宇宙に返していく。だから半断食でやったことは、死ぬときの練習だ。

弘法大師空海は、自分の弟子をお堂に全部集めて、「そろそろ死ぬよ」と言った。悟りを開いた人は死ぬ瞬間が分かる。
弟子たちは泣いて、死なないでくれといった。「なんでみんな泣くんだい。今の私の心境はふるさとに帰るようなワクワクした心境だ」と語って旅立っていった。目に見えない世界に還ることに何の執着もなかった。
目に見えるものと、目にみえないものがある。死ぬときにどういう死に方ができるか。われわれはそれを学んでいる。

9 この世は素晴らしさに満ちている
命は完璧にプログラミングされている。
なぜ歳を取るとしわくちゃになるか。もういらないから。肉体はどんどん衰えていくけれど、心の世界だけはどんどん豊かになる。それがいい年のとり方だ。
人生は見事にプログラミングされている。最後までもっていけるように作られている。

そのときに食だけはしっかり食べていないといけない。人生の大河をゆうゆうと流れていけるポイントが食だ。
これが30年、食の世界を研究してきてつかんだ私、橋本宙八のストーリーだ。

この世は素晴らしさに満ちている。その感覚を取り戻すために、食養を進めてください。

 

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明日に向けて(672)半断食というエクササイズ・・・ルポ8 「食箋」という手当法

2013年05月06日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130506 23:30)

半断食道場参加ルポもいよいよ終盤を迎えつつあります。今日は毎日の講義とは別に行われたミニ講義の中から、「「食箋」という手当法」をお届けします。タイトルは僕がつけたものです。
食箋=しょくせんとは、もともとは、ひとりひとりの体質や抱えている病の症状に合わせて食べ物を指導すること。薬を出すのが処方箋であることに対して、食材を示唆するので、食箋であるわけです。
ここからさまざまな怪我や病いに対して、これこれこうした食材をこのように使うといいという知恵がたくさんあるのですが、今回はその中でも手頃に行えるもののいくつかを紹介していただきました。

その際、これまで紹介してきた陰陽論に基づいた実践的な知恵が縦横無尽に駆使されています。陰性のものの取りすぎてでてきた痛みには陽性のものを使うなどです。反対もあります。
また調合するときに、地球の自転を考えて、左回しにするといいというのも面白い。実際にさまざまなものをこねるときに、左回しと右回しを行ってみると、違いがはっきりと分かるといいます。

僕自身はまだこれらのことを実践したことがありません。ただロードワークで前から痛めていた左膝に痛みが出てきたとき、「ごま生姜油」をねってくれて、それを塗ったら実際にすぐに痛みが引いたのでびっくりしました!
それで完全に治ったわけではなく、痛みが繰り返しもしたのですが、明日香村にいたあいだは、痛むとこの油を塗りこむことで、なんとか足を持たせることができました。

今後、ここにあげられたものを試してみたいと思いますが、数々挙げられたものの中でも、「へえ」という思いを禁じ得なかったのは、「認知症でアグレッシブになっている人」などに効くというシイタケスープの効能です。
シイタケは陰性のもので、冷やす、緩める効果があるわけですが、そのため「怒り」「いらいら」などを鎮めてくれるというのです。寝返りが多く、怖い夢を見る場合などにも効くそうです。
私たちの日常は、社会の乱れの中で、さまざまな「怒り」「いらいら」を持たざるをえず、それ自身にまた苛まれる面がありますが、そんなとき、シイタケスープを飲んでみたいもの。

そうでないとどうしても、同じく陰性で、緩める効果のある甘いものやアルコールに手が伸びてしまうわけですね。甘いものも、メイプルシロップとか、ミネラルをきちんを含んだものなら身体に悪くはないですが、お菓子として売られているものはみな精製された白砂糖がたくさん使われていて、ミネラルがはぎとられています。
そのため、糖分の代謝のために体がからミネラルを奪われてしまうので、構造的にはさらにストレスを増やすことになってしまう。アルコールも適量で止まればいいですが、飲み過ぎるとさまざまな弊害をもたらしてしまいます。
だからまずはシイタケスープで怒りを冷ますと良いかもしれません。

これまで述べてきたように、このような食材の効果は、それぞれの人の体質、普段食べているものとの関係でも決まってきます。だからそれぞれでぜひ試してみて、自分に何が、どれぐらいの量で効くのか、効かないのかということを知っていくことが大切だと思います。

以上に踏まえ、ミニ講義「「食箋」という手当法」をお届けします。
なお今回は、同じく何回か行われた橋本ちあきさんのミニ講義「おいしいおじやの作り方など」も、書き加えておきます。ちあきさんは他にも数回お話してくださったのですが、うっかりノートを取り忘れました。む、無念・・・。

*****

半断食道場ミニ講義 「食箋」という手当法(5月1日)
橋本宙八談
ノートテーク 守田敏也(小見出しは守田)

1 怪我や病を食材で治す!
こういう食事をしていると、怪我や病気に対して、ありふれた食材を使って治す方法を知ってくる。その辺を話したい。
我が家の場合は、家族8人で、20年近くいわき(注 福島県いわき市)の山奥にいた。かかった医療費は限りなくゼロに近かった。お産も自分たちでやった。
こういう食事をしていても、怪我や病気になることがあるが、だいたい食材で治した。お金がかかったのは歯医者さんの治療費ぐらいだ。
現代は医療費に毎年ひとり30万円ぐらい使っている。このたべ、70歳以上で1年間病院にかからなかったら10万円くれるそうだが、こうした点で我が家は、医療費を使わないことで、かなり社会に貢献している。

これからの時代はより厳しい時代になる。そのために自分が病気になったときにどうするかの道筋を考える必要がある。信頼できるお医者さんを持つこと、東洋医学で治す道をみつけること、そして食事療法がある。
現代医学には素晴らしいことがたくさんあるが、それでは対処できないものもたくさん出てきている。そのためこれからの医療では代替医療が重要になる。多くは自然療法だ。
西洋医療はここ200年ぐらいで発達した。東洋医学やその他の地域医療は、それぞれが2000年以上の歴史を持っている。注目されるのは当然だ。
そのため自分の場合はどうするのかの方法を決めておくといい。かかる前からどうするかを考えておいてほしい。

2 マクロビオティックの食事療法
海外でもこうした動きは出ている。アメリカの国民のかなりの人たちが、医療費高騰の中で、代替医療に注目している。
その中でも食事療法がいいという人が相当のパーセンテージになる。世界的に注目を浴び始めている分野である。私たちの家族の例をみても、かなり医療費を倹約できる。
健康の自己管理を目指してみて欲しい。そのために、普段よく使う食箋(注 食材での手当法)についてお話したい。

(1)梅生番茶
梅と生姜を入れた番茶のこと。

作り方
梅干中くらいを一個を茶碗の中に。ねり梅を使ってもいい。小さじ半分ぐらいがいいが厳密でなくていい。梅干の場合は種と果肉を分けておく。醤油を小さじ一。ぐちゅぐちゅとまぜる。ここに生姜のすりおろしを入れる。小さじ半分ぐらい。これも量は好き好きでよい。これをすり合わせ、熱い番茶を注ぐ。これだけ。

陽性な飲み物。ゆるんだ臓器を締める。解毒効果もある。頭痛にも効く。
頭が痛いとき、前頭部や側頭部の痛みは、甘いものや薬物などの影響で出る。そういうときは効果がある。左の頭の痛みや二日酔いにも効く。

左目が痛い場合もよい。緑内障の場合も良い。
鼻の痛み、鼻炎、蓄膿症にも効く。のどの痛みにもいい。扁桃腺がはれた場合など。
口の中を噛んでしまったときにもいい。粘膜がはれているのでかみやすい。そういうときはいい。
これに対して、同じ頭痛でも後頭部が痛いときは、締まる効果によって痛んでいるので、それを緩めるものがいい。野菜スープなど。
白内障の場合も野菜スープが良い。

肩こりに対しても効くが、右と左で違う。左の肩は陰性のものの食べすぎで痛い場合がある。それには効く。右の場合は、陽性のものでなる。両方の場合は、大根おろしをいれて呑むと良い。

せきが出たとき、ゴホゴホするのにもいい。潰瘍などで胃が痛いときにもいい。

便秘の場合。緩んで冷えてでない場合と、締まって出ない場合ある。
冷えて緩んでいる便秘には効く。アルコールで緩んだ場合にもいい。
血圧の低い人、貧血の場合、心臓肥大にもいい。生理痛にもいい。
だらんとした長く続く痛みの場合に効く。そういうものに効果がある。

(2) シイタケスープ
干しシイタケを使ったスープ。タンパクを分解したり、血圧を下げる効果がある。高血圧の人にいい。

作り方
乾燥したシイタケを4個から5個ぐらい、3カップぐらいの水に入れる。30分か1時間おく。色が出てくる。それから火にかける。煮出していく。そうすると3分の2ぐらいまで残る。茶色っぽい色が出てくる。そこに醤油を小さじ一入れる。一煮立ちさせる。

後頭部が痛いときはシイタケスープがいい。右肩が痛いときも良い。
アトピーなどで発心が出てかゆくてしかたないとき、熱を下げるとき(38度以上)によい。
高熱のときは、かっかしている原因を取り除かなくてはいけないのでシイタケスープ。熱が低いときには梅生番茶。

年中いらいらしている人は肝臓がはれている。これにもシイタケスープが良い。
認知症でアグレッシブになっている人などにも効く。
夜中の歯軋り、不眠症にも良い。緩んで眠れる。
歯軋りはエネルギーがあまりすぎて起こっている。肝臓が充血を起こして力が入る。こういう場合、寝返りが多くなり、怖い夢や激しい夢をみる、それにもシイタケスープがいい。

(3) クズ湯
くず粉 くずの根っこから抽出したデンプン。昔から山伏が滋養強壮に使っていた。

作り方
クズ湯で飲ませる場合は小さじ1、ワンカップの水に溶かして中火で火にかける。ゆっくりかき混ぜる。左回しがやりやすい。地球の自転と反対にすると分離しやすいため。だんだん透明になり、粘りが出てくる。生臭い匂いが消える。そこまで火にかける。場合によって醤油、塩を加える。

クズ粉は整腸剤。皮膚に問題がある人はこれを飲むといい。肌荒れに効く。
アトピーにもいい。潰瘍ができた場合もいい。
解熱効果もある。微熱の場合。体を温める。微熱が改善される。体の冷えを治すときは醤油、塩がいい。
便秘を改善する力がある。

とくに効果があるのは梅生クズ。クズは質が良いと溶けやすい。
赤ちゃんの発熱などにクズ湯がいい。味をつけない。

消化器系の病人、流動食などのとき、クズユから食べさせるといい。お腹を切った人など。
野菜スープにまぜるとクズのあんかけ風になる。便秘にいい。肌がよくなる。
お腹にやさしい。カチカチの便秘にいい。

(4) ごま塩
止血剤になる。どういう出血でも対応できる。

作り方
ゴマを炒って、塩を炒る。それで塩をすり鉢でする。ゴマを入れて、塩をかけてすりこぎ棒ですりつぶす。このときも上から見て左回しで作る。

使い方
小さじ1杯ぐらい(血の出方によるが)お茶に入れて飲んでもいいし、オブラートにくるんで飲んでもいい。大出血も止まる。止血の場合は黒ゴマがいい。
普段食べるごま塩はゴマが8塩が2といわれていたが、それだとちょっと辛すぎる。好みに合わせて9対1でも10対1でもよい。
止血で使うときは最低8対2、7対3でもいい。

(5)レモン
頭が痛いときは眉間をこすってもいい。油消しになる。油をとり過ぎたらレモンを少しとる。筋肉がはっているときもいい。

(6)キャベツ・豆腐
熱がでたとき、キャベツの葉っぱをひいて頭をおく。おでこに貼るのもいい。
青菜の冷たさが無理なく熱を引き出してくれる。
豆腐でもいい。薄くきってはる。熱を下げる力がある。打ち身にも効く。

(7)しょうが油
筋肉痛、はげも治す!怪我のあと。喘息のときは胸に。

(8)ごましょうが油
打ち身、捻挫に効く

作り方
生姜の汁、そこに同量のごま油を入れて指でかき混ぜると粘ってくる。
それを患部に塗る。

以上

*****

半断食道場ミニ講義 おいしいおじやの作り方(4月30日)
橋本ちあき談
ノートテーク 守田敏也(小見出しは守田)

1 おいしいおじやのつくりかた
入れるとおいしいもの
ごぼう れんこん にんじん だいこん
プラス季節の野菜
さといもがはいるととろみがでる。

最初になべでよく煮る。さといもは崩れるのであとに。
野菜を入れたあとに出汁。
出しじるか、ほししいたけ、こんぶ

やわらかくなったらさといもをいれて、それもやわらかくなったら、塩をちょっと。そのあと醤油を入れる。味をみたときにしょうゆ味が濃いぐらい。
塩は野菜のうまみを凝縮するもの。ちょっと。塩が必ず先。

醤油も少しずつささない。同じ味を作るのにもたくさん入れることになる。一気に入れたほうがいい。
お玉にとっておいてドボっと入れる。
それで5分ぐらい煮る。濃い味のお汁ができ(そのままで飲めないぐらい)
そこにご飯を入れる。汁の2、3センチしたぐらい。
弱火でことことにる。20分ぐらい。
そのときにネギ、ワカメを加える。
まぜない。
ちょっとこってりしたかったら、最初の野菜を油で炒める。

2 おいしい味噌汁のつくりかた
こんぶとしいたけがだしの基礎。
ごぼうも出汁になる。他に切り干し大根の出汁。れんこん。いりまめ。
あくは基本的にとらない。あくも転換させればうまみになる。
おいしいのは単一の味噌を使わない。それを混ぜる。

3 食事を食べるときに気をつけたいこと
これまで私たち(注 宙八さんやちあきさんのこと)は、生物としての人として力をいかにひきだせるかを知ろうとしてきた。ところが意識が食べ物だけに集中し、大きなビジョンを忘れてしまうと非常に苦しくなる。日々のビジョンの中で食べ物という道具を使って欲しい。
そうしないとかえって自分を追い詰めてしまう。葛藤が大きくなる。問題は何を食べたらだめだとかいうことではない。人間が本来、持っている普通の力を引き出すことにある。
例えば、玄米菜食の生活をすれば、自然出産をできるというわけではない。自分が自分の理想と身体の関係を、どれだけつめていけるかにかかっている。その辺のことをとばしてしまって、これを食べればこうなるというのではダメだ。

食事を選択していくのは、自己責任を持っていくことだ。そうしようという覚悟を持ちながら生きる。そのほうが面白い、楽しいと思えたらそうしたらいい。自分の人生を自立させていける生き物になろう。
どのような選択をしても、いろいろな波もくる。それも含めて自立的に生きていくこと、面白くいきていくこと。そうすると自分で考える人間になっていける。

子育てでも、判断力を自分でつけながら、こどもにもつけてあげるのが大事。自分に対してあれはだめ、これはだめと言ってると、こどもに規制ばかりするようになる。
人と比べないことも大事。それぞれがそれぞれの条件の中で、それぞれの道を歩んでいる。

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明日に向けて(671)半断食というエクササイズ・・・ルポ7 「命を食で運ぶ」

2013年05月05日 13時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130505 13:00)

僕の中からは宿便がすっきりと出ました。なんというか、心身の調子はもともと良かったので?それほどの激変は感じません。すっきりする、爽快感があるとのことでしたが、考えてみれば僕は半断食道場に参加している時から、毎朝、さやかやかで心がウキウキとしていました。
何というか、もともと非常に単純な性格を持っていて、落ち込んでいても、少しお酒でも飲めば、心の奥底から楽しさがこみ上げてくることが多く、美味しいものを食べると、ウキウキしてきます。何とも小説にならんというか、詩にもならんというか、考えてみればそういう僕ですので、これ以上、爽快感があるとするともうそれはトリップ状態に違いないのかもしれません。
あまりみなさんの参考にならずにすみません・・・。

さて今回は、橋本宙八さんの講義「命を食で運ぶ」をお届けします。今回はタイトルも僕がつけました。命を食で運ぶとは、「運命」のことです。運命は命を運ぶと書いてある。では何でというと「食」でと言うことです。宙八さんは、ここに人間の自由があると言います。
なぜか。他の動物たちは、食べ物を変える自由がないからです。講義の中の言葉ですが、ライオンが、ちょっと太り気味だから、明日からベジタリアンで行こうと言ってもそれはできない。ライオンには植物は食べられないのです。同じように、牛が「闘牛をするからカツを食うぜ」と言ってもできない。牛には肉を切り裂く歯がないからです。

そこから「料理は最大のアートである」という命題が出てきます。料理は命を作ること。命のあり方を左右することです。だから最大の遊びであり、アートだと言う。こんなに楽しいことを人任せにし、命を他者に預けているのは大きな損失だと宙八さんは言います。
これを聞いて、ある知人との会話を思い出しました。彼女はドラマーなのですが、ハードロックなどアグレッシブな曲を叩きたい時は、肉をバリバリ食べた方が間違いなく叩けると言うのです。「そんなものかな」と僕は思いましたが、実際に食べ物の影響としてはそのようです。宙八さんも「レスラーに、ベジタリアンになれというのは酷だ」と言います。

だとするならば、自分の人生設計にあわせて、お好みの食べ方をしていくことは、確かに自分の命を作り、運命をデザインしていくことであって、本当に大きな遊び、アートだと言える。このことに53歳まで気がつかなかったのは確かにとても「うかつ」なことでした。
これまで僕は、料理をできれば簡略化したい生活上の必要な仕事として捉えている面がありました。実際にはほとんどを連れ合いに作ってもらっていて、僕が担当するのは味噌汁作りと後片付けだけだったりしていて、大変、不十分な分担でした。
最近、それではいけないと考えて、少しずつ野菜の下ごしらえの仕方など、学んでいるのですが、我が家のジェンダーギャップを少しでも埋めなければというか、女性と男性の間での差を少しでも減らさなければという思いからの関わりが主でした。

そんなこんなで、「アート」を知らなかったのだなあとしみじみと思います。家事の公平分担という、やらねばならないことの分け合いということを越えて、人生の楽しみ、人生を作っていく試みそのものとして、僕も料理を見直したいと思います。こうしたことに気がつけたことも、今回の大きな収穫でした。

以下、講義ノートをお読み下さい。


*****

半断食道場講義 命を食で運ぶ(5月2日)
橋本宙八談
ノートテーク 守田敏也(小見出しは守田)

1 宿命と運命
最初の食べものは母の胎内で得る。
卵子と精子が受精してから、お腹の中で、人類の38億年の生物の発達史が繰り返されると言われている。「十月十日」の1日が1500万年にあたる。少し正確ではないかも。守田さん計算しておいてください。
(注 いわゆる十月十日は280日と計算されている。38億÷280=13571428.57142857。正確には1357万年と1429日(小数点以下四捨五入)になる)
この期間はとても重要だ。この胎内にいた命のことを宿命と言う。私たちの命は、38億年プラス、オギャーと生まれてからの年月だ。そのため胎内にいたときの影響は決定的だ。

宿命に似た言葉として運命がある。運ぶ命と書く。しかし宿命というのは変えようのないものだ。
運命は、命を運ぶと書く。私たちは何によって命を運んでいるかというと食べ物によってだ。食べ物を食べなくなったとき、人間はこの世からいなくなる。
(注 この点もとても重要。北欧などでは、人は「嚥下(えんげ)=飲み込むこと」ができなくなることを人の死と捉えて、延命治療をしない。日本やアメリカでは、食べ物を飲み込めない場合、胃ろうといって、胃に直接栄養を投与して延命させている。この違いが、福祉予算の大きな違いにも色濃く反映している。)
このため、食べ物が変われば、運ばれる命が変わる。運命が変わる。

2 人生における食べ方の違い
第一ステージの食が胎内。第二ステージがおっぱい。第三ステージがお母さんが作った料理だ。
第四ステージは自立して自分で食べるもの。第五ステージはパートナーとの関係で食べるものが変わる。子どもができて以降を第六ステージと考えてもよい。
子どもが巣立って二人に戻るのが第六ステージ。その後、パートナーを失って一人になる。違った食事になる。それが第七ステージ。七段階にわけて、いろいろなものを食べる。
(注 生涯パートナーを得ない人生のあり方ももちろんある。またパートナーがいたりいなかったり、複数の場合などさまざまなケースが当然にもありえる。ここでの提起は、多くの人がたどることの多い一つの典型的なパターンとしてとらえれば良いと思う)

3 食事の選択は人間の特権
食事の知恵はなぜ必要か。食を楽しむためでもあるが、人間は自由に食べ物を選択することを与えられている。それで運命を作っていくことができる。
ライオンは、ちょっとベジタリアンになるとかできない。ウサギが少し肉を食べたいといっても食べれない。動物は生涯、食事のあり方を変えないし変えれない。人間だけが、食事・運命を好きなように作っていいとなっている。ここが動物と人間の決定的な違いだ。料理をして、食事を自由に食べられるのが人間の特徴だ。

4 人間の持つ感覚
食事が変わると生き方が違ってくることがある。当たり前だ。人間は食べ物を胃腸で消化して60兆の細胞を作っている。
われわれには五感がある。味覚・臭覚・触覚・視覚・聴覚だ。食べ物で細胞を作って、日々、この五感を作っている。
人間には、五感以外に、第六感を持つ。五感をすべてあわせた総合的な力。直感力。
第六感がさらに成長していくと、第七感が出てくる。自然界のことが分かる感覚。宇宙のことが見えて判断できる感覚。それが育つ。
第七感が成長すると第八感が育つ。別名、霊感という。宇宙の実在が分かる。時空を越えているから過去も未来も見えてくる。

人間は五感で終わってはいけない。直観力を高め、自然と会話できるようになる必要がある。
アイヌの産婆さんに会いにいったことがあった。産婆になる条件は森の中で育つことだといわれた。命への感覚が育っている。彼女は目がまったく違っていた。霊能者だった。会いにいくと「ああよくきたね。待っていたよ」と言われ、ゾクッときた。「あなたたちはもうやることがわかっているね」と言われた。
そういう人たちは第八感まで研ぎ澄ました人だ。

5 食べ物と感覚
人間はこういう感覚をもともと持っている。しかし日々の食べ物で、こうした感覚をそぎ落としてしまう。
五感は食べ物から日々、作られている。いいものを食べれば五感は育っていく。それが健康に育って、直観力が成長する。
歳をとると肉体の力は落ちていくけれど、総合的な判断力は伸びる。長老とはそういう人たちのことを言う。霊的な感覚を持っている。

運命は五感によって決まってくる。総合的な力によって、どういう仕事をするか、明日はどんな仕事をするか、決まってくる。
人間の毎日の過ごし方は、こうした感覚によって決まっている。食べ物によって運命をどう運んでいくか決まっていく。

6 料理は最大のアート
食の知恵をつけるなら、自分の運命を、作れるようになって欲しい。そうして自己実現して欲しい。食のコントロールをできることが、人生の自己実現につながる。

キツネをみても、親に食べ物のとり方と食べ方を習い、大人として自立する。
人間はより高度に、自分の人生を自分でクリエーションしていく。そこで食の知恵を身につけることが問われている。料理は人間しかしない。料理は宇宙の仕組みを知ることだ。理をはかるのが料理だ。それが人間に料理というものが与えられていることだ。
料理をしない人は、命を他者にあずけている人だ。料理は最大の遊びであり、アートだ。命を作るアートである。

自分はこういう人生を作るのだから、こういう料理を作る。それが人間に与えられたことだ。
試練の中から、ちゃんと自分の食べるべきものを掴み取り、人生の自己実現をすることが大事だ。

7 半断食で感覚を取り戻す
半断食をなぜしているのか。自分にとってどういうものを食べればよいかを身体で知ることだ。現代人は頭ですべてをやりすぎている。マニュアルばかりになっている。
身体性を忘れて、鈍くしてしまっている。頭だけですべてを操ろうとしている。

身体に聞ける感性、声をちゃんと聞ける身体を作らなければならない。
そのために生まれてから感性を鈍らせてきたさびを落とさなければならない。感覚が分からないから何でも食べてしまう。これを仏教では「餓鬼道」という。
これを分かるようになろうということだ。みかんを食べるとこういうからだの変化がある。こういう気持ちが出てくる。ならば今は必要だとか、必要ではないとか、そういうことを分かるようになろう。

8 自分にとって正しい食事とは何か
自分にとって正しい食事は何か。
一つ、おいしいこと。
二つ、身体が元気になる。パワーが出てくること。
ただし、現代の人たちは、元気すぎる。いつもハイテンションでそう状態だ。動物性のものが多すぎでそうなっている。それはよくない。

三つ、心が楽しくなる。
この三つが大事だ。しかし世間はおいしければいいとだけ言っている。
昔の精進料理などのように、身体がよくなるのが条件だ。

9 食事による養生(食養)のポイント
食養の場合は心がウキウキするのが大事。
これができるようになったときに、「正しい料理」だといえる。

これにはマニュアルがない。同じものを食べても、違うときでは違う状態になることがある。
それらを自分の中で描いて、自己実現力を高めていく。

桜沢先生(注 桜沢如一・マクロビオテックの創始者)は、自由人とは自分が描いたビジョンがみな本物になっていく人のことを言った。身体が悪くなるとビジョンが実現しない。
その辺のことも視野にいれて、毎日の食べ物を作って食べよう。そのためにぜひとも敏感な身体になろう。

あなたたちはすでに、外に行っても空気を感じる力も強くなっている。
その辺のことを味わいながら、さあ最後のロードワークへ行ってください!

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明日に向けて(670)半断食というエクササイズ・・・ルポ6 「食べ物の陰陽表」

2013年05月04日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130504 23:30)

半断食道場から帰って二日が経ちました。この間、「宿便」と思わしきものがでました。その際、気分が爽快になるとのことでしたが、それほど劇的な変化は感じませんでした・・・。体がすっきりしたのは確かですが。
ただ体重が減ったたのは事実で、一週間で3.2キロほど痩せました。半断食を始めた時が63.9キロ、終わった時が60.7キロです。ちなみに2011年3月11日以降、それまで年間100回ほどトレーニングをかねて登っていた大文字山にまったく行けなくなり、太り続けて最大で70キロほどになりました。そのときが一番、身体の悪い時でした。

その後、肥田舜太郎さんの言葉などに学んで、玄米を中心に、食事をよく噛んで食べること、暫くはお酒は肉を止めることを実践して、ゆっくりと体調を戻していき、8キロほど落として62キロになりました。身体もかなり良くなりました。最近はそこから少し太めになっていた状態でしたが、もう一度、すっきりさせることができました。
デトックスの効果はまだ自分ではよくわかりません。もう少し継続的に身体によい生活をしながら自分を見ていきたいと思います。

さて、今宵は半断食中の講義録の続きとして、「食べ物の陰陽表」をお届けしたいと思います。これもまたマクロビオティック食事法の重要な考え方で、陰陽二元論に基づき、全ての食べ物を陰陽によって分類し、食べ方のカイドとするものです。
以下、今回配られたプリントとほぼ同じものをネットから見つけましたので参考にしてください。
食べ物の陰陽表(横) マクロビオティック食 桜沢里真著よりスキャン
http://rakumin.jugem.jp/?eid=7

陰の食べ物は、身体を冷やし、緩める、広げる効果を持っています。反対に陽の食べ物は、身体を温め、締める、縮める効果を持っています。橋本宙八さんの解説の重要なポイント、だからどちらが身体に良いとか悪いとかいうわけではないと考えている点です。
陰陽はあくまでもその食べ物の持つ性質であり、それを知って、どのように食べるか、あるいは組み合わせるかが重要だということです。
これまで僕の中で「冷えは万病のもと」ということから、陰性のものが悪く、陽性のものが良いような混乱もありました。確かに現代の私たちの体は、甘いものが多く出回っていることが多く、冷えているので、大方の場合は温めた方がいいのですが、それもあくまでこういう条件ものとでのこと。あくまで大事なのはバランスなのです。

非常に面白く感じたのは、さまざまな食べ物の古くから伝わる食べ方の多くが、この陰陽論によく合致していること。例えば魚はほとんどが陽性。そのために刺身の場合は、陰性の強いワサビやショウガと一緒に食べます。寿司にガリがつきものなのも同じこと。陽性の肉類に、陰性のジャガイモやシイタケなどが付けあわさせるのも理にかなっている。面白いです。
果物も全体として陰性の側にありますが、その中でもバナナやパイナップルなど、南国のものはより冷やす力が強く、みかんやりんごなど、日本で採れるものは冷やす力が弱い。沖縄はより南方の島々では、そこで採れる果物があっており、温帯気候のうちに人々には日本の代表的な果物の方が身体に適していると言えるということです。

陰陽表をよく読み込んでいくと、このように面白い気づきがたくさん生まれてきます。
ちなみに放射性物質はどうかというと「極陰」になるそうです。極端すぎてとにかく排除すべきものであるということです。
・・・今宵は、これら陰陽論にまつわる講義をお伝えします。

*****

半断食道場講義 食べ物の陰陽法(5月1日)
橋本宙八談
ノートテーク 守田敏也(小見出しは守田)

1、老子の陰陽論
東洋人の考え方においては、物の本質を気としてとらえている。
その代表は中国の老子だ。老子は次のような名言を残した。
「一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生じる。」
彼は宇宙の本源をタオ(道)といった。道とは何もないが、行き先だけが見える世界だ。
宇宙の本在はすべてがあるが何もない世界。そこからすべてのものが生まれてきている。
昔の人はそれを直感で分かっていた。

では老子の言葉の意味はどういうことだろうか。
一とはタオ(道)のこと。見えない世界のことだ。
二とは気の世界のこと。陰性の気と陽性の気と二つの気がある。
三とは光のこと。見える世界のことだ。

近代科学は、三の世界から始まっている。これに対して東洋人は見えない世界を考えてた。そこに気をみた。

2、なぜ気なのか
マクロビオティックの世界では、陰陽論で考え、食べ物もそこから見る。気から見る。気の世界でとらえる。
「病気」も気の病と書いてある。反対に「元気」も気の元とある。

なぜ気なのか。ものの世界、見える世界では、無限に動いている命の世界を捉えられない。「あなたの身体には××カロリーが必要だ」というと、次の瞬間には身体のあり方、命のあり方が変わっているから、ウソになってしまう。
陰陽論の方が、つねに変化する命のあり方をとらえられる。無限に変化する命を変化のままにとらえる。それが陰陽の世界だ。

3、陰陽による補い合い
自然界は、男と女など、違ったものが助け合って成り立っている。食べ物にも陰性と陽性がある。

銀河系も二つの手を持つ渦でできている。一つは円に向かう気の流れ。もう一つは外に広がる気の流れ。前者が陽性で後者が陰性だ。
地球も回転している。そこから上にあがるもの、広がるものが陰性だ。一方で地球の自転によって宇宙からの気が取り込まれる。下降する気が陽性だ。

人間で言うと、女性は陰性だ。地球から外に向かう気をいっぱい持っている。男性は陽性だ。宇宙から地球に向かう気をいっぱい持っている。

4、食物における陰陽
陰性のものは暖かい土地・気候で取れるもので、上にすっと伸びるものだ。
陽性のものは寒い土地・気候で取れるもので、あまり伸びないものだ。

陰性は紫色で陽性は赤色。それぞれの食べ物はその間のスペクトルに対応している。

紫色の食べ物は身体を冷やす。広がる力を持っている。典型的なのは、ナス、ブドウ、イチジクなど。このため、あまり紫のものを摂ると冷える。子どもをさずかりたい場合は避けたほうがいい。ワインもそうだ。
赤いものの食べ物は身体を熱くする。肉などがそうだ。だから肉料理はぶとう酒と合う。
身体の冷えている人は青い野菜を食べない方がいい。反対に身体が熱い人は青い野菜を食べるといい。

5、味による区別
渋い味、苦い味は 顔がちぢまる。気が内に向かう。つまり陽性だ。反対にえぐいもの、辛いものは顔を広げる。気が外に出る。つまり陰性だ。
肉を食べると、ちぢまる力が働くので、辛いものが欲しくなる。典型なのは焼肉とキムチの関係だ。

現代人が辛いものを好きになってきたのは、食べ物に動物性のものが多くて、体が硬くなっているから。辛いものでこもった熱を外に逃がそうとしている。血圧の高い人などとくに辛いものを好む。
南の島の人たちも辛いものを食べる。体温が身体の中にこもるから。広げて熱を出すためだ。カレーライスなどは典型だ。

ナトリウムの多いのものは塩気があり、身体を締める。そのため塩を摂ると、身体の細胞がしまってくる。いきすぎると血流が悪くなる。その場合は、カリウム、果物などを摂って広げるとよくなる。

6 中庸の食べ物=穀物
これに対して、穀物は中庸のものが多い。そのため身体にとってバランスがよい。
ところは現代は美食が多い。両極のものをたくさん採っているが、バランスが崩れている。そうすると気の流れが右に左にと行きつ戻りつするので、心のバランスも崩れる。
とくに両極端だと、双極性障害(うつ状態と躁状態を繰り返す病い)になりやすい。
それらから中庸がいい。穀物が主食になる理由だ。

7 野菜について
たけのこはやや陰性だ。病の中で身体の上の方に出ているものは陰性なものの摂り過ぎによってなりやすい。のどの痛み、頭痛など。そのとき、たけのこ、シイタケなどは摂らないほうがいい。
ジネンジョやゴボウ、ニンジンなど、地球の中心にむかうものには陽性の力がある。このため身体の冷える人は根菜類を食べるといい。

8 魚について
赤身の魚は非常に陽性だ。これらを食べていると身体が熱くなりすぎる。クジラ、マグロ、サバ、ブリなど。
年中、動き回る人は魚をいっぱい食べるている。エネルギーが余っている。日本に住んでいる人に多い傾向だ。
これに対して、タコ、ハマグリなど動かないもののほうが陰性だ。

9 果物について
バナナはカリウムが多い。これを食べると筋肉が緩む。陽性なものをいっぱい摂っているとこれらが好きになる。
日本で採れるリンゴ、モモなどは身体をそれほど冷やさない。これらが採れる気候のもとでは一番身体にあっている。

10 肉類について
肉類 豚肉、牛肉などみな陽性。そのためジャガイモやキノコなど陰性のものとよく合う。料理でこれらが付け合わされるのもこのためだ。魚を食べるときに大根おろしを使うのもそうだ。

11 香辛料について
わさび、しょうが、とうがらしなどはみな陰性だ。
陰陽がどちらがいいというのではない。バランスが大事。だからこれはら薬味として使われる。
ただし、食道がんなどは香辛料を摂りすぎた人などがなる。過剰な場合、甲状腺やのどをやられる。なんでも摂り過ぎはよくない。

12 マメ類について
マメがらできたものでは豆乳が陰性だ。マメはいいのだが、豆乳は、うわずみとして上にあがったものなので冷えを持っている。マメでも小豆は陽性だ。身体を温める。

13 飲み物について
ウイスキー、ワインなどは陰性だ。これに比べて日本酒は陽性。
日本人は魚をいっぱい食べてきたので、日本酒をとって血管をひらいてやるといい。
西洋人はより陽性の強い肉をいっぱい摂っているので、より陰性の強いウイスキーなどが必要になる。

お茶では緑茶は陰性が強い。身体を温めるのに良いのは番茶だ。

14 調味料・油・乳製品について
白砂糖は強い陰性。これを摂ると身体が偏る。精神がナーバスになる。合成酢も陰性。化学調味料も陰性だ。
チーズやヨーグルトは陽性。
調味料はだいたい陽性だ。日本料理は陽過多になりやすい傾向がある。このため、反対の性格を持っている野菜をいっぱい使う必要がある。

15 病と陰陽論
皮膚に問題がある人たちは陰性のもの食べない方がいい。できれば中庸のものを採ったほうがいい。病気を治すときは、食事を中庸にもっていくのが基本。

ガンも両極端によってなるが、転移が心配なとき(広がりのとき)は、陰性のものを摂らない方がいい。これはガンをなおすときのポイントだ。

以上

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明日に向けて(668)半断食というエクササイズ・・・ルポ5 マクロビのガイドライン

2013年05月02日 22時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130502 22:00)

半断食道場6日目の夜です。ついにここでの生活も最後の一日になりました。今日はロードワークのあとにスイーツが出ました!!スイーツといっても砂糖類は一切、入っていません。りんごの自然な甘みと、ライスドリーム(玄米から作ったミルクのようなもの)などのほんのりした甘み。それのおいしいことなんの。
夕食には、細いうどん?と玄米海苔巻きも出ました。とにかくとてもおいしくいただきました!もちろん200回噛みながら。麺は100回ですが・・・。

さて、前回のルポで、この道場で教えられていることが、食べ物の選択権を天から与えられている私たち人間が、それそれの人生の目的に合わせつつ、正しい食べ物の食べ方をしていけばいいこと。それを身体で知っていくことが大事であることであることを書きました。
しかしそれだけでは、私たちには選択にあたっての判断基準がありません。そこで翌日の講義では「マクロビオティック食事法ガイドライン」が話されました。

これは人間の歯形から、生命体としての人間にとって何をどう食べるのかが、自然のバランスにかなっているかを編み出したものです。これを食のピラミッドといいます。まずはこれで、人間にはおおまかに何をどれぐらいの割合で食べるのが自然なのかを知っていこうというわけです。

もちろんその割合には幅があります。生命体としての私たちの基本を崩さない限りにおいて、そこに選択の自由が生まれるわけです。こうした自由を行使するためにも、まずは人間は何をどう食べてきた生き物なのかを知ろうということです。

以下、講義内容をお届けします。(なお講義では、食べ物のピラミッド図が配られました。スキャンニングができないのでここでは割愛し、必要に応じて文章で補います)

*****

半断食道場講義 マクロビオティック食事法のガイドライン(温帯性気候用)(4月30日)
橋本宙八談
ノートテーク 守田敏也(小見出しは守田)

1、人間はどんな食べ物を食べてきたのか
人間とはどんな食べ物を食べてきた生き物なのか。一つの目安として、人間の歯の形から導き出した割合が見えてくる。
人間に臼歯が20本、門歯が8本、犬歯が4本ある。
全ての動物は、それぞれの命に適した歯形を持っている。その形をみれば、どんな食べ物を食べてきた動物かが見えてくる。人間も同じだ。

臼歯は穀物をすりつぶす歯だ。最も多く、人間が主に穀物を食べてきていることがわかる。これはどこの国でも同じだ。人類という生物の種の一般的な食べ物 は穀物だ。
門歯は、薄くてとがった歯だ。食物の繊維を噛み切る歯。これで植物を噛み切ってきたことが分かる。
犬歯は硬いものを噛み千切る歯だ。上下に2本ずつ4本ある。肉の繊維などを噛み切ってきた歯だ。

割合で言うと、臼歯5、門歯2、犬歯1で、これが生物としての人間のバランスだ。ここから日常の基本食として、全粒穀物が40~60%、野菜20~30%、豆および豆製品が5~20%を摂り、果物や魚介類、ナッツ類、甘味などを週に数回程度、肉、卵、乳製品を月に数回程度摂るのが、もともとの人間という生命体にとって、いいバランスであることが見えてくる。

2、ベースになるのは全粒穀物、次は野菜
食べ物のピラミッドについて、詳しく見ていこう。
ベースになるのは全粒穀物だ。これが日常(基本食)の40~60%を占める。
全粒穀物とは、大地に撒けば芽が出るもの。玄米、麦、雑穀類などだ。
これに対して、白米は玄米を精製したもの。本来のお米は玄米のことだ。
日本の文化はもともとは玄米文化だった。

白米を食べてもかまわないけれど、完全な穀物としては玄米の方がいい。ありとあらゆるものがバランスよく入っている。
全粒穀物は、粒で食べてもいいけれど、粉でもいい。麺にしてもいい。できるだけ真っ白くするより、黒っぽいほうが理想的。穀物をダイレクトに食べてもよいし、加工して食べてもよい。これが食べ物の主食、中心になるといい。

次は野菜。20~30%は欲しい。それのオーガニック、無農薬、できれば無肥料で作られたもの。その野菜が、生命エネルギーが一番ある。
農薬をかけると本来の野菜の生命力を持たなくなってしまう。スーパーで買った野菜では食べても元気にならない。自然のものと味がまったく違う。栄養分も科学的にみればある程度は含まれているかもしれないけれど、これまで述べてきた生命エネルギーの面でいうと、きちんと含んではいない。大事なのは、自然界のエッセンスがいっぱいつまったものを食べることだ。

3、旬のものを食べる意義
それをできれば旬にあわせて食べる。春には春のものを、夏には夏のものを。
それを一物全体、丸ごと食べる。全体で一つ。
皮をむいて食べると栄養素が失われてしまう。全部食べるのが、本来の野菜の食べ方。皮にはうまみ成分がある。あくも上手にうまみに転化することができる。

旬のものを食べるのは、命と自然界を調和させることでもある。春に夏のものを食べれば、体の中だけ夏になる。それではずれができる。自立精神がくずれてしまう。日本にいながらアフリカのもの、果物をたくさん食べれば、体を冷えてしまう。

ちなみに野菜より少なく、週に数回程度摂るといいののとして果物がある。果物については、肉をばりばり食べる人が、食べるのは良い。肉が熱をもたらすから果物で冷やす。しかし血圧を維持したいときなどに果物をどんどん食べると、その作用で体が冷えてしまう。こうしたバランスを考えることが大事。

日本人はそうやって玄米を中心に野菜などを食べてきたが、今はスーパーにいけばなんでもおいてある。そのために自律神経がおかしくなってしまう。外側の世界と内側の世界をアジャストするのが自律神経なのに、違う季節のもの、気候のものをたくさん体内に取り入れてしまうからだ。

4、昼夜で変わる人間の身体
人間は、昼間は外に気が向かう交感神経が働いている。夜は体の中心に気が向かう副交感神経が働いている。
昼間は太陽が出ている。気のエネルギーが太陽にひっぱられる。交感神経が働く理由。活発になる。動く。仕事をする。
夜は太陽が反対側にいく。太陽が出ていると起きあがるが、太陽が出ていないと反対側にエネルギーがひっぱられるので、立っていられなくて横になる。締まる神経である副交感神経が働く。体をおとなしくさせる力がはたらく。

午前中は体の中のガスが出る段階になる。排毒の時間。それで取り込んだ毒素によってトリップする。アルコールの場合は二日酔いになる。甘いものを食べている人はだるくなる。
午後1時から夕方は水の排毒の時間だ。

夜は陰性の世界。家に帰って静かにする。ちなみに半断食の後半は夜が寝れなくなる。陽性のものを拝毒する時間だからだ。

夜眠れない不眠症の人は、身体を締まる性質のものを食べ過ぎている。肉、魚、塩気のあるものが多い。このため、寝れない場合は、果物や野菜をとるといい。朝ぼっとしているのは甘いものを採り過ぎているからだ。

人間の体は太陽の動きに合わせて動いている。このため、特に病気になって大事なのは早く寝て、早く起きることだ。自律神経がどの臓器も動かしているから、自律神経にとってバランスのいい生活の仕方をすることが大切なのだ。

5、漬物、豆および豆製品、海藻
全粒穀物、野菜ときて、野菜の横に(ピラミッドでは)漬物と書いてある。
なぜ漬物が大事か。日本人はこれを食べているから長寿なのだ。
日本は世界で一番漬物が多い。塩漬け、酢漬け、その他いっぱいある。そのためとくにヨーグルトなどを食べなくてもいいものが多い。これらを野菜についで食べるといい。

ただし売っているものはいろいろな添加物が入っていてだめ。無添加のものを選ぶが自分で漬けて食べる。良い漬物はお腹の善玉菌を増やしてくれる。これで免疫力の強さも決まる。少し塩を加減したものがいい。

ピラミッドでは、その上に豆、豆製品がおいてある。(5~10%)
植物性のたんぱく質はアルカリ性で、動物性のものは酸性だ。そのため動物性のものを食べると、吸収するときにガスが出たり、繊維がないので宿便としてたまりやすい。そのため健康の視点からは、植物性のたんぱく質を摂るといい。。
納豆、湯葉など。醤油もそう。それらが長寿を支えている。

その横にあるのは海藻だ。ミネラル=微量元素がたくさん含まれている。
現代はミネラル不足だ。ミネラルを消すものをたくさん摂っているためだ。
とくに砂糖はミネラルを溶かしてしまう。清涼飲料水など砂糖が多い。これらを摂ると、その分、身体からミネラルが奪われる。化学物質もミネラルを減らす。栄養ドリンクも化学物質が多いので同じ効果をもたらす。

ハーバード大学のデータがある。A アメリカ人の普通の食事、B 乳製品を押さえた食事。結果はAの方が骨粗しょう症が多かった。牛乳からカルシウムが入りすぎて、他のミネラルが奪われるためだ。
栄養ドリンクも、体が自分の力で栄養分を作りだす機能を衰えさせてしまって、健康のはならない。
腎臓悪くして透析を行うと、腎臓がはたらかなくなるのと同じで、機能が必要になくなると、その機能は衰えていく。

6、調味料 卓上菜、植物油
今述べてきたものの上にあるのが、調味料、卓上菜だ。
これらはできるだけ自然なものを使って欲しい。スーパーで売っているものには薬品が入っているものが多い。体に悪い。いい調味料を取る。
ご飯で補えないものを、食卓の上においておく。ふりかけ、ごま塩、梅干などが良い。

次は植物油。動物性の脂は酸性食品のため、コレステロールになりやすい。植物油の中では、ごま油、菜種油、オリーブオイルが良い。ここまでが日常の基本的な食事に必要なものだ。

7、果物、魚介類、ナッツ類、甘味(週に数回程度)「
続いて果物。土地のものを食べる。りんご、すいか、みかん、かきなどが良い。日本に採れないものをあまり食べているとバランスが崩れる。
季節のものをとる。上手に採るといい。

日本は魚介類を世界で一番食べる国。食べてもいいが採りすぎると問題が出てくる。赤身と白身を比べると、赤身の方が分子が大きい。長く食べていると腎臓のめづまりを起こすことがある。白身の方が体に優しい。その辺を気をつけて食べる。

魚を食べるときは毒消しを食べる。
焼き魚には大根おろし、生はわさびがついている。そういう食べ方だと魚にある毒素が中和される。魚の陽性の強さ(温める力、締める力)に対して、陰性のもの(冷やす力、緩める力)のあるものがついている。
このため、寿司を食べるならガリも食べる。魚を食べるときは2、3倍の野菜を一緒に食べるとよい。

ナッツ類。
次の生命をきちんと生み出してくれるもの。ダイレクトに食べるのは力になる。しかし油が多いものをたくさん食べ過ぎると良くない。体のパワーをほしいときはナッツを食べる。もともと仙人食だ。

甘味、甘みのもの。
精製している白砂糖はだめ。精製していない甘みを時々食べるのは良い。
テンサイ糖、黒砂糖、メープルシロップなどが良い。これらは週に数回程度。バランスよく。

8、乳製品、卵、鶏肉、肉(月に数回程度)
もともとはご馳走食。時々食べるのはいい。しかしご馳走ばかりだと体を壊す。
楽しみのために時々食べるのはいい。
先進国は豊かになり、毎日、これを食べるようになり、食べ物のピラミッドが反転してしまった。そのためにいろいろな病気が出ている。

9、そのほか
こういうピラミッドでふだんの食生活が守れていけば、体を守れる。ベジタリアンでいくかどうかは、その人の人生のあり方、目的の問題だ。誰にも大事なのはここで述べてきたバランスをとることだ。それに踏まえて補足したい。

スープ。
一日1回か2回。あるいは週に数回。穀物、野菜、海藻などを具に。

水。
普段の湯茶には刺激のない飲み物(番茶など)を。
水道水は悪いので、いい水を飲む必要がある。水毒をどう出すかのことでもある。そのため半断食では水を我慢してもらっている。水を多く採ると身体の深いものが出ない。
とにかくいい水を飲む。浄水器をかけてもだめ。本来の生きた水がいい。本当は湧き水が一番。井戸水もいい。

食物の質。
有機栽培で自然に作られているものを選。
火の質も大事。一番エネルギーをあたえるのは炭、次は薪、ガス、電気の純。電子レンジはまったく別物。体を温めない。体にはよくない。

熱はとても大事。
病人は、炭、薪の火でつくったものがよい。

食べ物のピラミッドは、気候、環境、文化、民族的伝統、性別、年齢、活動量、コンディションによって変わる。
このことを踏まえた上で、これらを日ごろの参考にするといい。    

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明日に向けて(667)半断食というエクササイズ・・・ルポ4 「食べ物とは何か」

2013年05月02日 16時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130502 16:00)

半断食道場6日目です。ロードワークから帰ってきて、記事を書いています。
今日も足がやや傷んでいることをのぞいて快調でした!帰りに飛鳥寺によって、日本最古の大仏を拝観してきました。1400年を越えて、同じところに座り続けている素晴らしい仏様でした。

さて、毎日のようにレポートを書いていますが、昨夜の報告で夕食のことが抜け落ちてしまいました。実は昨日の夕食は、これまでで一番、おいしく感じられたので、今からでも書いておきたいと思います。
昨日は、玄米一膳のほか、再び少しだけ副菜が多くなったのですが、レタスなどの生野菜にドレッシングがかけてあり、少しだけ甘夏?が入っているもの、またほうれん草にのりを和えたものなどがとても美味で、このほかににんじんの白和え、ゴボウをたいたもの、こんにゃくのゴマ和え、ちいさなタクワン2切れとキュウリ3切れがでました。味噌汁もありました。

これを200回噛むので、1時間かけて食べました。とにかくおいしかった!このように感じることもまた、排毒が進行して、一つの山を越えたからだそうです。そのスピードに合わせて、食事も少しずつ変わっている感じです。体験していてとても面白いです。

ただし、この食事、全員に同じものが出されているのではありません。その人の体質、体調に応じて、内容が変わります。たとえば血圧が高い人、これまで動物性のものなどをたくさん食べている人に多いのですが、そういう人には、玄米に変えて、生野菜が一椀でたりします。それを200回噛むのです。

時によっては血圧に良いシイタケスープが出たり、もっと熱をさますためにオレンジジュースが出たりする。このように人に合わせて、食べ物が変わっていくのが、この道場の大きな特徴です。

そもそも食べ物で身体をよくするには、身体に合わせたものを食べることが必要。必ずしもみんなが等しく玄米を同じように食べていれば健康になるというのではないのです。

考えてみればこれは当たり前のこと。食べ物はそれぞれによって身体にもたらす効果が違います。だから大事なのは、どういうときに、どういう食べ物が身体に良いかを知ること。それを感じれる身体になることなのです。

この点は、僕にとって、大きく目を見開かせてもらえる内容でした。これまで「マクロビアン」というと、肉を食べない菜食主義の人のことだと僕は思っていました。もちろん実際にそういう姿勢を貫いているが多くいます。

しかし橋本宙八さん、ちあきさんは、人が肉を食べることを否定しているのではまったくありません。むしろ人間こそは何を食べるのかの自由をあたえられている存在だということを強調しています。

では何を食べるのかは何によって決まるのか。その人がどのような人生を描こうとするのか、どのようなところに向かおうとするのかで違うというのです。生き方が違うのだから食べ方が違って当然だということです。

しかしその際に、間違った食べ方をしたら身体を悪くしてします。そのことを、頭での知識としてでなく、食べたときの感じで理解できるようになっていくこと。正しい食事を、体感で理解できるようになっていくことが、最も大事なこととして提案されているのです。

このことを聞いて、一言で言って僕は気持ちが明るくなりました。どのような食材を食べてもいい。問題は何を食べるとどうなるかを知り、そのつど、正しい食べ方をしていくことがという提案に、開放的で奥深い広がりを感じたからです。

今回はこうした内容を宙八さんが話された、講義「食べ物とは何か」をお届けします。例によって、今の僕の理解でのノートテークであること、文責は僕にあることを踏まえた上で、お読みいただけるとありがたいです!

*****

半断食道場講義 食べ物とは何か(4月29日)
橋本宙八談
ノートテーク 守田敏也

食べ物の本質を考える。動くもの、動かないものがある。
動かないもの→植物など。動くもの→動物性のもの。

命は、単純な命が複雑な命に取り込まれて、複雑化する。それが階層化していく。どんな命もより単純な命を取り込んでいく。単純な命で考えると食べ物の正体が見えてくる。

大根というものを考え見よう。
ものはあまり変化しない。命は変化している。しかし鉱物でも変化している。森羅万象は命。

さて大根さんの命は何なのか。
大地に種を落として、作物ができてくるが、大根という単純な命はどういった食べ物を自分に取り込んで大根になるのか。
地面の中で何を取り込むのか。養分。窒素、燐酸、カリ、肥料などだ。それらは植物の腐ったもの、動物の死骸などからなる。それを取り込んで成長している。

それ以外に地熱がある。ツンドラ地帯では作物は育たない。地熱も必要な食べ物の要素の一つだ。
地圧もある。それがどうかかりどう排除して、作物の形になるのかという問題がある。
水。これがないと作物は育たない。
さらに地球の中心からさまざまなバイブレーション、地球波動が来ている。地球の中心にマグマが流れている。火の玉。その上に地表があって生きていける。溶岩の赤外線であるとか、いろいろなものが噴出している。それらも大根は吸収している。

これが簡単な考え方。

地表では何が起きているか。光を浴びることが大事だ。植物は光合成で、光をもらって命を作っている。光には7つのスペクトルがある。青い野菜は青いスペクトルを上手にためられる。赤い野菜は、赤いスペクトルをぐっと吸収する。

空気。
二酸化炭素。炭酸ガス。それがないと野菜が育たない。宇宙のルールで反対のものが反対のものを支える相補性がある。植物は動物によって支えられる。動物の吐き出す二酸化炭素で、自らを作り、酸素を出す。補いあう関係。

気温。空気中の温度が大事。
風。空気の波動。絶えず作物にあたっておいしいものができる。ハウスのものは風の波動を受けていない。おいしくない原因の一つだ。

さらに宇宙の果てから、さまざまな宇宙線がくる。紫外線、ガンマー線など。宇宙のバイブレーションを受ける。これらが大根は受けている。他の食物も同じ。

これをみていると食べ物の正体が分かる。空気、水、温度、地球の波動、宇宙の波動。
自然界のエッセンスを取り込む、それを食べている。

われわれの命は自然環境と切り離せない。宇宙にいっても宇宙服がないと生きていけない。その中に擬似的に地球環境を作っている。
自然界は母なる大地。お母さんであり、お父さんだ。その懐の中にしか生きられないのがわれわれだ。

母親の中で生まれた胎児は、へその緒でお母さんとつながっている。同じように、人間は、地球環境の中から、食べ物を介して、いろいろのものをもらって、生きている。へその緒のようなものが食べ物だ。

だからわれわれは食べ物からひと時も離れることができない。いいものを食べましょうということはそういうこと。ビニールハウスで育ったものは弱い。化学肥料で育ったものは十分に自然の力をもらってない。だから自然なものを食べましょうと提案している。

現代ではなぜ私たちは、これほど食べものに執着してしまうのか。
食べ物が持っているもうひとつの要素。食べ物は外側の環境と命をひとつのものにする要素を持っている。現代人が食べ物に執着するのは、外側との環境との関係の問題。食べ物の外側に社会環境がある。文化、文明といってもいい。その外側に自然環境がある。その外に宇宙がある。

その中でバランスよく取り込むのは難しい状況がある。なぜか。現代社会にはさまざまなストレスがあるから。
ストレスがあるとどうするか。人は食べ物に飛びつく。自分の好きなものを食べてなんとかしようとする。甘いものを食べることでストレスを緩め、回避しようとする。アルコールを過剰に飲むのもそのため。外的な緊張をアルコールによって緩めようとしている。

身体を緩めるためにある人はアルコールをとり、ある人はスイーツをとる。これらは体を緩めるもの。それで家族や社会との関係をアジャストしている。そのため誰にも、人に言えない食べ物の秘密がある。

競争が好きな人は、肉をばりばり食べる。力がある。魚を食べると行動が早くなる。そういう波動が備わる。ある人にとってはパッケージが好きでそれを食べるとかいうこともある。

現代人、都市環境にある人は、自分のストレスの解消のために食べ物を採っている。
しかし現代社会の食べ物には落とし穴がある。農薬がかかっている。遺伝子組み換えもある。体によくない化学物質がたくさんある。自然と同じ状態でなければならないからだが、そのためにしっちゃかめっちゃかになり、余計に悪くなる。

食べ物は本当は究極の癒し。しかし今は体を悪くしてしまうものが多い。偏食から現代病になってしまう。これが現代人が病気を生み出すメカニズムだ。

今こそ、本当に自分を癒してくれる食べ物は何か。その知恵をもっていかないと、ストレスフルな社会であるため、環境の激流に飲み込まれてしまう。そこでちゃんと食の知恵を身につけていく必要がある。

田舎の人は自然の中にいるから、自然に癒されるところがある。都会は非常にストレスフル。空気も悪い。騒音もある。人間関係も悪い。そのためにさまざまな食でアジャストしようとしている。ストレスをかかえたときは、その原因を取り除かないといけない。家族との関係がうまくいかない。家族の関係もどんどん悪くなっている。そこでちゃんとしたものを食べないとやっていられない。

自然の食べ物でも、どういうものを食べれば、自分のどこが解放されるか、それぞれに特徴がある。それを自分の体で知っていくことが大事。半断食で、体の毒を出し、それで心がどうなるかを知る必要がある。

玄米を食べる、ひじきを食べる、なになにのいい物を食べる。それはそれでよいが、それよりも、食べ物を食べたときにどう自分の身体が感じていることをつかめることが一番大事。それが分からなくなっていることが問題だ。

こういうものを食べたら、どういうコンディションになるかが分かると、こういうコンディションを作りたいからこういうものを食べようという風になる。

それぞれに生き方は自由であり、アグレッシブになりたいときは肉を食べることもある。ベジタブルに食べて優しくなることもある。何をどう食べて、自分がどうなるのかの知恵を持つことが大事。ゴールはみんな違う。生き方が違う。何をめざしていもいいのだから、自分の目標にはどんなものがあっているかを知ることが大事なのだ。

人間は食べ物の選択の自由がある。それは生き方が違うからだ。肝心なことは何をどう食べるとどうなるかを知ること。そのための知恵を身につける、感覚を作る。命の声を聞ける命をまずは作る。

半断食で、体の毒を出していくと、デリケートな感覚がよみがえってくる。それをまずは取り戻して、人生の選択の中での食べ方を知っていくことが大事。

いい光を入れなければいけない。いい水を入れなければいけない。過去にとった食べ物によって、みんな偏った状況になっている。

この道場にくるのは自分の体に不満足がある人だ。解決する方法を探してくる。そういう人は自分の本来のありようを知ってる人。だから今がまずいと思ってここに来ている。本当の体、心はこうではないと知っているから、ここにきている。それが人生の自己実現の第一歩。

過去につくったものは十分ではないので、それをできるだけ出して、本来の自分をいい食べ物で取り戻そう。ちょっと辛いことだけれど、頑張ればきっと取り戻せる。

さあ、そういうことで、今日も頑張って、ロードワークに行ってください!

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