守田です。(20140922 22:30)
福島第一原発事故の吉田調書の問題を論じたいと思います。
ご存知のようにこの調書は当時の福島第一原発所長だった故吉田氏から政府事故調査・検証委員会が聞き取ったもの。今年の春先に朝日新聞がスクープしましたが、その一部に誤報があったとしてこの間、大騒ぎが起こりました。
ただしこの大騒ぎはおかしい。吉田調書で最も大事な点は、福島原発事故がどれほど恐ろしいものであったのかということが明らかにされた点です。この間の朝日新聞の誤報に対する騒ぎは、吉田調書が明らかにしている最も大事な教訓を大きく捻じ曲げてしまっています。
これには意図的な面と非意図的な面があると思います。意図的な面は政府や原子力村など、再稼働を進めたい人々が、吉田調書が赤裸々に明らかにしている原発の危険性から人々の意識をずらそうとしているということです。
おそらく政府も朝日新聞バッシングの体制が整ったことを見据えて、吉田調書の公開に踏み切ったのだと思います。
他方で非意図的な面とは、政府や原子力村、朝日新聞バッシングに躍起となっている人々を含めて、災害心理学に言う正常性バイアスに浸りきっており、原発の恐ろしい危険性という不都合な事実から目をそらしたい心情にかられていることです。
正常性バイアスとは、人間が危機に陥った時に危機そのものを認めないことで、精神の安寧を守るとする心理的メカニズムが生じさせるもの。事態は正常なのだ、ないしは正常に戻っていくのだと言うバイアス(偏見)をかけてしまい、危機を無視して精神を守ろうとするものです。
少し冷静に考えてみれば、「愛国」の立場からも、「祖国を守る」立場からも、原発事故の巨大な危険性をしっかりと把握し、少なくとも(つまり百歩譲っても)福島原発事故をきちんと解明し、同じことを起こらないようにできるか技術的に検討し、可能なら対策を施していく。それまでは原発を再稼働させない方が良いことは明らかです。
にもかかわらず、危機を一切見ようとせずに自分にとって都合のいいことだけを考えてしまっている。人間精神の抜本的脆弱性と言えますが、僕はこの国の中枢に居座る人々を含めて、多くの人々がこうした心情に浸っていると思います。要するに、誰も「国難」に身を呈して立ち向かおうなどとはしていないのです。
この国家的な「正常性バイアス」を最もあおってきたマスコミの一つが、この間、口を極めて朝日新聞をバッシングしている産経新聞です。
というのは原発事故が起こった当初、当時の菅首相が原発事故の深刻さを思わず漏らし「最悪の事態となったとき東日本はつぶれる」と漏らしたことに対して「菅首相は歩く風評被害だ」と呼号し、危機を語ることそのものにものすごいバッシングを加えたからです。
こうした言説は何回か繰り返されましたが、中でも2011年4月22日の記事が顕著です。タイトルは「『東日本つぶれる』『20年住めない』…首相は『歩く風評被害』」です。
記事には次のようなことが書かれています。
「「思いつき」だけの軽はずみな発言を続ける首相はもはや「歩く風評被害」というほかない。
「最悪の事態となったとき東日本はつぶれる」
「(福島第1原発周辺は)10年、20年住めないのかということになる」
これまで首相はこんな風評を流した。行政の長でかつ「ものすごく原子力に詳しい」と自負する人がこんな無責任な発言をすれば、国内外で「日本、特に福島県の製品・産品は危険なのではないか」と不安が広がっても仕方あるまい。」
(引用はブログ「阿修羅」の掲載された当時の産経新聞より http://www.asyura2.com/11/senkyo112/msg/141.html)
しかしこれは福島第一原発所長であった吉田氏自身が認識していたことがらなのです。吉田調書では3月14日に原子炉2号機の注水がうまくいかなかった瞬間をめぐって吉田所長がこのように述懐していたことが記されています。
「2号機はこのまま水が入らないでメルト(ダウン)して、完全に格納容器の圧力をぶち破って燃料が全部出て行ってしまう。そうすると、その分の放射能が全部外にまき散らされる最悪の事故ですから。
(旧ソ連の)チェルノブイリ(原発事故)級ではなくて、チャイナシンドロームではないですけれども、ああいう状況になってしまう。そうすると、1号、3号の注水も停止しないといけない。これも遅かれ早かれこんな状態になる」
「結局、放射能が2F(福島第二原発)まで行ってしまう。2Fの4プラントも作業できなくなってしまう。注水だとかができなくなってしまうとどうなるんだろうというのが頭の中によぎっていました。最悪はそうなる可能性がある」
「3号機や1号機は水入れていましたでしょう。(2号機は)水入らないんですもの。水入らないということは、ただ溶けていくだけですから、燃料が。燃料分が全部外へ出てしまう。プルトニウムであれ、何であれ、今のセシウムどころではないわけですよ。
放射性物質が全部出て、まき散らしてしまうわけですから、われわれのイメージは東日本壊滅ですよ」
(引用は東京新聞2014年9月12日 吉田調書要旨より http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/archive/yoshida-report/04.html)
吉田所長ははっきりと、チェルノブイリ級事故を越えてしまう可能性を述べています。東日本壊滅がイメージされていたのです。
当時の菅首相が漏らした言葉は、こうした現場指揮官の認識と一致していたのであって、マスコミに問われたのは、菅首相に発言の根拠を根掘り葉掘り問いただし、私たちの国、住民が直面している真の危機を明らかにすることでした。
ところがどのマスコミもそうした方向性をとらなかった。そればかりか産経新聞は、こうした認識を表に出そうとする動向そのものを激しく攻撃し、バッシングし、危機を表に出させまいと奔走したのです。
ここに働いていた深層心理は、原子力村の意をくむなどといったレベルを越えて、自分に都合の悪いことは一切見たくない、東日本壊滅の危機などに向かいあいたくないといった世俗的な自己防衛心理だったと僕には思えます。
そして当時、多かれ少なかれマスコミの多くがこうした態度に与してしまい、政府の安全宣言の無批判的垂れ流しに終始していました。産経新聞はその悪質な最先端を走っていたわけですが、これに比して「革新勢力」の中でも、東日本壊滅の危機をきちんととらえ、立ち向かうことを訴えていた人々はほとんどいませんでした。
いやこのことは過去形ではありません。当時からすれば危機の度合いはかなり減ったと言え、未だに福島第一原発は瀕死の状態が続いているのです。確かに4号機のプールは燃料棒の8割が降ろされその分危機が小さくなりました。それ自身はとても好ましいことではあるけれども、まだ1号機から3号機に合計で約1500本の燃料棒が入ったままです。
しかも1号機から3号機は放射線値が高すぎて人が入ることすらできない。この様な状態のプラントを東日本大震災の大規模余震が襲ったらどうなるのか。いや統御できない地下水のせいで地盤が緩んでおり、もっと小さな地震で原子炉建屋が倒壊してしまう可能性もあります。つまり危機が去ったとはまだ全く言えないのです。
しかし残念なことにこのことを強調する政党は一つもありません。いわんや関東・東北を中心に広域の避難訓練をやるべき必然性を語っている人士は極めて少ない。未だこの国は巨大な正常性バイアスに覆われているのです。その歪んだ心理状態の中でこそ、無謀過ぎる原発再稼働も進められようとしています。
これに対して吉田調書の読み解きは、何よりも事故ときちんと向き合ってこれなかった、私たち日本社会の総体を問い直す形でこそ進められなければならないと僕は思います。過ぎ去った過去を分析するのではなく、現に私たちの目の前にある危機への認識をこそ、この中で進めていかなければならない。
それはマスコミに即して言えば、当時の報道の誤りを検証することにも直結します。それこそ産経新聞は、当時の大誤報を、この間の朝日新聞にならって捉え返し、真摯に謝罪すべきです。
「国を守る」というのならこれこそが一番大切な道です。福島原発が倒壊してしまったらどんな軍事兵器を持っていたって何の役にも立ちはしない。危機を全国津々浦々で認識し、全住民の事故に立ち向かう一致した意志を作り出し、役に立たない軍事予算やあらゆる技術をフクイチに投入してこの絶大な危機の除去に努めるべきなのです。
しかし残念ながら、ほとんどのマスコミも政党もこうした丹力を持っていない。そのことは、瀕死の原発を抱えた日本で、原発はコントロールされているという大嘘でもぎ取ったオリンピックを開催することに同意してしまっていることに現れています。しかし真に国難を考えるなら、オリンピックなどやっている場合ではない。すべての力を原発事故の真の収束と被曝防護に向けるべきです。
私たちは、この日本を覆う正常性バイアスこそが、私たちにとっての巨大な危機そのものであることを十分に認識する必要があります。
こうした観点に立ち、吉田調書を主体的に読み解き、何をなすべきかをつかんでいくことが必要なのです。このことに踏まえ、次回から、吉田調書のより詳細な読み解きを試みたいと思います。
続く