守田です。(20180105 13:30)
2018年の幕開けに「世界に愛と平和と革命を」と書きました。
その中身としていかなる政体が政権をとっていようとも民衆に力がある状態=ラディカルデモクラシーを作り出そう。たった今から民衆の力を高めるあらゆることを促進しようと提案しました。
今回はそれを受け継いで、民衆の力を高めるための方策について論じてみたいと思います。
今回、言いたいことは端的に「もっと自己肯定しよう」「自信をもとう」「評価しあおう」「褒め合おう」ということです。
民衆の力を高める前に、私たちが、一定の、高い力をすでに手にしていること、それが戦後70年かけて、いやそれ以前の抵抗の時代を含めて、この国の民衆が作りだしてきたものであることを自覚しようということです。
なぜそう思うのかと言うと、この間、何度も海外に出る中で、「日本人は謙遜し過ぎ。自分を誉めなさすぎ」ということを痛感してきたからです。
ちなみにここでは「日本人」と書いていますが、日本で育った方は国籍を問わず、多くの場合、この日本的メンタリティーを共有している面があるのではとも思います。
例えばドイツに行った時の話。ある街に住む日本人の友人から「ドイツ人はなんでもできる、できるってすぐに言うんですよ。日本人と真逆なんです」なんてことを聞きました。
彼はギターをなかなか上手に弾くのですが「ドイツ人は3か月も弾いたら、もう自分はできるって言うんです」という。
ちなみにこの会話は、僕がその彼に「ギターは弾けるの?」と尋ねたことから始まりました。
彼ははにかみながら「まあ少し」と言ったのですが、実はかなりうまい。でも多くの日本人は相当に弾けても「弾ける」とは言わないのです。それこそセミプロぐらいでないと「弾ける」とは言わない。
それに対してドイツ人はちょっとできたら「できる」というのだと言います。だから日本人は損していると彼。できるのに「できない」という日本人があまりに多いと。
同じことが言語力でも言えます。例えば英語力について、日本的メンタリティーを持っていると、相当、話せないと「英語が話せる」とは言いません。
ほとんど通訳ぐらいの実力がないと「話せる」ことにはならない。日常会話なら十分な人でも「でも私、ブロークンですから」なんて付け足す。
さて僕はこうした日本的メンタリティーのすべてが悪いとは思っていません。
言うなれば誰もが職人気質のようなものを持っている。常に高みを目指そうとして現状に満足しない面がある。強い向上心がそこにあるのです。
でもややもするとこれがすごく生きにくい社会を作っている面もあるのではないでしょうか。
ちなみに僕は箱根駅伝のファンで、毎年テレビで観戦しているのですが、今回は復路の解説を元東海大学で実業団で大活躍している佐藤悠基選手が担当していました。
その彼が7区の解説をしている時にアナウンサーから「佐藤さんはここを走られましたよね。ここはどういう区間なのですか」と尋ねられました。
すると佐藤選手、「うーん。僕はここをうまく走れたことがなくて。悪い思い出しかないところなんです」と言う。
アナウンサーが驚いてこう聞き返しました。「だって佐藤さん。あなたはここで区間新記録を出してますよねえ。それでもなんですか」と。
佐藤選手、「はい。まったくうまく走れなかったんです。辛い思い出です」という。
「ああこれだな」と僕は思いました。一面ではここに佐藤選手の高い向上心が現れている。大変立派なことです。
区間新記録を出したって彼はうまく走れなかったと思っている。つまり彼はもっと素晴らしい走りを目指しているのです。
でも、佐藤選手への批判ではまったくないのですが、それでは他の選手は立つ瀬がないなあとも思えました。区間新記録でも「うまく走れなかった」となると他の選手はどうなってしまうのか。
・・・あくまでもここでは日本的メンタリティーの説明をしたいので、あえてトップアスリートの佐藤選手のことを引き合いに出したことにご留意ください。
僕は佐藤選手や多くの選手たちに共通する職人的な思いの熱烈なファンであり支持者の1人です。
しかしこの優れたところもある日本的メンタリティーが、一方ではあまりに自分を褒めなさすぎるモメントを作りだしてもいないでしょうか。
そしてそれが転じて、あまりにこの日本的メンタリティーのもとでは人を褒めることが少なすぎるのではないでしょうか。
僕はこれに減点法の教育評価システムも負の側面を付与しているように思えます。
というのは私たちは学校時代、100点を満点とする採点を受けてきました。そうすると私たちの得点はたいていいつも満点から欠けているものになる。
このシステムでは「素晴らしい」とか「最高」とかいう評価は得にくいのです。いつも完璧からどれぐらい劣っているかを突きつけられてしまう。
それやこれやで多くの人が自分の長所よりも欠点を探すくせが身についてはいないでしょうか。そしてそれが他者を評価する基準にもなってはいないでしょうか。
そのため私たちの多くは褒められ慣れていません。だからまた他者を褒めることもうまくない。
その結果として多くの人が低い自己評価を持ってしまう。どうもそれが日本的メンタリティーの負の側面であるように思えます。
実はこうした傾向は政府の調査にもあらわれています。以下の調査結果をご覧ください。
特集 今を生きる若者の意識~国際比較からみえてくるもの~
http://www8.cao.go.jp/youth/whitepaper/h26gaiyou/tokushu.html
ここにも日本の若者の自己評価が他国に比べて著しく低いことが示されています。
最初にこの統計結果に接した時に、僕はこれが日本社会の暗い実情を表しているのではないかと胸が痛む思いもしました。
しかしよく分析してみると例えば日本社会よりも激しく貧富の格差が開き、社会問題も激発しているアメリカなどでも、もっと自己肯定感が高い。
つまりここに表れているのは社会の実情というよりメンタリティーのあり方なのだと思えるのです。
だとしたら私たちは、もっとメンタリティーの面からも社会のあり方を捉えなおしていく必要があるのではないでしょうか。
もっと自他を評価し、褒め合うことが必要なのではないでしょうか。もっともっと普段の努力を称賛したり、努力の開花を祝う必要があるのではないでしょうか。
日本社会の生きづらさの一面は、どんなに頑張っても滅多に褒めてもらえないことにある!と僕には思えるのですが、みなさんはどう思われますか?
続く
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