守田です。(20180101 22:00)
あけましておめでとうございます。富士宮市で新年を迎えました。
元旦の霊峰富士の姿をお届けします。
作年末に京都の地方紙「京都民報」の取材を受けました。
「メッセージボードに新年の抱負を書いて下さい」と頼まれたのでちょっと考えた末に「世界に愛と平和と革命を」と書きました。
昨年、日本各地をまわって、あるいはトルコ、台湾、ドイツ、フランスをまわって、「これはやはり世界革命を目指すしかないな」と痛感したからです。
昨年、日本各地をまわって、あるいはトルコ、台湾、ドイツ、フランスをまわって、「これはやはり世界革命を目指すしかないな」と痛感したからです。
新自由主義のもと、世界はどんづまりの状態にあります。世界各地で多くの人々が同じ新自由主義のせいで喘いでいます。また核と原発に象徴される暴力的なビッグパワーの支配からの解放を、世界の多くの人々が同じように求めています。だから現代世界には根底からの変革が必要であり、それは世界共通の課題になりつつあります。なんとしても世界の人々の連携で革命を起こしたい。
ただし革命といっても流血の闘争のもとになされるそれではなく、愛と平和のもとに進むそれでなければいやですよね。Love and Peaceの思い、心、スピリットのもと、人々が幸せになるための革命を起こしたいです。だからみなさん、一緒に世界に愛と平和と革命をもたらしましょう!みんなで世直しを進めましょう。
ただし革命といっても流血の闘争のもとになされるそれではなく、愛と平和のもとに進むそれでなければいやですよね。Love and Peaceの思い、心、スピリットのもと、人々が幸せになるための革命を起こしたいです。だからみなさん、一緒に世界に愛と平和と革命をもたらしましょう!みんなで世直しを進めましょう。
こう書くと「ではどうな革命をどんな風に起こすのか」との問いが返されてくるでしょう。
それはそうですよね。その点がとても大切です。
僕はラディカルデモクラシーを押し進めること、革命を「政権交代」に切り縮めず、たった今から永続的に続けることが大事だと思います。
ラディカルデモクラシーとは、デモクラシーの原語のギリシャ語のデモクラチアに戻り、デモス(民衆)にクラチア(力)がある状態を作り出すことです。学問的には幾人かの方たちによって提唱されてきたようですが、僕の場合、ダグラス・ラミスさんが唱えているそれに強く惹かれています。
ラミスさんは、ラディカルデモクラシーは、ある特定の政体をめざすものではない。また旧来のさまざまな革命のように、権力奪取を目指すものでもない。どのような政体のもとでも、あるいはどのような政府のもとでも、民衆が力を持っている状態を作り出し保持して行くこと、だからさまざまに民衆の力を豊かに拡大していくモメントとしてあると提起しています。その力でどんな政府であろうと民衆が規定していこうというのです。
だからラディカルデモクラシーはある種の状態であり、結果として目指すものではありません。むしろいま直ちに始めて行くべきもの、行けるものとしてあります。
その際、最も大事なのは、民衆の中の豊な対話の回路を保障し続けることです。それが民衆の力の源だからです。
それはどのような思想や宗教に基づいて担われても良い。といってもファシズムやレイシズムなどはもちろん論外ですが、しかし「かくあるべし」という答えを決めてしまうのではなく、人々が抱えている問題をさまざまな立場から共有していくのです。そこでは社会主義の可能性を捉え返してみるのもいいし、アナーキズムをもう一度検討してもいい。自由民主主義の本義に戻ってみても良い。
キリスト教、イスラム教、ユダヤ教、仏教をはじめさまざまな宗教といわれるものも多いに検討すると良い。そんな中でいかなる革命が必要なのかをよりタイトに論争することもある局面では必要でしょう。
ただいまはっきりしていることは、ラディカルデモクラシーを進める上で、核と原発に象徴される現代の暴力ないし暴力的パワー体系からの脱出、ないし解放のモメントがこれらを展開する上での大きなプラットフォームになっているということです。なぜってもはや世界中の人々がこの暴力による被害や抑圧を受けているからです。つまり私たちは解決すべき課題を共有している。共有しているからこそ、恊働が実現でき、そこから人類の新たなる可能性を切開いて行くことができます。
もちろんその道は多様です。山の登り方が1つではなく無数であるようにです。だからそれらをおおらかに認め合うこと、また認め合うことができるだけの私たちの成長を目指すことが、ラディカルデモクラシーの重要な要素でもあります。
私たちは、資本主義と新自由主義が私たち全体をさもしくしているので、(あるいは一部は私たちの生物としての本能でもあるかも知れませんが)私たちの目がしばしば狭量になり、互いを認め合うことができず、衝突を繰り返すようにも出来ていることに自覚的でなければなりません。誰もがこの外に立ってはいないのです。だから互いを認め合える仕組みやアイデアの創出、あるいは思想的整理も必要です。
またすでにたくさんの人々が実践しているように、これまでの社会のあり方を変えるために、できるところから生活を変えて行くこと、エネルギーの使い方や、食べ物や食べ方、食べ物の作り方を変えて行くことも必要ですね。
そうしてそれらの実践のすべてがラディカルデモクラシーの要素であり、だからそれはすでに私たちがさまざまな形で進めつつ有るもの、すでに作られつつある状態なのだということも強く自覚しておきましょう。
2018年、私たちはこんな思いで、愛を平和を革命を広げて行きましょう。
そのために僕も一年間、全力で頑張ります。
ということでみなさん。今年もどうかよろしくお願いします。
みんなでこの一年を豊かなものにしていきましょう。僕の年頭の挨拶は以上です。
(なお今年から年賀状を卒業させていただきました。このコメントをもって新年のご挨拶とさせていただきます。)