守田です(20191206 14:30)
● 中村哲さんとみなさんの死を悼んで
みなさま。4日のアフガン時間の午前中にペシャワール会の中村哲医師が何者かによって銃撃され、その後にお亡くなりになられました。
同行していた運転手、護衛の方々5名も同時に命を奪われました。
中村医師とお仲間のみなさんの死を悼み、京都市三条大橋にてビジルを行いたいと思います。なお迷いもあるのですがここからは親しみを込めて中村さんと書かせていただきます。
午後5時半から7時まで、三条大橋の上にキャンドルを持って立ちます。基本的に無言のスタイルで静かに死を悼みたいと思います。
この行動を通じ、中村哲さんの思いをみんなで受け継ぎ、ペシャワール会を支えてアフガンへの支援を継続する思いもシェアできたらと思います。
このため2001年12月にピースウォーク京都がはじめて中村哲さんを京都にお招きした際に作った講演録を販売します。もちろん収益はすべてペシャワール会に送ります。あわせてカンパも集めペシャワール会に送ります。
2008年8月31日 ペシャワール会ワーカー伊藤和也さんの死を悼んで行ったビジル。
今度は中村さんを悼むことになってしまいました。守田撮影
なおこちらでキャンドル30本を用意しますがそれぞれでもお持ちいただけるとありがたいです。
キャンドルは2リットルのペットボトルの下三分の一ぐらいを切りとり、飲み口から太めのろうそくを差し込んで作ります。キャップで差込口をふたします。
橋の上は風が強くフードがないと火が消えやすいのでこの方式をとってきました。キャンドルをお持ちくださるときはこの点にご注意されてください。
伊藤さん追悼ビジルより 2008年8月31日 守田撮影
● 平和の心を繰り返し教えてくれた中村哲さん
中村さんとの思い出はたくさんあります。僕が参加しているピースウォーク京都との出会いは2001年の「911事件」のあと。
アメリカが証拠も何もなしにアフガニスタンへの「報復」戦争を始めたことに対し、ペシャワール会と中村哲医師は緊急援助を呼びかけました。
「2000円あれば一家10人が冬を越せる!」それで油と小麦を買って手渡せると言うのです。
なんども京都で講演してくださいました! 守田撮影
このため中村さんはチャリティを呼びかけて全国を飛び歩かれました。私たちも京都ノートルダム女子大学のユニソン会館を無償でお借りし講演会を行いました。
なんと2000人におよぶ方が参加してくださりカンパも200万円を越えました。1000家族1万人が冬を越えられる額でした。
しかし援助物資を渡すのも一筋縄ではいかなかった。現地アフガニスタンのペシャワール会ワーカーの方たちが空爆に遭うのも覚悟で決死のトラック輸送を敢行してくださったのでした。
以降、私たちは毎年のように中村さんを京都にお呼びしました。いつも京都ノートルダム女子大学が協力してくださいました。
そのたびにカンパを募ってお渡ししました。ある方は講演で中村さんのお話をうかがったことを縁に自らアフガニスタンに赴き、飯炊き人となって現地の活動を支えました。
僕が参加していた同志社大学社会的共通資本研究センターでもお呼びし、中村哲さんとわが師宇沢弘文さんによるジョイント講演と対談を行っていただいたこともありました。なんだか夢のような時間でした。
対談される中村哲さんと宇沢弘文さん 守田撮影
● 平和を築くために最も困難な水の事業に携われた中村さん
たくさんのエピソードがあるのですがみなさんにご紹介したいのは講演会の際に京都の蓮華寺にお連れした時のこと。ほっこりしていただきたくて庭に清流の流れる場を選んだのでした。
ところが中村さんは水の流れをじっと眺めた末に、対応してくださった住職のお連れ合いに「これは手掘りですな」と問われました。
「あら、良くお分かりですね。この付近に水を通した後ですの」。それを聞いて中村さんはさらに「ということはこの辺りには水争いがありましたな」と問われました。
住職のお連れ合いはこの問いに驚きながらも、この付近にあった深刻な水争いのこと、それを治めるために手掘りの水路が作られ、水が流されたことを語って下さいました。
哲さんは腕組みしながらうんうんとうなずかれ、その後にアフガンのクナール川に用水路を作るために、九州の多くの川を歩かれ、古文書も調べたことを教えてくださいました。
「古の川の歴史を紐解くと悲しい話がたくさん出てきます。例えばある堰を開発した人々はその後に藩に暗殺されておる。石高が上がることを藩が幕府に知られたくなかったからです」。
中村さんは古の川の改修を行った方たちの多くが実は非業の死を遂げていることに深く心を寄せられました。水は命の源です。だから人類にとって最も古くから繰り返されてきたのが水争いでもあるのです。
どこかが潤うとどこかの水が減ることになる。あるいはどこかが洪水対策を進めると他のところが洪水にあいやすくなる。上流と下流、右岸と左岸の対立が絶えないのが川と人々の歴史でもあるのです。
そのために中村さんは古文書をくまなく読まれ、どうすれば人々が争わずにすむのか、いやどうすれば争いの目を摘めるのか。そこまで研究を重ねて用水路へのチャレンジを続けられたのでした。
京都の蓮華寺の境内で。涙が止まらなくなる写真です・・・。
● 平和は作りだすもの!
この中村さんのお話に痛く感動し、僕自身も九州を訪れた際に幾つかの川を訪れました。
とくにクナール川からの取水口のモデルとなった筑後川山田堰の周りをくまなく歩き、堰の事務所の方にも詳しくお話をうかがいました。
それらをぎゅっと縮めて言えることは、平和とは人々の争いのもとを断って行くこと、人々が共存し協栄していける仕組みを作りだすこと、そのために長い努力、さまざまな苦難を越えて実現できるもの、作りだされるものであるということでした。
筑後川山田堰 江戸時代に作られたこの堰の形や工法がクナール川からの用水路取水口に適用されました。 守田撮影
中村さんはそのことを体現しながら歩み続けられてきました。たくさんの方に「奇跡」といわしめるような形で「水と緑」を提供してきました。
しかしその中で今回、非業の死に合われてしまいました。古に人々に水を届けるために命を落としていった多くの方に心を寄せながら歩み続けられた中村さんも、その非業の列の中に加わられてしまった。
悲しいです。何よりも悲しいのは中村さんが事業を継続してもっとたくさんの方に幸せをとどけたかっただろうにそれが断ちきられてしまったことです。もっとたくさんの方を愛しかったでしょう。もっとあちこちに愛を届けたかったでしょう。
今言えるのは私たちがしっかりと後を継ぐと言うことです。
中村先生!どうもありがとうございました。本当にお疲れさまでした。私たちがみんなで事業を引き継ぎます。何よりも中村先生が実践された平和の作り方に学び、継承します。愛と平和をこそ拡大します。
安らかにお眠りくださいとはなんだかあなたには似つかわしくない気がしてしまう。きっとあなたは天空はるか遠くの星になられるのだと思います。どうかそこから私たちをご覧になっていてください。
みなさま。明日は午後5時半に京都三条大橋にお集まりください!
中村先生!ありがとうございました!