守田です(20250108 23:30)
● 歴史散歩伏見パート2を行います
すでに3回行って来た「京都の隠れた歴史散歩」の第4回目を行います。
第1回・若王子山の同志社墓地(クリスチャン墓地) 第2回・霊山護国神社 第3回伏見(全国初の市電や発電所跡など)と続けてきた散歩の続きです。
今回も伏見を訪れますが、焦点にあげるのは旧日本陸軍第16師団の名残り。
このため第一軍道、師団街道などが近くにある京阪電車「龍谷大前深草」駅改札前に集います。
2月2日(日)午前10時30分スタートです。
参加費無料ですが、ガイド料として1000円程度のおひねりをお願いしたいです。解散前に集めます。(任意です)
悪天候などでの開催可否のお問い合わせは以下に
竹内 090-1912-8849 (当日8時~9時)
主催は京都文連
お問い合わせ、お申し込みは電話075-231-3730 FAX075-211-7855 当日ギリギリまで受け付けます。
メールの場合は守田morita_sccrc@yahoo.co.jpまで
● 軍都だった京都を探索する
この企画のサブタイトルは「知ってるようで、実は知らない京都を訪ねよう!」ですが、今回掲げたのは「実はこの町はビックリするほどの軍都だった!」です。
陸軍第16師団本部があったのは、現、聖母女学院。軍事拠点をいまは愛と祈りを教える場に見事に塗り替えておられます。
龍谷大学の敷地もかつては陸軍の土地でした。この一帯がかなり大きな軍用地だったのです。
以下に地図を示します。なお萩原寿樹さんが書き込みをして下さいました。
ちなみに第16師団には歩兵大隊が4つありました。第9連隊(京都)、第20連隊(福知山)、第33連隊(津)、第38連隊(奈良)でした。
このうち第38連隊は、1941年第29師団に編入されて満洲にいた関東軍と合同。その後、グァムに上陸し1944年7月にほぼ全滅しています。この時、生き残って戦争を続け、1972年に発見されたのが横井庄一軍曹でした。
他の3つの部隊は中国各地に侵略して殺戮を続け、フィリピンでもバターン攻略戦などに加わった後、1944年4月にフィリピンのレイテ・サマール島に投入されました。その時の数は18,608人。秋のレイテ決戦などでそのうち18,028人が戦死。生き残ったのはわずか580人でした。
今回の事前調査の中でその9連隊にまつわるこんな戯れ歌があったことを知りました。
「またも負けたか8連隊、それでは勲章9連隊(くれんたい)」。後者は勲章をくれないよ、もらえないよという意味です。
第8連隊は大阪を中心とした部隊、第9連隊は京都の部隊で、この戯れ歌は戦前からあったそうです。伏見で育ったある方は戦後にもこれを大人たちが口にしているのを聞いたことがあるとか。
では実際にはどうだったのかというと、双方の部隊は共に猛々しい部隊で、中国をはじめ、アジア各地の戦場で暴れまわった部隊でした。それなのになぜこんなフレーズが流行ったのか。そこを掘り下げてみると、かなりいろいろなことが見えてきました。この点、さらに調査を進めて当日にお話します。乞うご期待です。
● 陸軍墓地から第16師団跡地を周る
この日、まず訪れるのは深草墓苑(京都陸軍墓地)です。(地図の中に赤丸で示したところです)。ここには第9連隊の碑などがありますが、墓苑の奥の奥に日露戦争の戦没者の慰霊碑がある。それが異様な形で建っています。軍隊の階級差がそのまま表されています。
ただしかなり奥なので当日は、第9連隊の碑だけを訪問し、その場で奥にある碑のことを写真で説明します。
その後、下ってきて第16師団司令部の他、騎兵20連隊の碑などを見学します。
龍谷大前深草駅から藤森駅付近への歩きますが、もともと藤森駅は「師団前駅」と呼ばれていました。この付近にはいまも「師団橋」が残っていて、橋げたに陸軍を象徴する五芒星が刻印されていたりします。
実はすでに2度ほど、調査を行っています。1回目は聖母女学院にお願いして、旧第16師団司令部の中を見学させて頂きました。
2回目はこの付近の喫茶店に集まり、2時間半もこの付近一帯のことを学習。 (チューターは萩原寿樹さん)。いわば当日の図上予行演習をし、少しですが当該地域を車で走りもしました。
旧第16師団司令部ー現聖母女学院を訪れて 企画を準備している伏見探検隊のみなさん 左端が萩原寿樹さん
その時知ったのは、戦後にこの辺り一帯にたくさんの公共施設が作られたこと。大学など教育機関も多い。顕著なのは聖母女学院で、そこに戦後に伏見の方たちが、旧軍都を愛と民主主義の輝く街へと変えてきたことが分かりました。
だから軍事拠点だったこの場は、戦後民主主義の息吹を感じられる場でもあります。
しかしそれでもこの一帯にはどこか暗い影もあるように思えてなりませんでした。それは18,600人も出撃して580人しか返ってこなかった悲しみがあるからではないか。愛する人のもとに帰れず、あるいは愛する人を奪われた悲しみと怨嗟が残っているからではないか。
だとしたら慰霊をしたいけれど、ただただそれは、この町をより平和で豊かな町にすることによってのみ、なされるように思われます。今回の歴史散歩も、そんな歩みの一つにしたいものです。
みなさま。ぜひご参加下さい。(可能であればLIVE配信も行います)
#京都と戦争 #陸軍第16師団 #歩兵第9連隊 #聖母女学院 #師団街道 #第一軍道 #レイテ決戦 #サマール島 #騎兵20連隊 #京都陸軍墓地