守田です。(20141222 23:30)
みなさま。今回の投稿をもって「明日に向けて」は連載1000回目に達しました。
原発情報の発信としてはこの前に「東北地方太平洋沖地震について」を11回、「地震続報」を35回出していますので通巻では1046回を数えたことになります。
発信としてはこの前にもメールの形で数回行っているのですが、それはともあれ2011年3月11日から今日2014年12月21日まで1382日ありますので、概ね1.4日に1本記事を書いてきたことになります。
発信1000回目に際し、みなさんにこの活動の継続のためのカンパをお願いしたいと思います。「明日に向けて」の発信活動に意義があると感じて下さる方、ぜひともご協力ください。
カンパを訴える上で、少しこの間の歩みを振り返り、僕が今後何をしようと志しているのかを書き留めておきたいと思います。
僕はこの情報発信を福島原発事故の直後から開始しました。なぜ即座に始めたのかと言うと、それまで反原発運動に関わる中で、もし深刻な事故が起きても政府や電力会社が人々を逃がしてはくれないだろうと思っていたからでした。
このことは・・・あえて残念ながらと書きますが・・・事故後のさまざまな事例の中で完全に証明されてしまいました。そのことに異を唱える方はほとんどいないと思います。
ところが「二度あることは三度ある」というように、次に同様な事態が起きてしまった場合、確実に同じことが起こること、再び政府も電力会社も人を逃がそうとはしないこと、このことと正面から向かい合っている方は少ないように思えます。
次に同様なというのは、再度の深刻な原発事故のことですが、僕は最も強くその可能性を抱えているのは他ならぬ福島第一原発だと思います。なぜってすでにものすごく手酷く壊れているからです。なおかつ内部がどうなっているか今なお分からないことだらけだからです。
それらを考えたら、最も危険なリスクを抱えているのが福島原発であることも誰も否定できないはずです。
もちろん事故から1400日近くも経って放射能量が自然に大きく減衰していること、また現場の方たちのたぐいまれなる努力によって4号機のプールの核燃料がすべて地上に降ろされるなど、危険性の低減が進められてきたことも間違いないことです。
しかしそれでもまだ1号機から3号機の燃料プールには合計で約1500本もの使用済み核燃料が入ったままです。いやそもそも原子炉建屋の中には、メルトダウンしてしまった核燃料そのものが堆積しているのであって、この両者がまだまだ大きな危険の塊として存在しています。
その上にまったく制御できない地下水の存在もあります。建屋の立つ地盤の健全性への懸念もあるし、そもそも何回かの爆発を経てきている建屋の強度もどれぐらい保たれているか実は誰にも分かっていません。
これらから、今後高い確率で発生が予想される大規模余震や、他の何らかの自然災害等々によって、原子炉建屋のどれか一つが倒壊してしまい、膨大な放射能が飛び出してきて現場作業ができなくなり、そこにある核物質の対処をすべて放棄する事態に追い込まれてしまう可能性があります。
考えたくないことですが、まだまだ恐怖のシナリオは終わっていないのです。にもかかわらず政府も東京電力もこのことを明らかにしようとしません。あるいは正面から向かい合おうとしていません。
本来、絶対に行うべき福島原発事故の最悪化を想定した広域の避難計画の作成と訓練の実施もネグレクトされ続けています。
この点が「万が一」の時には必ず同じことが起こってしまうと僕が指摘せざるをえない理由です。いやそもそもこのようなあり方が「万が一」の可能性、そのものをより高くしてしまっています。
僕はそうならないために、つまり同じ悲劇が再来しないように、また悲劇の出発点である事故の最悪化の可能性を少しでも遠ざけるために、福島原発の現状のウォッチを続け、私たちの目の前にまだまだ巨大な危険性が存在していることを訴え続けていこうと思っています。
その意味で事故直後から多くの人々に「逃げて下さい」「せめて身構えて」という発信を繰り返した活動を僕は今後も継続させます。
もちろん原発は動いている状態の方が圧倒的に危険です。また原発を再稼働させれば新たな放射能がたくさん発生します。使用済み核燃料は時間が経てば経つだけ放射能量は減衰するわけですから、安全性の確保のためにこれ以上原発を動かさないことが鉄則です。
このために原発の危険性を訴え続け、再稼働に反対し続けるのは大前提です。
その上で、脱原発派の中でもけして十分な取り組みがなせているようには思えない面のある福島原発事故の悪化への備えを訴え続けたいということです。
第二にやはり問題なのはすでに原発から膨大な放射能が飛び出してしまったわけですから、現にあるこの放射能から身を守ることを訴え続けたいということです。
そのために最も大事なのは、極端に過小評価されている内部被曝の危険性を訴え続けること、そのメカニズムをより深く解明し、より分かり易く説明していくことです。
この間、強調してきたようにその場合、最も重要なポイントをなすのは、国際放射線防護委員会(ICRP)などの国際機関による放射線の人体への影響の過小評価、内部被曝隠しと対決し続けることです。
被曝隠しが組織的に始まったのは広島・長崎への原爆投下後の、アメリカが主導した原爆傷害調査委員会(ABCC)による調査の中ででした。
当時、急速に高まりつつあった放射線の遺伝的影響への不安は、核戦略を推進しようとする人々にとって大きな障壁でした。これを突破するためにアメリカは被爆者調査を排他的に行い、データを恣意的に操作して放射線被曝の被害をできるだけ小さく見せるようにしました。
これが国際化されたのがICRPの体系ですが、やがてこの体系が放射線学のイロハとされてしまい、放射線科学を学ぶものは初めから放射線の害を過小評価した体系が刷り込まれるようになってしまいました。
このもとで本当に長年にわたって広島・長崎の被爆者が苦しめられ続けるとともに、その後の核実験場のヒバクシャや、原発や核施設の労働者、これらの施設の事故に巻き込まれた人々もが苦しめ続けられてきました。
その連綿たる流れがチェルノブイリ原発事故の膨大な被災者を苦しみつづけ、そして今、福島原発事故の被災者を苦しめ続けています。
この本当に腹立たしい不正義の歴史をひっくり返さなくてはなりません。ひっくり返して、現にある放射能からの防護活動をもっと格段に質の良いものに変えて行く必要があります。そのためにもICRP体系への批判が進化されなくてはなりません。
僕はこれは未来世代への責任にかけた最も重要な責務だと思えます。例えば『ウクライナ政府報告書』を紐解いてみると、放射線被曝によって国際機関がようやっと認めるようになった「甲状腺がん」「白血病」「白内障」の他に、心臓病や脳卒中など血管系疾患をはじめ本当にたくさんの病が発生していることが分かります。
しかも第二世代に病がより多く発生している。多くの子どもたちが生まれながらにして不健康な状態に陥っています。このためウクライナでは汚染地では日本の小中学校にあたる学校で授業を短縮したり、学期末テストを廃止したりしています。子どもが持たずに倒れてしまうからです。
これが事故から28年経過したウクライナの今であり、日本もきちんとした対応をしなければ、同じような状態に陥る可能性があります。いや28年前のウクライナより今の日本の方が化学物質の曝露も多いので、もっと深刻な惨劇に見舞われる可能性だってある。
それだけに今、私たちがどう行動するかが未来の分け目となります。被災地の人々の移住の権利の保障を始め、被曝防護の徹底化を図っていけば、将来にわたる被害の完全な除去は無理でも低減化を図ることができるでしょう。
一方でそれがなされなければ、まだまだ努力をすれば避けられる被曝が続き、病は深刻化する一方でしょう。しかもどれだけの病がどのように発生するのかも未解明なので、それ自身、危機感を持っている僕などがイメージするよりももっと恐ろしい事態が待っている可能性すらあります。
20年ないし30年経ったときに社会が、今の私たちの行動に感謝するのか、あるいは「あの時にどうしてせめてこういうことをしてくれなかったのか」と思うのか。まさに私たちはその分基点に立っています。
私たちは本当に残念なことに未来世代に膨大な放射能を残したまま命を終えることになります。私たちの時代のつけは何代も何代も続く未来世代に暴力的に投げつけられてしまいます。このことはもう避けられないことです。
だとするならば私たちは未来世代の放射能との闘いが少しでも有利になるように、被曝の影響を少しでも減らしておくことに尽力すべきだと僕は思うのです。
そのための放射線防護の徹底化こそが僕が果たすべき務めだと思っています。
第三にこうした活動を貫いてきたのが僕のこれまででしたが、事故後のおよそ一月ぐらいの経験から、人はあらかじめ避難のシミュレーションを持っていないとなかなか咄嗟には逃げられないのだいうことを僕は痛いほど知りました。
そこにあるのは「正常性バイアス」という壁でした。繰り返し解説してきたように、事故への心の備えがないと、危機的な事態の突発に心がついていけず、危機そのものを認めようとしなくなってしまう心理的メカニズムです。
このことと放射能に対する身構えもパラレルな関係性にあります。放射能による深刻な被害は多くの場合、即座には見えにくい。だからとりあえず「ないものとして考える」態度を決め込めば、やり過ごせるように思えてしまうのでなおさら正常性バイアスがかかりやすいのです。
このために政府や電力会社のウソを暴くだけでは足りないのだということを僕はこの間の経験の中で教え込まれてきたように思います。
ではどうすれば良いのか。正常性バイアスを打ち破るには何が必要なのか。講演では僕はここで「事前のシミュレーションや訓練」を持ちだすわけですが、今はその前に指摘しておきたいことがあります。
正常性バイアスを断ち切るには、目前の事態にどう対処すれば良いのか、危機を越えられる可能性を説くことが最も大事であるという点です。未来への展望を語ると言っても良いと思います。
人は危機を繰り返し強調してもただそれだけでは動けないことが多い。危機を越えられる可能性を提示されたとき、猛然と危機に立ち向かう力が生まれてきます。
そのためには嘘を言っては絶対にいけない。心理的まやかしもおなじこと。誰もが納得できるて決意をすればできることをシンプルに、しかし力強く提案することが大事なのです。
今まで僕が聞いてきた中で一番それを鮮明に説いてきたのは被爆医師の肥田舜太郎さんであると思います。そのため講演で僕は肥田さんの言葉を繰り返しお伝えしてきました。それはこうです。
被曝したらどうするのか。被曝には治す薬はない。治してくれる医者もいない。だとしたらどうするのか。
まずは腹をくくる。覚悟を固める。今後、自分の身に悪いことが起こることを腹に収めるのです。そしてその上で開き直る。開き直って免疫力をあげる最大の努力をして、放射能が悪さをすることを抑え込む!
肥田先生は実際に医療から投げ出され、悲嘆の中を彷徨っていたたくさんの被爆者にこう告げられたのでした。僕はこれは究極の励ましだと思います。
原発災害に対しての心構えも同じだと思います。今後、再度の福島原発の最悪化が起こりうること、また各地に原発がある限り事故が起こりうることに腹をくくる。覚悟を決める。その上で最大の生き延びるための抵抗を積み重ねておく。
この積み重ねの中にあらゆるシミュレーションが入ってくるわけですが、そのためには最悪の事態を本気になって見つめることと、その上で開き直ることが必要になるのです。
僕はこれまでの講演で聴き手がこのように主体的なプロセスを歩めるように最大限の配慮を続けてきました。
もちろん肥田先生はそれだけで被爆者を放り出したわけではありません。それに続けて「長生き運動」を提唱されるなどさまざまな知恵を紡ぎ出してこられたのですが、その際にもっとも重視されたのは被爆者の主体性でした。
僕が肥田先生をとても尊敬するのは、究極の励ましをされるとともに、「私を信じなさい。そうすれば救われます」というスタイルをまったくとられなかったことです。
あくまでも聴き手の側の心に働きかけ、自らが勇気をもって自らの足で困難に立ち向かうことをサポートしてこられた。被爆者が主体的能動的に生きれるように援助を続けてこられたのです。
僕はこの点をとても重要だと思っています。肥田先生はけしてカリスマ的なスタイルはとられようとはされてこなかった。
なぜかと考えたときに、肥田先生が常に医師として、病を治すのは患者本人であり、医師はその手助けをするのに過ぎないと考えられてきたことに大きな要因があると思っています。
それは僕の恩師、宇沢弘文先生が、「教育とは子どもが持っている自ら成長しようとする能力を助けるもの」と考えられ、子どもの主体性を重視され続けたことと非常に大きく重なる点です。
僕もそれこそが人々が本当に正常性バイアスを打ち破り、危機と立ち向かっていく上でのもっとも重要なポイントだと確信しています。
そのため僕が心がけているのは事実問題としてのICRP体系の虚偽性を暴くとともに、常に私たちが今の社会にいかに向かい合うべきなのか、人々が考える際の一つの縁(えにし)になること、考え方の整理になることを提起し続けることです。
この点で僕の論考は時に放射線防護の内容を大きく離れ、戦争の問題や、性暴力の問題、社会主義の問題などにも飛躍してきましたが、それらを論じながら、人々が思考を成長させていける場のようなものを提供したいと思うのです。
もちろんその時々において、僕自身は「この問題はこう考えるべきだ」という暫定的な結論をもってのぞむわけですが、一番、共有したいのはものを考えるプロセスです。もちろんその先に僕はともに新たな結論を紡ぎ出すことも強く志向しています。
私たちの事態が膨大に作り出してきてしまった放射能という負の遺産への対処だけでなく、それと向かい合うことの中からともに新たな思想性、哲学を紡ぎ出すことで、人類史に少しだけでも貢献したいとも思うからです。
哲学となると時代精神の中でこそ生まれ出るものですからもはや僕の個人作業の範疇を離れます。共同作業の中でしかできるものではありません。だから僕はそれをみなさんと一緒に奏でることをも強く意識しつつ、この「明日に向けて」の発信を続けています。
以上、これまでの1000回の発信の経験を継承しつつ、僕は「明日に向けて」での発信を続けて行きます。
そのための取材、研究、執筆にやはり相当なエネルギーと時間を必要とします。そのためにぜひみなさんにカンパを呼びかけたいと思います。
僕自身はこの中で新たなジャーナリズムの可能性も切り開きたいと思っています。そのために身を粉にして働き続けますので、ぜひお力をお貸しください!
なお「連載1000回を迎えて」の考察を今しばらく続けていきたいと思います。
続く
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