守田です。(20161118 01:00)
福島から横浜に避難移住した現在中学1年生の男の子が、学校で耐えがたいいじめを受けてきたことを私たちに明らかにしてくれました。
繰り返し暴力を受けた上に「賠償金をもらっているだろう」などとお金も脅迫され、なんと150万円も強奪された可能性があるそうです。
しかも学校側はまともな対応をしてきませんでした。あまりにもひどい!許しがたいです。
事態をご存知ない方は以下の記事をご覧下さい。
原発いじめ問題 避難男児に繰り返し暴力
読売新聞2016年11月11日
http://www.yomiuri.co.jp/local/kanagawa/news/20161110-OYTNT50180.html
その後、明らかにされた小学校6年生の時に手記で、男の子は以下のように綴っています。
「いままでなんかいも死のうとおもった。でも、しんさいでいっぱい死んだからつらいけどぼくはいきるときめた」。
・・・胸が痛みで張り裂けそうです。
まずこの男の子によく「いきる」と決めてくれたと感謝の念を捧げたいと思います。
震災で亡くなった方たちにも心を寄せた、愛に溢れた素晴らしい勇気と決断です。拍手したいです。
そうです。あなたはきっといきていて欲しい人です。あなたが生きていることに大きな価値があります。だから本当によく頑張ってくれました。
あなたは放射能から逃れるために避難という苦労をしてくれました。それはあなただけを救う行為ではありません。あなたにつながるすべての人の命と未来を守る行為です。
あなたは頑張って避難することで、他の人の避難の可能性を広げてきてくれたし、同時にあなたはあなたを守ることですべての人の未来を守ってくれているのです。
それだけでもありがたいのに、本当によく辛い時間を超えて生きのびてくれました。心からお礼をいいたいです。
その上で、僕は大人としてあなたにこんな思いをさせたこと、暴力から守ってあげられなかったことを心からお詫びします。
私たち大人はこんなひどいいじめをなくすために精一杯努力をすることをあなたに誓います。
苦しい思いをさせて本当にごめんね。おじさんおばさんがもっと頑張って、きっとあなたに幸せな思いを届けるからね。
みなさん。被曝をめぐる「いじめ」の元凶はどこにあるのでしょうか。政府にあります。政府がまったく無責任にも福島原発事故で起こった被曝を放置していることこそが元凶です。
そもそも学校でおきているさまざまないじめの多くは文科省が元凶ですが、被曝問題で起きているいじめの元凶は政府です。(文科省はこれにも加担しています)
子どもたちの行ういじめのほとんどは、社会で大人たちが行っている人権迫害の縮小版です。いじめた子どもたちは愛をもって厳しく叱らなければなりませんが、肝心なのはいじめの元をただすことです。
そそもそも福島ではいま、年間20ミリシーベルト以下の地域への人々の強制的な帰還が進めらています。
これとともに多くの避難者から住宅補償が奪われようとしていますが、これこそ人権蹂躙であり、いじめそのものです。
この国では年間1ミリシーベルト以上の被ばくを一般人にさせてはならないと法律で決められているのです。しかしそれがまったく無視され、無法行為がまかりとおっています。
こんなことがなされてしまうのはこの国に「原子力緊急事態」が宣言されたままだからです。しかしこれを定めた原災法の第二条には次のように書かれています。
「原子力緊急事態とは原子力事業者の原子炉の運転等により放射性物質又は放射線が異常な水準で当該原子力事業者の原子力事業所外へ放出された事態をいう。」
「異常な水準」の放射能があるのです。だから緊急事態法が解除されていないのです。そんな状態のもとでどうして人々が帰ることなどできるのでしょうか。逃げ続けて当然です。政府にはそれをサポートすべき絶対的な義務があります。
そもそもこんな緊急事態法自身、憲法違反だと僕は確信していますが、せめて帰還を奨励するならば政府の努力で「異常な水準」の放射能を取り除き、緊急事態宣言を解除してからにすべきです。
そうすれば当然のように「年間1ミリシーベルト以上の放射線を一般人に浴びせてはいけない」という規定が復活します。それでやっと人々との「一定の」安心が保障されるのです。
そんなこともせずに違法、無法に人々に被曝を強制する政府をけして信じてはいけません。だから避難を続けるのは正義でありまっとうな選択であり賢い生き方です。
にもかかわらず多くの人々が被曝地帯から逃げられずにいます。
そこにはたくさんの理由があるでしょう。けして動けないから愚かだなどと言うことはないし、そう言うべきでもありません。
ただ私たちがしっかりと観ておかなければならないのは、福島原発事故以降、この国を「正常性バイアス」という分厚い雲が覆っていることです。
「正常性バイアス」とは災害心理学で使われる言葉です。危機に直面したときに、危機を危機として認識せずにやり過ごそうとする心理的罠です。
私たち現代人は都市生活の安全性が向上したこともあって、命の危機に瀕する経験をほとんど持っておらず、その時の心構えができていません。
そのため突然、危機に直面すると、現実に対して「正常になっていく」とバイアス=偏見をかけてしまい、安心を得ようとする心理が働いてしまうのです。
例えばビルの一室にいて火災報知器がにわかになりだすと「火災訓練をやっているの?」とか「火災報知器の故障?」とか考えがちです。その方が心理的に楽だからです。
このとき「とっさの時に周りの行動に合わせてしまう」という集団同調性バイアスも働きます。そうするとますます逃げられなくなります。
にもかかわらず「人は危機に瀕するとパニックになる」ということが過度に強調されているため、危機管理者も危機をきちんと伝えないという事態が重なりがちです。こうなると人は適切な避難行動がとれないのです。
この国には今、放射能問題について、この正常性バイアスによる心理的ロックがかかってしまっています。
しかもそれは政府や政党の中枢、マスコミの中枢にまで食い込んでしまっています。だから放射能が蔓延する東京にどの政党もマスコミも本部・本社を置いたままです。いわんやこの被曝地でオリンピックをやれるなどという幻想もまかり通っています。
この蜃気楼をみているかのような社会化した心理的ロックの強固な存在を大きく打ち破ったのが、被曝地を脱出し、少しでも放射線値の低いところを求めて避難を決行した人々の行為なのでした。
災害心理学ではこれらの行為を「率先避難」と言います。多くの人々が正常性バイアスのロックにかかってしまっている時に、誰かが「逃げろ!」と叫んで行動に移ったら、ロックが解除され出すのです。
だから率先して避難を決行すると後に続く人々をも助けることができます。危機感と真っ当に向い合い、決然と行動することで、人々の蒙昧とした意識に喝を入れて、命を救う行動に向かわせることができるのです。
だから率先避難はたくさんの命を救います。とても重要でありがたいものです。
この行動は避難した先の人々の意識改革にもつながりました。日本の各地で、避難者と出会い、受け入れに奔走した人々が、避難のリアリティに触れる中で原発の危険性に強く目覚めたのでした。
かくして首相官邸前をはじめ、全国の電力会社の本店・支店前、あるいは主要ターミナルで原発撤廃を求める金曜行動が立ち上がりました。今日、その多くが200回を大きく超えています。
この国でこんなに広範で、持続的で、一貫していて、しかも柔軟な団結を崩さずに行われてきた行動を僕は知りません。日本の歴史に残る行動ですが、その大きな柱になったのも率先避難した方たちの活躍でした。
わたしたちが再度、確認しなけれがいけないのは、避難は直接的には本人や家族の心身を守るべきものですが、より大きくは私たちの未来そのものを守る行動だということです。
一人一人が自分を守ることで私たち全体の未来が守られているのです。だから避難者は率先避難によって他の人々の避難や原発への身構えを促しているだけでなく、大きく未来そのものを守っているのです。
だからこの行動は尊いのであり、みんなで感謝し、みんなで労苦を分け合い、守り抜いていかなくてはならない行動なのです。そのことで私たちの未来が守られるのだからです。
私たちはそのことをもう一度、肝に銘じましょう。
あなたが避難者であるならがあなたの行動に強い誇りを持ってください。あなたの行動は社会全体を守る尊い行動です。
あなたが避難者を受け入れる立場にあるならば、どうか避難者に感謝を捧げることから始めて下さい。その上で一緒に未来を守るための行動に参加して下さい。何でもいいので避難者を支えることからそれは始められます。
僕は今、この国の底辺でものすごいことが起こっていることを日々、実感しています。
僕は17歳の春から社会運動に飛び込びましたが、以来、40年間、これほどまでに多くの人々が(しかもその大半が「普通の人」と称する人々が)、決死の思いで能動的に行動したことを見たことがありません。
しかも避難者は、どの政党も、進歩的団体も、けして「逃げろ」とは言わなかったあの時に、自主的に判断して危険な地帯から飛び出したのです。
この日本史を揺るがすような決死の行動を、いまだにどの政党も団体もきちんと評価できていないので、この行動が政治や選挙に十分には反映していませんが、しかし社会の底辺部にはすごい変化が起こっています。
その一つの流れの中に僕の講演会は位置しているので、僕にはそのことが本当に強く感じられます。
「守田さんの講演会に来る人は一部の悟った人たちだ」と言われることもありますが、しかしその「一部」の割合が激増している。だから肩書も学歴も何もない僕の話を多くの方が聴きに集まってくださるのです。
何度も言いますがその変化の先頭に、避難者たちは位置してきました。たとえ表立った政治的活動をしていなくとも、避難を持続しているだけですごい行動です。社会の宝です。
今はまだ試練の方が多いですが、しかしこの宝はそれと結びつき、自らもまた宝の一部に変化しつつある多くの人々とともにやがて大きなうねりを作り出すに違いありません。
僕もそのために懸命にオールを漕いでいます。流れを促進するため?それもありますが、流れについていくためでもあります。この巨大な変化につねに自分に内面的変革を課すことでついていきたいのです。
みなさん。避難者の思いをシェアしましょう。この思いのもとに集まりましょう。そこに未来の可能性があります。
僕もなお一層の努力を傾けます。そのことで横浜の少年への約束を果たします。
いやみんなで果たしましょう!この男の子に「生きると決めて本当に良かった」と思ってもらいましょう。頑張りましょう!
*****
福島の人々の思いや、避難者の思い、避難者を受け入れて奮闘してきた方たちの思いを知りたい方はぜひ以下の企画にご参加ください。
12月4日、京都市での開催です・・・。
『ふつうに暮らしたい』 3.11は過去の話?いいえ、未来(あした)の私たち
https://www.facebook.com/events/1699655360355060/
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます