明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(92)市民が自ら情報を解析し、発信することの意義

2011年05月04日 13時30分00秒 | 明日に向けて5月1日~31日
守田です。(20110504 13:00)

毎日新聞京都支局の太田裕之記者が、僕が行っている情報発信を記事に
してくれました。丁寧な取材を経てのことです。記事の下段に僕のことが
出てきますが、「行政や専門家に任せず、個々の市民が主体的に情報を
収集・交換する動き」として紹介してくれています。

これを読んでいて、自分が問われて語ったことであるにもかかわらず、こうして
情報発信をしていることの意義を、再度、確認するものがありました。


これまでも述べてきたように、僕がこのような情報発信を行っているのは、
七沢潔さんが書いた『原発事故を問う チェルノブイリからもんじゅへ』(岩波
新書)と高木仁三郎さんの『市民科学者として生きる』『原発事故はなぜ
くりかえすのか』(岩波新書)などの影響です。

とくに七沢さんは、旧ソ連と日本は似ている、チェルノブイリともんじゅに同じ
匂いがすると語ったのですが、それが強烈な印象として僕の脳裏に刻み込まれた。
深刻な事故が起こった時に、この国の電力会社や政府官僚たちは、まず
自己保身を考え、情報を隠してしまう。そのため深刻な被ばくが起こりうる。

だからそのときがきたら、事故が近ければすぐに逃げ出さなければならないし、
遠ければ、「逃げてください」というメッセージを発しなければいけないと
僕は考えてきました。


実際に福島原発事故がおこったとき、似たような考えを持った人々が、たくさん
関西に逃げてきました。同時に、情報解析と発信が始まった。

しかし今回は、幾つもの予想しえなかった壁が立ちふさがりました。
一つは大地震に大津波が重なり、膨大な数の人が被災してしまったことです。
その上に原発大災害が重なった。

人々を助けなければならない。
そのために救援隊が続々と入って行く。
しかし原発は、1号機が水素爆発し、3号機が、もっと深刻で激しい爆発をした。
大量の放射能が漏れ出しました。

救助隊もこれに振り回されたはずです。
原発事故のせいで、津波被災者への支援が各地で滞った。つまり原発事故の
二次被害が、救援の遅延として各地で起こった。


二つ目に、原発事故が、想像を超えた長期的展開に入ってしまったことです。
これまで原発推進派は、こうした深刻な事故が起こる可能性は、何万分の一で、
考えるに値しないと語ってきた。

したがって、事故の想定は、原発に批判的な人たちの間でしかなされて
きませんでしたが、その場合、事故が拡大するかどうかは、数時間が勝負だと
言われてきました。

今回の事態がおこってからも、多くの専門家は、事態を収拾できるか否かは
数日の間に決まる・・・と考えたようです。例えば京大原子炉実験所の小出さんも
1週間が勝負と考えたと述べられています。

ところが、福島原発事故は、ゆっくりと、長く、大量の放射能漏れを起こしながら
現在まで進行形で続いてきました。本当に長い間、危機が続いている。
その間に、これまでの常識を絶する量の放射能が漏れ出してきました。


当初、政府や「御用学者」は、大丈夫、大丈夫、安全、安全と繰り返し続けた。
はたしてそうなのか。事故は極めて危機的な局面にあるのではないか。
当初はそれを分析することが問われました。

そのとき思いもしなかったような壁も現れました。原発に批判的であったり、
政府に批判的である市民運動内部からも、原発の危機をあおって、被災地の
人を不安に陥れてはならないという声があがってきたのです。

僕があるところで、「ゆっくりしたチェルノブイリの中を生きる」というタイトルで
講演を行いたいと語ったら、「チェルノブイリのような爆発はありえない。この
ように被災地をまどわずことに与しえない」と猛烈な抗議をうけたこともあります。

しかし実際に、事故後の数週間、炉内では燃料の溶解が進み、炉が破断して
しまうような事故に発展する可能性があった。いやそれは過去形ではなく
何らかの要因で冷却がうまくいかなくなれば、すぐにも極限的な危機に陥る
状態に福島原発は今なお置かれ続けている。

・・・この状態を自分たちで把握することが問われました。原子力資料情報室に
ゲストスピーカーとして参加した後藤政志さんや、京大の小出さん、今中さん
等々、何人かの方が必死で事故の分析を発信し続けてくれましたが、データが
限られる中で、その方たちの間でも部分的には見解が分かれたりしていた。

そのためそれらの方たちの人となりは信頼しても、分析のすべてをただ信じる
ことはできず、自分の頭で情報を分析し、自分なりに危機を把握することが
問われました。それは1人ではとてもできない。そのため多方面の分野の
友人たちと、頻繁にメールを交わし、情報交換し、意見を闘わせ合った。


そうこうしているうちに、違う難題が出てきました。原発事故がどのような
状態に向かっているのかとは別の問題として、大量に漏れ出してくる放射能に
いかに向き合うのかが問われだしたのです。

このとき、僕の言う「放射能は怖くないキャンペーン」が始まりだした。それは
想像もしなかった形での、事故の新たな隠ぺいであり、人々を被ばくから
逃げさせない非人道的な方策でした。

その出所を探っていくと、下敷きになっているのは、まさにチェルノブイリ事故後の
旧ソ連、ロシア政府の対応であり、それを支援した「国際社会」=核クラブと
日本の動きであることが見えてきました。核武装を推進し、その延長で生まれた
原子力発電を擁護する国々が、チェルノブイリ事故後の被害を過小評価し
続けてきたことが見えてきたのです。

例えば1991年、IAEAはチェルノブイリ事故を非常に過小評価し、成人では
癌の被害はみられない。むしろ問題は、放射線被ばくを気にしすぎて、健康を
害したことの方にあるというデタラメな報告書を出しています。しかもこのときの
団長は日本人だった。広島の放射線影響研究所理事長(当時)の重松逸造氏です。
この人物は、かつて水俣病とチッソの因果関係を否定したことでも有名な方です。

それでこの放射線影響研究所とは何かを調べてみると、アメリカが広島原爆
投下後に、その威力を把握するために作った原爆傷害調査委員会(ABCC)
という組織の末裔であることが分かりました。それは核戦争のための組織
だった。

そしてその放射線影響研究所が、まさに今、朝日新聞や読売新聞の紙面を
大きく使って、「放射能は怖くないキャンペーン」をはじめた。僕はこれに
強い危機感を覚えました。


このとき問われたのは、それでは放射線は、人体に対してどのような影響を
与えるかでした。どれぐらいの量がどれぐらいの害を与えるのか。
・・・ところが、政府の安全キャンペーンばかりが語られて、これに対する
有力な説明が出てこない。

これまでの「放射線管理区域」や、被ばく労働に対する定義などがなし崩し的に
覆されているのに、では危険をどのように考えるのか、政府と距離を置いた
見解がなかなか出てこないのです。それでこちらが自力で調べなくてはならなく
なった。さまざまな数値との格闘が始まりました。


友人たちの頻繁にメールを交わしながら、途中ででてきた疑問は、どうして
われわれのような素人が、こうした分析をしなければならないのか。どうして
このことに関する深い知識をもっている専門家が声をあげないのかという
ことでした。

そのことに悩む中で、二つのことが見えてきました。おそらく問題を知りうる
専門家に対しては、事実上の緘口令が敷かれているのだということ。良心的な
人ほど、意見がいいにくい状態におかれていること。
これは後日、エントロピー学会に参加した時に、東大の中で、この問題について
発言するなという事実上の緘口令が敷かれているとの説明があり、一定の
確証を得ることができたと思っています。

同時に、気づいたのは、そもそもこうした問題を専門家任せにしていては
いけないのであり、多くのことを市民サイドが把握し、解析する力をつけて
おかなければならないということ。

なぜなら専門家は専門機関に属していることが多く、その機関をおさえられて
しまうと、必要な情報がでてこなくなるからです。とくに放射能の危険性について
は市民が自ら学んでいかなくては、自らを守ることができない。


今、そのことを象徴しているのが福島の学校をめぐる事態だと思います。
政府の政策に従わされていた「専門家」が、衆目の前で、涙を流して、自分の
子どもをこんな目にあわせたくないと、絶句するような状態が生まれている。
まさにこのことに、専門家任せの危うさがあらわれています。

特に今、政府は、さきほど紹介した1991年にIAEAが行ったチェルノブイリ事故
調査報告を首相官邸ホームページにそのまま載せるという暴挙を行っています。
1996年の同じくIAEAの報告や、さらにそれをも否定したWHO報告等々で
完全に否定されたデタラメな報告書をです。

しかも文科省は、そのうちの一部を抜き出したものをパンフとして成し、福島の
全ての学校に配っている。虚言であることが国際的に判明した文章をです。
このあまりに不正義な所業を、僕は自分自身が、チェルノブイリ事故報告を
追いかけることで、気づくことができた。ウソの出所を瞬時に見抜けたのです。


非常に残念なことに、この国の政府と官僚は、私たち国民と住民を、本当に
平気で欺きます。事故直後もそうでした。膨大な放射能が出ていて、それこそ
チェルノブイリのような大爆発にいたる可能性すら非常に高まっていたのに、
それを隠し続けた。そのために多くの人々が甚大な被ばくを受けてしまいました。

いやそもそもその前から、政府は原発の危機を隠し続けた。地震の可能性も
津波の可能性も指摘され続けていたのに、もみ消し続けていたことが今日
明らかになっています。まさに七沢さんが説いたように、旧ソ連と日本は
似ている。いや同じように民衆を軽視し、欺いているのです。


そして今も、放射線管理区域の放射線量を大きく超える地域で子どもたちを
学校に通わせている。先生たちも仕事に縛り付けられていますが、これはなに
よりも子どもへの虐待です。これまで絶対に子どもを入れてはならないと
されてきた地域で子どもたちを学ばせているのですから。

こうした状態から私たちが私たちの身を守るために、私たちは知恵をつけ
なければならない。そのために私たちはネットワークを作り、私たちの側で
情報解析能力をつけて行く必要があります。

私たちは一介の市民ですが、同時にそれぞれが仕事をしており、何らかの
領域の専門家でもあります。その知恵を横糸を通してつなぎあい、「今ここ」に
集め、そうして私たちの未来の方向を探りだしていく必要がある。

僕はその一つの交差するポイントに立っているにすぎませんが、これからも
多くの皆さんとともに、情報を集め、解析し、意見を交換し合いながら、
ポストフクシマをいかに生きていくのか、考察し、検討し、発信していきたいと
思います。

みなさんの変わらぬご協力をお願いします・・・。


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再考のとき:“3・11”後の京都で/2 防災/下 /京都
 ◇「放射能に県境はない」 市民が情報収集・交換も
 「ここらの人は逃げられん」。福井県高浜町の関西電力高浜原発から直線で
約6キロの舞鶴市田井地区。住民で府漁協職員、倉内智さん(36)は不安を
募らせている。隣接の成生地区と合わせ約300人が暮らすが、避難するには
険しい山道を通らねばならず、同原発にいったん近づく形になる。「漁業被害も
心配だが、それ以前にどう避難するのか」。歴代市長に陳情してきたトンネル
整備は実現していない。

 同原発から約8キロの同市朝来中の農業、林茂義さん(82)は約1ヘク
タールの水田を営む。東京電力福島第1原発事故で避難生活を送る農家の
姿が他人事に思えない。「あのようになれば逃げるしかないが、先祖代々の
土地を離れ作物をあきらめるのは大変つらい」

 福島の事故では高齢者福祉施設などで高齢者が置き去りにされたり、避難
するバスの中で死亡する悲劇が起きた。高浜原発から約7キロの特別養護老人
ホームやすらぎ苑には70人の入所者がいる。大半が自力で歩けない高齢者だ。

 「認知症の人も多く、環境の変化でパニックを起こす危険がある」と大橋裕子
施設長(56)は懸念する。そばに同様の福祉施設と障害者支援施設もある。
「原発から離れた地域の福祉施設と事前に連携し、万一の場合に入所者を
受け入れてもらう体制が必要」

 舞鶴市は同原発から20キロ圏内に人口の9割以上の約8万6000人が
暮らす。4月8日、関電幹部らが市役所を訪れて原発の健全性を強調したが、
市は放射線のモニタリングポスト(現在市内7カ所。うち2カ所が関電)の増設を
求めた。

 市議会も同14日、初めて関電幹部を参考人として招へいし、住民説明会を
要求した。関電は福島での事故を受け、安全対策への対応状況を説明するビラを
福井県内で配布していたが、舞鶴市内では一度も無かった。議員らは「放射能
に県境はない。高浜原発から10キロ圏内だけでも住民は1万2000人。一番
多いのは舞鶴市だ」と不満をぶつけた。関電は20日付の新聞各紙に安全対策
などを説明する広告を掲載。ビラ配布や住民説明会も検討するという。

 多々見良三市長は言う。「8万6000人を緊急に避難させることは物理的に
不可能。市に出来るのは、逃げ方を考え、放射線量計で正確な情報を入手
することぐらいだ」

  ◇  ◇  ◇

 行政や専門家に任せず、個々の市民が主体的に情報を収集・交換する動きも
芽生えている。京都市左京区のフリーライター、守田敏也さん(51)は震災発生
当日から、東電・政府機関の「当局発表」や国内外の報道、原子力資料情報室
など在野の研究機関・研究者らの分析を比較検証してインターネットで発信。
当局の過小評価が報道にも表れていた当初から事故の深刻さを見通し、
訴えてきた。

 電子メールなどで意見交換するのは医療関係者や計測・分析機器技術者、
農家、報道関係者ら。複数の市民団体を経由して情報の受け手は1000人を
超え、ネット接続が困難だった被災地でも印刷されて届けられた。

 事態は結果的に警告通りの展開に。「そもそも当局が否定してきた原発事故が
現実に起きた。市民一人一人が自ら、互いに守り合うことが必要と気付く
転換点になった」と守田さんは言う。【岡崎英遠、太田裕之】=つづく
http://mainichi.jp/area/kyoto/news/20110503ddlk26040448000c.html
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