守田です(20170112 22:00)
1月7、8日にコープ自然派脱原発ネットワークの伊方原発ツアーに参加してきました。
7日に伊方原発を訪れてゲート前でパフォーマンスを行い、現地で反対運動を行ってきた「八幡浜・原発から子どもを守る女の会」の秦左子さん、近藤じゅんこさんに説明を受けました。
翌日8日にはコープ自然派松山センターで集会が開かれ、秦さん、近藤さんに加えて「女の会」代表の斉間淳子さん、門田鈴枝さんも参加して下さってのパネルディスカッションが行われ、それを受けての連帯発言もなされました。
僕も「伊方原発を止めるために!被曝から命を守るために!」というタイトルで発言させていただきました。
その後、参加者約50人全員が一言ずつ発言。とても熱い集会になりました。
ツアーではこの他、コープ自然派さんと提携している生産者さんのところにもみんなで訪れ、それもとても感慨深かったのですが、今回は松山センターでの集会の折の僕の発言を文字起こしして掲載することにします。
ぜひお読み下さい。長いので3回に分けます。
*****
伊方原発を止めるために!被曝から命を守るために!
2016年1月8日 コープ自然派松山センターにて
1、原発をめぐる世の中の流れが変わってきている
伊方原発を止めるために私たちがみておくべきことは、何よりも今、原発をめぐる流れが大きく変わってきていることです。
僕にとって当初は唖然とするほどびっくりしたのは裁判所の態度が変わったことです。なぜそう思うのかと言うと、伊方原発に長く反対してこられた方たちの苦労を象徴するような話として、伊方原発を止めさせようとする裁判がありました。
この裁判では裁判長も住民の側の声を丁寧に聞いてくださって、真っ当な判決が出ることが期待されたのですが、判決直前に裁判長が変えられ、住民の訴えを一方的に退けるひどい判決が出されたのでした。
僕は前回、松山に来た時に―昨年の9月23日でしたが―講演のあとにコープ自然派の渡部さんが、伊方や八幡浜で長く運動をされて、今日も発言してくださった秦左子さんや門田鈴枝さんに連絡をしてくださって、講演後にお会いできたのですよね。
僕はその日のうちに京都に帰って、翌日の24日、滋賀県の長浜というところで京大原子炉実験所におられた小出裕章さんとジョイント講演をさせていただきました。
ちょうどお二人とも小出さんをよく知っておられて、「小出さんによく言ってね」とおっしゃるので、小出さんに「昨日、お二人にお会いしましたよ」と言ったら、すごく喜んでくださいました。
例えばその小出さんは、この伊方のひどい判決が出てから、裁判に関わらないことを決められたのです。
日本の司法はひどすぎる。裁判でどんなにきちんと真実を語っても、裁判所はまともな判決を出してくれない。だから「私はもう人生において裁判には関わらないことを決めました」とおっしゃっていたのです。
それほどひどかったのです。日本の裁判所の態度は。ところが2014年5月に福井地裁で大飯原発を動かしてはならないという判決が出たのです。判決の内容も素晴らしかったのです。
だからあのときに本当に「あ、世の中は変わり始めた」と僕は思ったのです。
ところが裁判と言うのは一つだけ良い判決が出ても「属人的判決」=「その変わった裁判長に属する判決」という言い方をされるのだそうです。一つだけでは弱いのです。
これに対して昨年、大津地裁で違う裁判長が高浜原発を動かしてはならないという決定を出してくれました。しかも動いている原発が止められたのです。高浜原発3号機です。
私たち京都に住んでいるものにとっても、無茶苦茶に安全性を高めてくれた決定だったのですけれども、日本の歴史にとって動いている原発を止める初めての司法判断でもありました。事態はそんな判決や決定が出るところまで来ている。
さらにご存知のように、とうとうもんじゅの使用を政府があきらめました。もちろんまだ他に高速炉を作って動かすとか変なことを言っています。
あれにはカラクリがあります。核燃料サイクルを全部やめたというと、いま日本中にある原発の中に入っている使用済み燃料、核のゴミですけれども、これが困ったことになるのです。
いまは「いつかプルトニウムを取り出すもの」とされているから、お宝という位置づけです。しかしもうリサイクルをしないことになると、全部、一気にただのゴミになってしまうので、資産価値が激変してしまうのです。
だから建前だけで、やり続けようとしているのですが、しかしさすがにそんな展望もないものに巨額の資金を使い続けていいのかという世論の声も高まりつつあります。
あるいは福島原発事故後の廃炉作業に膨大な資金がかかって、しかもそれが当初の発表の倍はかかると言われ出していることに対し、こんなことが許されて良いのかと、やっと最近、マスコミも書くようになりました。
私たちはこのようにどんどん社会の流れが変わってきていることを見ておく必要があります。
それでぜひみなさんに今日、訴えたいのは、私たち日本の民衆の力にもっと自信を持ちましょうということです。
この点、日本の民衆運動にはすぐに自分たちを卑下してしまいがちな傾向があります。僕は日本の民衆運動の悪い側面だと思うのですが、これは教育のせいでもありますよね。私たちは100点満点をとらなくてはいけないという教育を受けてきたので、95点とると「なんであと5点とれなかったんだ」という具合に、自分の欠点ばかりを探してしまう傾向があります。
それでなかなか日本の民衆を、運動を行っている側が信頼しきらないような面があるのではないでしょうか。
例えばドイツの例を出しましょう。日本の民衆運動を行っている方は、「ドイツは私たちよりもすごく先に行っている」とよく言うのですよね。
ところ今、ドイツで何基の原発が動いているかご存知ですか?8基動いているのですよ。ドイツ人の友だちが僕に言いました。「なんで君らはドイツがすごいすごいっていうの?君らの方が圧倒的に原発を止めているじゃない。もっと自信を持ちなよ」と。
問題はドイツが進んでいるか日本が進んでいるかということではなくて、各国ともに頑張っている方たちは同じような苦労を抱えているのです。ドイツだって原発立地地域のセンシティブな問題もあるし、その中で悩みながら運動を進めてきているのです。
だからドイツの方たちは日本の運動の現状を知りたがるし、私たちがたくさんデモを行って原発を止めていることに感動もしてくれているのです。
「日本の民衆の頑張りは世界の希望だ、とても励まされた」とも言ってくれました。その意味で私たちは、もっと互いの苦労を察しあって、励まし合っていく必要があります。互いに誇りをもってリスペクトしあうことが大切だと思うのです。
2、脱原発の流れを作り出した人々
このように日本の民衆のポテンシャルはどんどん上がっていますが、今日、みなさんと確認したいのはその力がどこから生まれてきたのかです。
僕は今日、ここにきて、現地で頑張ってこられた方たちのお話を聞いて、やはり何よりも一番、いまの大きなうねりを作り出してきた源は、一番苦しい時に、辛い時に、原発反対を貫いてきて下さった方たちの苦労だと思いました。
福島原発事故後に首相官邸前で20万人のデモがありました。どうも新しく運動に参加された方はあれを起点に考えてしまうようです。「最近は1万人しか集まらないから冷めてきている」みたいな言い方をされる。
しかし僕も細々と原発反対運動に関わってきたから分かるのですが、反原発派は福島原発事故前はほとんど絶滅危惧種みたいなものだったのですよ。
そんな僕の感覚から言うと、原発反対で20万人もの人が首相官邸前に集まるだけで、もう革命が起こったみたいなものですよ。そんな日が簡単に来るとはとても思えなかったのです。
もちろん福島原発事故というとんでもない災害が起こってしまったからではあるのですが、しかしそれでもその後に多くの人が目覚めることができたのは、長い間、コツコツと原発反対を貫き、真っ当な声を上げ続けて下さった方たちがいたからです。
伊方原発の前で頑張り続けてきて、今日、この場に来られているみなさんもそうです。伊方に通い続けた小出裕章さんもそうです。小出さんが常に民衆の側にたって本当に必要な科学的知見を語り続けてくださったからこそ、私たちには道しるべがあったのでした。
それで小出さんとお酒を飲んだときに「小出さんがずっと頑張って下さったので、世の中が変わってきたと思います。ありがとうございます」と言ったのですがどうされたと思います?深々と「そう言っていただけるとありがたいです」と一礼されるのですよ。
そういう謙虚な方なのですけれども、そうやって本当に多くの方がまだ目覚めていないときに原発の危険性をはっきりと語ってくださった方たちがいたから今があるのです。
先ほどの斉間さんの発言もそうでしたね。とてもはっきりと、力強く、原発を止めなければいけないことを語り続けてくださっている。これが私たち民衆全体の大きな目覚めにつながったのです。
もう一つ、決定的に大きいのは、今日もこの中にもおられると思いますが、福島原発事故が起こった時に、関東・東北から決死の避難を敢行した方がいらっしゃって、その方たちが全国に散って行ったことです。
各地でその方たちが、原発事故に巻き込まれたらいかに苦しくて悲しいことになるかを語り、「だからみなさんの郷土を守って下さい」と叫ばれました。それで各地の方に火がついて、デモがどんどん大きくなっていったのです。
いま、日本各地で電力会社前や主要ターミナルで毎週金曜日の抗議行動が行われていて、それがどこも220回ぐらいを数えています。
日本の民衆運動史の中でこんなにすごいことがかつてあったでしょうか。日本中で毎週1回のデモがずっと継続されているのです。
この運動をさらによくみると日本の民衆運動は高齢者の力によって大きく支えられていることが分かります。この高齢者の力は圧倒的ですよ。それこそ雨が降ろうが槍が降ろうが、プラカードを携えて街頭に出ていく。
しかも「そういう時の方がやりがいがあるんだ」とまで言う人までいる。こういう方たちがいるから日本の民衆運動はがっちりと支えられているのです。
でも高齢者の方はともすれば「デモに行くと俺みたいなじじいばっかりなんだよ」と言うのです。若い人がいないとダメだと言い過ぎだし思い過ぎなのです。
そうではないのです。高齢者たちのこの行動が、各地で原発の再稼働を敢然と阻んでいるのです。
それにいま、続いてきているのが、より若い女性たちだと思います。
例えば僕は昨年、コープ自然派さんに16回も講演に呼んでいただきましたが、その大半が平日の朝10時からでした。子育て世代の女性が一番出てきやすい時間帯なのですね。
2011年の福島原発事故まで、僕はこの時間帯に呼ばれたことはありませんでした。(えーっと言う声)そうだったのですよ。
なぜかというと日本は女性に対する差別がとても激しい社会です。スイスの社会経済フォーラムで女性の社会的地位の格付けが出されましたけど、日本は世界の中で百十番台なのです。(正確には2016年10月の発表で調査対象144か国中111位)
ということは男性のみなさん。私たちは世界水準からみると大変、劣っているということなのですよ。それは男性としてとても恥ずかしいことで、変えなくてはならないことだと思います。
だから子育て世代の女性たちは一番政治にコミットしにくい。それが日本の社会構造なのですよね。
ところがその女性たちが陸続と立ち上がって、日本社会を揺るがすほどになっています。
ちなみにコープ自然派さんはその流れに乗っているなという感じがしています。僕の講演でもすべての会場で女性たちが部屋を埋めてくれましたし、しかも多くの避難者が組合員として参加されていました。すでに理事になられている方もおられますよね。
だからいまの社会の変革に向けた流れを一番つかんでいる位置にコープ自然派さんがおられると思うし、そこで何度もお話させていただいていることをとても光栄に思っています。
続く
本記事(明日に向けて(1340)伊方原発を止めるためにおさえておくべきこと)に誤記と思われる部分がありましたので、コメントを投稿させていただきました。
・「―昨年の9月23日でしたがー」
→「―昨年の9月23日でしたが―」
・「貫いてきて下さったきた方たちの苦労」
→「貫いてきて下さった方たちの苦労」「貫いて下さった方たちの苦労」
また、ややわかりにくい部分がありましたので、次のように変更されてはどうでしょうか?
・「倍はかかると言われてたりしていることに対し、」
→「倍はかかると言い出していることに対し、」