明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(622)狭すぎる災害対策重点地域・・・「原子力災害対策指針(原子力規制委員会)」批判(2)

2013年02月12日 17時59分17秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130212 18:00)

昨日に続き、原子力規制委員会が提出した「原子力災害対策指針」への批判を行いたいと思います。なお本日(12日)午後12までパブリックコメント受付中です。FAX・メールでの提出が可能ですが、入力などが大変煩わしいようです。提出をする方は時間の余裕をみて、行ってください!
指針の批判の最初に触れたのは、この災害対策指針が、原発の「過酷事故」を想定したものになっていることでした。しかし過酷事故の可能性があるのなら、絶対に運転などしてはならない。なぜなら過酷事故とは、設計の想定を越えた事故のことであり、設計思想のうちに、対処が想定されてないものだからです。過酷事故の発生はプラントの破産を意味します。そんなものが織り込み済みのプラントなどあってはなりません。
第二に、一方で過酷事故を想定するとしていながら、現実に最も恐れのある福島原発4号機が深刻な危機に陥る可能性や、このことが明らかにした各原発の燃料プールの問題が、まったく考慮されていません。現実に必要なのは、稼働している原発を止めた上での4号機倒壊などの際の防災対策と、各原発の核燃料が冷却不能になった場合の対処などです。もちろん六カ所などさまざまな核施設の事故への対処も必要です。この点をおさえた上で細目の批判に入りたいと思います。

この指針の細目の中の最も大きな欠陥は、「第2原子力災害事前対策」の中の「(3)原子力災害対策重点区域」の設定にあります。これは「あらかじめ異常事態の発生を仮定し、施設の特性等を踏まえて、その影響の及ぶ可能性がある区域を定めた上で、重点的に原子力災害に特有な対策を講じておくこと」という定義に基づいて設定されたものですが、その範囲があまりに狭いのです。
具体的に言うと、まず「予防的防護措置を準備する区域(PAZ:Precautionary Action Zone)」という規定があります。「急速に進展する事故においても放射線被ばくによる確定的影響等を回避するため、先述のEALに基づき、即時避難を実施する等、放射性物質の環境への放出前の段階から予防的に防護措置を準備する区域のことを指す。
PAZの具体的な範囲については、IAEAの国際基準において、PAZの最大半径を原子力施設から3~5kmの間で設定すること(5kmを推奨)とされていること等を踏まえ、「原子力施設から概ね半径5km」を目安とする」とされています。

これに続くのが「緊急時防護措置を準備する区域(UPZ:Urgent Protective Planning Action Zone)という規定です。「確率的影響を最小限に抑えるため、先述のEAL、OILに基づき、緊急時防護措置を準備する区域である。
UPZの具体的な範囲については、IAEAの国際基準において、UPZの最大半径は原子力施設から5~30kmの間で設定されていること等を踏まえ、「原子力施設から概ね30km」を目安とする」とされています。

この設定の大きな誤りは、福島第一原発事故以前に設定されたICRPの規定にしたがっていることです。これは本指針の前文に「平成23年3月に東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故が起こり、従来の原子力防災について多くの問題点が明らかとなった。」
「また、国会、政府、民間の各事故調査委員会による各報告書の中においても多くの問題点が指摘され、住民等の視点を踏まえた対応の欠如、複合災害や過酷事象への対策を含む教育・訓練の不足、緊急時の情報提供体制の不備、避難計画や資機材等の事前準備の不足、各種対策の意思決定の不明確さ等に関する見直しについても多数の提言がされた」と明記され、福島原発事故の教訓に基づいて、防災対策を考えるとされている点に著しく反します。
実はこの考え方は「第1原子力災害」の「(4)放射線被ばくの防護措置の基本的考え方」の中で、「基本的考え方としては、国際放射線防護委員会(以下「ICRP」という。)等の勧告、特にPublication109、111や国際原子力機関(以下「IAEA」という。)のGS-R-2等の原則にのっとり、住民等の被ばく線量を最小限に抑えると同時に、被ばくを直接の要因としない健康等への影響も抑えることが必要である」という点に基づいたものです。
しかしICRPがPublication109と111を承認したのはいずれも2008年であり、IAEAがGS-R-2が出版したのは、福島原発事故の10年近くも前の2002年です。どちらも福島原発事故の経験をまったく踏まえてないのです。これらを下敷きとしているところに福島の教訓を実際には無視していることが現れています。

さてその上で、PAZとUPZの違いを見ると、前者が「確定的影響等を回避するため~即時避難を実施する等」の対応が必要な地域とされ、後者が「確率的影響を最小限に抑えるため~緊急時防護措置を準備する区域」とされていることです。
この「確定的影響」と「確率的影響」という規定についても、もともと現象面を恣意的分けたものでしかなく、科学的規定とは言えないものですが、それへの批判はここではおくとして、大きな分け方が急性症状を起こすことを想定した地域と、晩発性の影響を起こすことを想定した地域になっていることに特徴があります。また前者はただちに避難することが想定されていることも特徴です。
しかし原発サイトから飛び出した放射能が、5キロの線で急性症状を起こさないほどに十分、威力が小さくなると想定するのはあまりに非科学的です。

そもそも福島第一原発事故を教訓とし、「あらかじめ異常事態の発生を仮定する」ならば、実際に起こったことだけでなく、起こり得たことのすべてが対象にならなければなりません。実際に起こり得たのは、いずれかの原子炉で冷却に完全に失敗し、原発サイトを放棄せざるをえなくなる事態でした。実際に東京電力は、一度そのように判断し、全社員を現場から退避させようとしました。
実際には現場にかけつけた人々の類まれなる努力と、幸運の重なりにより、事態の最悪の破局化は今のところ回避されていますが、あのときに事態がもっと拡大する可能性は十分にあったのであって、それこそが「仮定」されうるし、されなくてはならないものなのです。
反対にそれを「仮定」しないとするならば、その仮定を防ぐ仕組みが設計思想の中に盛り込まれていなくてはなりません。つまりそこまで事故が拡大しないプラントとして作らなければならないわけですが、そもそも過酷事故そのものが「設計想定」を超える事態なのですから、そんなことは不可能です。
過酷事故は、可能性としては事実上、どこまでも拡大しうる恐れのもったものなのであり、2011年に政府内で行った試算でも、少なくとも半径250キロ圏が避難しなければならない事態なども仮定せざるをえないのです。

ではこのPAZを半径250キロとして対策を練ることは可能でしょうか。かなり厳しいのが事実です。それでもやらねばならないのが、原子力災害の恐ろしさであることを私たちは見据えなくてはならない。原発が採算に合う合わないの話どころではないのです。
この点はどう考えたらいいのでしょうか。少なくとも半径250キロにも直接的な被害が及びうることを見据え、これに完璧ではなくても少しでもできる対策を積み重ね、少しでも安全マージンを増やしていかねばならないということです。
そのために最も有効なのは何か。第一に原発を絶対に稼働させないこと、現在、動いている大飯原発も即刻止めることです。動いている原発の方が危険性が格段に高いからです。第二に、今から廃炉を前提に各々の原発の燃料プールにある使用済み燃料の安全保管の作業を進めることです。
ここでもネックになっているのは、今に至ってもなお、原子力推進サイドが「使用済み核燃料の再処理」という無謀な計画を捨てていないことです。そのために使用済み核燃料を廃棄物として処理できない。この点を改め、さしあたって各原発サイトに、乾式の使用済み燃料棒格納装置を作り、そこに危険な燃料棒を移して、安全マージンを増やすことが防災対策の重要な柱です。

これらの対処を行いつつ、PAZについては、福島第一原発対策と、それ以外の原発対策とをわけ、距離を決めていく必要があります。繰り返し述べるように、4号機を考えたとき、半径250キロという想定が政府によってなされたのですから、それを適用せざるを得ないのですが、どうしても経済的にも社会的の無理だというのであれば、次善の策として、アメリカに習って半径80キロをPAZとすることも考えざるを得ないのではないかと思います。
この距離は、実際にアメリカが、自国民に対して、2011年の暮れまで立ち入り禁止区域と定めたものです。これとても十分であるとは言えませんが、これ以上の想定は難しいことを、国民・住民に十分説得した上で、とりあえずこのような想定を行うことはありえるのではないか、せざるを得ないのではないかと思えます。
これに対して、他の原発の場合、運転をしていないことを前提に、もう少し範囲を狭めても良いように思えます。その場合の科学的に妥当な数字もありえず、ここも政治的・経済的な判断をせざるを得ないと思いますが、これも同じように、国民・住民に、この線引きが十分な科学的根拠に基づくとは言えないこと、不十分なものであることを説明した上で、合意形成することが必要だと思います。

そもそもありうるすべての事故を想定するならば、私たちにとっての理想な災害対策は、日本を捨てて、原発から十分遠く離れた他国の地域に移住することです。4号機や食料汚染への不安から、実際にそのような選択をしている人々もいるわけですが、しかし大多数の私たちにとってそれは不可能な選択です。
だとすれば私たちの大半は、危険を承知でこの国に住み続けなくてはなりません。それが実際にあること、否定しようのない事実であって、それ自身は覆せないのですから、もはや受け入れざるを得ない。だとすればその危険性をしっかりと認識し、いざというときの対策を立てておくことが重要です。

ではUPZはどのように設定したら良いでしょうか。まず当然にも入るのは、福島第一原発から半径250キロ以内のすべての地域です。本来ならばPAZにも入りうる地域だからです。これで東北・関東の大半が入ってしまいます。ではその他の地域はどうかと考えると、もはや線引きの想定はむなしく、沖縄をのぞいた全地域をいれざるを得ないのではないでしょうか。
「確率的な影響を避ける」というのであれば、放射能を含んだ雲の到達地域の全てが入らなくてはなりません。それを考えると、沖縄をのぞき、日本の中に安全と言える地域はどこにもありえません。すべての地域が最寄りの原発の事故により、被曝しうる地点に入ってしまっているのです。だからそれへの対策を想定をせざるを得ません。

このように考えるとき、この「原子力災害対策指針」が、現実に起こりうる事故を非常に小さく見積もっていること、つまりこれこそが形を変えた原子力安全神話であること、「過酷事故は起こるかもしれないけれども、影響は大して広がらない」と言っているにすぎないことを私たちは批判しなければいけません。
実際に私たちが面と向かっているのは、日本の国力の総力を結集して対処すべき事態なのです。国家の存亡がかかっています。いや世界の存亡すらがかかっています。今よりも事故が拡大し、膨大な放射能が出れば、世界大で計り知れないほどの被害が広がってしまいます。
そのため各国にも、頭を下げて、4号機の倒壊の際の、可能な限りの対処をしてもらうことをお願いするしかありません。私たちの国が世界の人々を、危機の手前においやってしまっていることを、きちんと伝えなくてはなりません。

このような最悪の事態を想定することは辛いことです。どうしても、「そんな事態はやってこない、そんな想定は大げさだ」と考えたくなります。僕自身、そんな破局がやってこないことを心の底から祈っています。
しかしだから「ないものと考える」のであってはいけません。津波の被害ひとつ見たって、実は東電は、前からプラントが危機になる津波が起きる可能性を想定しながら、その可能性を「ありえない」と切り捨ててきたのです。
いやこの事故に限らず、この国のリーダたちは、先の大戦への対処を含めて、常に最悪の事態は、起こって欲しくない、だから避けようとするのではなく、ないことにしてしまって、時局への対処を大きく誤ってきたのです。その愚かさを繰り返してはなりません。

危機を見据えましょう。腹を決めて、対処を考えましょう。そのための災害対策指針を私たちのイニシアチブで作っていかなくてはなりません。そのために、原子力災害の危機を極端に小さく見せる原子力規制委員会の指針に批判を集中しましょう!

 

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明日に向けて(621)過酷事故を前提とした「原子力災害対策指針(原子力規制委員会)」を批判する!(1)

2013年02月11日 23時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130211 23:00)

福島第一原発事故を踏まえた、国の新たな「原子力災害対策指針」が、「原子力規制委員会」より昨年10月31日に打ち出されました。そこでは緊急時のおける判断や防護措置実施基準、および安定ヨウ素剤配布の基準が、検討課題として残されましたが、本年1月24日の会合でそれが決められました。
原子力規制委員会は、この原子力災害対策指針案へのパブリックコメントの募集を始めましたが、たったの2週間しか日をおかず、明日12日に締め切ろうとしています。非常に拙速です。

以下、昨年10月に出された「原子力災害対策指針」と本年1月に出された細目の付け足しのアドレスを示しますので、ぜひ参考にしてください。
また市民グループのFoE JAPANより、この指針に対する包括的な批判の文章が出されていますので、参考にしてください。パブリックコメントについては、締切が明日で、ギリギリの紹介になってしまって恐縮ですが、同じくFoE JAPAN から雛形が出ていますので、可能な方はぜひ挑戦してください。FAXやメールでの提出が可能です。


原子力災害対策指針
2012年10月31日 原子力規制委員会
http://www.nsr.go.jp/activity/bousai/data/saitai_shishin.pdf

原子力災害対策指針(改定原案)の概要について
2013年1月 原子力規制庁 原子力防災課
http://www.nsr.go.jp/public_comment/bosyu130130/130130-02.pdf

原子力災害対策指針(防災指針)に関する問題点
2013年1月30日 FoE Japan
https://dl.dropbox.com/u/23151586/130123_bousai_factsheet.pdf

☆みんなの声を☆原子力災害対策指針がパブコメに【締切2/12(火)】
2013年1月30日 避難の権利ブログ
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-0971.html


指針の概要と、包括的な批判については、上述にゆずり、ここでは最も重要なポイントを指摘しておきたいと思います。
原子力規制委員会が策定中の、原発の「新安全基準」と等しく、この原子力災害対策指針では、原発防災に関する重大な変更、一言で指摘すれば、過酷事故が起こりうることを前提とした対策が出されつつあり、この重大な意味をまずはおさえなくてはいけません。
これは従来の、「原発は5重のシールドで守られているから、環境に影響のあるような放射能漏れは絶対に起きない」としてきた立場からの大転換です。いわば「過酷事故は起こります。だからその場合の防災対策を決めます」と言いだしたということです。
僕はこの点が最も重要で、是非とも全国津々浦々で、この重大な意味を受け止め、大討論を巻き起こして欲しいと思います。

具体的なポイントを「指針」から引用します。

***

「前文」より
「平成23年3月に東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故が起こり、従来の原子力防災について多くの問題点が明らかとなった。」

「第1原子力災害」より
「原子炉施設においては、多重の物理的防護壁が設けられているが、これらの防護壁が機能しない場合は、放射性物質が周辺環境に放出される。その際、大気へ放出の可能性がある放射性物質としては、気体状のクリプトンやキセノン等の希ガス、揮発性のヨウ素、気体中に浮遊する微粒子(以下「エアロゾル」という。)等の放射性物質がある。
これらは、気体状又は粒子状の物質を含んだ空気の一団(以下「プルーム」という。)となり、移動距離が長くなる場合は拡散により濃度は低くなる傾向があるものの、風下方向の広範囲に影響が及ぶ可能性がある。また、特に降雨雪がある場合には、地表に沈着し長期間留まる可能性が高い。
さらに、土壌や瓦礫等に付着する場合や冷却水に溶ける場合があり、それらの飛散や流出には特別な留意が必要である。
実際、平成23年3月に発生した東京電力株式会社福島第一原子力発電所事故においては、格納容器の一部の封じ込め機能の喪失、溶融炉心から発生した水素の爆発による原子炉建屋の損傷等の結果、セシウム等の放射性物質が大量に大気環境に放出された。また、炉心冷却に用いた冷却水に多量の放射性物質が含まれて海に流出した。
したがって、事故による放出形態は必ずしも単一的なものではなく、複合的であることを十分考慮する必要がある。」

***

一見して明らかなように、この「防災対策指針」は、原子炉の「防護壁が機能しない場合は、放射性物質が周辺環境に放出される」ことを認め、それを前提にした防災対策を施すことを目的にしています。大前提として「私たちは過酷事故の可能性を承知で原発を動かします」ということが織り込まれているのです。
まずはこれを許容するのかどうなのかを、国民・住民の間で十分に論議しなくてはなりません。もちろん、僕はこんなもの、絶対に受け入れてはいけないと思っていますが、しかしこの最も重要な点を、どのマスコミもきちんと報道していない。だから「こんなものをみなさんは受け入れますか?」という点を広く訴える必要があるのです。福島原発事故前まで続いていた、「絶対に重大事故は起こさない」という大きな約束が捨てられていることをです。
この点をスルーさせてはなりません。このような「防災指針」を持ち出しただけで、即座に、すべての原発の永劫停止と廃炉を決するべきなのです。そのことを私たちはハイライトしていく必要があります。

そもそも、これまで原発の危険性を唱える多くの人々が、過酷事故の可能性を指摘していたにもかかわらず、原子力推進サイドがまともな防災体制をとってこなかったのは、この可能性を認めたくなかったからです。なぜか、認めれば運転ができなくなると想念されてきたからです。しかし今、事故があまりにも大きく、人々の感覚がともすれば麻痺もしている中で、過酷事故を前提にした運転に漕ぎ着けようとしているのです。
そのために拙速で作られようとしてるのが、新たな「防災対策指針」の中身でしかありません。このことに批判を集中しなければなりません。

そのことは実は次の点に如実に現れていいます。事実上、過酷事故を前提にするといいつつ、他方で、福島第一原発事故の重大な教訓をすっぽり欠落させていることです。それは福島第一原発4号機の燃料プールの問題です。
「原子炉施設においては、多重の物理的防護壁が設けられているが」と「指針」は書いていますが、それは原子炉内にある放射性物質のこと。使用済み燃料プールは、まったくそんなことはありませんでした。多重の防護壁なんか全くなかった。だから冷却できなくなって、すぐに大量の放射能が飛び出してきてしまいまいた。それがこの事故が明らかにした重大教訓でした。
しかも事故で壊れたプールからの核燃料の取り出しがあまりに困難なために、4号機の危機は未だに深刻なままに継続中です。大きな地震が原発サイトを襲った時に、再び現場が大危機に陥る可能性があります。最悪の場合は、溶け出した燃料棒に対処できなくなり、原発サイト全体を放棄せざるをえまえん。そうなれば、福島第一原発の全ての原子炉が破局を迎えてしまいます。(この他、共用の巨大燃料プールもあります)

したがって、「防災対策指針」には、福島第一原発事故の悪化、破局化の想定と、その対策を盛り込むことが絶対に必要です。その場合の避難計画は、政府が2011年3月にこっそり作ったもので半径250キロです。これを想定することは並大抵なことではありませんが、しかし現実に可能性がある以上、絶対にやらなければならないことです。
同様に、他の全ての原発サイトでも、たとえ運転が停止していても、同じ危機があることが見据えられる必要があります。その意味で、全原発の停止と廃炉が決定されてもなお、各原発での燃料プール事故を想定した原子力災害対策が必要です。
運転中の過酷事故の可能性を、運転の完全停止によって確保しつつ、なおかつ、停止後の原発が安全状態に達するまで、私たちは深刻な事故に備え続けなければならないのです。

そうなったらどうなるのか。もちろん放射能がどう流れるかなど、なかなか予測は立てにくいし、半径250キロ圏内の完璧な避難計画など、立てようもないでしょう。しかし何もしないよりはましです。とくに有効なのは、国民・住民が、それぞれで事故を想定し、覚悟を決め、いざというときの対処をシュミレーションしていくことです。
その場合、大事なのは「やらないよりやったほうがまし」「被曝は少しでも減らした方が有利」という観点にたち、今できることから想定をはじめることです。
安定ヨウ素剤についても、原発から250キロ圏内で容易する必要がある。とても全員分は無理でしょうから、子ども、女性など優先順位も決める必要があります。またこれだけ広範囲で服用すれば、副作用の発生の可能性は十分にありますから、その医療カバーの体制も考えていく必要があります。
一つ一つ、完璧には無理でも、今からできるだけの対処を積み上げることが大事です。そのためには貴重な血税を、目的の不明確な公共事業などに使うのではなく、この原子力災害対策にこそ投入していく必要があります。そのための専門要員も増やし、雇用創出もしていくと良い。原発関連施設の雇用をそこに配分していけば、合理的な体制の創出は可能なはずです。
そしてそのためにも、原発の完全廃炉と一緒に、安全対策が進められるべきなのです。その先には、どうあっても処理しなければならない、各原発内の膨大な核のゴミへの対処も待っています・・・。

ともあれ、過酷事故を前提とした運転など認めさせてはいけません。同時に、福島原発4号機が未だ大きな危機を抱えていること、またそれぞれの原発も運転が停止してもなお燃料棒がある限り、危険性があることを見据えた原子力災害対策を打ち立てることが必要です。
そのための具体的な方策としてぜひ行っていただきたいのは、みなさんのそれぞれの自治体が、どのような対策を行おうとしているのかを問い、そこへの可能な限りの市民参加を実現することです。この点についてはまた稿をあらためて提案します。

市民の努力でこそ、少しでも安全マージンを拡大していきましょう!

 

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明日に向けて(620)「私は自然保護という言葉は嫌いです!」・・・主原憲司さん談

2013年02月10日 22時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130210 22:30)

昨日、京都市伏見区醍醐で行われた、ナラ枯れ防除活動報告集会に参加してきました。 久しぶりに、わが師匠、主原憲司さんの講演を聞いて、心が洗われる思いがしました。
この内容をFACEBOOKに紹介したところ、多くの方が共感してくださってので、こちらにも紹介したいと思います。なお主原さんの考え方の一端を紹介した短い文章ですので加筆を考えましたが、たまには短い文章の方がみなさんも読みやすいかと考えて、このままに投稿します。主原さんの講演の詳しい中身については、おって投稿します。

主原さんは、この日の発言の冒頭で「私は自然保護という言葉が嫌いです」と話し始めました。「自然保護」とは、人間の側が都合よく自然を善悪に分けて、自分に必要なものを守ろうとしているに過ぎないからです。
コナラをカシノナガキクイムシから守ることも実はそうです。このムシたちがコナラなどナラ類と接触してしまったのは、温暖化という人為的な要因のためであって、悪いのはムシたちのせいではない。でも私たちは私たちの必要から、カシノナガキクイムシを「害虫」と読んで、駆除しているのです。
 
「害虫というのなら、自然環境にとって、最も害をなしているのは人間です。このことを忘れず、ムシたちの側から世界を見てください」と主原さんは呼びかけます。「いつもカシノナガキクイムシのコロニーを封殺しながら、アイ・アム・ソーリーと言い続けています」と主原さん。
講演で必ず主原さんが語るフレーズですが、今日も話しながら主原さんは目に涙をためていました。
 
企画のあとの交流会でも同じような話がでました。街の中のゴミを「荒らす」カラスたちの「困った行動」が話題になっていたのですが、主原さんはカラスの擁護者として登場。「コンビニが大量の食材を捨てるために、カラスが集団で集まるようになり、街のゴミも漁るようになりました。これをカラスの側から見て欲しいのです。悪いのは先にマナーを崩した人の側です」と主原さん。
実際、京都の鴨川などを歩いていても、トンビに餌をやっている人を見ることはありますが、カラスに餌をやっている人は見たことがない。トンビはかわいく、カラスは不気味で「悪者」と人の側が決めているのです。そんなこと、カラスの知ったことではない。
「うちでは、肉の脂身など、食べない部分をとっておいて、カラスにやることがあります。でもそれを人が見ると、なんてことをするんだということになりかねない。下手にカラスに餌をやると、カラスを呼び寄せているという批判にさらされかねません。でもカラスだってかわいいんですよ」とも。
 
ではなぜ木を守る必要があるのか。
「休みという字を思い起こしてください。人が木によりかかって休みになるのです。英語の森(forest)も、休息(rest)のためと書きます。人は木に寄り添ってないと生きていけないのです。人には木が必要なのです」と主原さん。私たちは木がないと生きていけないから、木を守る必要がある。申し訳ないけれど、カシノナガキクイムシの生を抹殺して、木を守っているのです。
 
自然保護・・・といっても、私たちは自然に手を加え、そこから命に必要なものをいただいている存在です。そのことを頭におき、謙虚な気持ちで、感謝の念を持ち、謝罪の念も忘れずに、自然の恵みをいただき続けていく必要があります。それを主原さんに切々と訴えられて、いつものことなのですが、あらためてその通りだと思いました。
主原さんの言葉を胸に、謙虚な気持ちで、明日からも歩んでいきたいです。

コメント (5)
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明日に向けて(619)国や東電を相手取った裁判を応援しよう!

2013年02月09日 23時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130209 23:00)

福島第一原発事故について、国と東電の責任を鋭く追求する2つの提訴が進行中です!ぜひ全国から応援の声を集めましょう!福島原発告訴団からの署名要請も。こちらもよろしくお願いします!
訴訟の一つ目は、福島・宮城・山形・栃木・茨城各県の被災者350人が国と東電に損害賠償を請求するもので、3月11日に福島地裁に提訴されようとしています。提訴者は、最終的に500人になる見込みだそうです。
2月8日に東京で記者会見が行われました。映像を以下からみることができます。ともにNHKニュースですが、二つ目は英語放送です。(英語圏の知人に知らせてください)

原発事故で国相手に集団提訴
http://www3.nhk.or.jp/lnews/fukushima/6055363451.html?t=1360377891332

Fukushima people to sue govt., TEPCO
NHK World Feb. 8, 2013 - Updated 11:23 UTC (20:23 JST)
http://www3.nhk.or.jp/daily/english/20130208_40.html

この記者会見に、ジャーナリストの津田大介さんが参加され、提訴に立ち上がった方たちの声を連続ツイートしてくださいました。ぜひお読み下さい。できるだけたくさんでシェアしましょう。
なおこの情報は以下からコピーさせていただいています。
http://togetter.com/li/452360

***

米沢のたけださん「米沢は生活困窮度が高い。健康問題でいうと、福島にいかないとホールボディカウンターが受けられない。日本中どこでもHBCと尿検査を受けられるようにしてほしい。福島への通勤の支援も必要。新潟はそうした通勤の支援がある」。

南相馬の金子さん「3.11の時、爆発したその夜に80近い兄夫婦を連れて相馬に避難した。私たちは、原発を後世に残しておきたくない。子ども達は東京にいるが、彼らはふるさとに帰って来られない。それは賠償、お金で済まされることではない。私たちの子ども達が南相馬で普通の暮らしをできるように戻してもらいたい。そのために私はこの原告団に参加した」。

浪江町の今野さん「今福島市に住んでるが、そこまで4つ避難所を変えながら移動した。今のところは5つ目。心の底から言えば賠償金より、相双地区を返してもらいたいという思いが強い。避難区域の解除を国はしようとしているが、それはイコール賠償打ち切りじゃないの。放射性物質の問題でいうと、放射能と人間は共存できない。一日も早く原発をゼロにして元の暮らしができる地域を作ってもらいたい」。

福島から米沢に避難中の新関さん「原発事故で私の家の中は1.2マイクロシーベルト毎時になった。高校はもっと高い放射線量になった。しかし国は安全だといって普通に高校生に部活をやらせていた。その状況を見て子供は自分で守らなければならないと思い、米沢に避難して、40kmかけて通勤してる。元の福島を返してほしいという思いから原告団に参加した。福島に残って悩んでいる人たちがたくさんいる。避難した人も悩みながら残っている人が一緒になって国や東電に訴えていきたいと思う」。

栃木の佐藤さん「事故以降、営業損害の請求を続けている。野田政権の冷温停止状態、収束宣言や国からの支援が決まって以降、東京電力は何かと理由を付けて賠償金の金額を削る方向に態度が変わった。特に風評被害については審査も厳しくなり、賠償金が削られている。風評被害については時効が成立してしまう可能性がある。それをさせないためにこの訴訟に参加している。栃木の黒磯が実家だが、雨どいの下は15マイクロシーベルト毎時あった。
那須塩原や黒磯は山菜がまったくダメになった。山菜採りができなくなったことがとてもくやしい。栃木は福島の隣だが、線量が高い地域もある。黒磯が寂れた町になってしまった。住んでいる高齢者の人も放射性物質に対して意識が麻痺してきている状況もある。マスコミの皆さんもこの問題をもっともっと取り上げてほしい。被害はまだ広がっている」。

茨城から沖縄に避難しているくぼたさん「沖縄には避難してきている人が多い。補償も何もないので大変なことも多い。避難してきた人が自主的に健康診断すると9割の人が何かしら異常な結果が出る。生活を根こそぎ失った人がいるのに誰も責任を取らないことが腹が立つし、加害者が誰なのか明確にしたい。言いたいことは山ほどある。許せないし、おかしいことだと思ってる。東電が起こした事故なのに普通の人たちが苦しまなきゃいけないか、分断されなきゃいけないのか。
原発も中で危険な作業をしている人たちがいるから私たちがこうして生活できている。敵は大きいが、みんなで一緒に立ち向かってこの状況を変えていきたい。皆さん力を貸してください」。

相馬新地のなかじまさん「事故以来漁業や農業が停止され、商品の仕入れが思うようにできなくなった。20km圏内で漁業も農業もできなくなった人たちは生活の基盤を根こそぎ奪われた。安心して水も飲めない。ことごとく前の生活がなくなった。沖縄に移住したくぼたさんの娘さんは検査をしたら甲状腺に異常が見つかった。しかし、旦那さんからは『生活も厳しいのになぜお前は沖縄に住み続けるんだ』と言われ夫婦の危機にもなっている。
首相官邸前デモが起きたとき、とても勇気づけられた反面、自分の生活を何とかしなければいけないという思いから福島から声をあげられないことに対して後ろめたい思いも生まれた。再稼働問題を見ていて、政府のやり方はおかしいと思った。我々は自分の生活基盤を作るのに必死だったが、それだけではダメだ。福島から声を上げないといけないと思った。提訴した今日をきっかけに福島県人としての責任を果たし、元の生活を勝ち取るために活動していきたい」。

この訴訟の弁護団は約70名。個別の事件の救済にも当たっている。事件の大きさに見合った大変な裁判であるし、国を相手にしたのは原発が国策で進められたという判断から被告にしているとのこと。.

***

二つ目は、東京、千葉、福島の被災者によるもので、やはり3月11日に、千葉地裁を中心に、幾つかの地方裁判所への提訴がなれようとしています。幾つかというのは、福島県から都内に避難してきた住民は東京地裁に、千葉県内に避難してきた住民は千葉地裁に、このほか別の弁護団が担当して、福島地裁と同地裁いわき支部にそれぞれ提訴するということです。
福島から千葉県に避難している人は現在約3000人おり、その中から数十世帯が参加するとのことです。
この2つの裁判はともに国を相手に原状回復を求めた初めての裁判になります。是非、応援しましょう!


一方で、こうした損害賠償請求裁判に先んじて、福島原発事故の責任者を刑事告発した、福島原発告訴団から、捜査当局に厳正な捜査を求める署名運動の要請が発せられています。捜査当局が、早くも「立件は困難」などの言葉を匂わせていることを牽制するものです。以下から署名できますので、ぜひご協力ください!

福島原発事故に関し、厳正な捜査・起訴を求める署名
https://docs.google.com/spreadsheet/viewform?formkey=dG1JOE5UbUtFNHBIY3dVQndVS1NvRGc6MQ&theme=0AX42CRMsmRFbUy0zODZjNDJiNy03M2Q4LTRmYWItYTNiMy05OTM4NDgwYmM3MTY&ifq

告訴団は2月22日には、東京地方検察署の包囲行動も準備中です。可能な方はぜひご参加を!詳しくは以下をご覧下さい。
http://kokuso-fukusimagenpatu.blogspot.jp/

国も東電も、あれほどの事故を起こし、もの凄くたくさんの人を苦しみのどん底に突き落としていながら、まだただの一人も逮捕もされていません。
損害賠償も信じられないほどの少額しか行っておらず、その対象も著しく限定されています。
責任者の告発と、損害賠償の請求は、こうしたあまりにひどい状態に対して投げかけられた正義の訴えです。ぜひ多くの声でバックアップしていきましょう!そのことが私たち一人一人の安全と尊厳を守るのです。ここが大事なポイントです。けして他人ごとではありません。

以下、2つの提訴の動きを報じた記事を紹介しておきます。海外の方々にも知っていただくため、英文も加えておきます。

************

東日本大震災:福島第1原発事故 福島などの350人、東電と併せ国提訴へ 賠償、原状回復求め
毎日新聞 2013年02月08日 東京夕刊
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20130208dde041040042000c.html

東京電力福島第1原発事故で避難を余儀なくされ精神的苦痛を受けたなどとして、福島県と近隣県の住民約350人が東日本大震災発生から2年となる3月11日、国と東電を相手取り、放射能汚染の原状回復などを求める集団訴訟を福島地裁に起こす。
弁護団が8日、福島市で記者会見し、原状回復に加え、慰謝料1人当たり月額5万円を求めることなどを明らかにした。原発事故で国を相手に原状回復の集団訴訟を起こすのは初めてという。
弁護団によると、国と東電には、原発事故による放射能汚染で奪われた暮らしや地域を除染や健康不安を取り除く措置により原状に回復させる義務があるとしている。福島地裁への提訴には現在約350人が参加し、最終的に500人以上を見込む。福島県内では、別の原告団530人が3月11日に、同地裁いわき支部に提訴する動きもあり、1月下旬に結団式を行っている。【蓬田正志、三村泰揮】

****

Fukushima people to sue govt., TEPCO
NHK World Feb. 8, 2013 - Updated 11:23 UTC (20:23 JST)
http://www3.nhk.or.jp/daily/english/20130208_40.html

People in northern Japan will file a class action lawsuit next month against the government and the operator of the accident-stricken Fukushima Daiichi nuclear plant.
About 350 residents of Fukushima, Miyagi, Ibaraki and other prefectures will participate in the action against the national government and Tokyo Electric Power Company.
At a news conference on Friday in Fukushima City, their representatives said they will demand that the defendants reduce the radiation levels of the areas where they have homes to those before the nuclear accident in March 2011.
They will also seek some 550 dollars per plaintiff per month in compensation for health concerns and indirect damage to their businesses.
They will file the lawsuit with the Fukushima district court on March 11, the second anniversary of the massive earthquake and tsunami.
The counsel team for the plaintiffs says this will be the country's first such a class action suit asking the defendants to restore living conditions to a pre-disaster state.
A Soma City man in his 50s plans to join the plaintiffs. He says he needs to show that current Japanese politics in which people's lives are measured against corporate profits is wrong.
Izutaro Managi, one of the counsel members, says he wants to clarify at the trial the government's responsibility, as it had been pushing atomic energy as a national policy.

*****

原発事故 国を提訴へ 東京への避難者ら
東京新聞 2013年2月8日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2013020802100003.html
 
東京電力福島第一原発事故で避難するなど被害を受けた東京、千葉、福島の被災者が、東日本大震災から二年を迎える三月十一日に、国と東電を相手に損害賠償を求める集団訴訟をそれぞれ各地裁に起こすことが七日、関係する弁護団への取材で分かった。弁護団によると、原発事故で国を相手に集団訴訟を起こすのは初めてとみられる。
福島原発被害首都圏弁護団や原発被害救済千葉県弁護団によると、福島県から都内に避難してきた住民は東京地裁に、千葉県内に避難してきた住民は千葉地裁に提訴する方針。このほか別の弁護団が担当して、福島地裁と同地裁いわき支部にそれぞれ提訴するという。

福島県から千葉県内に避難して、生活を続ける被災者は約三千人に上る。
千葉の弁護団が訴訟準備のために一月に開いた説明会には数十人が参加し、少なくとも十数世帯が原告に加わる意思を示しているという。
 
賠償額は算定中だが、一人当たり一千万円を超える可能性が高い。
都内への避難者は少なくとも五世帯が提訴する見込みで、さらに増える可能性があるという。
 
千葉の弁護団は、国を訴訟相手に含める理由について「国が過去に必要な規制をしていれば、事故はある程度防げた。国の責任を明らかにしたい」と説明。その上で「原発事業は国策民営の関係で、民法上の共同不法行為にあたる」と主張している。
原発事故をめぐっては、避難生活を強いられている被災者が各地で、東電に慰謝料などを求める訴訟を起こしている。

<共同不法行為> 複数の加害者が共同して不法行為を行い、他人に損害を与えること。民法719条では、共同不法行為が成立した場合、加害者たちは連帯して損害を賠償する責任を負うと規定されている。不法行為をそそのかした者や、手助けした者も損害賠償責任を負う。

 

 

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明日に向けて(618)森と生命を守るために!・・・ナラ枯れ防除活動報告集会(京都)へのお誘い

2013年02月07日 23時00分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

明日に向けて(618)森と生命を守るために!・・・ナラ枯れ防除活動報告集会(京都)へのお誘い

守田です。(20130207 23:00)

2月9日(土)午後2時より、京都市伏見区醍醐交流会館で、「ナラ枯れ防除活動報告集会」が行われます。僕も一聴衆としてかけつけるつもりです。
集会では、醍醐の日野ナラ枯れ防除活動と、左京区吉田山ナラ枯れ防除活動の報告が行われるとともに、京都府下を中心に、全国の山と森を飛び回って、生態系を守ってきた主原憲司(すらはけんじ)さんによる「自然保護とナラ枯れ防除活動について」という講演も行われます。
主原さんは、日本鱗翅学会会員の昆虫家で、ムシたちが住む木々や草花を熟知し、その植物が生えている森について何でも知っている、近畿の生態系の番人です。僕にとって、もう何年にもわたって、山の中で、あるいは森の中で、森について、ムシについて、それらへの人間の関わりについて教えてくださってきた自然フィールドの”師匠”です。

「ナラ枯れ」とは、ミズナラやコナラなど、ナラ類の広葉樹が次々と集団で枯れてしまう現象で、日本海側を中心に、ここ10年以上の間に、日本全国で甚大な被害をもたらしてきました。原因はカシノナガキクイムシという甲虫の温暖化を要因とする北上にあります。
主原さんは、この現象が起こり始めた1990年代から、あちこちの山を駆け巡って、原因を探り、やがてカシノナガキクイムシの害から木々を守りぬく方法を開発されました。しかし日本の山の多くの地域に影響をもっている、森林総合研究所や、各県の林業試験場などが、昆虫の生態を踏まえない誤った駆除方法を蔓延させたため、被害はとどまることなく拡大してしまいました。
これに対して、京都では主原さんの活動に共感した方たちが、幾つかの場所で主原さん方式による防除活動を行い、このたび醍醐の日野地域で、被害の終息を迎えることができました。詳しい内容は割愛しますが、ぜひその報告を聞きに来ていただきたいと思います。

ちなみに、私たちの国は国土の67%が森林に覆われています。世界でダントツの森林率です。これは雨が多い、私たちの国特有の気候条件に支えられたものですが、それだけで森林が守られてきたわけではありません。
とくに太平洋戦争時には、無理な戦争を続行するための燃料や材料として、各地で激しい森林伐採が行われ、森林率は45%に激減してしまいました。そのため禿山となった地域で洪水が多発し、戦後にいたっても伊勢湾台風時の被害を始め、たくさんの水害が私たちの国を襲いました。
その後、森林が回復したのは、一にも二にも、山里人々が、えいえいと、植林をしてくださったからです。その多くはお金にできる針葉樹林ですが、それがあったからこそ、今、私たちは安定して水を得ることができています。

みなさんのおられる地域の近くにも、必ず大小の川があると思うのですが、ぜひ、晴れた日にそのほとりにたって、目の前をとうとうと流れる水が、どこからやってくるのか、どうしてやってくるのかを考えていただきたいです。
なぜ雨もないのに大量の水が流れているのか。それは山々が、森が、雨をしっかりと受け止め、地中に水をたくわえ、そうしてゆっくりと、下に流してくれているからです。この本当にとうとうたる水の流れがあったからこそ、私たちの国は高度経済成長も実現できたのでした。
その意味で、現在の都会の繁栄は、えいえいたる山里の人々の、森を守り、育んできた活動によって生み出されたものだといえます。しかし都会は、山里にそのお返しをまってくしていません。

その後、私たちの国の山と森は、だんだんと荒廃を始めました。一つには、材木の価値が激減してしまい、林業が衰退し、山の手入れが十分にできなくなったからです。これと同時に、現在の気候変動が、激しいダメージを山々にもたらしてきました。
なぜか。私たちの国の国土は南北東西に長く、幾つかの気候帯をまたがっているため、植生の変化に富んでいます。それが山々の、他の国にはない多種多様性を作り出し、美しさの源になっているのですが、その条件そのものが、気候変動に非常に敏感な生態系を作りだしてもきているからです。
そうした事例の典型の一つが、ナラ枯れ現象です。カシノナガキクイムシは、もともと名前のごとく、カシノキをはじめとするカシ類に生息していました。長い寄生関係を作り出してきた中で、この虫は、宿り木を枯らすことなく上手に使ってきました。

ところが温度条件が変わり、平均気温が上がりだした。そうするとすぐに虫は北方へ、あるいは山の中では上方へと移動を開始します。ところが木々は移動できない。そのためそれまでナラ類と接触することのなかったこの虫が、ミズナラ帯、コナラ帯に入り込んでしまったのです。
カシ類は上手に使うカシノナガキクイムシが、ナラ類を枯らしてしまうのは、木の構造の違いの問題です。これがあって、本来、宿り木を枯らすのはその昆虫にとっても不合理であるのに、どんどん木を枯らしてしまった。虫たちはやむを得ず、周辺に移動していきます。こうして激しい集団枯損現象が生み出されたのです。
被害は日本海側を秋田県まで舐めるように進行し、現在、奥羽山脈を越境して、太平洋側に入り込みつつあります。

僕自身もこの問題とは随分、長い間、格闘してきました。とくに地元の京都では、観光でも有名な大文字山を守ろうと奔走を続けました。多くの方が手伝ってくださいました。無念なことに、さまざまな要因の中で、主要な部分を守りきれず、本当に悲しい思いをしましたが、それでも東山の中の一角を少しは守ったという自負を持っています。
とくに私たちが力を入れたのは、若王子山の頂上にある、「同志社墓地」の周辺でした。同志社大学はなんら手を貸してくれませんでしたが、現在、大河ドラマの主人公となっている、山本覚馬の墓を覆っている木々について、とくに入念な防御を施しました。
また、主原さんから、東北の福島県から岩手県にかけては、コナラやミズナラの純林が多く、カシノナガキクイムシが入り込んだ時の被害は尋常ではないと聞き、これらの地域に防除活動を広げたいといろいろと画策をしていました。コナラの密集している東北大学植物園を訪問し、学芸員の方とお話などしていました。

しかし福島原発事故が、その全てを吹き飛ばしてしまいました。放射線防護活動に走り出した僕には、とてもこの問題を継続する力が残っていなかったからですが、しかし福島を中心に東北・関東の山々が深刻な被曝を受けたことで、山に対する心配は一層募りました。いや今も募るばかりです。
放射線被曝と、カシノナガキクイムシの被害がどのような相関関係を持つのか、なんの調査も行っていない僕にはまったくわかっていません。しかし全体として温暖化によってダメージを受けていた森林に、膨大な放射能が降ってしまって、それで山々がそのままでいられるはずがないと確信しています。
例えば食材の中で、イノシシの肉や、シイタケが危険な中のトップクラスにあげられますが、それは山の生態系が深刻な被曝を受けていることを物語っています。私たちはキノコを避ければいいかもしれないけれど、動物たちはそんなことはできない。だからイノシシに放射能が溜まってしまうのです。その背後に、どれほどのイノチの苦しみが隠れていることでしょうか。

これらがどういう結果をもたらすのか。また放射能の害までもが加わった山と森をどうやったら守れるのか。僕にはすぐにこうだと言える知恵はありません。ただ言えることは、少しでも多くの方が、今一度、私たちの国の山と森に関心を持ち、感謝の念を持ち、何かできる努力を見つけていくことが大切だということです。
先にも述べたように、山が崩壊したら、雨量の多い私たちの国では、必ず水害が増えます。命の水が、恐怖の水に変わってしまうのです。だから森を守ることは、私たちの生命を守ることです。とくに三陸海岸では津波の甚大な被害のために、川べりにたくさんの仮設住宅が建っています。そこがとても心配です。そうした地域の上流から守っていくことが必要です。
しかし山に入ることは多くの場合、被曝労働にもなってしまうので、ジレンマばかりを感じますが、いずれにせよ、気候変動の上に、被曝が重なっている関東・東北の山々、その生態系を守るための知恵を、みんなで紡ぎ出していくことが大事だと思います。

課題は大きいですが、醍醐ではコツコツした活動で、ともあれカシノナガキクイムシの害の終息にたどり着きました。小さな一歩でも、そうして積み上げられた知恵を交換し合い、重ねてあって、次の一歩を見出していけるのではと僕は思っています。
この企画への、お近くのみなさんの参加をお待ちしています!

*****

醍醐・日野ナラ枯れ終息記念 ナラ枯れ防除活動報告集会
みなさんのご協力ありがとうございました!!

2年余にわたり、醍醐・日野ナラ枯れ防除活動も、昨年の12月8日のカシノナガキクイムシ駆除活動をもって終息することになりました。山の地主さん、自然保護団体、京都労山加盟の各山岳会のみなさん、日野を中心とした地域の皆さん、ご協力ありがとうございました。
2年余にわたるナラ枯れ防除活動のまとめとして、「活動報告・調査のまとめ」をご報告したいと考えています。また、専門家の講演や活動報告も計画しています。是非お越し下さい。
  
とき: 2013年2月9日(土) 午後2時開会     ※資料代 300円
 
会場: 醍醐交流会館  第2会議室
※地下鉄醍醐駅下車 パセオダイゴロウ―西館2階 ☎075-575-2580

企画: ●ナラ枯れ防除活動報告 
・日野ナラ枯れ防除活動 射場寿美子(やましな山の会)
・吉田山ナラ枯れ防除活動報告 榊原義道氏(北山の自然と文化を守る会代表幹事)
  
●講演「自然保護とナラ枯れ防除活動について」
主原 憲司氏
     
主催:いいまちねっと東山、勤労者山岳連盟自然保護委員会、
醍醐の自然を守る会、やましな山の会
 
問い合わせ:射場寿美子 090-3613-2346

 

 

 

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明日に向けて(617)福島原発事故の影響から心臓を守ろう!

2013年02月05日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130205 23:30)

1月31日の東京新聞に、東京都江東区に、福島県郡山市から避難していた49歳の男性の孤独死が報じられていました。原因は心疾患と思われるとのことです。ご冥福を祈りたいと思います。
東京新聞の取材によると、この方は震災直後から新潟、山形県で避難生活を送った後に、東京でのホテル暮らしを経て、2011年11月に、江東区にある国家公務員宿舎「東雲(しののめ)住宅」に入居されたそうです。
発見されたのは1月5日で、死後1ヶ月程度経っていたと思わるとのこと。記事のURLを以下に紹介しておきます。

原発避難の男性孤独死 東雲住宅、死後1カ月
東京新聞 2013年1月31日
http://www.tokyo-np.co.jp/article/feature/nucerror/list/CK2013013102100005.html

この方が亡くなった要因は何でしょうか。推論になりますが、まず考えられることは、避難生活による大きな心身のストレスがあったということです。「孤独死」とはなんとも淋しく、悲しい響きですが、辛く不自由な避難生活が心身にダメージを与えたと思われます。その点だけも福島原発事故の犠牲者です。
二つ目に放射能の影響があったのではと思います。ベラルーシー・ゴメリ大学にいた医師のバンタジェフスキー博士が、チェルノブイリ原発事故の犠牲者の遺体を解剖したところ、心臓にセシウムが蓄積し、心不全などを引きおこしていたことがわかったと伝えてくださっていますが、同じような影響があったのではないでしょうか。
無論、避難生活の心身へのストレスと、放射能のストレスの割合は、まったくわかりません。しかしこうした複合的な影響のもとで、心臓に深刻なダメージが与えられたと考えられるのではと思います。

実はこのところ、僕の下に、心不全による突然死の情報がたくさん寄せられてきています。例えばこのお正月に、福島市で20代前後の若者が、やはり心臓疾患によって突然亡くなってしまったことが伝えられました。
この悲しい知らせは、その若い方を直接に知っている方の娘さんからの情報で、信ぴょう性が高いです。また福島市内から関西に避難してきた女性からも、もといた町でお年寄りの突然死が多く、40代の方の死亡の情報も入ってきたとお聞きしました。
ただ僕はこうしたことに敏感なので、そうした情報が集まりやすい立場にもあります。それで数的にこうした心疾患による死亡が増えていると言えるかどうかを調べたところ、次のような記事を見つけました。

タイトルは「福島で心臓病患者が急増 狭心症は1.6倍に!」。「税金と保険の情報サイト」というところに2012年11月2日付で載せられたものです。
重要な情報なので、全文を引用したいと思います。

*****

福島で心臓病患者が急増 狭心症は1.6倍に!
税金と保険の情報サイト 2012年11月2日
http://www.tax-hoken.com/news_anuLQq9TpK.html

疑われる放射性物質の影響
福島県で心臓病患者が増えている。心筋梗塞(こうそく)などの心疾患全般に増加がみられるが、狭心症では特に1.6倍のペースで増加がみられる。内部被ばくの専門家、ユーリ・バンダンジェフスキー博士はセシウムが心筋を破壊する、としており影響が心配される。

福島市の病院で心臓病入院が急増
心臓病の増加を指摘するのは、福島市にある大原綜合病院付属大原医療センターの石原敏幸院長代理(57)。同センターで心疾患の入院患者数などを分析したところ、震災の前後で明らかな増加がみられたという。
震災前の2010年には、心不全143人、狭心症266人だった。2011年には心不全が199人に、狭心症は285人に増加した。さらに2012年は6月までの半年間で、心不全184人、狭心症は212人に達した。

国の対策からは漏れるセシウム禍
被災地などで死亡する人が増えていることは、国や県も把握している。復興庁では30日、国と県による震災関連死の検証・対策チームを立ち上げる方針を示した。
ただ同プロジェクトが想定する震災関連死の原因は、被災や避難によるストレスのみ。セシウムが心臓に与える影響は調査対象になっていない。

セシウム137が心筋に影響
世界的な内部被ばくの権威であるベラルーシのユーリ・バンダンジェフスキー博士は、セシウム137が心筋に蓄積することを発見。チェルノブイリ事故で汚染されたベラルーシで、その影響を調査した。
同氏の研究によると、20~30ベクレル/kgの内部被ばくで、不整脈の発症がみられるという。日本政府や福島県では、セシウムが心臓に与える影響を認めていないが、同様の大地震でここまで心臓病が増加したケースはない、とする報告もある。

*****

僕がこの情報に信ぴょう性を感じたのは、なんといっても市内の病院の院長代理の方が、実名で登場していることです。またこの病院をネットで調べたところ、僕が講演の際によくお話するホットスポットのある地域の近くの病院であることも分かりました。
ホットスポットとは、福島駅の北側にある信夫山を越えたさきの、ヤマダ電機の駐車場のことで、2011年5月に福島大学と京都精華大学有志を中心とした「放射能除染・回復プロジェクト」の面々が、150μSv/hというとんでもない値をここで計測しました。
僕が2011年10月に訪れた時でも同じところで、まだ12μSv/hが計測され、2012年12月17日に同所を訪れた時でも6μSv/hが計測されましたが、同病院はそこからやや北北東よりの北東方面にほぼ2キロ行ったところにあります。(福島市鎌田字中江33)
ただしこの「福島で心臓病患者が急増、狭心症は1.6倍に」という事態についても、僕はすべての要因を放射能に求めるのでは妥当性を欠くと思えます。やはりこの地域でも、いやこうした高線量地域こそ、そこに住まわれている方々には、耐え難いほどの心的ストレスが押し寄せています。それが心臓にとってダメージになっていることも間違いないです。

こうした心臓疾患をめぐる情報では、年頭に取手の子どもたちの心臓検診で、「要精密検査」との判断が多数あったことも報告されています。これについては以下の記事を書きました。

明日に向けて(603)取手の子どもたちの心臓検診で要精密検査が多数・・・健康被害との対決が問われている!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/2e4d9b740be0a994d71b1533afa3d3b2

ともあれこれらから明らかなように、今、あちこちで心臓への負担が増えています。考えてみれはある意味では当然のことだとも言えます。未曾有の大震災が起こり、なおかつ原発大災害が起こってしまったからです。
しかもそれに対する対処が本当に酷い。そのことによって、私たちは誰もが傷ついているし、心を激しく痛めているし、心身に不調をきたしているのです。
そしてそれにプラスして放射能の深刻な害が襲ってきていると、そう捉えるべきだと思います。僕はそれもあって、低線量の被曝の危険性はさらに大きいものになっていると思います。

これはあらゆる化学物質の被害を考えても分かることです。例えば化学物質過敏症の場合、コップから水が溢れ出すのと同じで、最後のほんの一滴の化学物質が大きな作用をもたらしてしまう。
まったく同じように、さまざまなダメージを複合的に受けていればこそ、放射能の害もより深刻に私たちに襲いかかってくるのです。事故後の政府や東電の開き直り、繰り返されるデータ隠しなどの一つ一つが私たちの心を苦しめ、放射能の害をより強いものにしているのです。

ではこれに対してどうしたらいいのか。僕が常に頭においているのは、尊敬する肥田舜太郎さんの次の言葉です。
「そういう被害をもう受けてしまったのなら、腹を決めなさいということなのです。開き直る。下手をすると恐ろしい結果が何十年かして出るかもしれない、それを自分に言い聞かせて覚悟するということです。
その上で、個人の持っている免疫力を高め、放射線の害に立ち向かうのです。免疫力を傷つけたり衰えさせたりする間違った生活は決してしない。多少でも免疫力を上げることに効果があることは、自分に合うことを選んで一生続ける」(岩波書店『世界』2011年9月号、守田のインタビューに応えて)

心臓疾患の可能性についても似たようなことが言えると思います。まずは腹を決める!ここが核心です。私たちの心臓が、福島原発事故によって・・・精神的にであろうと、放射能の影響であろうと・・・ダメージを受けていることをしっかりと見据えて腹を決め、覚悟を決める。だからくよくよせず、疾患に立ち向かい心臓を守るあらゆることをするのです。
この場合も、トータルには免疫力を上げることが核心ですが、同時に僕は、私たちが、心臓疾患そのものへの見識を深めていくことが大事だと思います。
心臓の病はある意味ではガンよりも恐ろしい。ガンで明日、死ぬことはありませんが、心臓ではすぐに死が訪れてしまいます。しかしその前にほとんどの場合は、予兆があるはずです。そのサインを見逃さない。自分や周りでそれをみつけたら、ただちに診察を受けて心臓発作を未然に防ぐのです。
このための知恵を紹介してくれるサイトなど、多数ありますが、とりあえず以下のものを紹介しておきます。

心臓病の症状と治療
http://eshinzo.com/

みなさん。見識を深めて、互いに互いの生命を守りましょう。
最も守らなければならないのは子どもたちですが、その子どもたちを守るには大人が必要です。だからすべての生命を守ることが大事だと僕は思います。
とくに高齢者や、何かの病をお持ちで、免疫力が下がっている方など、とくに危険です。互いに温かい心で接し合い、互いの心臓を気遣い合い、それで少しでも心疾患の発生を減らしていきましょう。一人ひとりが自分の心臓が、他の人にとっても大事なものであることを自覚し、他者のためにも自分の心臓を守りましょう。
よく何年後かに、病は急上昇していくという予想が語られます。僕もそうなってしまう可能性が高いとは思うのですが、しかし今はそれを少しでも減らすべきときです。座して数年後の結果を待っていてはならない!
私たちにはまだまだやれること、やるべきことがたくさんあります!生命を守る努力をみんなで重ねていきましょう!

 

 

 

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明日に向けて(616)大飯原発が7月停止の可能性! 背後にある原発生き延び作戦と対決しよう!

2013年02月04日 23時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130204 23:30)

現在、国内で唯一稼働中の、大飯原発3号機と4号機が、7月に稼働を停止する可能性が高くなりました。これを報じた東京新聞の記事から冒頭を引用します。

***

原発再稼働の条件となる新たな安全設備の基準づくりのとりまとめ役を務める原子力規制委員会の更田(ふけた)豊志委員は三十一日、「基準が施行された時点(七月十八日)で、動いている炉も満たしている必要がある」との考えを示した。
稼働中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県)が期日までに求められる全ての設備を整えられる可能性は極めて低い。九月の定期検査入り前に、運転停止に追い込まれることが確実になった。

***

これで私たちの国は、再び稼働原発ゼロの状態になります。それ自身は大変、喜ばしいことです。
しかしもともと、電力会社との癒着が指摘されてきた原子力規制委員会が、なぜ、どうしてこのような決定を下すのか、誰もが疑義を感じざるをえないと思います。それでこの大飯原発7月停止の可能性をいかに捉えるべきかについて、考察をしていきたいと思います。

まず押さえておきたいのは、再び稼働原発ゼロ状態が実現される可能性を生み出しつつあるのは、日本中に広がった脱原発運動の大きな成果だということです。
この点について、「明日に向けて」(611)で、現在、脱原発金曜行動が、少なくとも107都市以上で行われていることを紹介しました。

明日に向けて(611)全国107都市以上で金曜行動! さあ、もう一度、脱原発のうねりを!
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/cf2949a1eeb1ba84ba448692e9fc2dda

こうしたことに示されるように、私たちの国の中での脱原発運動の広がりは、本当に、ものすごいものがあります。政府も、電力会社も、原子力規制委員会も、これを無視することはできません。
そのために、「原発の安全性の向上」を歌わざるをえず、しかもそれが市民の監視にさらされているために、規制委員会が、電力会社に対して強い態度に出ていることをアピールする必要にかられています。そのためにあえて大飯原発を止めてでも、新たな安全基準を適用しているのだと思われます。
ここに働いている力学の主要なモメントは、危険な原発をやめさせようとする民衆の力です。デモス(民衆)のクラチア(力)が、原発推進サイドを押しているのです。このことをしっかりと踏まえましょう。

しかし二つ目に見ておくべきことは、原子力規制委員会の目指すものが、この民衆の力を「上手」にかわして原発再稼働の道を切り開いていくことにあるということです。
その点で指摘すべきことが二つあります。一つに、記事にもあるように、もともと大飯原発は9月には定期点検に入らざるを得ず、規制委員会が止めずとも、必然的に停止に向かわざるを得ないのであって、実は規制委員会はたかだか2ヶ月弱、それを早めるに過ぎないということです。
二つに、そもそも安全基準を満たしていないとして7月に止めるというのであれば、本来ならば、今、直ちに止める判断をすべきなのであり、この点で言えば、規制委員会は、自ら打ち出す「安全基準」を満たしていない大飯原発の7月までの稼働容認を打ち出したにすぎないと言える点です。

ここに見られるのは、原子力規制委員会が、あるいは実質的にそれと癒着している原子力ムラが、「規制」強化によって、市民の原発批判の矛先をかわしつつ、むしろこれを機に、老朽化した原発を捨て、「安全」をうたい文句として新たな原発の着工の可能性を開こうとしていることです。私たち民衆はこの動きと対決していく必要があります。
こうした原子力ムラや、経産省の、原発スクラップアンドビルトの指向性については以下の記事でも指摘しました。

明日に向けて(604)原子力規制庁と経産省が原発防火の不備を指摘・・・なぜ?
http://blog.goo.ne.jp/tomorrow_2011/e/ca90c89e036b12f8d7978f7cdded0eed

ここで引用した東京新聞の記事には、原子力規制庁と経産省が、古い原発の防火体制の不備を指摘したことを、「電力会社に古い原発の廃炉をのませ、代わりに新増設を進める作戦」と関係者が語っていたことが載っていましが、このように、市民の声を背に電力会社に圧力をかけているかのように装いつつ、原発の生き残りを画策しているのが、これらの人々の本音なのです。
そもそも「安全強化」という言葉そのものが、こうした意図を表しています。これらの人々が言いたいのは、「安全対策を強化すれば原発は問題なく運転できる」ということです。しかしそう言いつつ、実はこれまでこれらの人々が語ってきた「安全」からの大きな逸脱、ないしは転換がなされようとしています。
そうした点はどこに現れているのか。あるいは、原子力規制委員会による新たな「安全指針」のどこを批判する必要があるのかといえば、最も重要な点は次のことです。再び東京新聞を引用します。

***

この日、新安全基準に向け、設備面の骨子案が決まった。
格納容器の破裂を防ぐためベント(排気)をする際、放射性物質の放出を最小限に抑えるフィルターの設置を求めるほか、原子炉につながる重要な配管は多重化し、地震や放射線への対策を施した作業拠点も整備。冷却装置や電源系統も、固定式と可搬式の両方を用意する。

***

重要な点は、「格納容器の破裂を防ぐためベント(排気)をする際、放射性物質の放出を最小限に抑えるフィルターの設置を求める」というところです。
これまでも繰り返し指摘してきたことですが、格納容器とはそもそも、核分裂を行っている原子炉圧力容器の内部で何らかのトラブルが生じ、放射能が漏れ出してきたとき、それを封じ込めることを絶対的な役割として設計されているものです。
これがあるからこそ、たとえトラブルが生じても、放射能の環境への漏れは起こることはない、だから原発は安全なのだというのが、これまで繰り返し原子力推進サイドが言ってきたことでした。

ところが、今回の福島第一原発事故ではその大前提が崩れてしまった。圧力容器から漏れ出した濃密な放射能を含む水蒸気が、格納容器の中の圧力を、設計限界値の数倍まで上げてしまい、そのためにベントを行うことが決定されたのでした。
実際にはそれがうまくいかずに、とうとう原子炉に穴があく事態まで生まれたわけですが、しかしこのベントを行うこと事態、放射能を閉じ込めるべき格納容器が、自らを守るために放射能を放出するという、設計思想から言えばまったく自己矛盾したもの、それゆえ設計士から「格納容器の自殺」とまで呼ばれているものであって、プラントとしての自己破産を意味するものなのです。

そうであるがゆえに、福島原発事故が起こるまで、このベントは非常に曖昧な位置に置かれていたのでした。何のためにこれを付けるのかというと、「格納容器の破裂を防ぐために放射能を放出する」ためなのですから、これがあること自体、格納容器が壊れうる事故が起こることを意味するわけです。
しかし政府も原子力ムラも、その点を指摘されたくないがゆえに、これを「万が一のもの」だのなんのと曖昧な言葉でごまかし、自らも、実際に使うリアリティを想定しないできたのでした。そのためにアメリカなどでは取り付けられた放射能を低減するフィルターも付けませんでした。
そればかりか、ベントを行う権限を、電力会社に委ねていた。しかしベントは高濃度の放射能を放出する行為であり、人々に傷害を負わせることであるがゆえに、東電は、当初、刑事罰を恐れて、ベントをためらったのです。その後に、行う「決断」をしましたが、一部はバルブが固着してうまく開きませんでした。

ベントへのフィルター設置を行うというのは、原発が今回のような大量の放射能漏れを起こす可能性があることを認めることです。その場合に、「こう対処します」と言っているのであって、大量の放射能漏れの可能性そのものを、完全に抑え込むとは言っていません。
つまりこれまで言ってきた安全性が崩壊したことを前提に、「大事故が起こったときはこう対処します」と言っているのであって、実はとても安全性を高めるなどと言えるものではないのです。

百歩も、千歩も譲って、本当に原発の安全性の強化をするというのであれば、絶対に壊れない格納容器を開発すべきです。というか、それを開発した、だから原発は実用可能だというのが、原子力ムラがこれまで言ってきたことなのです。
それが福島の事故で破産した。だとしたら破産した事態を超えるべきなのに、そうではない方向を目指している。実はここに、破産した事態を超えることなどできないこと、つまり絶対に崩壊しない格納容器の設計など不可能であることを、すでに原子力ムラが悟っていることがはっきりとみてとれます。
だから、大事故が起こることを前提とした対策を始めた。それを「安全性の強化」といいなしているのです。

「ベントとは格納容器の自殺行為」だという核心問題は、元東芝の格納容器設計者、後藤政志さんが、福島原発事故の当初から繰り返し指摘してきたことですが、残念ながら、マスコミの多くが全く理解していません。
それどころか「なぜベントがうまくやれなかったのか」という論調も生まれましたが、核心はベントという装置がついていることは、大事故の可能性を織り込んだプラントであるということを意味するわけで、本来、あらゆるプラント設計において、けして許されないものなのだということです。
設計上、沈む可能性がある船、落ちる可能性がある飛行機、止まらなくなる可能性のある車と同じであり、設計ミスの産物でしかありません。つまり原発とは、ミスを克服できない、未完成の、あるいは永遠に完成しない欠陥プラントであることがここに大きく現れているのです。

私たちはこの点をもっと大きく強調し、全ての原発を即刻、廃炉にすべきことを訴えていかなくてはなりません。大飯原発停止の停止は私たち民衆の力が強制していることですが、けしてそれで力を緩めてしまわずに、7月にと言わず、大飯原発を即刻停止させましょう。原子力規制委員会の、原発生き延び作戦をストップさせ、すべての原発の廃炉を実現しましょう!!

以下、東京新聞の記事を貼り付けます。

*****

大飯原発7月停止へ
東京新聞 2013年1月31日 朝刊
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013013102000121.html

原発再稼働の条件となる新たな安全設備の基準づくりのとりまとめ役を務める原子力規制委員会の更田(ふけた)豊志委員は三十一日、「基準が施行された時点(七月十八日)で、動いている炉も満たしている必要がある」との考えを示した。稼働中の関西電力大飯原発3、4号機(福井県)が期日までに求められる全ての設備を整えられる可能性は極めて低い。九月の定期検査入り前に、運転停止に追い込まれることが確実になった。 

この日、新安全基準に向け、設備面の骨子案が決まった。
格納容器の破裂を防ぐためベント(排気)をする際、放射性物質の放出を最小限に抑えるフィルターの設置を求めるほか、原子炉につながる重要な配管は多重化し、地震や放射線への対策を施した作業拠点も整備。冷却装置や電源系統も、固定式と可搬式の両方を用意する。
テロや大規模災害に備え、通常の制御室とは別に、原子炉建屋から離れた場所に頑丈な第二制御室を整備。非常用電源を備え原子炉を緊急冷却できるようにする。
これらとは別に、想定できる最大級の津波が襲っても、敷地に浸入させない防潮堤の整備や、建屋内に海水が入り込まないよう頑丈な扉を設置するなど水密化も求める。

関電は、大飯で非常用発電装置の分散配置や防波堤のかさ上げ、防潮堤の工事を進めているが、完成は来年の見通し。作業拠点やベントフィルターの整備は二〇一五年度になる予定という。
仮に工事を前倒ししても、規制委の審査にパスする必要がある。更田氏は「一年かけるつもりはないが、数週間ということもないだろう」と話した。
大飯のような加圧水型原子炉は格納容器の容量が大きく、ベントフィルターの即時整備は求められないが、東京電力柏崎刈羽(新潟県)や中部電力浜岡(静岡県)、北陸電力志賀(石川県)など沸騰水型原子炉の原発では必須とされる。
沸騰水型の原発の再稼働は、早くても数年先となることも確実となった。
 
七月に大飯原発が停止に追い込まれる可能性について、関電の担当者は本紙の取材に「新安全基準の適用についてのルールが今後、決められていくと認識している。大飯原発の取り扱いの動向を注視し、決められた内容に真摯(しんし)に対応したい」とコメントした。

 

 


 

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明日に向けて(615)追悼!沖本八重美さん!!

2013年02月03日 22時30分00秒 | 明日に向けて(601)~(700)

守田です。(20130203 22:30)

みなさま
 
大変、悲しいお知らせです。
「沖縄県生活と健康を守る会連合会」事務局次長で、「つなごう命の会ー沖縄と被災地をむすぶ会」の共同代表の沖本八重美さんが、1月27日未明に逝去されてしまいました。沖本さんは、琉球大学名誉教授で、内部被曝問題のエキスパート、矢ヶ克馬さんのお連れ合いかつ同志でもありました。
ご遺体は自宅に戻った後、沖縄県那覇葬祭会館に運ばれ、29日に600名の参加の下に、告別式が執り行われました。翌日、30日に同会館を出棺し、昼前に火葬が行われました。
僕も訃報を27日に受け取り、29日、関空からの早朝便で沖縄に飛び、告別式と火葬に立ち会わせていただきました。沖本さんのお骨も拾わせていただきました。この一連のことから、告別式の様子をみなさまにご報告したいと思います。

まず初めに、沖本さんの生前の写真をご覧下さい。日本共産党沖縄県委員会のサイトに載せられたものです。普天間基地包囲行動の一コマです。彼女の人となりがにじみ出ている写真です。なおここからは彼女のことを八重美さんと呼ばさせていただきます。
http://ojcp.itigo.jp/pg588.html

八重美さんは、広島県の瀬戸内の島の出身。胎内被爆者でした。広島大学に入学後、社会矛盾に目覚め、やがて学生運動に参加。当時はまだまだ声をあげることが困難だった被爆者からの聞き取り調査を行うなどして、平和への確信を深めていかれました。
やがて広島大学大学院に進まれた矢ヶさんと出会い結婚。大学を卒業して、「広島民報」の記者として活躍を始めました。
ちょうどその頃、沖縄県民の熱き運動により、沖縄の本土復帰が果たされると、ご夫婦で沖縄の人々に何かの貢献したいと考えられ始め、矢ヶさんが沖縄大学に職を得るや、ともに沖縄に移住されました。

物性物理学を専攻されていた矢ヶさんが、物理学研究の基盤すら整っていなかった琉球大学に赴いたのは、沖縄の教育の基盤を自ら作り出すためでした。当時の琉球大学の給与は、広島での八重美さんの給与と、矢ヶさんのアルバイト代を足し合わせた額の3分の1にもならなかったそうですが、それでもおふたりは意気揚々と沖縄に赴かれたのでした。
八重美さんは沖縄に移ってからは、日本共産党の新聞、『赤旗』の記者となり、カメラマンとして各地の沖縄の運動現場を撮り続けました。やがて二人の娘さん、響(ひびき)さんと佳苗(かなえ)さんが生まれましたが、八重美さんは、彼女たちを背におぶって、写真を撮り続けられたそうです。
こうした長い活動を経てのちに、彼女は日本共産党沖縄県委員会の専従職員になりました。溢れるパワーと行動力で沖縄狭しと駆け回って行動し、同時に、心傷ついた仲間がいると、どこへで出かけていって、励まされたそうです。

東日本大震災と福島第一原発事故の勃発後は、福島や東北・関東から被曝を逃れるために沖縄に避難してきた人々を支援。「つなごう命の会ー沖縄と被災地をむすぶ会」を立ち上げて、共同代表になられました。この過程で、ちょうど矢ヶさんともども、定年を迎えられ、新築した家で悠々自適の生活をすることも考えられていたそうですが、実際には嵐のような日々に飛び込まれました。
「世の中の誰ひとり、見捨てられない社会を作る」との思いのもと、「生活と健康を守る会連合会」事務局次長の活動も引き受けられ、さらに普天間基地撤去をもとめ辺野古基地建設を許さない運動、米軍機オスプレイ配備反対の運動、沖縄への震災ガレキ搬入と焼却に立ち向かう運動など、赤旗記者時代、専従時代を凌駕しさえするような活動の毎日を過ごされました。たくさんの生命を救い、支え、抱え込んでの大奮闘でした。
これだけの活動と同時に、人々を内部被曝から護るために立ち上がり、全国を駆け回る矢ヶ克馬さんを同志として熱くサポート。2011年だけで145回もの講演をされた矢ヶさんを、いつも那覇空港まで車で送り迎えするなど、その激烈な活動を支え続けました。
矢ヶさんと僕が、岩波ブックレット『内部被曝』を上梓したときも、我が事としてとても喜んで下さり、まさに破れんばかりの笑顔でもって執筆の努力をねぎらってくださいました。
 

八重美さんが倒れられたのは熊本県でした。ご友人の古希の祝いの席にご夫妻で参加。前日に一緒に温泉に浸かり、とても楽しいひと時を過ごされたそうです。
その後、お祝いの席に参加。冒頭でスピーチを依頼され、矢ヶさんに続いて、とても熱の篭った、迫力あるスピーチをされたそうです。大きな拍手が起こり、ご本人も誇らしげな顔をして席に戻られたそうですが、その直後に倒れられて、意識を失われました。
八重美さんを襲ったのは心臓発作でした。すぐに居合わせた医師たちによる蘇生行為がなされ、救急車で病院に搬送。緊急の開胸手術が行われました。八重美さんも医師の方たちも、何時間にもわたって頑張られたそうですが、翌日未明に、とうとう帰らぬ人となられました。

八重美さんの死亡要因の詳細については、現在調査中だそうですが、僕は福島第一原発事故が、八重美さんに大きなストレスを与えたためだと思っています。いやそれは私たちの誰にも大変なストレスを与えています。
本当に酷い事故があり、そののちに本当に酷い対応が続けられている。憤慨しても憤慨しきれず、嘆いても嘆ききれず、なおかつ、人々の命、子どもたちの生命を心配しても心配しきることのないような事態が、もう2年近くも継続しています。
放射能の危険性を熟知する矢ヶさん自身、事故直後は、子どもたちを思うと眠るに眠ることができないとおっしゃっていましたが、誰よりも深い愛情を持っていた八重美さんも、本当に深く心を傷められ、そうして奮闘されたのだと思います。

しかも八重美さんは、そのようなときに己を顧みない方でした。自分の疲れなど忘れて、沖縄に避難してきた人々を支え、仲間を支え、同志である矢ヶさんを支え、その悩み、苦しみ、葛藤をシェアして奮闘されました。その一刻一刻がものすごいストレスとのたたかいであったはずです。
しかしもともと八重美さんは、明るく前向きな力を持った方であり、なおかつ誰もが驚くようなバイタリティーを持たれていて、誰も八重美さんが倒れるなどとは考えもしなかった。おそらくご本人もそうであったのではと思えます。そうして八重美さんは、人々のために走って、走って、走って、倒れられてしまいました。
あの事故で傷ついたたくさんの人々の心を支え、癒し、なおかつ人々にたたかいの方向を指し示し、たたかって、たたかって、たたかって、そうして倒れられてしまったのです。

八重美さんの発言の最後の結びがそれを象徴しています。八重美さんは、「今は困難な時代だけども、みんなで力をあわせて一緒に頑張りましょう。私も一生懸命に頑張ります」と、そう言われて発言を終えられたそうです。
「一緒に頑張りましょう」という言葉が、八重美さんがこの世で最後に発した言葉だったのでした。心の奥底から、絞り出すように、彼女はこのメッセージを発せられた。心臓に負担が来てしまうほどに強く、深い愛を込めて。


そんな八重美さんの突然の逝去は、誰にとっても大変なショックでした。友人から電話で一報を聞いたとき、僕は思わず「えっ」と絶句してしまいまいたが、僕がすぐに知らせた方も「えっ」と絶句しておられました。
本当にまさかのことで、誰もが考えていなかったことでしたが、悲しい知らせはすぐに沖縄を駆け巡り、本土に届けられ、多くの方々が八重美さんを見送るために、那覇に、沖縄へと向いはじめました。
こうして告別式には600人以上が参加。その3分の1は本土からではなかったかとも言われています。急きょフライトを手配するのは僕も大変でしたが、それを押して多くの方が駆けつけられました。

告別式は無宗教の形式のもと、ご家族を含む10人が次々と八重美さんに言葉を送る形で進められました。八重美さんの生前の姿が彷彿とするような発言が続きました。そのバックに電子ピアノで労働歌が演奏されて流されていました。
労働歌は激しいリズムを持ったものもありますが、とても柔らかくアレンジされ、「聴く人には分かる」とてもシックな曲調に変えられていました。「葬儀のときは労働歌で送られたい」というのが八重美さんの願いだったそうで、それを上手に果たしてくださった演奏でした。

発言の最後に、ご家族が立ちました。娘さんのうち、妹の松田佳苗さん、姉の矢ヶ響さんの順番で発言し、最後に矢ヶ克馬さんが話されました。
不確かな記録になりますが、だいたい以下のような発言がなされました。

***

佳苗さん
お母さんはいつも「母親らしくなくてごめんね」と言っていました。いつも人のために走り回っていて、幼い時はさみしい思いをしたこともありました。
でもお母さんは、自分の人生をしっかりと私に見せてくれました。自分の考えをしっかりともち、愛にあふれて生きる姿はとてもかっこよかったです。
自分の人生を歩んでいく上で、お母さんの生き方を見せてくれたことを感謝しています。お母さんの人生に交わることができて幸せです。お母さん、生んでくれてありがとう。

響さん
お母さんは太陽のようでした。空を飛ぶ鳥のようでした。いろいろなところを駆け回って、その話をしてくれました。聞いている私たちはその話を聞いて胸が温かくなりました。
そしてお母さんはときに台風のようでした。お母さんの怒りは、声を上げられない人たちの正当な怒りでした。
お母さんはまたいつも正直に生きていました。けして自分を曲げませんでした。娘の私はもう少し妥協した方が楽なのにと思うこともありました。でもその生き方が正しかったことを、今日、たくさんの方が来てくださって証明してくださっています。
おかあさん。これまで本当にありがとう。本当にお母さんが大好きでした。

矢ヶ克馬さん
八重美と私は、沖縄が返還される前の年に結婚しました。私はまだ院生で、八重美は、広島民報の記者でしたが、沖縄の人々の闘いに感動し、私たちも沖縄に貢献したいと思いました。
その後、私が琉球大学に職を得て、沖縄に一緒に行きました。八重美は赤旗の記者になり、カメラマンになりました。生まれた娘たちを背中におぶって、写真を撮り続けました。
八重美がすごかったのは、離島も含めて、沖縄の道をくまなく知っていることでした。どこかで疲れてしまった仲間があると聞くと、どこへでもかけつけて励ましていました。
そんな活動を私に「私は縁の下の使いばしりだよ。とても大切な仕事だよ」と語っていました。その名の通りの活動をずっとしていました。

私たち夫婦が熊本を訪れたのは、同じように働いてきた友人の古希の祝いに参加するためでした。
私たちはその会合の初めに発言をすることになりました。私が前座をつとめ、八重美がとても力のある発言をしました。
最後に「困難な時代ですが、一人ひとりが大切にされる社会を作るために、みなさん、力を合わせて頑張りましょう。私も一生懸命に頑張ります」と締めくくりました。
みなさんが大きな拍手をしてくれて、八重美も誇らしげにテーブルに戻ってきました。それからほんとうに1分ぐらいあとに、ドタっと倒れて、もう意識はありませんでした。
病院で一生懸命の手当を受けましたが、とうとう帰らぬ人になってしまいました。

私は八重美らしい倒れ方だったかなとも思っています。
最後にみんなで頑張ろうと力強く言って、彼女はそのまま去ってしまいました。
彼女に、「その言葉をみんなで守るよ、安心していいよ」と言って、沖縄に連れて帰ってきました。
八重美が遺した「誰もが尊重される社会を作ろう」という言葉を、私たちも一生懸命に受け継いでいきます。

みなさん、今日は本当にありがとうございました。

***

以上を持って、告別式は締めくくられました。その後、たくさんの方たちが残られて話をされていましたが、八重美さんが生前に関わり、告別式の裏方を担ってくれた若者たちが何人も残って、会葬者の住所のデータ入力をしてくれていました。
何時間もかけてその作業を終えた後、若者たちは八重美さんの柩を覗き込んでポロポロと涙を流し、嗚咽を漏らして、別れを惜しんでいました。生前の八重美さんがどれほどたくさんの人びと、若者たちに愛を送ったのかを象徴している一コマでした。


以上、八重美さんをみなさんと見送った一幕の報告を終えます。
最後に、僕も八重美さんに言葉を送りたいと思います。

 
八重美さん。
お疲れさまでした。本当によく駆けてくださいました。何時もとてもお元気でしたね。元気を出会うすべての人に振る舞って下さっていたのですね。
今、倒れられるのはさぞかし無念でしょう。でもバトンはしっかりと私たちが受けとりました。どうか、心安らかにお眠り下さい。どうか、後を心配されずに、お旅立ち下さい。
矢ヶ崎さんとご家族をみんなでもり立てます。約束します。避難されてきた方たちもみんなでケアします。だから、だから、休まれて下さいね。
僕も一生懸命に走ります。いつかまた八重美さんにお会いするまで、努力を続けます。だから今はさようなら。数々のことを、本当にありがとうございました!
 
沖本八重美さんの熱き思い、深き愛よ、永遠に。私たちの胸の中で永久に。
 
合掌
 


 

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