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明日に向けて

福島原発事故・・・ゆっくりと、長く、大量に続く放射能漏れの中で、私たちはいかに生きればよいのか。共に考えましょう。

明日に向けて(914)シノップのゲルゼで原発建設反対を訴える

2014年08月12日 18時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140812 18:00)

トルコから帰ってすぐの8月9日に二つの講演を行いました。
一つは立命館平和ミュージアムで行われている「平和のための京都の戦争展」関連企画。主催は「放射能からこどもを守ろう親の会」の方たち。
「なぜ、日本は原発をやめられないのか?」という演題を頂いて、1955年の日米原子力研究協定にまでさかのぼり、原爆と原発の歴史から今を紐解きました。
当日は台風の影響で朝から強い雨が降っていたのですが、それでも会場は朝10時の企画にも関わらず満員御礼!熱心に聞き入ってくださいました。
「日米原子力協定」についてはこれまでこのブルグでもそれほど取り上げてこれなかったので、今後、講演内容の紹介を行っていきたいと思っています。

午後からは「京都被爆2世3世の会」の学習会で、ヨーロッパやトルコへの訪問の報告をさせていただきました。
トルコ訪問の報告では今回のゲルゼ、シノップの訪問にも触れました。
そのため前夜に原子力協定と、今回のシノップ訪問に関するパワーポイント作成のために徹夜をしてしまいました!!
学習会には14人の方が参加してくださり、質疑応答も1時間とっていただけたので、詳しい説明をすることができたと思っています。

さらに8月10日には、琵琶湖の白雲山荘で行われている東北の子どもたちの保養キャンプに参加して、子どもたち相手の講演を行いました。
食と放射能に関することで、何をどう食べて身体を守るかのお話です。
今回も参加した子どもたち、とくに小学校低学年の男の子たちのレスポンスが素晴らしく、楽しい掛け合いのうちにあっという間に時間が過ぎました。
この内容についても先々、この場で紹介したいと思います。

さてこのように体はすでにトルコを離れ、日本に戻ってきていますが、トルコの旅の報告を続けたいと思います。ゲルゼ町訪問の続きです。

ゲルゼについたのは8月2日、ぢょうと夏祭り開催の日で、1日目は町の真ん中で行われたパレードや若者たちの踊りを見学させてもらいましたが、8月3日は夕方から反原発企画があり、講演者、パネリストとして参加しました。
その前の午後にホテルにドイツ、日本、トルコの各地から集まってきた数人でミーティングを開始。
というのは今回は、東京から参加したFoE JAPANの吉田さんが日本の「脱原発をめざす首長会議」からのシノップのメイヤーたちへのレターを持ってきてくれていたのですが、その存在を知ったトルコ人医師のアルパー・オクテムさんがトルコでも同じものを作りたいと切望。これとドイツ、日本でリンクしようと言い出したのです。
それでその場に居合わせたドイツ人2人、トルコ人3人、日本人2人で話し合いました。日本人は吉田さんと僕です。

どう作ろう、どんな名前にしようと話が盛り上がるのですが、吉田さんが「その前にまずトルコで首長会議を作らないと仕方がないのでは」と提案。
「そりゃそうだ」となり、「誰が中心になれそう?あそこの誰々は?その場合、予算はどこからとってくる?それで国際的な名前はどうする?」と話がどんどん進んでいきます。
再び話が全体の名称のことになったころに、吉田さんが「やはりその前にまずトルコで首長会議ができないと仕方がないのでは」と提案。
「確かにそれはそうだ」となり、「やはりあそこの彼を中心に?」となるのですが、やがて「あなたのところは予算とれない?それで日本の首長会議やドイツの方の支援はとれそう?」と話はループしていきました。

そんな感じで話がやや宙に浮いていた面もありましたが、ドイツ・トルコ・日本の民衆の連携で、核の時代に一石を投じて行こうとする語り合いへの参加は、それ自身がとても楽しいものでした。
ただ僕にとって残念だったのは僕の英語力が低くて、会話についていくのが精一杯でほとんど発言できなかったことです。
トルコ人とドイツ人と日本人の会話で、英語ネイティブの人はおらず、早いスピードではなかったのですが、なんとか聞くことはできても、意見を言おうと思っているともう話題が次に行ってしまう。あるいは細部が聞き取れなくて意見が出しにくかったりする。
せっかくトルコ、ドイツ、日本の仲間が集まって新しいことを一緒に作り出そうとディスカッションしているのに、自分の意見をうまく出せないのはもどかしい経験でもありました。「帰国してからこれまでの英語学習を抜本的に上回る猛特訓をするぞ」と決意した一場面でもありました。


さて夕刻になってこの日のメイン企画である反原発集会の場に移動しました。前日に若者たちの踊りを見学した海岸べりの場で、半野外ステージにもうたくさんの人が集まりだしていました。
中心にはゲルゼの町長さんも座ってくれています。役所の方たちが多数参加してくださっていたようでした。地元紙の記者さんたちも集まってきました。
夕方でも日差しはまだ熱いのですが、海風がとても気持ちいい。湿度が高くないので、日陰に入るととても気持ちが良いのです。そんな場での講演会でした。
午後6時半過ぎに企画がスタートしました。司会と町長の挨拶に続いて、トップバッターは僕!いつものようにプナールさんが通訳で横についていてくれて話が始まりました。

僕が訴えたのは、まずは安倍首相のオリンピック誘致の大嘘の話。この誘致、東京とイスタンブールが争ったのでしたが、そのときに安倍首相は原発はコントロールされているなどの本当にひどい嘘をついわたわけです。
「私たちの国の首相は大嘘つきです。みなさん、ぜひ騙されないでください」と語ると大きな拍手が起こりました。
その上で安倍首相の嘘を暴く形で話を進めました。一つに福島原発は今も深刻な状態を脱していないこと。1号機から3号機はメルトダウンしていて近づくことすらできなこと。4号機には危険な燃料棒がプールの中にあり、懸命におろしている最中であること、ただし燃料棒自身は1~3号機にもあるので危険性はまだまだ続くこと。
この他、汚染水は垂れ流され続けていること、凍土壁によって止めようとしてるがやってみたらうまく凍らずにこの面でも作業が行き詰っていること、また健康被害も拡大していて、福島の子どもたちの甲状腺がんがついに89人にもなってしまったこと。この他にもさまざまな健康被害が見えてきていることなどです。

さらにこうした状況の中での福島の人々の生活について触れました。2011年10月に福島市の御山小学校前で撮影した写真をもとに、福島の人々の放射線被曝に対する対応に開きがあり、バラバラになっていること、それが人々の対立にもつながり、とてもしんどい生活が強いられていることを紹介しました。
またたくさんの放射線測定室が立ち上がり、食材の放射能汚染を測って生活していること、そうでなければ安心が確保できない状態にあることも紹介しました。
こうした報告の時に、トルコの方たちは一様に顔をしかめ、胸を痛めながら聞き入ってくださいました。みなさんが福島の今、日本の今の痛みを分け合うように聞いて下さっていることが分かりました。
同時にシノップに原発ができてしまい、事故が起こったらどうなるのかもイメージしてもらえたように思えました。ともあれ会場のレスポンスが良いのですいすいと話すことができました。

このように原発事故が収束してないのに、安倍首相とエルドアン首相のトップセールスで原発の売買を決めるのはおかしい。「そもそもこの二人は僕には兄弟に見える」と語ったら、会場から爆笑とやんやの拍手!
そうなのです。エルドアン首相も、反対派のデモ隊に対して何度も戦闘警察をけしかけ、ガス銃の乱射で多数の人々を死にすら至らしめている暴力的な政治家です。
それだけではなくて、とにかく嘘つきなのです。これは僕の後でパネラーとして登場した方が繰り返し述べていたことでもありますが、事故の可能性や原発の必要性などについてもエルドアン首相は嘘ばかりつく。
前回の講演のときも、僕が「安倍首相は嘘つきだ」と繰り返したら、あとでトルコ人男性が寄ってきて「いやいや、うちの首相も大嘘つきだから」と語ってくれたのですが、真っ赤な嘘をついて政策をごり押しする姿は確かによく似ています。

だとするならばトルコの民衆と日本の民衆の力強い連携で、この悪い政治家たちを止めるのみ。そう決意を語ったところ、再び拍手喝さいが返ってきました。
最後に、前回シノップを訪れたときに写した写真をみなさんにお見せし、「この美しいシノップを何としても守りましょう。前回、僕は日本人としての責任を感じてここに来ましたが、その時にシノップの美しさに魅せられました。今回も責任もあってきましたがそれ以上に美しいシノップを守りたいです。頑張りましょう」と締めくくりました。
非常に大きな拍手が返ってきました。これだけの内容を通訳を含めて40分でお話しましたが、僕自身、みなさんに思いを伝えることができた、大切な思いを分かち合えた!という実感を持つことができました。
もちろんこれはプナールさんの見事な通訳によっても可能になったことです。僕の思いを的確に伝えて下さるプナールさんに感謝です。

その後に、吉田さんが発言されました。吉田さんは福島の人々の現状をもう少し詳しく説明。避難地域が非常に狭く限られていることを地図で示し、福島市や郡山市など、線量が高いのに自主避難区域とされて人々が苦しんでいることなどを説明しました。
また原発がすべて止まっているのに日本では電力が足りている現状についても説明。豊富なデータを使って説明してくださるので、僕が大雑把に話したことをさらに深めて下さるような形になりました。
この後に、トルコ人核物理学者で、アメリカ在住のハイレッチン・クリッチ教授が話され、続いてUCTEA CHAMBER OF MECHANICAL ENGINEERSに属するオーズさん(Oguz.turkyilmaz 英文表記)が話されました。
前述のようにオーズさんは、いかにトルコ政府が嘘ばかりついて原発計画を進めようとしているかを力説。こうした嘘に騙されてはならないと繰り返し強調されました。

すべてのパネラーの発言を終えてからディスカッション。会場からも次々と発言が続きます。前に来た時にも感じましたが、こうした時にトルコの方たちは質問よりも意見をたくさん述べる。
次々とマイクをとって熱い語りが続きます。プナールさんが懸命に訳してくれますが、なかなか追いつかないほどに熱した発言が続いていく。でもポイントを教えてもらえればだいたい雰囲気で言いたいことは伝わってくる。そんな感じで次々と発言が続いてきました。
やがてようやくあたりが暗くなりました。9時を過ぎていたでしょうか。集会が終盤を迎えました。
再び町長さんが出てきて、ゲゼルの名前の入った銀の皿を大きな赤い化粧箱をあけて貝のようにして挟んだものを発言者の一人一人にプレゼントしてくださいました。なんだかすごいものをもらってしまった。ありがたいです。

こうしてゲルゼでのメイン集会が終わりました!大役を果たせてほっとしました・・・。

なおゲルゼの夏祭りと集会の写真をFACEBOOKにアップしました。以下から写真が見れます。
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10203354999774048&set=pcb.10203355021654595&type=1&theater

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明日に向けて(913)トルコより帰国しました。さっそく京都などでお話します!

2014年08月08日 23時30分00秒 | 講演予定一覧

守田です。(20140808 23:30)

昨日7日にトルコより戻ってきました。
シノップを現地時間6日11時半に発ち、飛行機でイスタンブールへ。そこから午後5時半発のフライトで11時間飛び、東京・成田に日本時間午前10時半に到着。乗継を待って大阪伊丹空港に午後6時半に着きました。
乗り継ぎ時間を含めて25時間、空港へのアクセスを含めると28時間の旅でした・・・。

まだ報告の途中ですが、今回もとても実り多い旅になりました。成果を早急にまとめていき、ただちに次につなげなくてはと思っていますが、さっそく明日9日より講演を行います。
まずは明日午前10時より立命館平和ミュージアム「平和のための京都の戦争展企画」に参加してお話します。タイトルは「なぜ、日本は原発をやめられないの?」です。
過去からの歴史を振り返り、同時に、なぜ今、輸出までしようとしているのかについてもお話するつもりです。

明日は午後にもう一つお話します。京都被爆2世3世の会の学習会です。午後2時からラボール京都です。
タイトルはずばり「ドイツ・トルコ・ベラルーシの視察から学ぶ日本の現状と課題」です。

すでにお知らせしたものですが、講演会のスケジュールをお知らせしておきます。
なお8月末の篠山企画について明日に向けて(889)でお知らせした際に8月31日と書いてしまいましたが、正しくは30日です。この日も二つ企画があります。

以下、スケジュールをお知らせします。

*****

8月9日 京都市

2014 平和のための京都の戦争展企画

なぜ、日本は
原発をやめられないのか?

はじまりは、日米原子力協力協定 (1955)
核開発と密接に絡んだ原発導入の歴史に関してがっつり学びましょう!

なぜ、日本には54基もの原発があるのか?
なぜ、安全神話が生まれたのか?
なぜ、早々と収束宣言が出されたのか?
なぜ、深刻な事故を起こしたにもかかわらず原発を輸出したがるのか?
なぜ、事故を直視せず大嘘をついてオリンピックまで招いてしまったのか?

なぜ?を紐とくと今の日本の姿が見える
これからわたしたちにどんな困難が待ち受けているのだろうか?

8月9日(土)
午前10:00~12:00
おはなし 守田敏也さん

立命館 大学国際平和ミュージアム
ミュージアム2F 会議室資料代300円

主催 放射能からこどもを守ろう親の会
e-mail oya_nokai@yahoo.co.jp

チラシは以下から
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10203177036645081&set=a.3300903639751.2140616.1182740570&type=1&theater


***

8月9日 京都市

京都「被爆2世・3世の会」学習会のお知らせ

日 時 8月9日(土)14:00~17:00
会 場 ラボール京都(京都労働者総合会館)4階 第9会議室
お話 フリーライター 守田敏也さん
テーマ(仮題) ドイツ・トルコ・ベラルーシの視察から学ぶ日本の現状と課題
原発廃棄推進と放射能対策・原発事故被災者支援のために

昨年8月の「原発・内部被曝問題」学習会に続いて、今年も、原発・放射能対策・原発事故被災者支援等について学習会を行なうことにしました。講師は今年度も守田敏也さんにお願いしました。
守田さんは今年2月~3月ドイツ・ベラルーシ・トルコを訪問され、現地の詳しい状況を視察されてきました。これらの国、地域から見た日本の現状と課題についてお話しいただきます。
また『美味しんぼ』バッシングに象徴される放射能「安全神話」とでも言うべき状況があらたに繰り広げられようとしており、これに対する私たちのとりくむべき課題についてもお話ししていただきたいと思います。
学習会は「2世・3世の会」会員・賛助会員以外のどなたも参加できるオープン企画です。お近くの方、お知り合いにも是非ご案内下さい。

***

8月10日 大津市

保養キャンプにてお話。クローズドな会です・・・。

***

8月16日 大津市

~チェルノブイリ・福島原発事故をとおして放射線からの身体の守り方を考える~

こんにちは、びわこ☆1・2・3キャンプです!
私たちのキャンプは、東北や関東の放射線量が高くて外遊びが難しい地域のお子さんに、滋賀の自然の中で思う存分遊んで欲しいという思いから始めたキャンプです。
参加してくれる子どもたち、ご家族にもいろいろ学んで欲しい、地域の方々とも交流して欲しいということで、地域の方もお招きしてお話会を開くことにしました。   
今回お話してくださるフリージャーナリストの守田敏也さんは、3.11以降、何度も福島を始めとする東北を訪れ、震災や原発事故の被害に遭われた方々との交流、支援をされています。
また、防災危機管理と放射線防護などについて、行政とタッグを組んで研究を重ね、ご自身のブログ「明日に向けて」で情報発信しておられます。

午前のお話会では、小学生のお子さんにも分かる放射線から身体を守るお話。
午後は、大人向けに今年3月に訪れたドイツ、ベラルーシ、トルコ(トルコは8月初旬にも再訪)の取材報告をしていただきます。
みなさま、どうぞお誘い合わせて多数ご参加ください。

☆日時:8月16日(土)午前の部 10:00~11:30 午後の部13:30~15:00  
☆場所:日本フィンランド学校  大津市新免2-10-1 新免バス停より徒歩8分
☆参加費:無料
☆託児はありません。未就学児さんのご同伴は結構ですが、見守りはご家族でお願いします。
☆申し込み、お問い合わせ:Tel:080-5351-7569
E-mail:bun-kankmsnlk@ezweb.ne.jp  (井野)

チラシは以下から
https://www.facebook.com/photo.php?fbid=10203177101486702&set=a.3300903639751.2140616.1182740570&type=1&theater

***

8月23日 赤磐市

◎タイトル:第16回あかいわエコメッセ  ~原発のない明日に向けて~
http://kokucheese.com/event/index/177094/

◎日時:2014年8月23日(土)

 開場時間:13:00
 第一部: 13:30~15:00

 守田 敏也さん講演・質疑応答
 「フクシマの真実と未来への希望」

 第二部: 15:30~16:00
 蝦名 宇摩さん演奏会

 交流会:16:00~17:00
 守田さん、蝦名さんを交えて
 みなさんと交流のひとときを

◎会場:赤磐市立中央図書館多目的ホール
 〒 709-0816 岡山県赤磐市下市325 - 1
 TEL: 086-955-0076
 ※無料駐車場あり

◎料金:前売1,000円 当日1,300円
 ※前売券代金を当日会場でお支払いいただきます。
 ※申込完了メールが予約票の代わりとなります。
  プリントアウトして当日、受付にご提示ください。
  携帯電話の画面でのご提示でも結構です。
 ※できるだけ、おつりが発生しないようお願いします。

◎主催:あかいわエコメッセ実行委員会

◎後援:赤磐市、赤磐市教育委員会

***

8月30日 篠山市

原子力災害対策について講演
篠山市消防団、自主防災組合などが主催
午前10時より

詳細未定

***

8月30日 篠山市
お母さんたちが中心の会で午後に講演

詳細未定

***

9月13日 福井県小浜市

詳細未定

***

9月14、15日 長野県大鹿村

おやまの上でどんじゃらホイ!

原発について、軍隊「慰安婦」問題についてトーク

14日 午後7時半から
15日 午前10時から

 

 

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明日に向けて(912)イスタンブールからゲルゼへー脱原発町長に招かれて

2014年08月05日 10時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140805 09:00 トルコ、シノップ時間)

 
シノップの中心街のメチンさんのお宅からです。素晴らしい時を過ごしています。
昨日は通信環境が良くなくて、岡さんの文章の転載は3本までで断念しました。また試みますが、今回はその前に、この間、あったことをご報告します。
 
イスタンブール訪問の最後の日、8月1日は、朝から記事を書いた後にやはりホテルから歩いていけるトプカプ宮殿に向かいました。オスマン・トルコ時代の遺跡で今はミュージアムにもなっています。中でお祈りなども行われていますが、さまざまな旧王家の財宝も展示されています。
建物の内外を色とりどりのタイルで覆った部屋なども幾つもあり、とにかく美しい。全盛期の帝国の姿をかいま見るような気がしました。しかしあまりにスケールが大きくて、途中でも疲れてしまいました。
僕にとっては、「オスマン・トルコ」というこれまでは記号としてしか接することのなかった旧帝国がにわかにリアル化したことが大きく、とにもかくにももっときちんと歴史を学ばないとという思いが喚起されたのがトプカプ宮殿でした。
 
この日の夕方には再びプナールさんと合流し、東京からのフライトでこの日、イスタンブールに着いたFoE JAPANの吉田明子さんを迎えることになりました。プナールさんが選んだ合流地点はタクシムスクエアでした。2013年5月にこのスクエアの中のゲジ公園の使用をめぐって政府の方針に抵抗していたデモ隊に警官隊がガス銃を持って襲撃。合計で10名前後が亡くなった場所でした。
少し前についたので、問題のゲジ公園を取材させてもらいました。タクシムスクエアは基本的にはあまり造形物のない広い空間としてあって、人々がさまざまな催しに使えるようになっているのですが、その中のゲジ公園は日本で言えば東京の日比谷公園を少し小さくしたような感じの公園で、樹木も多く、噴水やベンチ、子どもたちの遊び間も設置してあって、人々が思い思いに憩おえる場でした。
夏のイスタンブールは全体として日差しが大変強いのですが、湿度が低く、海風も流れてくるため、木陰にいくととても快適です。そのためこの公園の中でも、木下で人々が輪を作って談笑していたり、ベンチに座ったまま気持ち良さそうに昼寝をしている人などがいました。
 
トルコ政府はこの公園の樹木をすべて伐採し、新たな建物などを作り、人々の自由な使用を阻害しようとしたのですが、そのためにたくさんの人の抗議活動を受けることになりました。とくにここ数年の間に政治活動に参加するようになった新しい世代、10代後半から20代の若者たちが積極的に行動し、一部では警官隊への投石などお起こり、衝突が激しくなったようです。
細かい経緯や今後の見通しは聞き漏らしてしまいましたが、それらの結果として、今なおゲジ公園は人々の憩いの場としての位置を保持し続けています。この素敵な公園が長く人々を楽しませて欲しいものだと思いました。
 
翌日早朝に空港に行ってゲルゼ方面に向かう飛行機に乗らなければならなかったこともあって、この日の夜はプナールさんのお宅に吉田さんとお邪魔して泊めていただくことになりました。プナールさん宅はタクシムスクエアからバスに乗って40分ぐらいだったでしょうか。海沿いの町にありました。
イスタンブールはボスポラス海峡を隔てて、ヨーロッパ側、アジア側という言い方をします。かつてリスボンからイスタンブールに向かっていたオリエント急行の終着駅がヨーロッパ側にあり、ヨーロッパから訪れた人々はそこで降りてボスポラス海峡を渡って、アジアに入るのです。僕らを乗せたバスも、近代になってアメリカが建てた大きな吊り橋を渡ってアジア側に入り、それからまた長く走って海沿いの町に着きました。
 
プナールさんは「私の家はとても小さいのであなたたちがくつろげるか心配です」とおっしゃっていたのですが、ついてみてびっくり。とてもきれいで広々とした美しい部屋が私たちを待っていました。そこにプナールさんが10年前に拾ったという猫ちゃんが。しかしこの猫ちゃん。毛並みが凄く美しい。とくにおなかから背中にかけての模様は、現代アートのパッチワークのようで拾われた猫とは思えないほどに上品な猫ちゃんでした。
この日は3人で近くのレストランにおもむいてケバブを食べ、すぐに部屋に戻ってビールなど飲みながら翌日に控えて寝ることになりました。
僕と吉田さんは互いにベッドに横になるや夢の中に落ちていったようですが、今回の私たちのゲルゼ行きの手配や、同時に行っているフセインさんという方の原発反対を訴えた黒海からイスタンブールまでの手漕ぎボートでのローイングイベントのプロモートをしてきたプナールさんは、ようやくそれから旅の準備を始めたそうで、この夜寝たのは3時頃だったそうです。
 
一行は朝5時に起床。荷造りをして近くのバス停まで行って空港を目指しました。空港の名前は忘れましたが、トルコ空軍の初の女性パイロットの名前を冠した空港だそうです。彼女はかつてトルコ政府が東部のクルドの人たちを激しく攻撃したときに爆撃を行った女性でもあるそうです。「それではクルドの人たちはこの空港の名を聞くと嫌な思いがするでしょうね」と僕が言うと、プナールさんが悲しそうに顔をしかめました。
 
朝8時半の飛行機でイスタンブールからサムソン空港に向かいました。およそ1時間のフライトでした。空港からはバスでゲルゼ町に向かうとのことだったのですが、町役場の方が車をまわしていてくださり、黒海沿岸をおよそ1時間半、快適にドライブしてゲルゼ町につきました。
案内されたのは海岸から少し小高い丘をあがったところに建っているリゾートホテル。きれいなプールが付帯していてなんだかびっくりしました。通された部屋も素晴らしいオーシャンビューに恵まれていて、1、2キロぐら離れたとことにあるゲルゼの中心街がよく見えます。思わず「わあ」と声を上げてしまうほどのゴージャスさでした。
この素敵なホテルは役場の所有だそうで、経費のすべてを持ってくださっています。もちろん食費もです。ありがたい。ゲルゼ町に感謝です。
 
ホテルには町長さんが待っていてくださいました。また前回の訪問の時にイズミルで一緒に講演させていただき、今回も講演でご一緒するアメリカ在住の物理学者、ハイレッチン・クリッチさんもすでに到着されていました。この他、前回のシノップ訪問のときに出迎えてくださったアシュキュルさん、ナヒデさんという二人のおばさま方も待っていてくださいました。
特にナヒデさんは今回の僕の訪問のきっかけを作ってくださった方です。前回のシノップでの僕の話にとても共感してくださった彼女は、ゲルゼ町長さんに同じような企画をゲルゼでもやりたいと強く進言。当日の僕の話がたくさんのマスコミで紹介されたこともあって町長さんも僕のことを知っており、それでは夏に呼ぼうということになったのだそうです。
 
このことが可能になったのは、ゲルゼ町長が非常に明確に原発反対の姿勢を貫いているからでもあります。この点では実は「今のところ一応反対」‥という感じのシノップ市長より立場がはっきりしているそうで、そのために町の経費で僕の滞在をまかなうことも可能になりました。
日本で僕は兵庫県篠山市で、やはり原発反対の意思を非常に鮮明に掲げられている酒井隆明市長のイニシアチブのもと、原子力災害対策検討委員会に委員として迎えられ、原発災害に関するレクチャーを繰り返させていただいていますが、こうした首長の存在は非常に貴重です。とてもありがたいし、今後、世界中でこうした首長さんたちのイニシアチブが強くなって欲しいものです。
 
実は今回はそうしたこともあって、FoE JAPANの吉田明子さんが、日本の「脱原発をめざす首長会議」の事務局に掛け合い、シノップ市長やゲルゼ町長への公式レターを書いてもらって持参してくださっていました。ともに核のない世界を目指そうと熱く書かれたもので、脱原発のムーブメントでは日本の首長たちからの初めてのレターになると思います。それを企画のときにセレモニーとして渡すことになりました。
さてその肝心の企画自身は8月3日に設定されていました。ゲルゼは2、3日が町をあげてのお祭りです。ゲルゼは海岸に面していて、海沿いにたくさんのオープンレストランがあり、そのすぐそばに漁船が繋留されている町ですが、この海岸沿いの場をメイン会場に二日間、さまざまな催しがされます。僕が参加する反原発企画はその中のメインの一つとして設定されていました。
 
2日夜にはオープニングセレモニーが始まりました。民族衣装で身を固めた高校生ぐらいの若者たち数十名が集まり、ブラスバンドも出てきて町の中心部にある、この国の創設者であるアタテュルクの銅像の前で一礼し、まずは町長さんが挨拶。その後に町の中での行進が始まりました。お祭り大好き人間の僕はそれだけでもう嬉しくなってしまい、パレードの前後を行ったり来たりして写真を撮りまくりました。
やがて海岸沿いの会場に着くと、若者たちがダンスを披露。集まったたくさんの人たちを楽しませてくれました。こうしてオープニングセッションは終了。
 
その後、みなさんと海辺の素敵なレストランで食事をすることになりました。この頃にはドイツから駆けつけてくれたアンゲリカ・クラウセン、アルパー・オクテムさんも合流しました。アンゲリカさんは核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部長を務めている方で、今後はヨーロッパの代表にもなられるそうです。僕は3月のドイツとベラルーシでの国際会議のときに仲良くさせていただきました。
アルパーさんは在ドイツトルコ人医師で、前回の僕のトルコ訪問をコーディネートしてくれ、同行してくれた方。あの時、腹痛で苦しむ僕の傍らでずっとケアしてくださった方でもあります。
ドイツからは僕を3月にヨーロッパ・アクション・ウイークの一環としてトルコに送り込んでくださったドイツのドルトムントを中心としたIBBという組織からファゼラーさんも来てくださいました。
IBBは2016年チェルノブイリ30年、福島5年に際しての大きな企画をうつつもりでいて、10月にポーランドで大きな国際会議をする予定でいます。そこに僕も紹介されているのですが、ちょうど彼女が僕のフライトチケットを予約してくださったばかりでした。ちなみに10月の会議には吉田さんやプナールさんも招かれています。
 
その場にシノップの反原発運動の中心人物であるメチンさんをはじめ、さまざまな方たちが集まってきてくれました。ハイレッチンさんをはじめ、英語の使える幾人かの男性が僕をブラザーと呼んでくださった。こういうのは嬉しいですね。
ここでみなさんと魚を中心とした美味しい食事をしたあと、場所を変えて飲みにいきました。トルコのレストランはお酒を出すのが一般的とは言えず、酒類のない店もたくさんあります。この日の食事の場でもお酒はなかったので、場所を変えることになりました。しばらく歩いてたどり着いたやはり海岸沿いのお店のそばでは夏祭りのメイン企画のひとつであるコンサートが継続中。喧噪の中でわーわーとやりとりがはじまりました。会話の中心はトルコ語、もちろん僕は入れません。プナールさんがそばにいれば訳してくれますが、こういう場はそうもいかない。そんな時はアンゲリカさんのそばにいると彼女がトルコ語も話せるので英語でそれを伝えてもくれる。そんな感じでわーわーやっているうちに気がつくともう12時過ぎ。やっとお開きになり、車でホテルに戻りました。
 
そのホテルではプールサイドで結婚式の宴の真っ最中。花嫁さんがずっとスポットライドをあびて踊っていました。何時までやるんだろう?少し離れたゲルゼ中心街からは海を隔ててコンサートの音が聞こえてくる。窓を閉め、それらの喧噪を遠く耳にしながらこの日は眠りの中に落ちていきました‥。
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明日に向けて(911)ハマースを理解する

2014年08月04日 13時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)
守田です。(20140804 13:30 トルコ・シノップ時間)
 
岡さんの翻訳文章の転載を続けます。
 
*****
 

京都の岡真理です。

本日、2本目の投稿です。
先ほどお送りしたアラステア・スローンの「アメリカのメディアが、パレスチナ/イスラエルについて、あなたに語らない9つのこと」に続いて、カタ・シャレットの「ハマースを理解する」をご紹介します。

「ハマスなんか理解したくない!」などとおっしゃらずに、どうか、ご一読いただければ幸いです。嫌うにせよ批判するにせよ、まずは事実をきちんと踏まえることが肝心だと思いますので。
著者のカタ・シャレット(Cata Charrett)は、英国ウェールズ地方のAberystwyth大学の博士課程で博士論文提出資格をすでに得ている研究者(Ph.D.candidate)です。2006年のパレスチナ評議会選挙以降のハマースとEUの関係について専門に研究しています。

日本の主流マスメディアは、ハマースについて言及するとき、「ガザを実効支排しているイスラム原理主義組織ハマス」と並んで「イスラエルの生存権を認めていないハマス」と説明します(昨日の「クローズアップ現代」でもそう言っていました)。
それだけ聞くと、「イスラエルの生存権を認めていない」=「イスラエルのユダヤ人の殲滅を企図している」=「和平に反対、ユダヤ人をパレスチナから追い出そうとしている」=だから、いつもロケット弾でイスラエルを攻撃している…というように思ってしまっても不思議ではありません。和平の障害となっているのはイスラエルの生存権を認めないハマース、問題が解決しないのは原理主義のハマースがガザを支配しているせいだと。

ハマースは本当に、和平を望んでいないのでしょうか?

シャレットの論考の結論を先にまとめておくと、先の「アメリカのメディアが…」でも論じられているように、ハマースは、1967年の境界線に従って、パレスチナ国家を建設し、長期にわたる停戦をする用意があると明言しています。また、ファタハとも和解し、民族統一政府を作ったように、政治外交路線で和平について交渉したいと考えています。

しかし、米国やEUは、そうしたハマースの政治外交努力を無視し、ハマースの実際がどうであろうと、あくまでもテロリストとみなし続けるイスラエルの方針に追随しています。

そうであるとすれば、和平を望んでいないのは、ハマースではなくイスラエルであり、イスラエルの方針に追随しているアメリカやヨーロッパ諸国こそ、紛争の永続化と犠牲者の増大に加担しているということになります。

主流メディアが、私たちに思い込ませたい問題の構図とは、まるで正反対の構図が浮かび上がってきます。

「パレスチナ人の帰還権を支持するユダヤ人」の声明に引用されていたマルコムXの警句が想起されます――新聞を読むときは気をつけて読まないと、抑圧されている者を憎み、抑圧をおこなっている者を愛するようになってしまう。

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http://mondoweiss.net/2014/07/understanding-hamas.html

ハマスを理解する

カタ・シャレット / Mondoweiss / 2014年7月14日

2006年、パレスチナの評議会選挙で勝利を収めると、新たに首相に選出されたイスマーイール・ハニーエは、ブッシュ大統領に書簡をしたためた。この書簡の中でハニーエは、彼の新政府が承認されることを求め、1967年の境界を国境とすることを申し出、長期にわたる停戦に同意した。

ハニーエは以下のように書いている。
「私たちは、民主的なプロセスで選ばれた政府です。」
「私たちは域内の安定と安全保障を重要視しており、それゆえ1967年の国境に基づいてパレスチナ国家を建設し、長期にわたり停戦することを申し出てもかまいません。」

「私たちは戦争屋ではありません。平和を創るものであり、私たちはアメリカ政府に対し、新たに選出されたパレスチナ政府と直接交渉をもつよう呼びかけます」とハニーエは書いた。同様に、アメリカ政府に、ハマースに対する国際ボイコットを終わらせるよう呼びかけている。「なぜなら、ボイコットの継続は、域内全域に暴力と混乱を煽ることになるからです。」

ブッシュ大統領はこの書簡に応答せず、合衆国はハマースとガザに対するボイコットを継続した。

2006年の選挙以来、ハマースはEUやアメリカの代表と外交的な接触を打ちたてようと繰り返し努力した。そのすべてが拒絶された。ハマースは民主的プロセスによって選出された。この民主プロセスをEUは歓迎し、資金も提供し、監視し、自由かつ公正であったと宣言している。ハマースと西洋の外交官とのあいだで秘密裏の非公式会合は継続して開かれているが、その内容はいつも同じだ。「カルテットの原則を受け入れなければ、我々は、お前たちを非合法組織として扱い続け、ボイコットを続ける」というものだ。
[カルテットの原則:カルテット(国連、EU、ロシア、米国)がパレスチナ政府を承認する3条件:1.イスラエル国家の承認、2.過去の合意事項の遵守、3.武装闘争の放棄――訳者]

2007年のワシントンとイスラエルのやりとりがリークされたが、その中で、イスラエルの諜報局長、アモス・ヤドリンは、「ハマースがガザを制圧してくれればイスラエルとしてはありがたい、そうなれば、IDF(イスラエル国防軍)はガザを敵性国家として扱うことができる」と述べている。

そして、まさにそうなった。ハマースが民主的選挙によってガザを掌中にすると、イスラエルはガザを敵性地区として扱った。そして、まさにこの瞬間も、それが起きているのを私たちは目にしている。イスラエルは、ハマースはテロリストだと述べ、西洋の指導者たちもこの方針に異を唱えなかった。それどころか、ハマースの指導者と外交上、会うのを拒絶し、新たに選出された政府に対するあらゆる融資をやめ、ガザの領土に対するイスラエルの完全制裁と封鎖を支持したのだった。イスラエルはハマースをテロリストだと述べ、ヨーロッパの諸政府とアメリカ政府はそれに従った。

この方針は、西洋政府の国策としてたいへん強力なものとなり、主流メディアの報道機関によるガザをめぐる発言はすべて、ハマースに対するイスラエルの「自衛権」、すなわち、イスラエルによるテロリズムからの防衛という言説に還元されることになった。ハマースはテロリズムと同義になり、ガザは「テロリストが匿われている領土」と同義になった。

そのようなものとしてイスラエルは、テロリズムから自らを守るためだと言って、誰ひとり介入する者のない、無差別かつ過激に不均衡な軍事行動という凶悪な贅沢を自らに与えた。西洋の諸政府および西洋の主流メディアの報道機関は、ハマースのアイデンティティについて暴力的に誤解した情報を買い、支持し、広め続けている。

私は、大勢のハマースのメンバーや指導者に会ったことがある。西洋の主流メディアの言説におけるハマースと、その行動やパレスチナ社会におけるその地位についての矮小化されレイシズムに満ちた誤解に、私は深く失望し、意気消沈している。2012年9月から12月にかけて、私はガザで3か月の調査旅行をおこない、ハマースのメンバーやリーダーたちと、2006年の選挙における彼らの勝利に対する西洋の反応について話をした。会話の中で彼らは、かくも根深く誤解され、誤って表象されていることについて、彼ら自身、抱いているフラストレーションと悲しみを語ってくれた。

ガザにおけるハマースの地域マネージャー、アフマド・マジュディは、外部の多くの権力が自分たちをテロリストと見なしていることを自分たちは自覚していると語り、その誤解は、イスラエルからの誤った報道に基づいているからだと説明した。

ハニーエ首相の顧問、アフマド・ユースフは、自分たちが西洋で間化され、悪魔化されていることを我々は知っていると言い、だからこそ、単にステレオタイプ化するのではなく、西洋の高官たちはここに来て、自分たちと会って、ハマースについて、そしてハマースの政策について、よりよく理解してほしいと語った。

ハマースは西洋の外交官に対して門戸開放政策をとっているとユーセフは言った。ハマースは承認され、外交的関係を結びたいと願っているのだと。しかし、合衆国とEUの国々の代表者たちは、新たに選出された政府を承認することを拒み、ハマースに対する財政的、外交的制裁を継続しているのだと。

ハマースのリーダー、ガーズィ・ハマドは私にこう語った。「EUはハマースに反対し、陰で脅しをかけ、失敗させたいと思ったのだ。世界に、我々はイスラーム主義者には権力の座に就いてほしくないと示すために。イスラーム主義者によって民主主義がもたらされてほしくなかったのだ」

■ハマース憲章の強迫的強調

西洋のメディアでハマースに関して論じられるとき、ほとんどの場合、ハマースの悪名高い1988年憲章で始まる。だが、ハマースの軍事的立場について強迫的なまでに狭隘な解釈をおこなう報道各社は、果たして一度でも、ハマースの政治的仕事について調べてみたことがあるのだろうか。

これら報道各社は、他の専門家の手による憲章の詳細な分析を読んだことがあるのだろうか。たとえば、メナヘム・クラインは次のように書いている。
「ハマースの政治要綱とイスラーム憲章のあいだの相違は、欺瞞でもなければ、言葉が空疎かつ無思慮に使われているからでもない。それらの相違は、ハマースが政治運動となったことによるプロセスの一部として、その考えの方向性が変化し、修正された結果、生み出されたものだ。」

ハマースは、憲章を取り消しはしないとクラインは説明する。憲章はハマースにとって、第一次インティファーダさなかに彼らが活動を始めたときに書かれた重要な歴史文書だからだ。しかしながら憲章は、現行の形態となったハマースを表すものではない。

現在のハマースをよりよく表す文書がある。2006年の選挙のマニフェストは、パレスチナ社会についてのハマースがより広い視野をもっていることを表している。起草したハーレド・フルーブが述べるところによれば、「マニフェストは、西洋諸国の政府や金融機関に要求されたいくつかの改革を実行するために考案されたと言える」。ところが、合衆国もEUの高官も、鈍感にも、ハマース憲章にとり憑かれ続けているのだ。

ハマースについてのこの還元主義的で具体的な読みを通して、西洋の高官は、ハマースの政治に目を閉ざし続けている。ハマースの創設者やパレスチナ立法評議会の現行メンバー、ハリール・アル=アーヤは、インタビューの中でこう述べている。

ハマースは、多くの場で、実に臨機応変だった。我々は戦略的なものと固定的なものをもっていた。たとえば、ガザとパレスチナのすべての党派による計画もあった。我々はそれに同意したのだ。今に至るまで、EUはこのイニシアティヴについて知らない。ハマースは以前からとてもフレキシブルだ。それに我々は、他の党派とともに、イスラエルとの合意も考えている。我々は、帰還権が承認されれば、1967年の国境を受け入れる。これはすごいことだ。だが彼らに害はない。出ていけというわけではないのだから。」

ハマースは、実用主義で臨機応変な政治的当事者だが、1988年の憲章にばかり焦点化することは、ハマースが今、どのような存在か、ということを完全に見誤ることになる。しかし、恥さらしなことに合衆国やヨーロッパ諸国は、彼らの無教養ゆえか、あるいは意図的にか、ハマース理解について誤った方向に引っ張って行こうとしている。ハマースやその活動について議論するとき、イスラエルの意図的な、人を不安に陥れるレイシズムの言説を繰り返していれば事足れり、であるかのようだ。

おそらくより困った問題は、一般の人々も、ハマースについてのこの恐ろしい誤解を鵜呑みにしていることだ。ツイッター、ブログ、報道記事に寄せられるコメントを見ると相変わらず、ハマースをテロリストと見なし、ガザの人々をテロリストの支持者と見なしている。ハマースについても、ガザについても、何も知らない人々が、イスラエルが、これはイスラエルの自衛の権利だと言っているから、という理由で、ガザに対する爆撃を支持して満足しているのだ。公衆の目には、悪質なことに、ガザの破壊もガザの人々の命の破壊も映らない。彼らはみな、テロリストの一団だと信じているからだ。

イスラエルはこの特別な政策を推し進め、広め、コントロールし、悲劇的なまでの成功を収め、その結果、西洋のリーダーや西洋の公衆のあいだに、幻覚状態がインストールされてしまったのだ。

■パレスチナの統一

2007年、ハマースとファタハはメッカ合意に調印後、民族統一政府を形成した。ハマースは、国際的承認を得て、ガザと自分たちの政府に対するボイコットを緩和するために、統一政府をつくることが奨励されていた。

合意署名後、ハニーエ首相は、主にハマースの代表で構成されていた第10期の政府を解散し、ファタハとハマースのメンバー同数ずつと無党派の代表多数で構成される民族統一政府を創った。これらの変化にもかかわらず、西洋の指導者たちは、ハマースのボイコットとガザに対する封鎖を継続した。インタビューの中でハマースのリーダー、アフメド・ユースフは継続するボイコットに対する不満を述べた。

「我々は彼らの政策にがっかりした。彼らは、約束したことを実行していない。彼らは我々に、「ハマースが民族統一政府を創れば、ヨーロッパはハマースに門を開きますよ」と言った。だが、不幸にも、統一政府を創っても、彼らは門を開かず、閉ざしたままだ。」

今、あれから7年がたち、ハマースに投票したことに対してガザの人々を集団懲罰するという暴力的な政策のあとで、ファタハとハマースがもう一度、[統一政府作りを]試みた。不幸なことに、今日、私たちはこの統一政府について語ってはいない。不幸なことに、今日、西洋の指導者たちは、この統一政府と関係を結んでほしいという彼らの願いを追いかけてもいない。

不幸にも今日、ファタハとハマースは、この統一戦線が、彼らの政治的主権の中で残っているかもしれないものを救い出そうとする試みにおいて、パレスチナ社会を強化するのをいかに助けるか、ということについて話してもいない。代わりに、私たちが話しているのは、相変わらず、イスラエルの自衛権と見なされているガザの爆撃についてだ。
テロリズムについてのイスラエルのナラティヴは、またもやハマースが政治的主体として統治する機会を破壊し、西洋の指導者たちは、愚かにも、あるいは悪意あって、これに共犯した。ガザの人々は、彼らをテロリストと見なすイスラエルの言説に還元され、今この瞬間にも続いている際限ない爆撃や絶え間ない攻撃を許している。

[翻訳:岡 真理]
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以上

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明日に向けて(910)アメリカのメディアがあなたに言わないこと(岡真理さん翻訳)

2014年08月04日 13時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)

守田です。(20140804 13:00 トルコ・シノップ時間)

以下、岡真理さんが7月30日に連続投稿された記事を転載します。
 
*****
 
みなさま
 
本日、これから3本の投稿をいたします(連投、お許しください)。

まず、このメールで、「アメリカのメディアが、パレスチナ/イスラエルについて、あなたに言わない9つのこと」をご紹介します。そのあと、「ハマースを理解する」と「ガザにおける集団懲罰」の2本をお送りする予定です。

「ハマースなんか理解したくない」と思われるかもしれませんが、読んでみてください。内容的にそれぞれ、密接な関連がありますので、順番に読んでいただければ幸いです。
企業メディアが必死になって歪め、私たちの目から隠蔽しようとしている、問題の本当の構図がどのようなものであるのか、見えてきます。

「アメリカのメディアが…」は題名どおり、アメリカの主流メディアが決して語ろうとしない9つの論点について紹介しています。(日本の主流メディアの報道とも、だいぶ重なるように思います。)

その9つの論点を先にご紹介します。

1.イスラエルは民間人の死を避けようと思えば避けることができる。
2.ユダヤ人の3人の少年たちは、誘拐された直後に殺されていた。
3.ガザは実質的に、野外監獄である。
4.アイアン・ドーム(イスラエルの迎撃システム)はイスラエルを護っていない。
5.イスラエルは2000年以来、1500人以上の子どもを殺している。
6.ハマースは二国家案を受け入れている。
7.ハマースはイスラエルに挑発的攻撃を受けてきた。
8.ハマースとファタハの統一は良いことである。
9.イスラエルは戦略兵器ではない。

6の「ハマースが二国家案」を受け入れている」の「二国家案」とは、1967年の境界線を国境にして、西岸とガザにパレスチナ国家を建設することをハマースが受け入れている、ということです。つまりオスロ合意におけるPLOと同じ立場だということです。
私たちはメディアによって、「イスラエルの生存権を認めないハマス」という言葉をこれまで耳にタコができるくらい聞かされているので、にわかには信じられないことかもしれません。
これについては、次の「ハマースを理解する」で、さらに詳しく説明されていますので、ぜひ、こちらもお読みください。

7の「ハマースはイスラエルに挑発攻撃を受けてきた」ですが、日本の主流メディアの報道だけ聞いていると、ハマースがイスラエルをさかんにロケット弾で攻撃するので、イスラエルの堪忍袋の緒が切れて、ついに自衛のための戦争を始めたかのように思ってしまいます。
でも、2012年11月の攻撃の停戦から今回の戦争開始まで、停戦合意を破り攻撃しているのは、むしろ圧倒的にイスラエル側であるという事実も、アメリカ同様、日本のメディアもぜんぜん報じていません。
これについては、たいへん分かりやすく図像で説明したものがありますので、こちらをご覧ください。
Infographic: Who violates ceasefires more, Israelis or Palestinians?
Ali Abunimah / Electronic Intifada / 07/24/2014 

http://electronicintifada.net/blogs/ali-abunimah/infographic-who-violates-ceas
efires-more-israelis-or-palestinians

さて、本稿の著者、アラステア・スローン(Alastair Sloan)は、不正、抑圧、人権をテーマとするイギリスのジャーナリス、作家。ガーディアン紙、アル=ジャジーラ等に執筆しています。著者のHPはこちら→ http://unequalmeasures.com/published/
なお、英語原文では、出典等、すべてリンクが張られています。出典や論拠を知りたい方は、オリジナルでご確認ください。

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http://mondoweiss.net/2014/07/american-telling-israelpalestine.html

アメリカのメディアがパレスチナ/イスラエルについて、あなたに語らない9つのこと

アラステア・スローン
Mondoweiss / 2014年7月29日

7月8日に始まったガザにおけるイスラエルの「プロテクティヴ・エッジ(保護の刃)作戦」全体を通して、合衆国のメディアは、選択的な報道や、歪んだ意見、イスラエルの立場を暗に支持する嘘のバランスを利用して、パレスチナ人に対しバイアスがかかっていることが日増しに明らかになっている。ザ・デイリー・ショーの司会、ジョン・スチュアートは最近、メディアはパレスチナ人よりもイスラエル人の生命により重きを置いていると批判した。

これは、今に始まった問題ではない。メディアのバイアスをモニターしている監視団体、フェアー(Fair)は2001年、NPR(国営公共ラジオ)が、イスラエルの子どもの死であれば、その89%を報道するのに対し、パレスチナ人の子どもの死は20%しか報じていないと発表した。2年後、学者のマット・ヴァイザーが「国際プレス・政治ジャーナル」誌に発表した調査報告によれば、ニューヨークタイムズは、イスラエル人の死を人格をもった人間の死として報道している一方、パレスチナ人の死はほぼ無視しており、また、情報も圧倒的にイスラエル側に依拠している。2012年11月の8日間のガザ攻撃のあいだ、CNNがインタビューしたイスラエル軍将校の数は、パレスチナ人の2倍に及んだ。

今日のガザ危機に話を進めると、バイアスは依然、存在している

最近の出来事についてのブルームバーグ・ニュースを見てみよう。「ハマースが停戦案を拒否したあと、イスラエルはガザの爆撃を再開」。ワシントン・ポスト「イスラエルは攻撃を停止、ハマースは停戦せず」。7月10日にワールドカップを観戦していた8人の若者がイスラエルのミサイルで殺されたことについて伝える記事の最初の見出しは、「ガザの浜辺のカフェにミサイル、ワールドカップ観戦の常連客と遭遇」だった。ニューヨークタイムズのお粗末な編集ぶりに感謝したい。

これらの見出しはすべて最終的に変更されたものだが、合衆国メディアにおいてパレスチナ人の苦しみがいかにして自動的に矮小化されるかをいくつかの点で象徴している。ダニー・シェサーが今日の危機について書いたエッセイ「イスラエルの広報はガザの大量殺戮をいかに売るか」は一読をお奨めするが、その中で、シェサーが言っているように、まさに「24時間延々と」。

では、合衆国のメディアは、アメリカの視聴者の目から何を隠しているのか?合衆国のニュースで、イスラエルについて、あたなが決して耳にしない9つの事実がある。

その1.イスラエルは民間人の死を防ぐことができる。

過去12日間のあいだ、イスラエルの攻撃は、1000人以上を殺害した。大半が民間人である。
イスラエルは、[これらパレスチナ人民間人の]死は、ハマースが、普通のパレスチナ人を人間の盾に利用している結果であると言い、おぞましい死者数もただ、肩を竦められるのが落ちだった。
2009年に遡ると、キャスト・レッド作戦のあいだ、国連総会の議長、ミゲル・デスコト・ブロックマンは、イスラエルはガザで民間人を標的にしており、国際法を侵犯しているとイスラエルを非難した。
ブロックマンは、攻撃を、「無力な、身を守る術のない、閉じ込められた人々に対する戦争」と呼んだ。「ガザ攻撃に孕まれる国際法の侵犯はしっかりと記録されている」と彼は付け加え、集団懲罰、[攻撃対象と]釣り合わない法外な軍事力の行使、そして住宅やモスク、大学、学校など、民間施設を標的にした攻撃などを挙げた。

イスラエルはどうしても民間を狙って発砲しなければならない、というわけではない。イスラエルはわざわざ、選んでやっているのだ。イスラエルの爆撃シェルターの包括的ネットワークを考えれば、ハマースのロケットなど、いずれにせよ、大した威力はない。これまでイスラエルで殺された民間人は3人だけだ。
イスラエル軍による「多くの死傷者をもたらす違法な空爆の長い記録」に注目して、ヒューマン・ライツ・ウォッチの中東局長、サラ・レア・ホワイトソンは、「イスラエル国防軍のメンバーの自宅ならどれでも、軍事的な攻撃目標として合法であると主張してもイスラエルは決して受け入れたりはしないだろう」と述べている。
IDFのスポークスパースン、ピーター・ラーナーは、記者たちから直接、質問されたとき、住宅が、ロケット攻撃のコントロール司令部として使われているといういかなる証拠も提示することができなかった。

その2.3人のイスラエル人の少年たちは、誘拐された直後に殺された。

事件調査ジャーナリストのマックス・ブルーメンサールは最近、6月、西岸のヘブロンで誘拐され、行方不明中の3人の少年たちが、誘拐されたその直後にすでに殺されていたことをイスラエル政府は知っていた、ということを明らかにした。だが、この事実は、公にはされず、その代わりに、行方不明の少年たちを捜索することで、西岸に暴力的な弾圧が広がった。
ブルーメンサールが言うには、ネタニヤフ首相は、誘拐に対する怒りを利用して、その後に続いた侵略的な軍事攻撃を正当化する十分な支持を醸成したのだった。

その3.ガザは基本的には、野外監獄だということ。

ガザの経済封鎖は、集団懲罰の一形態であり、それは、監獄の中で生きるようなものだと住民たちは言っている。軍の検問所や、強大なIDFの存在、高い壁などによって、ガザ地区は見た目も監獄だが、ガザを「監獄」たらしめているもっとも残酷な要素は、イスラエルが課す封鎖のせいで経済的自由がないことである。
イスラエルは、ガザ地区との国境の検問所を完全に支配し、制海権、制空権を握り続けており、これにより物資と人間の移動が制約されている。イスラエルは、[ガザから]軍隊を撤退させたので、それにより、ガザは占領されてはいない、と主張するが、イスラエルは依然、税制をコントロールしている。

これらの規制の結果、住民の68%が1日、1ドル以下の生活を余儀なくされている。対照的に、イスラエル人の平均は、その85倍である。
その監獄の内部で、パレスチナ人は、イスラエルによって内的にも支配されているために、十分な医療も、教育も、仕事も手に入らない。土地や作物、医療施設、学校や大学にアクセスし、家族や友人に会うのにさえイスラエル当局の許可が必要だ。

その4.アイアン・ドームはロケットからイスラエルを護ってはいない。

アイアン・ドームは、「ゲーム・チェンジャー(ゲームの流れを変える者)」と称賛される防御システムで、上院は、ハマースがイスラエルに向けて発射するロケットを迎撃するために設計されたこの軍事プログラム支援用に3億5100万ドルの予算を認めたばかりだ[7月22日]。
だが、ディック・ダービン上院議員がこの防御システムについてどれだけまくしたてても、国のミサイル防御システムとしてそんなにいいものではないように思えるのだが。

マサチューセッツ工科大学の物理学者でミサイル防衛の専門家であるテオドール・ポストルは、迎撃率を5%と見積もっている。防衛関連企業ラファエルのもと社員、モルデハイ・シェフェル博士その他の研究者と共同で、ポストルのチームは、「迎撃」のようすを何十本もヴィデオ撮影して分析した。
彼らの判定は? [迎撃が]成功したように見える爆発の大半は、実際には、アイアン・ドーム側のミサイルの自己破壊だった。合衆国の納税者にぜひとも知らせてあげた方がいいのではないか。

その5.イスラエル軍は2000年以来、1500人以上のパレスチナ人の子どもたちを殺している。

この数字は、「プロテクティヴ・エッジ」作戦が猛威を振るうなか、上昇の一途をたどっている。2000年以来、およそ1500人ものパレスチナ人がイスラエルの保安軍に殺害された。13年間、3日に1人の割合で殺されているということだ。同じ期間中、パレスチナ人が殺したイスラエル人の子どもは132人。

その6.ハマースは、1967年の境界に基づく2国家を受け入れている。

いや、本当だ。悪名高い1988年のハマース憲章は、2006年、評議会選挙でのハマース勝利を受け、事実上、更新され、ハマースは1967年の境界線に基づいたパレスチナ国家を受け入れると認めている。
2006年、イスマーイール・ハニーエ[首相]は、ブッシュ大統領に手紙を書き、「我々は地域の安定と安全保障を心配しており、1967年の境界を国境としてパレスチナ国家を建設し、そして、長期にわたる停戦を申し出てもかまわない」と述べている。
ハマースは、謙虚以上のものを示しているが、イスラエルのネタニヤフ首相自身は、パレスチナ国家など決して受け入れるはしないと語っている。

7.ハマースはイスラエルに挑発されてきた。

私たちが右派のレトリックやフォックス・ニュースを信じるのだとすれば、ハマースが、ガザにおけるイスラエルの強力な軍事攻撃を挑発しているということになる。
下院議長、ジョン・ボーナーは最近、ハマースを「イスラエルに対し攻撃的で、いわれのない暴力行為」を行っている非難した。
エリック・カンター下院議員も同意見だ。「イスラエルに対するハマースの非道で、いわれのない戦争は止めねばならない。」ハマースの戦術が嫌悪すべきものであるにしても、彼らの行動は予想可能であり、挑発されてきたのは彼らの方だ。

イスラエルはガザが港や空港をもつことを許さず、ガザが生産するものの大半の輸出も許さない。パレスチナ人は自分たちの土地の3分の1で働くことができない。イスラエルが、安全保障のための緩衝地帯としているためだ。
残忍な経済封鎖のせいで、ガザの5歳以下のパレスチナ人の子どもたちの10%が栄養不良による成長不良となっている。2010年、セイヴ・ザ・チルドレンの調査によれば、パレスチナ人の子どもの3分の2と、母親の3分の1が、貧血を患っている。

デヴィド・キャメロン英国首相は、2010年に、「ガザは強制収容所であり続けるのを許されてはならない」と述べ、次のように言った、「ガザの人々は、野外監獄で、絶えざる攻撃と圧力のもとで生きている。」
監獄の反乱を是認するつもりはないが、こんな監獄なら看守は言うだろう、「反乱は起こる」と。

8.ハマースとファタハの統一は良いことである。

6月に遡って、対立していたハマースとファタハの統一政府が発足した。
合衆国は、武装組織であるハマースが[政府に]入ることに憂慮を示したが、ハマースは、新政府と協働していく準備があると語った。
イスラエルのネタニエフ首相は、ハマースも加わった新政府を承認しようとはしなかった。首相はこれを、「後退」と呼んだ。共和党上院議員のリンゼー・グラハムは[新政府発足の]ニュースに嫌悪を示した。

「これは、イスラエルとの本格的和平交渉に対する、パレスチナ自治政府による挑発的行為である。パレスチナ人は、オバマ政権に対し恐れも尊敬もほとんど抱いていないのだということを表している」
おそらくビビ[ネタニヤフ首相の愛称]は、友人のトニー・ブレアと話をしたらよいだろう。首相として、ブレアは、1988年、北アイルランドで「良き金曜日」合意(北アイルランド紛争終結協定)を立案した。

「トラブル」――30年に及ぶ北アイルランドにおける暴力的な紛争はこう呼ばれていた――は、650名の民間人の命を奪った。その大半は、アイルランド共和国軍(IRA)のテロリストの手によるものだった。だが、彼らはようやく政治に参入した。それは、歓迎すべきことだった。テロリストがテロに代わって対話を選ぶとき、それは、前進するサインである。ネタニヤフはまだ、それを受け入れる準備ができていないのだ。

9.イスラエルは戦略兵器ではない。

アメリカ人の半数近くが、イスラエルを同盟国として見なしている。
共和党上院議員、トレント・フランクは、イスラエルのもっとも雄弁な支援者の一人である。彼は、アメリカは「この地上で我々のもっとも貴重な同盟」を護るための、自由の武器庫であると誓っている。友情の腕輪を編みながら、フランクは、「イスラエルはここに永遠にいる」と語る。

1948年春、大統領執務室に立ちながら、合衆国の国務長官、ジョージ・マーシャルは建国されたばかりのイスラエル国家を承認するかどうかについてトルーマン大統領に助言した。彼の見解は、ユダヤ国家を支援することは、より広いムスリム世界との関係を損なうだろう、したがって、中東の石油に対するアメリカのアクセスを危険にさらすだろう。彼はまた、中東がより広範に不安定化することを警告した。
トルーマンはこの助言を聞き入れなかったが、マーシャルの予言は的中した。2013年のピュー研究所の報告によれば、イスラエルのユダヤ系市民の90%が合衆国に対し好意的だが、イスラエルのパレスチナ系市民では42%だ。

中東のいずこのムスリムもそうであるように、アメリカの評判はここでも地に落ちている。結果、オサーマ・ビン・ラーディンに率いられた卑劣なテロリスト集団が、(いろいろある不満の中でもとりわけ)アメリカのイスラエル支援に腹を立て、アメリカ人を殺害した。
アメリカ大使館や戦艦や民間人を標的にした攻撃で成功を収めたあと、アル=カーイダは世界貿易センタービルを攻撃、およそ3000人のアメリカ人が一日で死んだ。だから、イスラエルはアメリカ人にとって戦略兵器なのか。むしろ、重荷ではないのか?

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以上
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明日に向けて(909)なぜ停戦だけでは不十分なのか(ラジ・スラー二さん。岡真理さん翻訳)

2014年08月04日 12時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)
守田です。(20140804 12:30 トルコ・シノップ時間)
 
トルコのシノップ・ゲルゼ町のホテルからです。
一昨日2日、ゲルゼに到着し、役所の方が用意してくださった素敵なホテルに滞在しながら、この町で二日間にわたって行われた夏祭りに参加し、その一環として、昨夜、町主催の反原発企画に参加しました。講演とパネルディスカッションに参加しました。たくさん集まったみなさんが大きな拍手で応えてくださいました。
今日は正午過ぎにゲルゼ町を後にして20キロ離れたシノップ中心街に移動します。夕方にシノップのテレビに出演する予定です。
 
大変、実りの多い時を過ごしており、ご報告したいことが山のようにあるのですが、今回はその前に、伝えることができずにとてもやきもきしていたパレスチナ情勢について記事を配信させていただきます。それも申し訳ないですが、連続5本の投稿をさせてください。すべて現地からの言葉やガザの人々を守ろうとする通信などを、京都の岡真理さんが翻訳されたものです。岡さんは独自のHPなどをもたれておらず、懸命になってさまざまにMLに連続投稿をされているので、少しでもWeb上に残る形にしたいのです。いずれも非常に価値の高い発信となっています。お時間のない方は後でまとめ読みされるのも良いかと思いますし、先々、この問題を振り返るためにも活用できると思います。
 
今、私たちにできることは、イスラエルの戦争犯罪に批判の声を上げ続けることとともに、パレスチナについて歪められた事実を把握し、問題のごまかされ方をおさえ、問題を正しく見る目を養うことです。僕はそのことが最終的にイスラエルの戦争犯罪を止め、さらに裁くことにもつながると確信しています。連投はとても申し訳ないですし、岡さんからのML配信と重複される方もおられるかと思いますが、どうかご理解ください。
 
なお今回紹介するラジ・スラー二さんの8月3日の発表によれば、パレスチナの死者は1817人であり、そのうちの1545人、85%が民間人だそうです。信じがたい数字です。戦争における民間人の殺戮は明確に戦争犯罪だからです。さらに僕は残りの15%の人たちの殺人も違法だと思っています。起こっていることはイスラエルの国際法を完全に無視した攻撃なのであり、ハマースの人たちはそれこそ国際法的に認められている「自衛権」を行使しているのに過ぎないのだからです。
 
もちろんあらゆる正義と平和と公正をめざす運動から、いっさいの暴力が無くなって欲しいと僕は切望しています。しかしそれは少なくとも今の世界で、建前的にせよ唯一認められている正当防衛の権利を放棄する中で実現されることです。世界を多くの人々とともにそこまで持っていきたいと思いますが、そのためにはまずは理不尽な、犯罪としての暴力をなくさなければ前に進めません。
 
今回、紹介するラジ・スラー二さんも、「停戦だけでは不十分」というタイトルにあるように、パレスチナで行われている理不尽な構造的暴力を無視する形で、とにかく停戦をという国際世論にありがちな見解への説得力のある反論をされています。ぜひここを読み取って欲しいと思います。これを読まれているあなたが、あらゆる暴力を嫌う方であるならば、なおさら、パレスチナの人々が何に抵抗しているのかを一緒につかみとっていただきたいです。
 
以下、岡さんの努力・奮闘に感謝しつつ、記事の連投を行います。
 
*****
 

京都の岡真理です。
攻撃27日目、ガザ地区南部、ラファでの攻撃で、死者の数は合計1800人を越えました。(日本の人口比に換算すると12万人以上です。)

ガザがパレスチナ人権センター所長、人権弁護士のラジ・スラーニさんの文章「なぜ、停戦だけでは十分ではないのか」をご紹介します。

文中、「ガザ・ドクトリン」という言葉が出てきます。これは「ダーヒヤ・ドクトリン」とも言われるもので(「ダーヒヤ」とはアラビア語で「郊外」の意味)、2006年夏、イスラエルがレバノンを攻撃する際に、用いた戦略
です。すなわち、人口が密集したベイルートの郊外の住宅地を、攻撃対象には不釣り合いな破壊兵器で攻撃することで、一帯を大規模に破壊する戦略です。2008-09年のキャスト・レッド作戦以降、この「ダーヒヤ・ドクトリン」が一貫して、ガザに対して使われてきました。

この二日間、集中的な攻撃に見舞われたガザ地区南部、ラファの写真を見ると、大津波で何もかも流されてしまった被災地のような状況を呈しています。

■■ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
http://electronicintifada.net/content/why-gaza-ceasefire-isnt-enough/13692

なぜ、停戦では十分ではないのか

ラジ・スラーニ

エレクトロニック・インティファーダ / 2014年8月3日

ガザ地区を襲っている死と破壊を、言葉で言い表すのは不可能だ。
ここガザで座っていても、何が起きているのか理解することさえ難しい。

先週、私たちはまたも、民間人が避難していた国連施設への攻撃――17名が亡くなり、120名が負傷した――を、そして、停戦中のはずの時間にシュジャイヤ地区の市場に対してなされた攻撃――18名が亡くなり、200名近くが負傷――を目撃した。

今日、ラファでは、イスラエルはまたも、何千人もの人々が避難しているUNRWA、すなわち国連パレスチナ難民救済事業機関が運営する学校を砲撃し、10名が殺された。イスラエルを滅多に非難しない合衆国の国務省さえ、この攻撃を「おぞましい」「恥ずべきこと」と呼び、非難声明を発表した。

これは悪夢だ。だが、それは、私たちが目覚めることのできない悪夢なのだ。

人口が密集した民間エリアと住宅を違法に標的とするイスラエルのガザ・ドクトリンは底知れぬ恐怖を与えている。

イスラエルはハマースに対し政治的圧力をかけるために民間人を意図的に懲罰している。イスラエルは、ガザ地区の180万の市民を集団的に懲罰しているのである。それ以外に以下の統計をどう説明できるだろう?

パレスチナ人権センター(PCHR)が集めた最新の数字によると、1817名のパレスチナ人が殺された。うち1545人――85%という信じがたい比率だ――が民間人、国際人道法で「保護されるべき人々」である。

何十万もの民間人が家を追われた。退避しろと命令されてのことだが、しかし、避難しようにも安全な場所などどこにもないのだ。民間人が避難している国連のシェルターは繰り返し標的とされた。発電所さえ破壊された。[電気がなくて]私たちの病院はどうしたら機能するのか。下水処理場は?安全な飲み水をどうやって手に入れたらいい?

■私たちの要求

この事態の真っただ中にあって、私たちは暴力が終わることを欲する。この恐怖、この苦しみが終わることを欲する。あまりに多くの子どもたちが死んだ。戦争犯罪が、私たちの日常的な現実になってしまった。

だが、停戦だけでは十分ではない。

私たちは、ジャスティスを要求する。[イスラエルが]責任をとることを要求する。私たちは、人間として遇されることを、私たちの生得の、人間としての尊厳が認められることを要求する。私たちはガザ地区の封鎖が終わることを要求する。

過去7年間、イスラエルはガザ地区を完全封鎖してきた。国境の扉を閉じ、イスラエルはガザを徐々に窒息させてきた。意図的な反開発のプロセスに私たちを従属させてきた。

目下の攻撃が始まる前、住民の65%が無給ないし失業状態だった。85%が、国際機関が配給する食糧に依存していた。ガザ地区では受けられない救命治療を必要とする患者たちは、ガザ出域許可の発給を拒まれ、死んだ。

封鎖下で生きること、それは[人間の]生ではない。私たちは、この現実に戻ることはできない。私は、さらに7年間、同じように生きることなど想像できない。封鎖は、希望がないことを意味する。ガザの若者たちに未来がないことを意味する。仕事もない。ガザを離れるチャンスもない。戦争になっても、私たちは逃げることができない。

だが、封鎖は、ガザ地区の現実の半分に過ぎない。もう半分は、法の支配がまったく存在しないことだ。戦争犯罪があっても、不処罰が繰り返されてきた。封鎖それ自体が戦争犯罪だが、これは、イスラエル政府の公式政策なのだ。

封鎖に加え、絶えず攻撃にさらされ、大規模な攻撃が頻繁に起こる。今回の攻撃は、封鎖が始まって以降、3回目の大攻撃だ。文字どおり何千人もの民間人が殺されてきた。さらに何千軒もの家や生活が破壊されてきた。

■完全な不処罰

これらの戦争犯罪が起きても、まったく裁かれることはなかった。キャスト・レッド作戦――2008年12月27日から2009年1月18日まで続いた大攻撃――のあと、PCHRは1046名に関して490件の刑事告訴を行った。それに続く5年間、回答があったのは44件だけだ。イスラエル当局は、残りの446件については回答しないことに決めたのだ。

その結果は?

兵士1人がクレジット・カードを盗んだ廉で7カ月の懲役判決を受けた。
兵士2人が9歳の少年を人間の盾に使ったことで有罪判決を受けた。それぞれ3か月の執行猶予。
兵士1人が、白旗を掲げていた一団に発砲し、女性2名を死に至らしめた件では、「火器の誤用」で有罪判決。45日間の投獄。

ここに公正さ(ジャスティス)など欠片もない。これらの絶えざる戦争犯罪の衝撃の大きさと、にもかかわらず結果的に処罰がなされないことが、私たちの尊厳そのものを否定し、私たちの人間としての価値を否定している。これらの判決は、私たちの命など聖なるものではないと言っているのだ。私たちなど取るに足りないものだと。

このような現実が存在するなかで、私たちの要求は過大なものではない。非現実的でもない。私たちは、平等な存在として扱われたい。私たちの権利を尊重し、それを守ってもらいたいのだ。私たちは国際法が、イスラエルにもパレスチナにも、イスラエル人もパレスチナ人にも平等に適用されることを求める。国際法の支配が実行されなければならない。その侵犯に責任のある者たちのすべてが、その責任を問われねばならない。

私たちは、戦争犯罪の疑いのあるものが調査され、それについて責任のある者が起訴されることを求める。これは不当な要求だろうか?

私たちは、この封鎖が終わることを欲する。イスラエルの封鎖政策の違法性は疑う余地がない。滅多にないことだが、国際赤十字はその公式声明の中ではっきりと、イスラエルの封鎖政策は集団懲罰であり、国際法を侵犯していると明言している。この政策が何をもたらしたかは、ガザ地区の現実を見れば明らかである。

私たちは、封鎖が解除されることを求める。私たちは、人間として尊厳をもって生きる機会が欲しい。これは、不当な要求だろうか?

これは政治的要求ではない。人間として扱ってほしいという要求である。

停戦だけでは十分ではない。停戦だけでは、この苦しみは終わらない。爆撃によって死ぬ恐怖が、じわじわと首を絞められて死ぬ恐怖にとって代わるに過ぎない。私たちは、イスラエルが好きな時に残忍な破壊攻撃でガタガタ言わせる檻の中の囚人に戻ることは出来ない。

[翻訳:岡 真理]
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以上

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明日に向けて(908)アヤソフィアの祈りを考える(加藤良太さんから)

2014年08月01日 09時00分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)
守田です。(20140801 09:00 イスタンブール時間)
 
イスタンブールのことを連投します。
昨日、ブルーモスクとアヤソフィア博物館のことを論じました。
FACEBOOKに関連する写真をアップしたのでご紹介しておきます。
 
 
さて、アヤソフィア博物館について論じたところ、友人でクリスチャンの加藤良太さんがこの深い歴史を持つ教会・寺院・博物館の歴史を詳しく紹介してくださいました。あの美しい場が「祈りの場として解放されていない」理由がよくわかる文章ですので、ぜひみなさんにも知っていただきたいと思い、加藤さんの了解を得て、転載することにしました。
 
僕はこうしたことをどんどん知っていくことが平和を築いていく礎になっていくと思うのです。以下、お読みください。
 
***** 

守田さんからも、早速イスタンブール滞在のご報告ありがとうございます。

早速、アヤソフィアの話が出てきましたので、一応、その筋(キリスト教)に「土地勘」のある者として、ちょっと補足を。

守田さんが、アヤソフィアが「博物館」になっていることに触れていますが、その理由として、第一次大戦後にトルコが「共和国」「世俗国家」になった後もくすぶり続ける、宗教的・民族的な緊張が背景にあることを知っておいていただければと思います。

アヤソフィアは、もともとローマ帝国時代以来のキリスト教の大聖堂で、
その一教派、東方正教会の首座にあたる「コンスタンチノープル総主教座」があった教会ですが、オスマン帝国の侵攻により、この建物がモスクになった後も、イスタンブールからキリスト教徒がいなくなったわけではありません。
コンスタンチノープル総主教座は、その場所をイスタンブール市内の元修道院「聖ゲオルギオス大聖堂」(現在も存在する)に移し、オスマン皇帝の許諾のもとに、オスマン帝国治下の正教会のキリスト教徒(地中海沿岸から中東にわたる幅広い領域に済む人々)に対して、聖俗一体の「共同体」として一定の統治権を行使する存在でした。それは、オスマン帝国が崩壊する第一次大戦まで続いたわけです。

しかし、第一次大戦の敗北により、多民族・多宗教国家であったオスマン帝国が崩壊、共和制・世俗国家だが「トルコ民族の国家」を標榜するトルコ共和国が成立し、すでに成立していたギリシャ共和国と領土紛争、境界画定が行なわれる中で、そもそもオスマン帝国の治下で混住していたムスリムとキリスト教徒が、ムスリムなら「トルコ人」、キリスト教徒なら「ギリシャ人」とされて、相互に「住民交換」という名の強制移住を強いられたことは、ご存知の方もおられるかと思います。

そのような中でも、トルコ国内にごく少数残ったキリスト教徒の人たちがおられて、その方々の共同体により、いまでもイスタンブールのコンスタンチノープル総主教座(聖ゲオルギオス大聖堂)は支えられ、コンスタンチノープル総主教も、その「ギリシャ系トルコ人キリスト教徒から選ばれています。(現在のコンスタンチノープル総主教バルトロメオス1世もそのような出自の方です)しかしその権威はキリスト教世界では大きなもので、カトリックのローマ教皇や、聖公会のカンタベリー大主教に匹敵する実力をもつ存在です。

トルコ国内では民族的・宗教的少数者でありながら、キリスト教世界で大きな権威をもつ、トルコ国内のギリシャ系キリスト教徒の共同体は、トルコ政府や多数派のトルコ人には「目障り」な存在で、今でもテロの対象になったり、政府から宗教活動への嫌がらせを有形無形に受けたりと、国内では苦しい立場に置かれています。
もちろん、彼らはアヤソフィアで祈りをささげたい、礼拝したいと願っているわけですが、(彼らだけではなく、全世界のキリスト教徒の宿願といっても過言ではないでしょう)このような状況では、トルコ政府は決して許諾しないでしょう。

一方で、モスクとしてムスリムのための祈りの場になるかといえば、それも微妙です。トルコ政府は「アヤソフィア」に向けられる、全世界のキリスト教徒の複雑な視線をよく知っていますし、トルコ国内のギリシャ系キリスト教徒の境遇について、常に国際的な批判にさらされている現状もあります。
その中で、あからさまにアヤソフィアをモスクとして再使用することは、トルコの国際的な評価に関わり、かつ、国内の民族的・宗教的緊張を激化させることにもなりかねません。ですから、アヤソフィアはあくまで「博物館」であるわけです。

ケマル・アタテュルクによってアヤソフィアが博物館とされた時期は、上記のように、現在のトルコが成立する一方で、民族的・宗教的緊張が高まった時期でもありました。そのような背景を踏まえて、今でもアヤソフィアが「祈りの場」として開放されない理由を考えると、より理解しやすいのかな、と思います。

では、引き続き守田さんのご報告を楽しみにしています。
よき旅となりますよう、お祈りしています!

加 藤 良 太 

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明日に向けて(907)ボスポラス海峡から世界を思う

2014年08月01日 08時30分00秒 | 明日に向けて(901)~(1000)
守田です。(20140801 08:30イスタンブール時間)
 
再びイスタンブールのホテルからです。
 
昨日7月31日、プナールさんのご案内でボスポラス海峡の観光にいきました。ここは黒海とマルマラ海をつなぐ幅3キロ、全長30キロの海峡です。黒海を出た船はこの海峡を通り、イスタンブールの南にあたるマルマラ海に出て、そこからダーダネルス海峡を通って地中海に出ます。さらにジブラルタル海峡を経て、大西洋に出れるのです。
 
この海峡は戦略上の要衝でもあり、古代から今日までさまざまなことが起こりました。そのため海峡には東ローマ帝国時代からオスマン・トルコ帝国にいたるまで各種の城壁も建てられてきました。今もトルコ軍の監視ポイントがあります。その前を時にロシアの黒海艦隊が通り過ぎたりする訳です。
 
このためこの海峡への支配権そのものが長らく争いの対象になってきました。とくに船舶が巨大化し、軍艦が増えた19世紀以降、ロシアの南下を押さえたいイギリスが国際条約で軍艦を通過させなくさせ、ロシア黒海艦隊を封じ込めるなどしましたが、第二次世界大戦後は、自然にできた海峡は国際的なものであり、どこの国のいかなる艦船も自由に通航できることになっています。
 
しかしトルコにとってはイスタンブールのそばを各国軍隊が自由に通過することは不安や危険性を伴うことでもあります。実際、東西冷戦が活発なころは、この海峡周辺でアメリカと旧ソ連の艦艇がにらみ合ってもおり、軍事衝突があった場合、トルコはすぐさま巻き込まれかねない位置にありました。
 
実際、旧ソ連海軍黒海艦隊は、有事には即座にボスポラス海峡からマルマラ海、ダーダネルス海峡を制圧するために、海軍陸兵隊や海軍航空隊も配備していたのであり、トルコの不安には十分な理由がありました。また近年ではますます船舶が巨大化し、大型のタンカーが行き交う中で、接触事故なども増えるにいたり、トルコには自由な航行を懸念する十分な理由があると言えます。
 
このためトルコは現在にいたるまで、第二次世界大戦前の1936年に締結されたモントルー条約を尊重する立場にありあす。これはこの2つの海峡、およびその間のマルマラ海の通航制度を定めたもので、商船の航行の自由を保障しつつ、一方で航空母艦の通航や8インチ以上の口径の主砲を持つ軍艦の航行を禁じたものでした。航空機の海峡上空の通過にも制限を加えました。
 
この条約の存在が大きく浮上する事件が近年ありました。ソ連海軍時代に建造された空母ヴァリャーグの中国への売却です。もともとこの空母はソ連末期に完成間近になりながら、ソ連崩壊後に放置されていた船です。新設されたロシア艦隊に、完成させる資金がなかったためです。
またウクライナが旧ソ連から独立して以降は、黒海艦隊の拠点だったクリミア半島の旧ソ連軍基地そのものの存在が不安定になってしまいました。このことが現在のウクライナ紛争の原因の一つでもありますが、ヴァリャーグもこれらのためウクライナ海軍に所属が移りながら、完成をみないままでした。
 
さまざまな経緯を経ながら、結局、これらのウクライナの帰属となった大型艦船は、ロシアからのガスの購入費分としてロシアに買い戻されていき、その上でロシアが中国への売却を決めたのです。ところがトルコがモントルー条約にこだわる限り、空母であるヴァリャーグはボスポラス海峡を通過できません。そのためなんとこの船は大型のカジノ船に回収するという名目のもとにこの海峡を通過することになりました。
 
時のトルコ首相、エルドアンはそれでも難色を示しましたが、中国がトルコへの中国への観光客の大幅増を約束し、そのもとでどうみたって空母そのもののヴァリャーグがボスポラスを通過していきました。この話を教えてくれたプナールさんは実際に通過するのを見たそうですが、あまりに巨大すぎて対岸が見えないほどだったそうです。ヴァリャーグはその後、遼寧と名を変え、中国初めての航空母艦として2012年に就航しています。
 
それやこれやたくさんの経緯のあるこの海峡ですが、現状では観光のメッカであり、たくさんの遊覧船が航行しています。海峡の至る所に中継地点があり、何度も寄港して人を昇降させてまた次への向かいます。時折タンカーなどの商業船も通過していきます。観光客を含めて、常時、世界のあらゆる国の人々が通過しているところではないでしょうか。
 
こうしたところを観光目的の船でゆったりと通過していると、世界の紛争が最後的に終わる日の到来を心の底から願わずにはおれない気持ちになります。船から見えるたくさんの城壁が、人々が常に他者を警戒し、その到来を恐れなければならなかった時代の思いを伝えているようで、私たち人類の暴力に彩られてきた前史が垣間見えるようです。その暴力の巨大化の権化の一つとしてヴァリャーグ=遼寧もここを通過していったのではないでしょうか。
 
でも今、ここには各国の人々が集ってきて、それらの歴史の遺物も含めて見物し、観光を楽しんでいます。ぜひこのことだけが世界の姿になる日が訪れてほしい。そう思います。
ただ一方でプナールさんは戦争だけではなくて巨大開発の問題もここに押し寄せてきていることを教えてくれました。全長30キロの海峡の中に二つの巨大な橋がかかっています。橋がかかることで周辺が開発され、美しい山野が切り崩されて都市開発されてしまっているのです。
 
今、イスタンブールはものすごい経済発展の途上にあり、人口がどんどん増えているそうです。だからこの海峡の周りにもどんどん人が押し寄せてきている。でも多くの経済学者が、トルコ経済は実態としては発展しておらず、キャッシュカードの使用制限を大幅に緩和するなどしてバブルを形成し、見かけ上の発展が作られているだけだと指摘しています。
 
にもかかわらず人口が膨張する中で海峡の周りの美しい場がどんどん都市開発されている。海峡を渡る大橋はそれを促進している訳ですが、一本目はアメリカが作り、二本目は日本の三菱重工が作ったのだそうです。ちなみに三菱はシノップへの原発輸出を行なおうとしているメーカーです。
さらに黒海への出口のちょうどその場に、第三の橋が建設途中でした。ここはトルコ政府主体で、エルドアンの一族が周辺の土地や利権を押さえて建設が進行中なのだとか。
 
戦争をなくすのは非常に重要なことですが、同時にこうした開発行政もとめていかなくてはならない。それはまた必ず開発利権を生み出し、結果的に貧富の差を生み出すものとしても作用しています。その総体を止めていくことが問われている。
 
一見それは難しいことのように思えますが、しかしトルコの実態経済がけっして発展しているとは言えないことにもあらわれているように、現在の開発政策が、大多数の人々の幸せなどもたらしてないことは明らかです。その事実を、諦めずに繰り返し喧伝することで、僕はこの流れをいつか逆転できると信じています。そもそも今の流れには未来がない。もちろん正義がない。だからそれは歴史の審判に耐えられないとも思うからです。
 
そんな、戦争だけでなく巨大開発をも止めていくための一歩としても、シノップへの原発建設を止めたいです。トルコの方達、また世界のいろいろな国々の方達とともに努力を傾けていく決意を、僕はボスポラスで得てきました。
この素敵な旅をコーディネートしてくださったプナールさんに心からの感謝の念を捧げます。
 
さてこの旅の途中で撮った写真をFACEBOOKにアップしたのでご紹介しておきます。以下をご覧ください。僕が写っている写真の向こうに開けているのが黒海です。建設途上の橋もご覧になれます。
 
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