ぶらり町めぐり&御朱印

町を歩くのが好きだ。特に御朱印集めに熱中した。年齢を重ね、段々と体力が落ちてきたが、もう少し頑張りたい。

ご朱印めぐり 坂東三十三観音霊場 第30番 高蔵寺

2021年10月08日 06時15分26秒 | 旅行
坂東三十三観音霊場・第30番札所の高蔵寺を参詣する。

木更津駅から約10キロほど離れている。健脚なら、往復を徒歩でお詣りすることも可能だが、一般的には、バス便を利用するのが便利だ。

しかし、バス便は本数が少なく、往路をバスで行くと、復路は高蔵寺で3時間ぐらい待つ羽目になる。帰りのバスの時間に合わせ、高蔵寺に1時間ほど滞在するという計算で、木更津駅からタクシーを利用した。だいたい3700円ぐらいかかる。



本堂。高床式である。88本の支柱に支えられている。


本堂の左横が納経所になっていた。本堂の下にあり、本堂が高床式になっていることが分かる。


納経所の横に本堂の下に入る入口がある。ご朱印を待っていたら、どうぞ見学してくださいと云われた。観音浄土巡りの仏像が並んでいる。



観音像。



観音像は高さが3.6メートルある。本堂には収まりきらない高さだが、本堂は高床式で、床下が2.3メートルある。観音像は本堂の床下から立ち上がっているので3.6メートルでも収まるのだ。

帰路はバスで木更津駅に戻る。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご朱印めぐり 坂東三十三観音霊場 第9番 慈光寺

2021年10月06日 07時41分04秒 | 旅行
坂東三十三観音・第10番札所の正法寺を参詣後、高坂駅に戻る。まだ時間がある。東武東上線で小川町駅まで乗車。ここからタクシーで慈光寺まで乗る。

慈光寺は八高線の明覚駅が最も近いが、バス便は不便で、しかも山道を30分以上歩かなければならない。タクシーは、越生町か小川町から呼び出すしかない。ということで、越生駅か小川町からタクシーを利用するのがもっとも手っ取り早い。

慈光寺の住職さんは長話で有名で、時間がかかるという。一番最後にまわしたのはそのためである。

結果を先に云うと、若い方が応対してくれた。住職さんが代替わりしたのかと聞いたが、住職は午前の会合で疲れて休んでいますという返事だった。もう92歳になるという。


ここも本堂の前は狭い。




持光寺のお詣りでこの日を終える。坂東三十三観音霊場めぐりも残りは10ヶ寺となった。気儘にその時の気分でお詣りしているので時間がかかる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご朱印めぐり 坂東三十三観音霊場 第10番 正法寺

2021年10月05日 07時21分26秒 | 旅行
坂東三十三観音霊場・正法寺を参詣する。東武東上線・東松山駅から次の高坂駅へ移動し、バスで大東文化大学まで乗る。

正法寺は大東文化大学の裏にある。バス停からだと裏参道で、観音堂の横に出てしまう。道を下におり仁王門から入る。

道から階段を上がると仁王門がある。



観音堂へはまた階段を上がらなければならない。




この寺も、坂上田村麻呂が龍を退治したという伝説がある。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご朱印めぐり 坂東三十三観音 第11番 安楽寺(吉見観音)

2021年10月04日 09時35分29秒 | 旅行
坂東三十三観音めぐりを続けている。時たま思い出したようにお詣りするのでなかなか進まない。

第11番札所の安楽寺はアクセスが難しい。東武東上線・東松山駅からのバスを利用すると、40分ほど歩かなければならない。ここは駅からタクシーを利用した。


本堂は樹木に隠されている。



安楽寺は行基が創建したという。その後に坂上田村麻呂が伽藍を建てたのが由緒だが、東国は、行基、坂上田村麻呂伝説が多い。

本堂の前は狭い。写真を撮りにくい。もちろん、昔は写真などなかったのだから、写真映りがどうのこうのなど、考えもしなかった。



本堂の横に三重塔がある。


ご朱印の左上に「疫病退散」の丸印が押してある。コロナの最中はずっと押されるようである。コロナ禍にお詣りしたという記念になる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ご朱印めぐり 埼玉県東松山市 箭弓稲荷神社

2021年10月03日 17時38分25秒 | 旅行
坂東三十三観音・吉見観音をお詣りする前に、東松山駅近くに鎮座する箭弓稲荷神社を参拝する。箭弓=野球に通じるので、野球選手の聖地である。

道路沿いの鳥居。神社はこの奥である。



創建は712年という。源頼信が当地にあった野久稲荷に戦勝祈願をしたところ勝利したところから、社殿を建て替え、箭弓稲荷と名前を改めたと伝わる。

社殿は豪勢なものだ。


横から見た方が素晴らしさがよく分かる。



祭神は、保食神(うけもちのかみ)である。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする