昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

愛の横顔 ~地獄変~ (十八)青年

2024-06-26 08:00:13 | 物語り

それから三年程でしょうか、二十歳の秋の終わりでございました。
女学校を卒業後、大学には行かずに勤めに出ておりました。
そのことでも、妻とひと悶着ありました。
わたしはもちろん娘の好きなようにするがいいと申し、妻は是が非でも進学をと言い張りました。
妻の気持ちもわかりますが、いや本当のところはわたくしとしましても大学生活を味わってもらいたいと思ってはいました。

しかし、娘に反対する勇気がなかったのでございます。
正直、ほっとする気持ちがございました。
考えてもみてください。
大学といえば、それこそエリートとか呼ばれる男たちが通う場所でございます。
品性のある、そして端整な顔つきの男たちが通う場所でございます。

そんなところに行けば、娘が、わたしの娘が……。
失礼しました、これはお忘れください。
幸い、わたしどもの取引先の穀物問屋にお世話になることができました。
その穀物問屋は先代からの取引先で、妻も良く知っている所でございます。
故にまあ、妻も渋々承知しました次第で。

なのに……。
突如なんの前ぶれもなくー陽射しの強い日曜日の夕方に、あたしの恋人だと、ひとりの青年を連れてきました。
肝をつぶす、というのはこういうことを指すのでございましょう。
ただただ驚くばかりでございます。
妻などはもう、小躍りせんばかりに喜ぶ仕末でございます。
わ、わたくしでございますか?
……そりゃあもう、嬉しくもあり哀しくもあり、世のお父さま方と同じでございます。
ええ、本当にそうでございますとも。

青年は二時間ほど雑談を交わしたのちに、帰って行きました。
穀物を扱う商事会社に勤めるお方で、年は二十六歳のひとり暮らしとのことでございました。
両親は、九州にご健在で弟ひとり・妹ふたりの六人家族ということでございました。
青年が帰りましてから、娘は、しきりに青年の印象を聞くのでございます。
妻が、いくら
「いい人じゃないの」と言ってみたところで、わたくしがひとことも話さないものですから、娘も落ち着きません。
お茶をすすりながら、ポツリとわたしが言いました。
「いい青年だね。だけどお前、やっていけるのかい? ゆくゆくは、ご両親との同居もあるよ」
娘は、目を輝かせて
「もちろんよ、お父さん!」と答えるのでございました。

 娘が進学を拒みましたのは、実のところはこの青年が因だったのでございます。
娘が申しますに、高校二年の夏に、お友だちふたりの三人で市営プールに行った折に、この青年と出会ったというのです。
プールの監視員を務めていたとかで。
友人の弟がアルバイトをしていたところ、急性盲腸炎で緊急入院をされたとか。
その友人は海外出張だとかで、やむなく代理を務めることになってしまったのだとか。
で、そのプールで、娘がよりにもよってこむら返りを起こしてしまい、青年の看護を受けたことが始まりだったようです。
 まあ目を輝かせて、ことの次第を話してくれました。
以後のことも、でございます。ああ、もう!

 その夜は、まんじりとも致しませんでした。
「もちろんよ!」と、言い切ったときの娘の目のかがやきが、目を閉じると瞼の裏にはっきりと映るのでございます。
それからのわたくしは、まさしく且つての妻でございました。
顔にこそ出しませんが、心の内では半狂乱でございました。
娘を手放す男親の寂しさもさることながら、じつは、正直に申しますと、娘に対して‘女’を意識していたのでございます。

以前にお話ししたとおり、血のつながりのない娘でございます。
もちろん、自分自身に言い聞かせてはおりました。
「血はつながらなくとも、娘だ!」と、毎夜心内で叫んでおりました。
しかし、崩れてしまいました。
もろいものでございます、親娘の絆は。
もっとも親娘はおやこでも……。



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