長編恋愛小説 ～水たまりの中の青空・第一部～（一） 結婚するわ

彼女と別れた今、彼は放心状態に陥っていた。

「結婚するわ」

その一言が彼の心に、憧れとしての麗子ではなく、生身の麗子としての存在を植え付けた。
今にして思えば、彼の目に映っていたのは麗子には間違いないのだが、麗子の瞳に映る己を見ていたような気がしてならなかった。

“麗子さんにはどう見えているのだろうか？”
“麗子さんは何を求めているのだろうか？”

己を主張するのではなく、相手が望む人としての己を演じていたように思えた。
そして、茂作に対してもそうだったような気がするのだ。

茂作が望む子供であり、希望する幼少年時代を送ってきたような気がした。
そしてやっとその呪縛から逃れた今の生活も、結局は麗子に従属するが如き行動をとってしまった。

「どうした、御手洗くん。いつも、ぐったりとして帰ってくるじゃないか？　
お嬢さま相手は、やっぱり疲れるかい？」

集会室の片隅で頭を抱え込む彼の隣で、佐久間が話しかけた。
しかし彼は、うな垂れたまま、無言だった。

「なんだい、おい。まさか、押し倒したんじゃないよな？　
で、お嬢さまにしっぺを喰らったとか、さ。ご、ごめん。
そんな雰囲気じゃないよな。失言だった、ごめんよ」

明るい集会室にも関わらず、二人が座る片隅だけが暗く感じられた。
押し潰されるような空気の中、彼が重い口を開いた。