三
武蔵に言われるまま、小夜子は店を早退した。
「この時間では、あそこだな。
本当はビーフステーキでも、食べさせてやりたいんだが。
そうだ、休みの日に時間を作れ。
銀座一の店に連れて行ってやるぞ。うん?」
「ほんと? ビーフステーキをご馳走してくれるの? 約束よ、絶対ね。」
小夜子は目を輝かせて、武蔵を見つめた。
「それに、服も買ってやろう。
小夜子には、もっとレディになって欲しいからな。
俺の愛人にしては、その服は見すぼらし過ぎる。」
「嬉しい! 約束よ、きっとね。
今度の日曜日で良い?」
武蔵の周りをスキップしながら、小夜子は満面に笑みを湛えた。
鮨店の座敷に上がりこんだ武蔵は、小夜子のお酌を楽しんだ。
「いゃあ、小夜子の酌で飲む酒は格別だ。
同じ酒でも、まるで味が違う。」
「ホント? 美味しい? 私も、少し飲んでみようかな?」
上目遣いで、手を休めて言った。
「よし、飲んでみるか?」
武蔵は新しいお猪口を持って来させた。
半分ほど注いでやると
「いっぱい、入れて!」と、小夜子は不満げな顔を見せた。
「ハハハ、まっ、少し飲んでからだ。」
「いゃ! 飲めるわよ、その位は。」
「分かった、分かった。」
四
小夜子は溢れんばかりのお猪口を、恐る々々口に運んだ。
半分ほどを口に入れた途端、ぶっ! と吐き出した。
「辛い! なにこれ、ちっとも美味しくないわ。」
眉間にしわを寄せて、武蔵をじっと見つめた。
武蔵はニタニタと笑いながら
「おいおい、勿体ないぞ。
まだ小夜子には、無理だな。
大人になれば、この味がわかるさ。」と、小夜子のお猪口を手に取った。
「どれどれ、小夜子と間接接吻でもするかな。」と、一気に飲み干した。
「いやだぁ、間接接吻なんて。社長さんの助平!」
はにかんだ表情を見せながらも、小夜子の目は笑っていた。
初対面時の嫌悪感は、今ではまるでない。
頼り甲斐のある男と、感じていた。
「ねぇ、社長!」
甘えるような声で、
「この間の話、覚えてる?」と、武蔵を覗き込んだ。
「なんだ? どんなことだ。言ってごらん。」
「覚えてないの? 梅子姉さんが
『お酒の席での話は、間に受けちゃだめ!』って言ってたけど、やっぱりか・・。」
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