静まりかえった玄関ホールの椅子にすわり、カラカラと乾いた音をたてている小夜子を乗せたストレッチャーを見送った。
右手にあるエレベーターから看護婦があらわれたときには、なにごとかと身構えた武蔵だった。
薄ぼんやりとしたホールではその表情がわからず、また小脇にかかえたバインダーらしきものが目に入りますます不安な思いがつのった。
「なにかありましたか!」。語尾するどく詰問するように叫んでしまった。
「いえいえ」と首を振りながら、
「どうされますか? ご出産には相当なお時間がかかります。
ほとんどの方が、ご自宅にもどられますが」と、書面を見せてきた。
そこに「社長、社長! どこです?」と、息せき切って五平が入ってきた。
「おう、ここだ。大きな声を出すなよ、病院だぞ。それに夜間だ、ひびくんだよ」
「いやいや、すみません。で、どうなんです? まだ…のようですね。お産というのは、分かりませんからな」
「ああ、まだだ。長丁場になるらしい。赤子がな、大きくなり過ぎてな。
最悪、帝王切開しますって言われたよ」
「帝王切開って。あの、お腹を切るってやつですか?」
「ああ。母体があぶないと判断したら切りますから、ご了解くださいだとさ。書類に署名もさせられた」
「そうですか、それはそれは。ちと、大事にされすぎましたね。仇になったってわけですか」
「うん、考え違いをしたよ。小夜子にも赤子にも、悪いことをしてしまった。いま、反省しているところだ」
「ま、しかし、医者に任せるしかないでしょう。それにあの医者は、名医だって話ですし。
大丈夫ですよ、きっと。切らずに済みますって。
あんがいに、ケロッとして、そんな話しましたか? って顔で、医者が出てきますって」
「ああ、そう願ってるよ。さてと、それじゃ帰るとするかな。
ここにいたって、なにもすることもないしな。あしたも忙しいことだし。
たしか、午前に2社と午後に1社来るんだったよな?」
腰をうかせる武蔵を押しとどめながら「そりゃ、そうですが。なんでしたら、日を改めてもらえるようお願いしますが」という五平に対し、頭をふりながら「ばかを言うな。小夜子はお産、俺は商売だ。
かせがなきゃ、小夜子は怒るだろうさ。これからまた、金がかかるだろうからな」と、受けあわない。
ふたりの会話を聞いていた看護婦に
「この名刺を産科の婦長さんにわたしてもらえないか。うらには自宅の電話番号を書いてある。よろしく頼むよ」と、頼み込んだ。
「それから産科の看護婦さんたちに、つたえてもらえない小夜子をよろしくと。
わがままな女だから面倒をかけると思うけれど、よろしくと」と、武蔵がふかぶかと頭をさげた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます