昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

恨みます(十)

2022-05-28 08:00:48 | 物語り

「あの日かしら、吉永さん」
「よっぽど、重いのね」
 これ見よがしに囁きあう声を背に、
「課長、申し訳ありません。」と、頭を下げた。
「ああ、いいよ、いいよ。吉永さんも女性だったんだね。再確認しちゃった」
 泣き出したくなる思いをグッとこらえながら、部屋を出た。
ときおり吐き気が襲ってくることが、最大の苦痛だった。
「詐欺だぜ、まったく!」。チカン男の言葉が、頭の中で何度もこだました。
“好きでブスに、生まれたわけじゃないわ!”

 廊下ですれ違う社員たちは、うつむき加減で歩く――足を引きずっていく小百合に、目をひそめた。
“堀井さんに、お礼しなくちゃ”
 突然、小百合の中に一樹の心配げな顔が浮かんだ。キュン! と、胸が締め付けられもした。
“もう一度、会えるわ”
「お大事に、ね」。 受付嬢から、声がかかった。
 課の方から連絡が入っていたこともあり、無事にビルから退出できるかを確認することになっていた。
万が一にビル内で倒れた場合には、即座に救急車の手配をすることになっていた。

「ありがと……」。ほとんど、声にならない。顔面蒼白の小百合に、受付嬢たちがかけ寄った。
「一人じゃ、ムリだわ。誰か、お願いしょうか?」
「いえ、大丈夫。タクシーに乗りますから、大丈夫です」
「でも……」
「ほんとに、大丈夫ですから」
 押し問答の最中、
「小百合さん、大丈夫ですか? やっぱり、ムリだったなあ」と、一樹がかけ寄った。
驚く小百合に構うことなく、「ぼくが送っていきます。大丈夫、任せてください」と、抱きかかえた。

「あの……」
「知り合いです」
 言葉少なに、受付嬢に告げた。
「でも、一樹さん」。小百合が、思わず名前を呼んでしまった。
「いいから、いいから。小百合は心配しなくていいって」
 そんな二人の会話に、受付嬢も安堵の顔を見せた。
「それじゃ、お願いします」

“いやあ、待ってた甲斐があったぜ”
 二杯目のコーヒーが、ウェイトレスの里美によって運ばれてきた時だった。
「ありがとう。里美ちゃんが運んでくれるから、おいしいや」
 そんな軽口を叩きながら、入り口を注視していた一樹の目に、よろけた小百合が飛び込んできた。
「ターゲットだ! これで!」
 用意していた札を里美に渡すと、脱兎の如くに駆け出した。
「あの、おつり……」。「また、来るよ! 預かってて!」

「ねえ、ねえ。今の、結構イケてるんじゃない?」
 戻ってきた受付嬢に、もう一人が聞いてきた。
「録っちゃったあ、あのふたりを。どうしょっ」
 震える手の中に、しっかりとスマートホンが握られている。
「ええ? 見せて、見せてよ!」
「うわあ、抱きかかえられてるぅ!」

 回転扉の中では、しっかりと抱きかかえられていた。
そしてタクシーに乗り込む際には、何やらことばをかけている風にも見えた。
「恋人、かしら」
「ええ、そんなあ! だったら、ショックよ!」
「確かね、“カズキ”“小百合”って、二人とも呼び捨てだった」
「大ショックゥゥゥ!」
「許せないぃぃ!」
 二人からの情報が、携帯電話の画像とともに、一気に全社に広がった。



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