「あの日かしら、吉永さん」
「よっぽど、重いのね」
これ見よがしに囁きあう声を背に、
「課長、申し訳ありません。」と、頭を下げた。
「ああ、いいよ、いいよ。吉永さんも女性だったんだね。再確認しちゃった」
泣き出したくなる思いをグッとこらえながら、部屋を出た。
ときおり吐き気が襲ってくることが、最大の苦痛だった。
「詐欺だぜ、まったく!」。チカン男の言葉が、頭の中で何度もこだました。
“好きでブスに、生まれたわけじゃないわ!”
廊下ですれ違う社員たちは、うつむき加減で歩く――足を引きずっていく小百合に、目をひそめた。
“堀井さんに、お礼しなくちゃ”
突然、小百合の中に一樹の心配げな顔が浮かんだ。キュン! と、胸が締め付けられもした。
“もう一度、会えるわ”
「お大事に、ね」。 受付嬢から、声がかかった。
課の方から連絡が入っていたこともあり、無事にビルから退出できるかを確認することになっていた。
万が一にビル内で倒れた場合には、即座に救急車の手配をすることになっていた。
「ありがと……」。ほとんど、声にならない。顔面蒼白の小百合に、受付嬢たちがかけ寄った。
「一人じゃ、ムリだわ。誰か、お願いしょうか?」
「いえ、大丈夫。タクシーに乗りますから、大丈夫です」
「でも……」
「ほんとに、大丈夫ですから」
押し問答の最中、
「小百合さん、大丈夫ですか? やっぱり、ムリだったなあ」と、一樹がかけ寄った。
驚く小百合に構うことなく、「ぼくが送っていきます。大丈夫、任せてください」と、抱きかかえた。
「あの……」
「知り合いです」
言葉少なに、受付嬢に告げた。
「でも、一樹さん」。小百合が、思わず名前を呼んでしまった。
「いいから、いいから。小百合は心配しなくていいって」
そんな二人の会話に、受付嬢も安堵の顔を見せた。
「それじゃ、お願いします」
“いやあ、待ってた甲斐があったぜ”
二杯目のコーヒーが、ウェイトレスの里美によって運ばれてきた時だった。
「ありがとう。里美ちゃんが運んでくれるから、おいしいや」
そんな軽口を叩きながら、入り口を注視していた一樹の目に、よろけた小百合が飛び込んできた。
「ターゲットだ! これで!」
用意していた札を里美に渡すと、脱兎の如くに駆け出した。
「あの、おつり……」。「また、来るよ! 預かってて!」
「ねえ、ねえ。今の、結構イケてるんじゃない?」
戻ってきた受付嬢に、もう一人が聞いてきた。
「録っちゃったあ、あのふたりを。どうしょっ」
震える手の中に、しっかりとスマートホンが握られている。
「ええ? 見せて、見せてよ!」
「うわあ、抱きかかえられてるぅ!」
回転扉の中では、しっかりと抱きかかえられていた。
そしてタクシーに乗り込む際には、何やらことばをかけている風にも見えた。
「恋人、かしら」
「ええ、そんなあ! だったら、ショックよ!」
「確かね、“カズキ”“小百合”って、二人とも呼び捨てだった」
「大ショックゥゥゥ!」
「許せないぃぃ!」
二人からの情報が、携帯電話の画像とともに、一気に全社に広がった。
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