昭和の恋物語り

小説をメインに、時折よもやま話と旅行報告をしていきます。

恨みます(十一)

2022-05-29 08:00:51 | 物語り

 思いも寄らぬ一樹の出現は、どう解釈すべきかと、小百合を混乱の極地におとしいれた。
“どういうことなの、なんで一樹さんが居たわけ?”
“あたしのこと、見張ってたの? うそ、うそ。そんなこと、あるわけないわ”
 タクシーに乗り込んだ小百合は、激しい動悸にさいなまれた。
一樹の腕の中に、しっかりと抱かれているのだ。
シトラスの香が、小百合の鼻腔を刺激した。
エレベーター内での煙草と体臭の入り交じった臭いではなく、柑橘類の爽やかな涼風が、小百合を包んだ。
もう一度会いたいとは、思った。お礼をする為に会わなくちゃ、と考えた。
しかしまさか、それが今日だとは。信じがたいことだった。

「かかりつけの医者は、います?」
 一樹の吐息が耳を攻める。しかし小百合には記号のように感じられて、意味不明だった。
体がふわふわと宙に浮き、鼓動がさらに激しくなっていく。
「病院、どこでもいいですか?」
 一樹の顔が、小百合におおいかぶさる。真っ白い歯が眼前にある。
「小百合さん、小百合さん」
 激しく体を揺すられた。
「えっ! な、なんでしょうか?」

「病院に行きますよ。いいですね?」
「ビョーイン? ビョーインって、なに?」
「運転手さん、一番近い病院に行っ、、、」
「行きません、行きません、あたし」
 やっと正気を取り戻した小百合は、一樹の腕から体を起こした。
「ごめんなさい。また、ご迷惑をかけてしまって」

「いいんです、そんなこと。それより、病院に行かなくていいんですか?」
「大丈夫です、ほんとに。アパートに戻れば、静かに休めば落ち着きますから」
 乱れた髪を直しながら、何度も頭を下げた。
「じゃあ、そうしましょう。運転手さん、病院はやめます」
「ご迷惑ばかり、おかけして。……そうだ。こんど、お礼をさせてください」
「いや、いいですよ。そんな、気にしないでください」
 一樹に肩を抱かたままの体勢が、心地よくはあるが恥ずかしさもまたある。
体を起こそうとするが、そのたびに「大丈夫、大丈夫」と、一樹が離すことはなかった。

電車でと考えもしたが「また襲われたらどうするの」という一樹のことばで、このままアパートまでとなった。
タクシー代が気になりはしたが、今の精神状態を思うとやむを得ない出費だと思うことにした。
それよりも、一樹のことが気になりだした。
ここまで親切にしてくれるのはなぜ? という疑問が消えない。
何か良からぬ企みがありはしないかと、不安に思う心が消えない。
といって途中で下ろすわけにもいかない。どうしたものかと思案している小百合に対し、心を見透かすかのごとくに一樹が話し始めた。

 



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