思いも寄らぬ一樹の出現は、どう解釈すべきかと、小百合を混乱の極地におとしいれた。
“どういうことなの、なんで一樹さんが居たわけ?”
“あたしのこと、見張ってたの? うそ、うそ。そんなこと、あるわけないわ”
タクシーに乗り込んだ小百合は、激しい動悸にさいなまれた。
一樹の腕の中に、しっかりと抱かれているのだ。
シトラスの香が、小百合の鼻腔を刺激した。
エレベーター内での煙草と体臭の入り交じった臭いではなく、柑橘類の爽やかな涼風が、小百合を包んだ。
もう一度会いたいとは、思った。お礼をする為に会わなくちゃ、と考えた。
しかしまさか、それが今日だとは。信じがたいことだった。
「かかりつけの医者は、います?」
一樹の吐息が耳を攻める。しかし小百合には記号のように感じられて、意味不明だった。
体がふわふわと宙に浮き、鼓動がさらに激しくなっていく。
「病院、どこでもいいですか?」
一樹の顔が、小百合におおいかぶさる。真っ白い歯が眼前にある。
「小百合さん、小百合さん」
激しく体を揺すられた。
「えっ! な、なんでしょうか?」
「病院に行きますよ。いいですね?」
「ビョーイン? ビョーインって、なに?」
「運転手さん、一番近い病院に行っ、、、」
「行きません、行きません、あたし」
やっと正気を取り戻した小百合は、一樹の腕から体を起こした。
「ごめんなさい。また、ご迷惑をかけてしまって」
「いいんです、そんなこと。それより、病院に行かなくていいんですか?」
「大丈夫です、ほんとに。アパートに戻れば、静かに休めば落ち着きますから」
乱れた髪を直しながら、何度も頭を下げた。
「じゃあ、そうしましょう。運転手さん、病院はやめます」
「ご迷惑ばかり、おかけして。……そうだ。こんど、お礼をさせてください」
「いや、いいですよ。そんな、気にしないでください」
一樹に肩を抱かたままの体勢が、心地よくはあるが恥ずかしさもまたある。
体を起こそうとするが、そのたびに「大丈夫、大丈夫」と、一樹が離すことはなかった。
電車でと考えもしたが「また襲われたらどうするの」という一樹のことばで、このままアパートまでとなった。
タクシー代が気になりはしたが、今の精神状態を思うとやむを得ない出費だと思うことにした。
それよりも、一樹のことが気になりだした。
ここまで親切にしてくれるのはなぜ? という疑問が消えない。
何か良からぬ企みがありはしないかと、不安に思う心が消えない。
といって途中で下ろすわけにもいかない。どうしたものかと思案している小百合に対し、心を見透かすかのごとくに一樹が話し始めた。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます