17日(土)。腰痛が続いています 昨日は東京都交響楽団「第994回定期演奏会Bシリーズ」公演でしたが、大事をとって聴くのを諦めました
この日は、タクトをとるエリアフ・インバルの88歳の誕生日という記念すべき日ということもあり、前半のショスタコーヴィチ「交響曲第9番」だけでも聴きたいと思っていましたが、ここが我慢のしどころです
ということで、わが家に来てから今日で3321日目を迎え、ホワイトハウス返り咲きを目指すトランプ前大統領は、4件の刑事裁判を抱え膨大な弁護士費用がかさむため、この夏にも選挙運動の軍資金を使い果たす可能性が高い というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプには狂気の岩盤支持層があるんだから 助けてくれんじゃね? 知らんけど
昨日の夕食は、隔週金曜のローテーションにより「鶏の唐揚げ」を作りました 今回も 外カリカリ 内ジューシー に仕上がりました
本当はビールを飲みたいところですが、ガマンです
昨日の朝日新聞朝刊「天声人語」は「句点(。)」をテーマに取り上げていました 超略すると次の通りです
「若者世代はSNSのメッセージで句点を『冷たい』と感じるという 『大丈夫です。』のように付けると『マルハラスメント』だとネットで話題になっていた
日本だけの現象なのか気になり、アジア、南米の知人に聞いてみたら、『句点なし』は、他言語にも共通する傾向のようだ
冷たい、権威的、機嫌が悪いなどの印象は日本と同じ。文末は句点なしか、ダッシュ(ー)が多いという
改まったメールや上司から来たメッセージの返事には『真剣さや正式な感じを出すため』句点を付けるようだ
」
ここで筆者が指摘しているのは、同じ句点(。)でも文中ではなく文末における句点のことです 文中で「。」を使用しないまま長々と文章を続けると「マルでなってない
」と非難されますね
思い当たる節があったので、息子と娘から届いた過去のショートメッセージを見てみたら、なるほど文末は2人とも「句点なし」か「絵文字」になっていました
自分だけが時代遅れのシーラカンス、はたまたアナクロニズムの権化だったのか、と内心忸怩たる思いです
ところで、文末の句点で思い出したのは、私がフォローしている みゆきんさん のブログです 例えば昨日のブログの文末は「~と思うんだ。」ではなく、「~と思うんだ マル」というように、「。」や絵文字を避けて、わざわざカタカナで「マル」と書いています
これって『マルハラスメント』を巧妙に回避するための新しい”手口”ではないか
参考にしようかな~♬ と密かに目論んでいる今日この頃です マル
最近コンサートに行けないことから1日1冊のペースで読書をしているので、手元の本が残り1冊になってしまいました この傾向はしばらく続きそうなので、いつものようにジュンク堂書店池袋本店で本を8冊購入しました
1冊目は森本恭正著「日本のクラシック音楽は歪んでいる 12の批判的考察」(光文社文庫)です 著者は作曲家・指揮者とのことですが、この本の内容について少し前に、X上で批判が飛び交っていたので、どんなことが書かれているのか読んでみようと思いました
2冊目は本間ひろむ著「日本のヴァイオリニスト 弦楽器奏者の現在・過去・未来」(光文社新書)です 著者は批評家とのことです。ヴァイオリニストの「未来」についてどんなことが書いてあるのか興味があります
3冊目は同じく本間ひろむ著「日本のピアニスト その軌跡と現在地」(光文社新書)です 星の数ほどピアニストはいますが、さて、誰を取り上げているのか
4冊目は中山七里著「テロリストの家」(双葉文庫)です ご存じ「中山七里は七人いる」と言われる多作家の文庫本最新刊です
5冊目は柚月裕子著「月下のサクラ」(徳間文庫)です 「孤狼の血」でブレイクした著者の文庫本最新刊です
6冊目は小泉喜美子著「弁護側の証人」(集英社文庫)です 以前から気になっていた本ですが、やっと手に入れました
7冊目は養老孟司著「こう考えると、うまくいく ~ 脳化社会の歩き方 」(扶桑社文庫)です この本は養老氏の過去の講演録のようです
8冊目は辻村深月、伊坂幸太郎他「時ひらく」(文春文庫)です この本は6人の作家によるデパートを巡るオムニバス短編小説集です
表紙は三越デパートの包装紙ではないかい
いずれも読み終わり次第、当ブログでご紹介してまいります