10日(土)その2。昨日開催された「フェスタサマーミューザ 日本フィル」公演については「その1」で書きました モコタロはそちらに出演しています 是非ご訪問ください
昨日19時からサントリーホールで東京都交響楽団「第1006回Bシリーズ定期演奏会」を聴きました プログラムは①ベルク「7つの初期の歌」、②マーラー「交響曲第1番 ニ長調」です 演奏は①のソプラノ独唱=二カ・ゴリッチ、指揮=ダニエル・ハーディングです
ダニエル・ハーディングは1975年、イギリス・オックスフォード生まれ。ドイツ・カンマーフィル、マーラー室内管首席指揮者・音楽監督、パリ管音楽監督などを歴任 現在、スウェーデン放送響音楽&芸術監督、マーラー室内管桂冠指揮者を務める 2024年9月にサンタ・チェチーリア国立アカデミー管&合唱団音楽監督に就任予定・・・と、ここまでは他の指揮者とさほど変わらないプロフィールですが、ハーディングの場合は飛行機の事業用操縦士(CPL)の資格を持っています レコード会社勤務の城所孝吉氏によると、彼は資格を持っているだけでなく、年の半分をエールフランスのパイロットとして働き、残り半分を指揮者として活躍しています 「なぜ彼はプロのパイロットになったのか?」等の詳細は2023年11月23日付toraブログに書いていますので、興味のある方はご覧ください
オケは12型で、左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対抗配置 コンマスは水谷晃、隣は山本友重というダブルトップ態勢を敷きます クラリネットはN響首席の伊藤圭が客演しています 舞台上手にはハープの高野麗音がスタンバイします
1曲目はベルク「7つの初期の歌」です この曲はアルバン・ベルク(1885-1935)が1905年から08年にかけて作曲、1928年にウィーンで初演されました 第1曲「夜:非常にゆっくりと」、第2曲「葦の歌:中くらいの速さで」、第3曲「ナイチンゲール:柔らかく、動きをもって」、第4曲「夢を抱いて:ゆっくりと」、第5曲「この部屋で:軽やかに、動きをもって」、第6曲「愛の賛歌:非常にゆっくりと」、第7曲「夏の日々:いきいきと」から成ります
ソプラノ独唱の二カ・ゴリッチはスロヴェニア出身。マリポルのバレエ音楽学校、グラーツ国立音楽大学で学び、ロンドンの王立音楽アカデミーで研鑽を積む。これまでモーツアルトをはじめ主要なオペラのヒロイン役を歌った
ダークグリーンの衣装のゴリッチが登場、ハーディングの指揮で演奏に入ります ゴリッチは美しいソプラノでベルクの世界を歌い上げます 個人的には第2曲の水谷晃(コンマス)、遠藤香奈子(第2ヴァイオリン首席)、篠崎友美(ヴィオラ首席)、伊東裕(チェロ首席)、池松宏(コントラバス首席)の弦楽五重奏を伴った音楽が印象に残りました
プログラム後半はマーラー「交響曲第1番 ニ長調」です この曲はグスタフ・マーラー(1860-1911)が1884年から88年にかけて作曲、1889年にブタペストで初演され(初稿)、その後93年から96年にかけて改訂、96年にベルリンで初演(決定稿)されました 第1楽章「ゆっくり引きずって ~ 常にとても快適に」、第2楽章「力強く動きをもって、しかし速すぎず」、第3楽章「厳粛かつ荘重に、ひきずることなく」、第4楽章「嵐のように動的に」の4楽章から成ります
ハーディングの指揮で第1楽章に入ります 伊藤圭のクラリネット、弘田智之のオーボエが素晴らしい ホルンも大活躍です。舞台裏で吹かれるトランペットも冴えています と思って聴いていると、20時前後に会場が揺れました 地震です 聴衆はもちろん、演奏者も気がついた様子でしたが、演奏はそのまま続行されました ほんの短時間で揺れが収まったので良かったです それを合図に、というわけではありませんが、ハーディングはオケを煽り立て、スピード感溢れる圧巻の演奏でこの楽章を締めくくりました 第2楽章は弦楽セクションの渾身の演奏が印象的でした 第3楽章は池松宏のコントラバス・ソロで厳かに開始されました クラリネット、オーボエ、フルートが冴えています 第4楽章は冒頭から劇的な展開が繰り広げられます 終盤になると、第1楽章と同じように楽員を煽り立ててスピードを上げます ホルン全員とバストロンボーンが立奏し、オーケストラ総力を挙げてのフィナーレは圧巻でした
ハーディングと地震の関係で思い出すのは東日本大震災の時のことです ハーディングは2010年に新日本フィルのミュージック・パートナーに就任しましたが、翌2011年3月11日の東日本大震災が発生した14時46分には、その夜の「同パートナー就任披露公演」のゲネプロのため車でトリフォニーホールに向かう途中でした 当日夜の本番は、会場に駆けつけることが出来た楽団員を振り、わずかな聴衆のためにマーラーの交響曲を演奏したのです 彼はその後、しばらく日本に滞在し被災状況を目の当たりにしました そんなこともあり、彼は翌年6月に新日本フィルと「チャリティー・コンサート」を開き、マーラーの「交響曲第5番」を演奏しました ハーディングと新日本フィルとが極めて良好な関係にあったのは、そのような”事件”があったからとも言えます
満場の拍手とブラボーが飛び交う中、繰り返されるカーテンコールを見ながらそんなことを思い出していました