22日(金)。わが家に来てから今日で3356日目を迎え、トランプ前米大統領の選挙陣営は20日、ニューヨーク州のジェームズ司法長官に提起された民事訴訟で 州内に所有する資産が差し押さえられる恐れがあるとして、100万人の支持者に献金を呼び掛けた というニュースを見て感想を述べるモコタロです
トランプのことだ 献金しない支持者は”裏切り者”として報復の対象になるんだろう
昨日、夕食に「厚揚げのチーズ焼き」と「生野菜とアボカドのサラダ」「大根と人参の味噌汁」を作りました 「厚揚げ~」は良い感じに焼けて美味しかったです
小澤征爾著「ボクの音楽武者修行」(新潮文庫)を読み終わりました 小澤征爾は1935年 中国・奉天生まれ。桐朋学園で齋藤秀雄に指揮を師事。1959年に渡欧しブザンソン国際指揮者コンクールをはじめ各地の指揮コンクールで優勝。1960年からカラヤンに師事。その後、バーンスタインにも認められ、61年にニューヨーク・フィルの副指揮者に就任。ボストン交響楽団の音楽監督を29年務めたほか、ベルリン・フィル、ウィーン・フィルをはじめ世界有数のオーケストラを指揮。2002/03シーズンからウィーン国立歌劇場の音楽監督を9シーズン務めた。師の名を冠したサイトウ・キネン・オーケストラの創設と活動にも力を注いだ。2024年2月6日逝去。享年88歳
本書は1962年(昭和37年)4月に音楽の友社から刊行され、1980年(昭和55年)に新潮文庫として出版されました
本書の大きな特徴は、1961年、当時26歳だった若き小澤征爾によって書かれたことです 小澤がいくつかの国際指揮者コンクールで優勝し、ニューヨーク・フィルの副指揮者に就任したばかりの時期にあたります。したがって、これからどうなるのか全く分からない状況の中で、当時何を考えどう行動したかが記されている点で貴重な記録になっています
本書は次のような流れで書かれています
日本を離れて
棒振りコンクール
タングルウッドの音楽祭
さらば、ヨーロッパ
日本へ帰って
本書を読んで、興味を引かれた点に絞って以下にご紹介することにします
「日本を離れて」の中で、若き小澤は指揮者になろうとしたキッカケについて次のように書いています
「指揮者になりたいと思ったのは、日比谷公会堂で、レオニード・クロイツァーがベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番”皇帝”を、自分でピアノを弾きながらオーケストラを指揮したのを見てからであった」
そして彼は「外国の音楽をやるためには、その音楽の生まれた土、そこに住んでいる人間、をじかに知りたい」と思い、スクーターに乗って単身ヨーロッパへ渡る計画を立てます 彼はスクーターかオートバイを借りるため何軒も訪ね歩き、ついに、富士重工でラビットジュニア125ccの新型を入手することに成功します その時、富士重工から出された条件は、①日本国籍を明示すること、②音楽家であることを示すこと、③事故を起こさないことーの3点でした 彼はこの条件を満たすため、白いヘルメットにギターをかついで日の丸を付けたスクーターにまたがり、欧州行脚に旅立ったのでした この格好は行く先々で人々の注目を集めることになります
「棒振りコンクール」の中で、小澤は指揮者を目指す人のためのアドヴァイスを書いています
「何より、柔軟で鋭敏で、しかもエネルギッシュな体を作っておくこと また音楽家になるよりスポーツマンになるようなつもりで、スコアに向かうこと。それが、指揮をする動作を作り、これが言葉以上に的確にオーケストラの人たちには通じるのだ ぼくが外国に行って各国のオーケストラを指揮して得た経験のうちで、一番貴重なのはこれである」
どうやら、アーティストとアスリートは丈夫な身体づくりという点で共通しているようです
同じ「棒振りコンクール」の中で、師である斎藤秀雄の指揮法について語っています
「斎藤先生の指揮のメトーデは、基礎的な訓練ということに関してはまったく完璧で、世界にその類をみないと、ぼくは今でもそう思っている 具体的にいうと、斎藤先生は指揮の手を動かす運動を何種類かに分類して、たとえば物を叩く運動からくる『叩き』とか、手を滑らかに動かす『平均運動』とか、鶏の首がピクピク動くみたいに動かす『直接運動』というような具合に分類する そのすべてについていつ力を抜き、あるいはいつ力を入れるかというようなことを教えてくれた その指揮上のテクニックはまったく尊いもので、一口に言えば、指揮をしながらいつでも自分の力を自分でコントロールすることができるということを教わったわけだ 言い方を変えれば、自分の体から力を抜くということが、いつでも可能になるということなのだ・・・それと同じようなことを、言葉は変わっているが、シャルル・ミュンシュも言っていたし、カラヤンも、ベルリンでぼくに教えてくれたときに言っていた だからここでもう1回はっきりと、ぼくは斎藤先生、あるいは桐朋学園の音楽教育というものは基礎的な面でたいへん優れているということを、身に染みて感じた」
世界に通用する「斎藤メソッド」ですね
「タングルウッドの音楽祭」の中で、バーンスタインの活動の素晴らしさについて語っています
「バーンスタインは音楽の万能選手である 彼がしている仕事になかで、ぼくが特に感心したのは、年に4回CBSのテレビでやる、青少年向きのテレビ・コンサートである 約1時間のプロだけれども、その1回の1時間のなかで、彼は指揮をし、解説もしゃべる。その解説の中で、例題として自分でピアノを弾く そして、プロデューサー、解説者、演奏家、指揮者という役割をぜんぶ一人でしょって、その1時間のプロを担当する その1時間のために費やす時間というものは、まったく莫大なもので、二月も前からその台本を書き出し、テレビのカメラの移動その他、全部の筋を自分で作る ・・・いままで音楽に親しみがなかった小さい子どもたちが、音楽が好きになるという非常に好ましい現象が起こっているということで、評判をとっているらしい」
バーンスタインのこの活動は「ヤング・ピープルズ・コンサート」というもので、私もレーザーディスク(10枚組だったと思う)で持っていました 残念ながら再生機の故障で観られなくなってしまい、ディスクも売り払いました いま思い出しても、素晴らしいレクチャー・コンサートです
「さらば、ヨーロッパ」の中では国による演奏家気質について語っています
「フランスのオーケストラは、練習をしているときに、ぼくがなにか演奏のなかで注文をつけようと思って指揮を止めてしゃべろうと思うと、必ず誰かがおしゃべりを始めてぼくの声が通らなくなるので、ついデカい声を出してしまう ところがドイツのオーケストラにいくと、これはベルリンのオーケストラでも、あるいはもっと小さい町のオーケストラでも、指揮棒を止めた瞬間にみんなシーンとして、指揮者がなにを言うかを聞くための態勢になる いわゆる団体としてのお行儀がすこぶるいい。フランスのオーケストラは行儀が悪いのだ だからと言って、フランスのオーケストラが指揮者に対して非常に不まじめであるとか、指揮者に対して反抗心が強いというようなことでもないと思う」
フランスのオーケストラの楽員の気質については、クリスチャン・メルラン著「オーケストラ」(みすず書房・全540ページ)でも詳細に触れていて、かなりいい加減な奏者もいることが分かります。この本はオーケストラ全般について知るためには面白くて参考になるのでお勧めです
本書を書いた時26歳だった小澤征爾の、その後の62年間の世界的な大活躍を見るとき、壮大なエッセイを残すことが出来たでしょう 残念ながらそれは叶いませんでしたが、彼の音楽に接した人々の心の中に小澤征爾は生きているのだと思います
一つだけ思い出を書きます あれはいつどこの会場だったかはっきりとは思い出せませんが、小さなホールの指揮者なしの室内楽コンサートだったと思います どなたかが亡くなられた日の夜のコンサートでした。開演前に「亡くなられた〇〇さんを偲んで、バッハ『G線上のアリア』を演奏します。演奏が終わっても拍手はなさらないでください」という場内アナウンスがあり、ステージと客席の照明が落とされました。ステージの照明が最小限の明るさで灯されると、中央に一人の人物が浮かびあがり、彼の指揮で演奏が始まりました 演奏が終わると再び照明が落とされ、暗いなか 彼は静かに舞台袖に引き上げていきました そのシルエットはまさしく小澤征爾その人でした。しかし、そのことについて一切アナウンスはありませんでした。小澤征爾という人はそういう人でした
https://ameblo.jp/baybay22/entry-11569460715.html
以上、参考情報でした。
ご指摘いただいた日の翌日のtoraブログを確認したところ、まさにその2013年7月8日の公演であることが分かりました。会場はサントリーホールで、曲目はモーツアルトだったのですね。11年前のこととはいえ、いかに自分の記憶力が衰えているかを思い知らされました。室内楽といえば小さなホール、小澤の小曲演奏といえばバッハの「G線上のアリア」と思い込んでいたのだと思います。
趣旨は伝わっていると思いますので、あえて訂正は出しませんが、今後はより慎重に書きたいと思っております。
これからもお気づきの点がありましたら、ご指摘いただけると有難く存じます
と思っていたら、今度はポリーニの訃報が飛び込んできました。彼のショパンの練習曲集は小生が最初に自分の小遣いで買ったレコードであり、もっとも聴きこんだ録音でした。合掌。
同じ分野で活躍した人の不幸は続くものですね。小澤征爾さんの死の数日前には元妻の江戸京子さんが亡くなったばかりでした。
これからもよろしくお願いいたします