3日(火)。昨日早朝、池袋の豊島健康診査センターで「胃がん検診」(バリウム)を受信してきました 当初7月6日に受信する予定でしたが、2回目のコロナワクチン接種で熱が出たため、キャンセルして予約し直しておいたのです 受付から検診の終了まで20分程度でした。下剤を2粒もらったので水をコップ2杯飲み、喫茶店でアイスコーヒーを飲みました。バリウムが腸内で固まって腸閉塞かなんかで死にたくありませんから
ということで、わが家に来てから今日で2397日目を迎え、東京五輪のバドミントン男子ダブルスで7月31日、台湾ペアが中国ペアを破り、台湾にバドミントンで初の五輪金メダルをもたらしたことを受け、蔡英文総統は自身のフェイスブックに「我慢できずに東京に電話をかけた」と記し、歴史的勝利を自ら祝福したことを明かした というニュースを見て感想を述べるモコタロです
五輪はあくまで個人競技だが 両者の関係を考えると 蔡総統の気持ちは良く分かる
昨日の夕食は「すき焼き」にしました わが家では娘が春菊と長ネギが大嫌いなので、キャベツで代替しています
1日付の朝日新聞朝刊 文化欄に、7月24日付toraブログでご紹介した村上春樹著「古くて素敵なクラシック・レコードたち」に関する著者へのインタビュー記事が載っていました インタビュアーは同紙の吉田純子編集委員です
「言葉にならない思いの結晶ともいえる音楽を、再び言葉へと導くのって、永遠に矛盾を追うような作業ともいえないでしょうか?」
という質問に 村上氏は、
「そうかもしれないですね こと音楽と食べ物に関しては、実感を言葉にするのはすごく難しいです」
と答えます さらに、
「どうやって、その言葉を探すんですか?」
と訊くと、
「見つかるまで、しつこく どんな気持ちでこの音楽を聴いたのか。それが、どんなところに自分を連れていったのか。自分の実感にふさわしい比喩が浮かび上がってくるまで探します 正しいと思える言葉が見つかったときは、すごくうれしいです そういう仕事に、僕はやっぱり向いているのだと思います」
と答えます さらに、
「この1年、いろんなレコードに再会して、自身の中で変化のようなものはありましたか?」
との問いには、
「よくわかったのは、世の中の一般的な評価と、僕の評価が必ずしも合わないってことです この本でも、いわゆる『名盤』と呼ばれているものは、結果としてほとんどとりあげていません。ローマに住んでいたころ、サンタチェチーリアのオーケストラを毎週のように聴きに行っていたんですが、プレートルがベートーヴェンの交響曲を振ったときは目が覚めるほど素晴らしかったのに、シノーポリがエルガーを振ったときにはお客が半分でていっちゃった でも、生きている音楽ってそもそもそういうものじゃないか、という気がだんだんしてきます」
と語っています そして最後に、
「僕がこの本で一番言いたかったのは、『自分の耳を信じてほしい』ということです これが歴史的名盤だとか、この演奏家が偉大だとか、そういう情報はいまの時代にはいっぱいある でも、そういうのはやっぱり自分の耳で決めなくちゃいけないことなんです。自分で決めるってのは、ものすごく骨の折れる作業です。でも、それをやらなければ、音楽を聴く意味はないんじゃないかと思うんですよね 戦前に演奏されたバッハは、いまの時代のバッハとは全然違う。さまざまな演奏の積み重ねを『精神の歴史』としてたどるのは、人間の魂にとって、実はとてもたいせつな作業だと思うんです レコードがある時代に生まれたからこそ、僕はいろんな時代に優れた演奏を見つけることができる。長く生きてきて良かったなと思います」
と締めています 「自分の耳で決めなくちゃいけない」というのは理屈の上ではよく理解できます しかし、自分の耳で決めることができる能力を持っている人は良いですが、私のような ただの音楽好きは、とても1回や2回聴いただけでは決められません 決めるためには「比較」が重要な要素になります 例えばベートーヴェンの「交響曲第7番」は誰の指揮による演奏が自分にとってベストか、といった場合、「名盤」や「決定盤」を含めて複数の指揮者による数多くのLPレコード、CDを比較しながら聴かなければ判断できません したがって、結果として数多くのレコードやCDが所せましと家を占拠することになります そこまで行かなくても・・・・と思うかもしれませんが、「自分の耳で決める」というのは、複数の比較対象があって初めて可能になるのだと思います 村上氏は上記の本の中で、所有レコードは約1万5千枚で、そのうち2割がクラシックだと書いているので、約3千枚のクラシック・レコードを所有していると思われます その中から100曲を選び それぞれについて複数のレコードを紹介しコメントを付したのが上記の本です したがって、村上氏は複数のレコードを「自分の耳で」聴き比べて マイベストを「決めている」と言えます 「自分の耳で決めなくちゃいけない」という言葉の裏にはそのような意味が隠されていると考えるべきだと思います
筒井康隆著「世界はゴ冗談」(新潮文庫)を読み終わりました 筒井康隆は1934年大阪市生まれ。同志社大学卒。1992年に日本SF大賞を受賞した「朝のガスパール」ほか、著書多数
本書には「ペニスに命中」「不在」「教授の戦利品」「アニメ的リアリズム」「小説に関する夢十一夜」「三字熟語の奇」「世界はゴ冗談」「奔馬菌」「メタパラの7.5人」という標題を持つ9つの短編小説と付録として「ウクライナ幻想」が収録されています
巻頭に置かれた「ペニスに命中」は、”まったく信頼できない語り手”によって綴られる暴走老人による超認知症小説とでも言うべき作品で、小説におけるアナーキニズム全開です しかし、そう思わせておいて、筒井康隆という作家は冷静そのものです 表題作の「世界はゴ冗談」は、「お風呂が沸きました」「ファックスを受信します」「バックします」などの電子音が異常をきたし、トンデモナイことを言い出すという話です これなどは、奇才・筒井康隆と言えども 作家というものは日常生活から小説のネタを取っていることが良く分かります
筒井ワールド全開なのは「奔馬菌」です 冒頭は次のように始まります
「春は化けもの。やうやう白うなりゆく生え際、すこしあがりて、垂れたる髪の細くたなびきたる」
ご存知、清少納言「枕草子」のパロディーではありませんか 40歳の安兵衛は「午後3時半という時間は金星のように赤く輝き清々しく明朗である。また午後5時半は、笊蕎麦のようにきりっと締まっていて男らしく、好感が持てる それに引き換え午後の4時半というのは甚だ不愉快だ 何より中年女のようになま暖かいのがくどくていやらしい 4時少し前になったので、おれは今日こそ4時半を征伐に行こうと思い立った」と言って、スリコギを持って出かけるのです 「4時半を征伐する」という発想はどこから出てくるのか、わけが分かりません
よくぞこれほどの言葉を集めたものだ、と感心したのが「三字熟語の奇」です 「一大事」から始まる3文字から成る「三字熟語」を19ページにわたり2360語も紹介しています 全てに目を通して気が付いたのは、日本語にはいかに「三字熟語」が多いかということと、ほとんどの「三字熟語」は二字と一字に分けられるということです 例えば「無一文」は「無」+「一文」で、「一文もない」という意味を表しています
しかし、読み進めていくと、後半の方で「あれっ、こんな字だったっけ?」という三字熟語が出てきます 「缶楽器」「痛話料」「祝我会」「痴識人」「粗父母」といった具合です さすがは奇才・筒井康隆、「一筋縄」ではいきません