4日(水)。昨日午前、マイナンバーカードを引き取りに豊島区の東部区民事務所に行ってきました カードの発行に当たり、個人番号カードの有効期間は、発効日後10回目の誕生日まで、個人番号カードのICチップに埋め込まれている電子証明書の有効期間は、発行後の5回目の誕生日まで、という説明を受けました
また、電子証明書用の暗証番号も設定しました。個人情報なので結構うるさいです
ということで、わが家に来てから今日で2398日目を迎え、野生二ホンザルの餌付けで知られる大分市の高崎山自然動物園は3日までに、9歳の雌ザル「ヤケイ」が、高崎山に生息するB群(677匹)のトップに立ったと発表したが、園のスタッフは「サルの社会にも女性トップの時代が来た」と歓迎した というニュースを見て感想を述べるモコタロです
女性の総理大臣が誕生していない日本は サルの社会に追い抜かれてしまったようだ
昨日、夕食に「筑前煮」を作りました 前回作った時に若干醤油を入れ過ぎて、しょっぱかったので今回は気をつけました
こんにゃくはレシピでは包丁で切ることになっていましたが、スプーンで丸く切り取りました。とても美味しく出来ました
昨日の日経朝刊 国際面に「NYに再び音楽の灯を オペラやミュージカル 幕開けへ苦悶続く」という見出しによる記事が載っていました ニューヨークのメトロポリタン歌劇場の話題に絞って超訳すると、次の通りです
「メトロポリタン歌劇場(MET)やブロードウェーは前例のない休止に直面し、音楽家や劇場関係者らは再会への険しい道を手探りで歩む 5月中旬、ニューヨーク中心部のマンハッタンのMET前の道路に約800人が集まり、気勢を上げた
オペラの楽団員、舞台装置の担当者、チケットの販売員など職種は様々だが、皆ほぼ失業状態にある
METは20年3月にはコロナの急拡大で公演を中止し、秋からの新シーズンもキャンセルした
METと雇用契約を結ぶ団員らは20年4月からほぼ全員が無給休暇となった
METは非営利法人としてチケット収入や寄付金収入などで運営している。通常は年間3億ドル(約330億円)の予算を組むが、コロナ禍で収入が半減したとして、費用の3分の2を占める人件費の削減を進めようとしている
生活を切り詰めてきた団員は猛反発、交渉は難航した
彼らの目には、ライブ配信や少人数の演奏再会などで団員支援に動く米国の他の楽団と比べ、経営陣の努力が足りないようにも映る
関係者によると、これまでに団員の1割が退職。失業保険では家賃が払えない団員もいる。4割は地元に戻ったり、他の楽団に転職したりしてニューヨークを離れた
既に9月以降の公演チケットは販売が決まっており、多くの団員は戻るとみられるが、再開は綱渡りだ
足りなければ臨時のエキストラに頼らざるを得ない
」
日本ではオーケストラが集中する首都圏を中心に「緊急事態宣言」が発出されている中でも、何とかオペラ公演もコンサートも条件付き(観客の上限設定等)で開催されていますが、コロナ感染の再拡大を迎えている米国では、まだオペラやコンサートは解禁されていないようです 文化を取り戻すためにも、世界的にコロナが一日も早く終息することを祈るばかりです
昨日、ミューザ川崎シンフォニーホールでフェスタサマーミューザ参加公演、神奈川フィルハーモニー管弦楽団のコンサートを聴きました プログラムは①ドヴォルザーク:序曲「謝肉祭」、②シューマン「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」、③ドヴォルザーク「交響曲第8番 ト長調 作品88」です
演奏は②のヴァイオリン独奏=郷古廉、指揮=鈴木秀美です
実は、料理を作っているうちに時間が経ってしまい、遅刻して1曲目のドヴォルザークの序曲「謝肉祭」を聴けませんでした 現在 娘の勤務時間が午前7時から午後4時までで、夕方5時には家に帰ってくるので、それまでに夕食を用意しておかなければなりません
昨日は、午前中にマイナンバーカードを受け取り、昼食を取って買い物をしてから帰宅し、すぐに夕食作りに取り掛かったのですが、出来上がった時は開演時間(5時)の50分前でした。最低でも1時間10分は欲しいところです。「しまった
」と思った時はすでに遅く、間に合いません
急いでヤフーの「路線情報(乗り換え案内)」で巣鴨から川崎まで最短時間で行ける行程を検索しました。その結果、山手線⇒東海道線経由で川崎駅に5時6分に着きました。もう1曲目は諦めています
ミューザ川崎に着くとロビーに演奏中の「謝肉祭」の音楽がスピーカーから流れていて、スタッフから「あと5分程度で終了しますので、その時ご案内します」と言われました
ああ、聴けなかったぁ〜 謝肉祭 シャラクサイ
ということで、2曲目のシューマン「ヴァイオリン協奏曲 ニ短調」から聴きました この曲はロベルト・シューマン(1810‐1856)が1853年に作曲しましたが、スコアごと封印状態で埋もれてしまい、シューマンの死後、1937年にベルリンのプロイセン図書館で手稿が発見され、同年初演されました
第1楽章「力強く、速過ぎず」、第2楽章「ゆるやかに」、第3楽章「生き生きと、しかし速くなく」の3楽章から成ります
オケは左奥にコントラバス、前に左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンという対向配置をとります。コンマスは崎谷直人です
ソリストの郷古廉(ごうこ すなお)は1993年生まれ。2013年、ティボール・ヴァルガシオン国際ヴァイオリン・コンクール優勝並びに聴衆賞・現代曲賞を受賞しています 使用楽器は個人から貸与された1682年製ストラディバリ(Banat)です
鈴木秀美の指揮で第1楽章に入ります 冒頭こそ短調特有のほの暗い情熱を感じますが、独奏ヴァイオリンが入ってくるあたりから、どうも人を引き付けるインパクトがありません
林昌英氏のプログラムノートによると、「本作の最大の特徴は、『ヴァイオリン協奏曲』というものに期待される『華やかさ、超絶技巧』の少なさだろう
ソロの大半がヴァイオリンの中音域で作られていて、この楽器ならではの高音の華麗なパッセージといった場面がほとんどなく、ヴィルトゥオーゾの時代だった19世紀の作品としては異例なほど」となっています
まったくその通りです。聴いていて気が付いたのは、独奏ヴァイオリンはそれなりに鳴っているのですが、バックを務めるオーケストラのうち管楽器の活躍する部分が極めて少ないのです
出番があってもホルンのみとか、クラリネットのみとかで、ほとんどが弦楽器だけの伴奏に頼っています
これが華やかさに欠ける要因の一つではないかと思いました
しかし 第2楽章は、独奏ヴァイオリンがとても美しく、消えゆく美しい音を手繰り寄せるかのような繊細な音楽作りが見られました
アタッカで入る第3楽章はポロネーズ風の音楽ですが、「生き生きと、しかし速くなく」の指示にも関わらず、まったく弾みません
あたかも「喜んでいてはいけない
」と言わんばかりの抑制的な意図が感じられます。メンコンやチャイコンなどを聴き飽きた聴衆にとっては新鮮な作品ですが、どうも盛り上がりに欠けていて、ロマン派だったらもっと自己主張の激しい音楽を作った方が良いのではないか、と思ってしまいます
プログラムの「出演者からのメッセージ」に郷古廉氏が概要次のように書いています
「要求される困難な技術に見合った効果もなく、健康からはほど遠い晩年のシューマンそのものを表してたような、恐ろしく痛々しい作品だ レパートリーのひとつにしている演奏家も少ない」としたうえで、「その理由を、作品の完成度が低いからと考える人も少なくないかも知れないが、私は決してそう思わない
むしろこのような説明のつかない歪なものを受容できないような人間ではありたくないと思う
そのような想いを、この作品を通して一人でも共有できたなら、とても嬉しい
」
郷古氏の、この作品への深い想いが切々と伝わってくる文章ですが、聴衆の一人として思うのは「あまりプレッシャーをかけないでほしいなぁ」ということです それでも、滅多に演奏されない作品を取り上げてくれたことには感謝します
ソリスト・アンコールはバッハの無伴奏でした
プログラム後半はドヴォルザーク「交響曲第8番 ト長調 作品88」です この曲は1889年に作曲され、翌90年にプラハで初演されました
第1楽章「アレグロ・コン・ブリオ」、第2楽章「アダージョ」、第3楽章「アレグレット・グラツィオーソ」、第4楽章「アレグロ・マ・ノン・トロッポ」の4楽章から成ります
鈴木氏の指揮で第1楽章に入ります 冒頭はチェロによる どこか懐かしいメロディーから入りますが、次に出てくる独奏フルートが素晴らしい
そしてオーボエとホルンも冴えています
弦楽器は右半分、つまりヴィオラと第2ヴァイオリンが良く鳴っていました
第2楽章ではクラリネット、トランペットが素晴らしい演奏を展開します
固いマレットにより打ち込まれるティンパニが程よいアクセントを与えます
第3楽章は何と言っても冒頭の弦楽器による郷愁を誘うメロディーです
数あるドヴォルザークの名旋律の中でも屈指のメロディーです
なぜか日本人の我々の心に自然に沁み込んできます
第4楽章は一転、トランペットの勇壮なファンファーレで開始されます
ここでは弦楽器の左半分、つまり第1ヴァイオリンとチェロとコントラバスが良く鳴っています
鈴木氏は後半に入るとテンポを落とし、フルート、クラリネット、弦楽アンサンブルに良く歌わせます
そして終結部に向けてテンポアップし、オケを煽り立て、勇壮で華麗なフィナーレを飾ります
ドヴォルザークの交響曲というと、第9番”新世界より”が有名で演奏される機会も多いですが、個人的には第8番の方が好きです 美しく懐かしいメロディーに溢れていて日本人の感性に寄り添った作品だと思います
その意味で、この日の演奏は、美しいメロディーに溢れた胸のすくような清々しい演奏でした