日本のニュースや雑誌のコラムを読んだり、テレビのコメンテーターの発言、たぶん政治家も使っているように思うのですが、気になる言葉があります。
「社会的弱者」という言葉。 何らかの理由で働くことが難しかったり、女性や子供、低所得者に対して使われているようですが、 人を下に見るように受け止められる可能性がある こういった言葉は、カナダでは一般的に公には使われていないと思います。 実際こちらの家族に、辞書&直訳、その意味合いを伝えたてみた所、そういう表現は使わないね〜と言われました。
税金をたくさん納める力があるから「強者」、税金をたくさん納める力がなく、サポートが必要であるから「弱者」そういう発想から来てるのでしょうか。
その「弱者」と言われてしまう立場にある人達は、自分自身の事を「私は弱者」と思っているのでしょうか。実際は そう思っている人達もいるのかなあ。。ウムム。
確かに高所得者からの税金のおかげで、生活の助けになっている部分があることは事実かもしれませんが、なんだかとても 上から目線の傲慢な言葉に感じるのは私だけでしょうか。
「社会的」という言葉が付いているけれども、「弱者」という言葉は、人格をそう扱うような響きを感じるのです。
それと同じように「恵まれない人達」という言葉も、おそらく 同じようなカテゴリーに入る言葉かなと。
経済的、精神的、身体的、年齢的に様々な「社会的支援を必要とする人達」とすると、長くなるからまとめて「弱者」なのかな。 もっと優しい響きの言葉はないのでしょうかねえ。
「社会的弱者」という言葉。 何らかの理由で働くことが難しかったり、女性や子供、低所得者に対して使われているようですが、 人を下に見るように受け止められる可能性がある こういった言葉は、カナダでは一般的に公には使われていないと思います。 実際こちらの家族に、辞書&直訳、その意味合いを伝えたてみた所、そういう表現は使わないね〜と言われました。
税金をたくさん納める力があるから「強者」、税金をたくさん納める力がなく、サポートが必要であるから「弱者」そういう発想から来てるのでしょうか。
その「弱者」と言われてしまう立場にある人達は、自分自身の事を「私は弱者」と思っているのでしょうか。実際は そう思っている人達もいるのかなあ。。ウムム。
確かに高所得者からの税金のおかげで、生活の助けになっている部分があることは事実かもしれませんが、なんだかとても 上から目線の傲慢な言葉に感じるのは私だけでしょうか。
「社会的」という言葉が付いているけれども、「弱者」という言葉は、人格をそう扱うような響きを感じるのです。
それと同じように「恵まれない人達」という言葉も、おそらく 同じようなカテゴリーに入る言葉かなと。
経済的、精神的、身体的、年齢的に様々な「社会的支援を必要とする人達」とすると、長くなるからまとめて「弱者」なのかな。 もっと優しい響きの言葉はないのでしょうかねえ。