悠仁様の高校卒業後の進路についてあれやこれやとニュースがあがっていますが、ご本人の意思を完全に無視した想像で盛り上がっている記事を目にする度に ため息が出てしまいます。一番驚いたのは東大推薦入学への反対署名で、しかも1万人以上もの人が。。。驚愕。
なにこれ。。。
人権侵害ではないでしょうか
一体誰が?
なにこれ。。。
人権侵害ではないでしょうか
一体誰が?
同じ受験生という境遇の学生達? それともその親達?それ以外の人達?
そしたら最近の記事で、東大卒業生達がいるとかで、ええ。。。。。。。。なんか。。。。。がっかり。
もちろん、東大出身の方達を一括りにとは言いません。素晴らしい研究者の方達も沢山いらっしゃるし、大半は批判的な目で一人の高校生である悠仁様を見ていないと信じたい。
小さい頃からトンボの生態に興味を持ち、研究を続けて論文を発表。
トンボに興味を抱いた最初のきっかけはなんだったのかなあ(私の個人的な興味)
きっと幼い頃に何かがきっかけで抱いた興味から、学問の幅を徐々に広げ、論文を書けるようにまで学習されたのだと思いますよ
素晴らしい学習じゃない?
テストで高得点を取るために、丸暗記をしたり、問題集に出ている問題にひたすら向き合う学習よりも(こういった学習が好きな子達はどんどんやればいいと思うけど)、興味関心をベースに主体的に調べ、学習し続けた事は、はるかに知識も深められ、記憶にも残る学習をされているだろうと想像できます(これも想像ではありますが。。)
一人の高校生の進路について批判をする人達は、本当は他にやりたいことがあったにも関わらず、したくもない受験勉強で子供時代の多くの時間を失ってしまった事に対して不平不満や怒り、嫉妬の気持ちが消化しきれず、自分達が通ってきた筆記試験形式の一斉受験をしない方向からのアプローチに不平等さを感じ、その気持ちの矛先が悠仁様へ向いているのではないかと感じてしまいます
だけど、一人の高校生の進路を。学習意欲を邪魔するような発言や行動は
「学ぶ権利」を奪う行為だと思うんですよね
なので、人権侵害に当たる攻撃的な行為だと感じてなりません。
天皇家という特別な境遇にいらっしゃることは事実ですが、一人の学生が持つ「学びたい」と思う気持ちや向上心を私は大切にしてあげたい。
どうか、その向上心を一部の世間の人達から潰されることがありませんように
こういうニュースを目にすると つくづく受験制度、特に偏差値に固執するような制度は廃止したらいいのにと思ってしまいます
試験に合格さえすれば、行きたい進学先へ行けるという意味で平等という考えもあるようですが、偏差値がより高い受験校に合格することを目的として、貴重な子供時代、友達や家族と過ごせる時間を「受験だからしかたない」という概念で諦めなくてはならない。
子供は本来 好奇心に満ち溢れているのに、子供自身がその子供時代に 主体的に考え行動する機会を心ゆくまま得られず、その年齢だからこそ得られる貴重な時間を奪う教育は本当に未来の健全な大人と社会を作っていけるのでしょうか
一人の高校生をターゲットに、こういった批判が一部の大人達から多く出る事も、今までの受験制度が作り出した事と関係があるのではないでしょうか
日本の教育制度を作る人達は、あらゆる年齢の自然体の子供達の中に入り、子供達の目線を体験し、子供達の話をアクティブに耳を傾け、見直した方がいいと思う。親世代は自分達が受けた教育に固執せず、もっと世界の様々な国の教育にも目を向けてほしいです
人はみんなそれぞれに得意不得意があるけれど、その得意が特技として開花するスピードも人それぞれ。興味関心も移り変わる。そこから視野も知識も広がる。自分で興味を持ったことは主体的に学ぶ力を持っている。だから、ある一定の年齢時期でのテストの結果で、その子の才能や人としての優劣をジャッジしないでほしい。
偏差値概念にしばられ、10代の受験の合否で人生が終わった。。なんて感じてしまったり、他人と比較して劣等感を抱いてしまう学生がいたとしたら、それは大間違いで、受験制度の最大のデメリットだと私は思います。
社会人になってから休みをとって学生になる。。というのは、なかなか簡単な事ではないけれど、本当にやってみたいことがあったら、学習も挑戦もいくつになってもできる。
今持っている興味や好奇心を大切に持ち続け、実体験を積み、学習を続ける事。視野を広く持つ事。大人だってできるし、それらを今頑張っている子供達とその時間を尊重してあげられる大人でいたいなと思う。
制度を変えられない限り、今も一生懸命に頑張っている受験生達を否定はできないし、その頑張りが、自分が納得できる成果につながるといいねと願うしかないけれど、 今 頑張っている学生達の学習意欲や好奇心、進路を、周りの大人達があーだーこーだ騒ぐのはおかしいと思う。
悠仁様も、自分が納得のできる進路に辿り着けますように。
もちろん、東大出身の方達を一括りにとは言いません。素晴らしい研究者の方達も沢山いらっしゃるし、大半は批判的な目で一人の高校生である悠仁様を見ていないと信じたい。
小さい頃からトンボの生態に興味を持ち、研究を続けて論文を発表。
トンボに興味を抱いた最初のきっかけはなんだったのかなあ(私の個人的な興味)
きっと幼い頃に何かがきっかけで抱いた興味から、学問の幅を徐々に広げ、論文を書けるようにまで学習されたのだと思いますよ
素晴らしい学習じゃない?
テストで高得点を取るために、丸暗記をしたり、問題集に出ている問題にひたすら向き合う学習よりも(こういった学習が好きな子達はどんどんやればいいと思うけど)、興味関心をベースに主体的に調べ、学習し続けた事は、はるかに知識も深められ、記憶にも残る学習をされているだろうと想像できます(これも想像ではありますが。。)
一人の高校生の進路について批判をする人達は、本当は他にやりたいことがあったにも関わらず、したくもない受験勉強で子供時代の多くの時間を失ってしまった事に対して不平不満や怒り、嫉妬の気持ちが消化しきれず、自分達が通ってきた筆記試験形式の一斉受験をしない方向からのアプローチに不平等さを感じ、その気持ちの矛先が悠仁様へ向いているのではないかと感じてしまいます
だけど、一人の高校生の進路を。学習意欲を邪魔するような発言や行動は
「学ぶ権利」を奪う行為だと思うんですよね
なので、人権侵害に当たる攻撃的な行為だと感じてなりません。
天皇家という特別な境遇にいらっしゃることは事実ですが、一人の学生が持つ「学びたい」と思う気持ちや向上心を私は大切にしてあげたい。
どうか、その向上心を一部の世間の人達から潰されることがありませんように
こういうニュースを目にすると つくづく受験制度、特に偏差値に固執するような制度は廃止したらいいのにと思ってしまいます
試験に合格さえすれば、行きたい進学先へ行けるという意味で平等という考えもあるようですが、偏差値がより高い受験校に合格することを目的として、貴重な子供時代、友達や家族と過ごせる時間を「受験だからしかたない」という概念で諦めなくてはならない。
子供は本来 好奇心に満ち溢れているのに、子供自身がその子供時代に 主体的に考え行動する機会を心ゆくまま得られず、その年齢だからこそ得られる貴重な時間を奪う教育は本当に未来の健全な大人と社会を作っていけるのでしょうか
一人の高校生をターゲットに、こういった批判が一部の大人達から多く出る事も、今までの受験制度が作り出した事と関係があるのではないでしょうか
日本の教育制度を作る人達は、あらゆる年齢の自然体の子供達の中に入り、子供達の目線を体験し、子供達の話をアクティブに耳を傾け、見直した方がいいと思う。親世代は自分達が受けた教育に固執せず、もっと世界の様々な国の教育にも目を向けてほしいです
人はみんなそれぞれに得意不得意があるけれど、その得意が特技として開花するスピードも人それぞれ。興味関心も移り変わる。そこから視野も知識も広がる。自分で興味を持ったことは主体的に学ぶ力を持っている。だから、ある一定の年齢時期でのテストの結果で、その子の才能や人としての優劣をジャッジしないでほしい。
偏差値概念にしばられ、10代の受験の合否で人生が終わった。。なんて感じてしまったり、他人と比較して劣等感を抱いてしまう学生がいたとしたら、それは大間違いで、受験制度の最大のデメリットだと私は思います。
社会人になってから休みをとって学生になる。。というのは、なかなか簡単な事ではないけれど、本当にやってみたいことがあったら、学習も挑戦もいくつになってもできる。
今持っている興味や好奇心を大切に持ち続け、実体験を積み、学習を続ける事。視野を広く持つ事。大人だってできるし、それらを今頑張っている子供達とその時間を尊重してあげられる大人でいたいなと思う。
制度を変えられない限り、今も一生懸命に頑張っている受験生達を否定はできないし、その頑張りが、自分が納得できる成果につながるといいねと願うしかないけれど、 今 頑張っている学生達の学習意欲や好奇心、進路を、周りの大人達があーだーこーだ騒ぐのはおかしいと思う。
悠仁様も、自分が納得のできる進路に辿り着けますように。