toty日記

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「最初は」があって、よかった。

2011-10-29 03:00:20 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんの話が入っているカセットテープの話を書いた。

そのなかで
「ご主人はどんなかたでしたか?」という質問に、

「いい人でした。疑うということを知らない、いい人でした。
最初は、物足りないほど、いい人でした。」

というくだりがあって、
子供としては、微妙な気持ちになるが、
「最初に」ということばが、あって良かったとちょっと、ほっとした。

でも、母と父をよく知っていらっしゃる方には
なんとなく、頷ける言葉だと思うのです。


続けて、「下の方に恵まれて、職場でも上のほうにいくことができ
おかげで、遺族年金を十分いただいてます。」ですって。

そうなのよね、おかげで、子供は経済的な心配をしないですんだのですから、
すべてに感謝しなくてはならないです。


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音のプレゼント

2011-10-14 01:55:15 | おおはる話(母のこと)
10日に納骨をした際、
K牧師さんから、カセットテープをいただいた。

数年前、おおはるさんが自分の一生をみなさんにお話したことが
あったそうで、大きな出来事を振り返って、話している。

それを聞いていると、今まで知らなかったこともあるし、
知ってはいても、直接おおはるさんから聞いたことはなかったな、
ということもあるし、なかなか面白い。

話のきっかけは、信仰を得た経緯を話すためのようだったが、
そこはさっぱりとしていて、そのあと「おおはるの歴史」として
A4にポイント7くらいでびっちり書き込まれた資料を見ながら
話している。

十代後半に臭かる草軽電鉄からおっこちた話、
大怪我をして入院した病院で

無意識に
「この薮医者、殺す気か!」と大声をあげて
あとで、伯父に恥ずかしかったといわれた話。

そのとき、あおい草原で、気持ちのいい風にふかれて
ずっとそこにいたかったのに、引き戻された話。


同窓会で、コンピュータを購入することになった時、
四トントラックで届けるといわれて、
どんなに大きなものが届くかと心配した話、


同じく、同窓会で事務局長をしていた頃、OBから寄付を募って、
「一億円集めました」と、かなり自慢げなようす。
ただし、小原国芳が生きていたころですから、と
カリスマの存在を言っていること。


東京大空襲の時の、ようす。
そして疎開先である北軽井沢には、

海軍のしょうこん部隊(戦闘機の燃料にと松の根から油をとっていた)がいたこと
幼年学校も疎開していたこと、

とんがっていた鍬が丸くなるほど開墾したこと
大豆や、小豆や、お米がいっぱいとれたこと。


教会の方々が、
「まぁ~~~」とか
「へぇ~~~」とか
大笑いしていたりとか、

その場の雰囲気も伝わり、何回も聞いている。

最後に、好きな聖書のことばがあげられ、
そのあとに、渡辺和子さんの言葉が入ったテープを紹介していて

その中に
「死のリハーサル」ということばと
「小さな死」をつみかさねて、死の準備をするといった話が語られる。


たまたま、今日Aさんとゆっくり話す時間があったので
このテープの話をして、いいものをプレゼントされたといわれた。

彼女は、10年程前になくされたご主人の姿、形、手、後姿等はいつでも
目に浮かぶのだが、
声が思い出せないというのだ。

確かに、大人になってからの話をテープにとるということは
なかなかしないし、人生を振り返っての話など、なかなか残ることは少ない。
本当に貴重な音のプレゼントをいただいたと、K牧師に感謝する次第である。


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いく所があることは、いいことだ

2011-09-15 22:51:42 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんは、晩年、教会に熱心に通っていた。
古淵の教会に行くときは、行きはタクシー、
そして帰りは牧師さんの車で送ってもらっていたという。

その間、家族のこと、若いころの話、
政治の話から趣味の話、
幅広い話ができたので、それも楽しかったようだ。

姉が早くに亡くなり、
私も長男に嫁ぎ、夫の両親と同居していたので
自分の身は自分でと、早々と老人ホームに入ったのだが

入居した後で、ちょっと早まったなといっていたのは
まともな話のできる相手がホームにはいないという事実に気づいたからだった。

そこで、教会に通うことや、H叔母が入院してからは
その見舞いに毎日通っていたのは、
話し相手を見つけようとのこととも、考えられた。

曽野綾子が「いくところがあることは、いいことだ」と言っていると
しきりと言っていた。

そういう目で、勤め先を見ると、
それぞれに合った会話ができているか、
なかなか難しい。

介護度とは別に、会話が成り立つような、関心の持ち方、
通り一遍でない関心の持ち方。
人間の力がためされる。


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涙腺の問題

2011-09-01 10:01:06 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんがなくなった当日、
山吹の里から病院に向かいながら

これは、ティッシュが足りなくなると
途中のコンビニで箱入りのティッシュと、ポケットティッシュと
タオルを買い込んだ。

これだけ用意すれば,大丈夫。

というのは、私の涙腺は異常にもろく、
つまらないドラマを見ていても涙がでてきてしまうことがあって、
どうにも始末に困ることが多いからだ。

でも、そのわりに、山吹の里での「東京ブギウギ」のリズムが出てきたり
不思議な感情の交錯があったりした。

山吹をでるとき、S叔母に電話したら、
動転しているはずだから、運転気をつけてといわれたが

涙腺の問題に気づくあたり、
まだ冷静かなと自分で思ったりしていたのでもある。


病院についてからは、
すぐに葬儀社に連絡をと言われ、
携帯に入っていた「葬儀社」に電話を掛け、

これこれしかじかで、ちょっと遠いが病院に迎えにきてくれるかと
きいたところで、念のため、家のあたりの地名をいって、
そこにあるんですよねというと、「練馬です」との答え。

よく考えたら、おばがなくなった時、献体をするので
棺の世話になった葬儀社だった。

姑の時にお世話になった葬儀社は名前で携帯に登録されていたのに
あわてているとみつからず、

はなちゃんが「地名・葬儀社」と携帯のインターネットでさがしてくれて
やっとみつかった。

あわてていると、ろくなことはない。
が、やっぱりあわてていたのである。


病院の手続きや全て終わって、
葬儀社の車と、乗鞍から駆けつけた夫と、私と
三台の車で連なって、家に帰った。

家での準備等を子供達に伝えていたら
携帯の電池が切れ、画面が真っ黒になってしまった。

その晩一晩充電しても、画面の真っ黒は変わらない。
あちこちいじっても、直らないので、
これは、修理のところへいって、なおしてもらわないと

これからの連絡等困ると、
次の朝一番に坂上まででかけ、サービスに事情を話すと
電源スイッチを、5秒押せばと、あっという間に元にもどってしまった。

あまりにも、あっけなく
得てして、こういう時は滑稽なことが起こるものだと
自分ながらおかしかった。


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一週間がたって

2011-08-29 01:05:46 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんの死から一週間がたって、
葬儀もおわり、やっとほっとしました。

皆様からコメントをいただき、有り難う御座いました。
落ち着きましたら、ゆっくり返事させていただきます。

葬儀の準備、かかってくる電話の応対、
決めなければならないことをこなす等、
あっという間の一週間でした。

牧師さんに言われて作成したおおはるさんの経歴。
ここに、書いておきます。


大正8年12月15日 港区麻布飯倉に6人兄弟の三番目、長女として生まれる。

森村幼稚園、成城学園小学校、成城学園女学部に入学、3年次に玉川学園女学部に編入。同女子高等部を卒業。その後玉川学園小学部にて数学をしばらく教える。

学生時代は、玉川学園の合唱や体操の講演旅行に参加したり、合唱コンクールに出場したり、NHK交響楽団の前身である新響の第九演奏会に合唱で参加している。

昭和17年、Yと結婚。広島市で新婚生活をスタート、転勤により東京阿佐ヶ谷に移る。昭和18年、長女Hが誕生。その後北軽井沢に疎開。夫の転勤にともない、御代田(みよた)、小諸、穂積(ほづみ)と移り、小諸時代(昭和22年)二女toty誕生。昭和25年に東京洗足のYの両親と同居、26年には世田谷の経堂に移る。

家庭生活を営むなか、
中江ゆりさんがなさっていた料理教室に通い、のちには長女Hの友人を集めて自宅で料理を教えていた時期もあった。

木彫を女学校時代の美術の牧田先生に長期間習い、狛江にあった「きつつき会」で習うかたわら、横浜産経学園で教えたり、自宅、杉並でも教室をもって、教えていた。

英語は、経堂にあるフレンド英語教室マザースクラスに50年通い続け、現在95歳になられる兼子先生を中心に三人の生徒の一人として、病にたおれるまで、毎週火曜日の教室を楽しみにしていた。長いこと、ハリーポッターを原著で読み、最近は赤毛のアンを読んでいるといっていた。

(以下は、兼子先生から寄せられたメッセージです。
20数名で始めたクラスも高橋さん(85歳)佐野さん(93歳)、私、兼子(95歳)と3名になってしまいました。米沢さんとの楽しかった日々を宝として与えられました日々を過ごしていきたいと思います。)

昭和30年ごろから、卒業した玉川学園の同窓会の事務を手伝うようになり、名簿制作、会計処理等、大いに活躍した。
特に、名簿の管理などにコンピュータの導入を考え、自ら自宅近くのパソコン教室に通い、プログラムから習い、後の同窓会事務に役立てた。また、事務局長、副会長などを歴任した。

同窓会を手伝うようになってから、玉川学園の創設者、小原国芳先生の思い出を残すことを卒業生によびかけ、「野路ははるけし…165人の小原先生」という本を刊行する。玉川学園の創設期を知り、そして小原先生を慕う方々の記憶が残っているうちにとはじめたこの企画のため、ノートパソコンをリュックにかつぎ、入院中の夫の見舞いのかたわら、集めた原稿の全文を入力、校正作業を親友のNさんが担ってくださって、発送まで、一生懸命だった。

平成4年、長女Hがなくなってからは、つくばに住むHの家族のもとに通い、夫が入院の折は付き添って一緒に入院、二人部屋に住まって、他の患者さんのカウンセラーのごとく、また看護婦さんの助手のごとくすごしていた。

一週間のうち、4日は病院、2日はつくばの長女宅、一日は経堂の自宅という暮らしを続けた時期もあった。

Hが点訳に興味をもっていたことから、Hが亡くなってからは、点字図書館の講習会に参加、コンピュータでの点訳作業をマスターし、つくばにある点訳後援会で本の点訳に参加、かなりの数の本の点訳を完成していた。

楽しむことも上手で、小学校時代、ハンネス・シュナイダーに習ったことが自慢だったスキーにでかけたり、世界を旅したり、病人を抱えながらも充実した毎日を過ごした。

夫が町田にある病院で入退院を繰り返していたので、面会に便利なよう玉川学園にアパートを借り、夫が平成12年に亡くなってからは、やはり玉川学園にある老人ホームに入った。いつも「よりかかる」ことはなく、自分で考え実行するのが早かった。

平成に入った頃から、経堂の協会に通うようになり洗礼も受け、玉川学園に引っ越してからは、古淵の教会の礼拝に参加、水曜の聖書の学習会にも出席、家庭的な教会の雰囲気を好み、週に二回は教会のみなさんと祈る機会をもっていた。

ゲームが好き、毎日一万歩を歩く、おいしいものが好き等、エピソードをあげていたらきりがないが、孫5名、曾孫6名に慕われ、本人も良く皆をかわいがっていた。

平成21年7月30日、出血性脳梗塞で倒れ入院、23年8月21日、約2年の闘病生活を終えた。最後は眠るようだったという。

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お知らせ

2011-08-22 08:43:06 | おおはる話(母のこと)
昨夕、おおはるさんが二年を越す闘病のすえ、なくなりました。
山吹のコンサートがすみ、帰り支度をしていたとき、
たっちゃんから連絡が入り病院へかけつけました。

最期にまにあったはなちゃんたちに、眠るように亡くなったときき、
よかったと思いました。

舅が前々から、言ってくれていたので自宅に連れ帰りました。

この一週間、かなり忙しかったのですが
それが終わったとたんだったので、私のスケジュールを知っていたかのようでした。

このブログも、おおはるさんの容態をお知らせする意味もこめていたので
ここにお知らせします。

びっくりしたこと

2011-08-15 23:55:41 | おおはる話(母のこと)
今日、おおはるさんの見舞いにいったものの、
ぐっすり寝こんでいるので、ぼーとしていたら、

あやちゃん一家(姪の一家)が登場。

福岡から、車で16時間、休憩も入れると20時間もかけて上京。

前橋のせんちゃんの実家、千葉のなおちゃん宅と
寄ったのち、おおはるさんの病院にたどりついたそうな。

おおはるさんに耳元で、あやちゃんたちがきてくれたよ!というと
ぱちっと目を開き、

しっかりとみんなの顔をながめて
頭をなでるというか、軽くたたいて、とても元気だった。

この頃は、大きないたずらもしなくなったので
ミトンもはずされていて、直接手でふれあっていた。

晴ちゃんも、周ちゃんも真っ黒に日焼けしていて、
晴ちゃんは陸上で長距離(毎日7キロは走っているんだって!)

周ちゃんは野球で毎日外に出ているので
真っ黒なのだそうだ。

久しぶりに、こんなに黒い子供達を見た。

デジカメで撮った、なおちゃん一家の写真も見せてもらって
みんな元気そうなので、よかった。

長距離運転の話をすると、みんなびっくりするだろうけど
我が家は結構長距離やってるので、あまりおどろかないんだと、笑った。

でも、いちおう、タイトルは「びっくりしたこと」にしておいた。
やっぱり、びっくりはしたんだよ。


病室を出たとき、周ちゃんが食べられないからなんだね、と
やせたことを気にしていた。
ずっと会っていなかったので、よけい気になったのだろう。

「かるた」ある?というので
おおはるかるたを引出から出して、改めてみる。

これ作った時、思いついてから
時間的に間に合わないよといいながら、作ったんだと
あやちゃんと、せんちゃんも思い出話。

前はわからなかった「呼子のイカ」をテレビでやっていた話とか
珍しい食べ物の話、
おばあちゃんは、おいしいものが好きだったという話をしたり

良く看護婦さんもみてくれたんだよと、話した。
あさって(水曜日)に福岡にかえるそうです。

また、明日も会えるねと、別れてきました。


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生命力

2011-07-12 22:00:10 | おおはる話(母のこと)
一時は、遠くから何人かがかけつけてくれたおおはるさんの病状、
このところ落ち着いてきて、

声もでるようになり、
手も大きくうごかすようになり、

お医者様も、看護婦さんも口をそろえて
すごい生命力ですね、とおっしゃってくださるほどに回復した。

万一を考えて、一人部屋にしていただいていたが
また、長期戦を考えた方がいいとのことで

二人部屋になさったらとの言葉に
元に戻して頂いた。


病院は涼しくて、
見舞いに行って、
涼んで帰ってくるという感じである。

倒れてから、そろそろ2年。
倒れた頃も暑かったなと、思う。


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上から見ないで!

2011-04-10 22:23:25 | おおはる話(母のこと)
このところ、
おおはるさんの見舞いにいくと

寝ている状態が多いので
まず、「おはよう。」

帰りに、「じゃ、帰るね。」というと
「ありがとうね。」位の言葉しか交わさない。

それが、先日は、ベッドの上から(立ったまま)話しかけたら
「上から見ないで!」とはっきりと言われた。

そうか、ベッドの横に座って話すのと
立って話すのでは、圧迫感が違うのだなと、思った。

目線は同じにと、よく言われるが
また、教わった気がした。


このところの備忘録として。

水曜日、舅と染井のお墓に枝垂れ桜の開花の様子を見に。
五分咲きというところ。

そのあと、六義園の枝垂れ桜も見ようと行ってみたら、
駅近くの入り口は閉まっていて、裏側に回された。

裏側の門まで行ってみたら、今度は長蛇の列、
諦めて六義園を一周して車の場所まで戻った。
都合、6000歩。

その後K会館に、舅が受けるインタビューとやらにつきあう。


木曜日はおおはるさんの病院に行った後、
アメリカから展覧会のために帰国している友人と会うため夜出かける。
数人で集まり、つもる話、みんなタフ。


金曜日は、車いすを貸してくれるはなしがあって、
朝一で受け取りに、それからお花見。(これは昨日書いた)


土曜日、山吹の里のコーラス。
今月は、「朧月夜」「北国の春」「お山の杉の子」

このところ、第2、第4の土曜日に設定していたら
ケアプラン会議と重なるとのこと、
会場の変更、あるいは日にちの変更、
どちらかを考えなければならないようだ。


日曜、夫、舅、たまたま遊びに来た甥と一緒に
染井に。墓参り+花見。

お天気もよく、満開の桜を堪能。
車で桜がきれいなところを、まわる。
食事も外でとり、のどかな一日。


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どうしてこんなになっちゃったんだろうね

2011-02-28 23:35:55 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんの見舞いに行ったら
隣のベッドは新しい患者さんにかわっていた。

面会に来ていたご主人らしき方が

奥さんに向かって
「あんたは悪いことしたわけじゃないのに
どうしてこんなになっちゃんたんだろうね」
と、繰り返し繰り返し呼びかける。

まわりも気にせず、心から何回も何回も言っている。

どうして、という思いは誰もが思うだろう。
特に男性のほうが、こういう思いが強いようだ。


最近私はいくと
CDで音楽をかけて、一緒に聴いている。

おおはるさんは、右手を自分の胸と私の手と交互にさわるように
それをずっと続けている。

言葉は少なくなってきて
いってすぐは、目をさましたかのように「おはよう」
帰るときは、「ありがとう」

何かを話しかけても、返事がないことが増えた。


「見事な死」文春文庫を最近読んだ。
人生の最期をそばにいて看取った人が著した
48人の死。

思うように死ぬことができるのは、幸せだと思いつつ
なかなかそうもいかないなとも、感じる。


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帰りたいといいませんか?

2011-01-31 22:33:29 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんの病室は二人部屋である。
このところ、同室の方のご家族と話すことが時々ある。

その方は、お母様が何度も家に帰りたいというと、
困っていらっしゃる。

そういえば、おおはるさんは家に帰りたいとか
こちらが困るようなことは、一切言わない。

そもそも、姉も私も長男に嫁いだ時点で
自分のことは自分でと思って居た節があって、

元気なうちに老人ホームに入居したのも
その思いからだと思うと、ちょっと切ない。

いつだったか、Sおばと話していた時、
「この人は、ずっと人のお世話ばっかりしてきて
もっと甘えていいのにね。」と言ってくれた言葉が
思い出される。

若い頃から、親子関係でもさっぱりしたもので
よっかかることをしない人だった。

それでいて、面倒見はとことんする。


最近、病室で
「よしこちゃ~ん、助けて」と何回も呼ぶと聞くと
今まで、押さえていたものがあったんだろうかと、
考えてしまうことがある。


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あやちゃんのカード

2010-12-22 18:43:57 | おおはる話(母のこと)
前回の続きです。

あやちゃんから届いたカードは
おおはるさんが病院でベッドに寝ている図なのですが
クリスマスツリーの前にはプレゼント。

そして、ベッドとプレゼントがポップアップするもの。

何気ない色使いだけど
このアイデアは、おおはるさんと一緒にいるんだよという
思いがこもっている気がしたのです。

フラッシュがたかれて、色がちょっと飛んでしまったのすが
いかがでしょう?

追記
ここまで書いて、ブログをアップしてよく絵を見たら
これが病院だなんてことは、どこにも感じられない絵で

私が勝手に病院のおおはるさんと思っただけのようで
ベッドに寝ているのは子供で、一緒に動物のお人形が寝ているのかな?

「ベッド=病院」とは
おおはるさんで、頭がいっぱいになっていたので
思い込みだったようです。


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インパクトのあるカード

2010-12-21 10:47:25 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんの誕生日に、
あやちゃん一家(以前、ご紹介したおおはるかるたを作った姪の一家)から、
封筒が届いていて
カードが何枚も入っていた。

これは、晴ちゃん製。

なんか、元気が出てくるカードですね。

添えられていた他のカードには、晴ちゃんの中学の制服姿、
周ちゃんのたくましくなった姿、
みんな、大きくなったんだなと、見ながら思いました。

おおはるさんも、じっと見入っていました。

あやちゃん作のカードもアップしようとしたら
デジカメの電池がなくなってしまっていたので
また、後で。

これまた、いいカードなので、ご期待を!


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おおはるさん、91歳

2010-12-16 11:06:59 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんは、昨日で91歳になった。
何人かの方にお電話いただき、最近はいかがですか?ときかれた。

このところ、病院にいっても寝ていることが多い。
特に入浴日は、お風呂に入って疲れるのか
ぐっすり寝ていて、揺らしても、声をかけても
起きなくて、そのまま帰ってくることも増えた。

でも、話をすると、一ひねりした答えが返ってくる。

「そろそろ、美容院の人に頼んで、髪切ってもらおうね」
といったら、看護師さんが話にあわせて

「おおはるさん、きれいにしてもらおうね」には
「もともと、きれいだよ!」


リハビリの先生が、指や足や腕を動かしていると
痛いのか、「やめて、やめて」
と空いている手で、先生をたたこうとする

先生に申し訳ないので、その手を押さえていると
「離して、離して」というので

「離すと、先生のことたたくでしょ」
「やらないから」
「本当?」
「うそ!」

看護師さんが、こういう話を覚えていて、
私が行くと、いろいろ教えてくれる。

おおはるさん、面白いね~と。


昨日は、舅と御殿場に行った帰りに
病院に花を届けた。
枕元に、彩ちゃんたちの手紙があったので

見せながら、周ちゃんや晴ちゃんの手紙を声に出して読んでいたら
涙声になってしまって、困った。

帰り、舅も鼻をくしゅくしゅさせていたから、同じ気持ちだったのだろう。


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あっちゃこっちゃ痛い

2010-10-28 23:33:30 | おおはる話(母のこと)
このところおおはるさんの見舞いに行っても
ぐっすり眠っていて、あまり話せないことが多かったのだが

昨日は、metal君も一緒にいったせいか
かなり話していた。

「また、大きくなったね」には、
「いや、もう縮みだしたんです。」

「どの位?」
「一センチくらい」

「彼女は?」
「まだいないんですよ」には、

「彼女ができたら、一番につれてらっしゃい」


そのうち、
「痛いよう~~」
「助けてよう~~」と、いいだした。

「どこがいたいの?」ときくと、
「あっちゃこっちゃ」
そして、「心が痛いよう~~」には、ちょっと複雑な心境。


metal君と帰りに話したのは、
これだけ長く寝ていると認知症になってくるけど
おばあちゃん、まだまだ大丈夫だね。

となりのベッドの方は、
ナースコールのブザーを、いつも握りしめていて、

看護士さんに
「私がここにいるときは、押さないでね」
とたしなめられており、

向かいのベッドの方は、
すぐに酸素の管をはずしてしまうし、

看護士さんたちは、この病室にしょっちゅう出入りしている。


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