toty日記

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一週間がたって

2011-08-29 01:05:46 | おおはる話(母のこと)
おおはるさんの死から一週間がたって、
葬儀もおわり、やっとほっとしました。

皆様からコメントをいただき、有り難う御座いました。
落ち着きましたら、ゆっくり返事させていただきます。

葬儀の準備、かかってくる電話の応対、
決めなければならないことをこなす等、
あっという間の一週間でした。

牧師さんに言われて作成したおおはるさんの経歴。
ここに、書いておきます。


大正8年12月15日 港区麻布飯倉に6人兄弟の三番目、長女として生まれる。

森村幼稚園、成城学園小学校、成城学園女学部に入学、3年次に玉川学園女学部に編入。同女子高等部を卒業。その後玉川学園小学部にて数学をしばらく教える。

学生時代は、玉川学園の合唱や体操の講演旅行に参加したり、合唱コンクールに出場したり、NHK交響楽団の前身である新響の第九演奏会に合唱で参加している。

昭和17年、Yと結婚。広島市で新婚生活をスタート、転勤により東京阿佐ヶ谷に移る。昭和18年、長女Hが誕生。その後北軽井沢に疎開。夫の転勤にともない、御代田(みよた)、小諸、穂積(ほづみ)と移り、小諸時代(昭和22年)二女toty誕生。昭和25年に東京洗足のYの両親と同居、26年には世田谷の経堂に移る。

家庭生活を営むなか、
中江ゆりさんがなさっていた料理教室に通い、のちには長女Hの友人を集めて自宅で料理を教えていた時期もあった。

木彫を女学校時代の美術の牧田先生に長期間習い、狛江にあった「きつつき会」で習うかたわら、横浜産経学園で教えたり、自宅、杉並でも教室をもって、教えていた。

英語は、経堂にあるフレンド英語教室マザースクラスに50年通い続け、現在95歳になられる兼子先生を中心に三人の生徒の一人として、病にたおれるまで、毎週火曜日の教室を楽しみにしていた。長いこと、ハリーポッターを原著で読み、最近は赤毛のアンを読んでいるといっていた。

(以下は、兼子先生から寄せられたメッセージです。
20数名で始めたクラスも高橋さん(85歳)佐野さん(93歳)、私、兼子(95歳)と3名になってしまいました。米沢さんとの楽しかった日々を宝として与えられました日々を過ごしていきたいと思います。)

昭和30年ごろから、卒業した玉川学園の同窓会の事務を手伝うようになり、名簿制作、会計処理等、大いに活躍した。
特に、名簿の管理などにコンピュータの導入を考え、自ら自宅近くのパソコン教室に通い、プログラムから習い、後の同窓会事務に役立てた。また、事務局長、副会長などを歴任した。

同窓会を手伝うようになってから、玉川学園の創設者、小原国芳先生の思い出を残すことを卒業生によびかけ、「野路ははるけし…165人の小原先生」という本を刊行する。玉川学園の創設期を知り、そして小原先生を慕う方々の記憶が残っているうちにとはじめたこの企画のため、ノートパソコンをリュックにかつぎ、入院中の夫の見舞いのかたわら、集めた原稿の全文を入力、校正作業を親友のNさんが担ってくださって、発送まで、一生懸命だった。

平成4年、長女Hがなくなってからは、つくばに住むHの家族のもとに通い、夫が入院の折は付き添って一緒に入院、二人部屋に住まって、他の患者さんのカウンセラーのごとく、また看護婦さんの助手のごとくすごしていた。

一週間のうち、4日は病院、2日はつくばの長女宅、一日は経堂の自宅という暮らしを続けた時期もあった。

Hが点訳に興味をもっていたことから、Hが亡くなってからは、点字図書館の講習会に参加、コンピュータでの点訳作業をマスターし、つくばにある点訳後援会で本の点訳に参加、かなりの数の本の点訳を完成していた。

楽しむことも上手で、小学校時代、ハンネス・シュナイダーに習ったことが自慢だったスキーにでかけたり、世界を旅したり、病人を抱えながらも充実した毎日を過ごした。

夫が町田にある病院で入退院を繰り返していたので、面会に便利なよう玉川学園にアパートを借り、夫が平成12年に亡くなってからは、やはり玉川学園にある老人ホームに入った。いつも「よりかかる」ことはなく、自分で考え実行するのが早かった。

平成に入った頃から、経堂の協会に通うようになり洗礼も受け、玉川学園に引っ越してからは、古淵の教会の礼拝に参加、水曜の聖書の学習会にも出席、家庭的な教会の雰囲気を好み、週に二回は教会のみなさんと祈る機会をもっていた。

ゲームが好き、毎日一万歩を歩く、おいしいものが好き等、エピソードをあげていたらきりがないが、孫5名、曾孫6名に慕われ、本人も良く皆をかわいがっていた。

平成21年7月30日、出血性脳梗塞で倒れ入院、23年8月21日、約2年の闘病生活を終えた。最後は眠るようだったという。

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お知らせ

2011-08-22 08:43:06 | おおはる話(母のこと)
昨夕、おおはるさんが二年を越す闘病のすえ、なくなりました。
山吹のコンサートがすみ、帰り支度をしていたとき、
たっちゃんから連絡が入り病院へかけつけました。

最期にまにあったはなちゃんたちに、眠るように亡くなったときき、
よかったと思いました。

舅が前々から、言ってくれていたので自宅に連れ帰りました。

この一週間、かなり忙しかったのですが
それが終わったとたんだったので、私のスケジュールを知っていたかのようでした。

このブログも、おおはるさんの容態をお知らせする意味もこめていたので
ここにお知らせします。

東京ブギウギ

2011-08-21 08:33:24 | 山吹の里では
今日は第三日曜日、ということで
山吹の里のコンサート。

山吹コーラス隊は
・海(松原とおく)
・手のひらを太陽に
・東京ブギウギ
を、歌います。

「東京ブギウギ」
笠置シズ子の歌うところを、ユーチューブで見ると
本当に歌い踊り、元気なこと!
あの元気にあやかって、元気に歌えれば。

この歌、聴くことはあっても
最初から最後まで歌える人って、そうはいない。

さわりのところは、みな歌えるので
ユーチューブで一生懸命覚えて、土曜日の練習2回で
みなが、まがりなりに歌えるように練習した。

なぜ、この歌を今月の歌にしたかというと
前回、弦楽合奏のアンサンブルフリージアJrさんが
この歌を演奏してくれたから。

いつか、またいらしてくださるときに
一緒に歌えたら、それこそ楽しいから。

メインの
出演は、塩田武男とマウイアイランダーズの皆さんのハワイアン。

コールマグノリアさんのコーラス

かっこうさんのギターをマンドリンに合わせての、「みんなで歌おう」

午後2時から、山吹の里1階にて。
どうぞ、おでかけください。


例のごとく、ただいまプログラム作成中。

本日のプリンター、しごく順調で現在のところ
紙送りのトラブルも無く、
インクの不足による、失敗も無く、
紙の置き間違いによる天地さかさまもなく…
一枚のロスもなし(←珍しい!)

写真には、I夫人から送っていただいた
アーティチョークの画像を利用させていただいた。感謝。


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いろいろ

2011-08-19 23:49:15 | 日常のあれこれ
今日の雨は、本当に久しぶりで
涼風を運んできてくれて、ほっと一息。

8月の仕事のシフトは、どういうわけだか
Aさんと一緒のことが多く、

行く度、あ、また一緒!
一緒に働いている現在は、なんて不思議!

今日はお風呂介助。10人いれたら
足がふやけた。


hanayaさんで3週間以上前に買った
「シャネル」という切り花、この夏の猛暑にもめげず
ずっとその美しさを保っている。
デンファレの種類で、hanayaさんの話では
栽培数が限られていて、なかなか市場にでないとのこと。

でも、夏にこの長持ち。なんて、経済的な花なんだろう!


先日の日記にも書いたが
あやちゃん一家が病院で、
おおはるさんに頭をなでてもらうような、たたかれるような、

二日目はだいちゃん、まこちゃんも加わり
何かの儀式であるかのように

四人の子供たちが頭を差し出し、
触れてもらう。

なにか、ほほえましい風景だった。
水曜の昼ごろ、あやちゃん一家は帰路につき
翌朝9時半に九州の自宅に到着との連絡があった。

本当にご苦労様。


木曜には、Sおばと一緒に、また見舞い。
Sおばとの話もいろいろと面白い。
Sおばも何かと忙しそう。


最近読んだ本。
ぴんぞろ(戌井昭人)
まずいスープ(戌井昭人)
犬文集(Sおばの姪の作)


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びっくりしたこと

2011-08-15 23:55:41 | おおはる話(母のこと)
今日、おおはるさんの見舞いにいったものの、
ぐっすり寝こんでいるので、ぼーとしていたら、

あやちゃん一家(姪の一家)が登場。

福岡から、車で16時間、休憩も入れると20時間もかけて上京。

前橋のせんちゃんの実家、千葉のなおちゃん宅と
寄ったのち、おおはるさんの病院にたどりついたそうな。

おおはるさんに耳元で、あやちゃんたちがきてくれたよ!というと
ぱちっと目を開き、

しっかりとみんなの顔をながめて
頭をなでるというか、軽くたたいて、とても元気だった。

この頃は、大きないたずらもしなくなったので
ミトンもはずされていて、直接手でふれあっていた。

晴ちゃんも、周ちゃんも真っ黒に日焼けしていて、
晴ちゃんは陸上で長距離(毎日7キロは走っているんだって!)

周ちゃんは野球で毎日外に出ているので
真っ黒なのだそうだ。

久しぶりに、こんなに黒い子供達を見た。

デジカメで撮った、なおちゃん一家の写真も見せてもらって
みんな元気そうなので、よかった。

長距離運転の話をすると、みんなびっくりするだろうけど
我が家は結構長距離やってるので、あまりおどろかないんだと、笑った。

でも、いちおう、タイトルは「びっくりしたこと」にしておいた。
やっぱり、びっくりはしたんだよ。


病室を出たとき、周ちゃんが食べられないからなんだね、と
やせたことを気にしていた。
ずっと会っていなかったので、よけい気になったのだろう。

「かるた」ある?というので
おおはるかるたを引出から出して、改めてみる。

これ作った時、思いついてから
時間的に間に合わないよといいながら、作ったんだと
あやちゃんと、せんちゃんも思い出話。

前はわからなかった「呼子のイカ」をテレビでやっていた話とか
珍しい食べ物の話、
おばあちゃんは、おいしいものが好きだったという話をしたり

良く看護婦さんもみてくれたんだよと、話した。
あさって(水曜日)に福岡にかえるそうです。

また、明日も会えるねと、別れてきました。


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やっと見つけた!

2011-08-13 10:32:12 | 歌・コンサートなど
「え、えらそうに」という歌詞がでてくる
歌を探していた。今、ブログで検索したら2006年の9月、5年前である。

先日探してみたら、やっと見つかった
(ちなみに、検索ワードは「えらそうに・作詞」
作詞とか、作曲という言葉を入れると、曲にたどりつくことが多い)

えっ! 作曲は渋谷毅さんだったの!
二つ目の「えっ!」だった。

さがさんのライブにいくうち、
音をそぎとったような渋谷さんのピアノとのデュオに魅せられて
何回もお会いしていたから。

おかあさんと一緒とか
今まで知らないで、渋谷さんの曲に親しんでいたんだなと。

渋谷さんで検索かけて、このブログをみつけました。
一種、データベースとなっているので、


最初の「え、えらそうに」と題したブログの内容を思い出したのは、
今日の、トムさんの日記から(以下引用)


ジョージ・ウエルズ、イギリスの小説家・思想家、「タイム・マシーン」の著作がある、
それに「世界文化史体系」なんてのもあり、
幅広い文明批評ではその予想が多く的中した、彼の言葉を思い出す。

学生の頃、読まされたのだ、原語で・・・はぁ~(思い出して溜息)。
 
もし、前途に邪魔になる物がないとすると、人間いったい自分をどうするだろう。
(ここを教授は何度も音読させた)
道徳的憤慨は、背光を帯びた嫉妬である(すこし皮肉だが、昨今の道徳的言辞をろうしてあれこれノタマウ御仁の顔を観ると、だいたい「嫉妬」顔である)。

                         引用おわり


え、えらそうに♪を思い出したのは、
「道徳的憤慨は、背光を帯びた嫉妬」なる言葉だったのです。

今日の「えらそうに」おわり。


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I夫人からのメール

2011-08-12 23:48:16 | 日常のあれこれ
まず、この花は、アーティチョークの花。
近所に咲いていたそうで、直径が10センチほどあるそうです。
かなり大きいですよね。

いつもこのブログを読んでくださっているI夫人から
珍しい画像を送っていただきました。

アーティチョーク、アメリカにいた時はスーパーで普通に売っていたので
たまに買いましたが、
日本ではたぶん珍しい野菜だと思います。

和名をチョウセンアザミということも知っていたのですが
花を見るのは初めてで、貴重な写真を有難うございました。


以前、ここでお知らせした
碓井さんと島根さんのコンサートにいらしてくださった話や、

先日の小室等さんのコンサートにいらしていた話が書かれており、
“何度でも♪♪”がそれこそ何度でも歌われたこと、
数々のゲストのこと、客席の永さん等、

I夫人の興味が似たところにあるのがうれしく、
読ませてもらいました。


驚くべきは、松香さんの家のすぐそばにお住まいなので
松香ハチミツにはIさん宅の花の蜜も集められた可能性がありそうとか、

ブログを書いていて、こういうお知らせをいただくと嬉しくなります。

もともと玉川関係で知り合ったのでなく、
夫の学生時代のお友達なのに、

お住まいが玉川学園なので、話題が共通することも多く
奥様が忙しくておでかけだと、

ご主人がおかはんにおみえになると、たっちゃんからきいています。
おかはんもご愛用いただいて、ありがたい限りです。

お嬢さんにお孫さんが生まれるとかで、
よく、我が家の近くのお嬢さんのいえまでいらしてるそうで、
そこも、偶然ながら、ご縁があるのですね。

では、いただいたもう一枚の写真。
アーティチョークを上からみたもの。
たしかに、アザミなのですね。




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かなりの家庭で、ゴーヤチャンプルーを食べているのだろうな

2011-08-11 23:52:19 | 日常のあれこれ
勤め先でも、最近の傾向に沿って
緑のカーテンを作っている。

で、ゴーヤがしょっちゅうとれる。
なので、ゴーヤチャンプルーが食卓にのぼる回数が増えている。

そもそも、この10年位前には、この食材自体、
東京ではそうは手に入らなかったと思うし、
育てている人も少なかった。

沖縄出身のスピードというユニットのメンバーが
歌番組で、料理している場面を見たのが
私にとっては、最初だったから。

この写真は、おかはんの入口にあったので撮ったゴーヤの赤ちゃん。
キーホルダーにしたいくらいかわいいとは、たっちゃんの言。

で、他の料理法ってあるのかしら?


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ロニセラ、永六輔さんがゲスト!

2011-08-10 22:12:59 | 歌・コンサートなど
前日だったか、さがさんのつぶやきで
ロニセラに、永さんがゲストと知って

俄然いきたくなって、
あてもないのに、二人分で予約を入れて。

予約OKとの返事があった時点で、もう二時半。
さて、だれを誘おうかと、出先でケイタイの電話帳を眺めながら

「お忙しいのは重々承知しておりますが…」と
NIKOさんに電話。

お嫁さんの入院で一日に4か所を移動していると聞いていたけど
そんな時こそ、気分転換も必要かと、断られるのを覚悟で
電話を入れたら、OKの返事。

何本もの電話をかける覚悟だったので
あっけないほど簡単に決まって、まずはほっ!

それからおおはるさんの見舞いに出かけ、
帰って急いで舅と食事をすませ、大塚にでかける。

舅も土曜日の永さんのラジオを結構聞いていて、
つい最近も話題にしていたので、一緒に行くかと尋ねた。

笑いながら、いやいや、と断られたが、
何%かは、いってもいいような気配だったから

いつか夜でない時に、誘ってみようかなと、考えた。


Grecoには、始まってすぐに到着することができた。

はじめは、さがさんと小室さんのおしゃべりではじまったが
永さんは、グレコのそばにある中華料理の店がお気に入りで
ゲストというより、そのお店で食べたくて、いらした由。

一日違いでお盆休みに入ってしまうところだったのは、セーフ!
でも、冷房が壊れていて、汗をかきかきの食事だったとか。


大塚駅からグレコまでの道順、
これが曲者で、一回目は地図を見い見い、たどりつくのだが

2回目は、いったことあるからと、
うろ覚えでいこうとすると、必ずと言っていいほど路に迷う。

永さんも、大塚駅付近でウロウロしていたら
大塚在住のマジシャン「花島皆子」さんに、どうしたの?と
声をかけられて、案内してもらって、やっとたどりついたとのこと。

永さんって、誰かおつきの人でもいるのかと思っていたけど
お一人で行動していらっしゃるのかと、改めて思う。


ところで、このところ車に入れてあるCDはさがさんのものばかりで
時に、ハモったりしてすごしているのだが、

昨夜は、前半が中村八大ソングが中心。
八大さんが一番好きだったという「黄昏のビギン」の後のトークでは

永さんは自作でどれが一番好き?
には、結局応えてくれなかったが

その話から、小室さんのヒット曲(代表曲)は何か?
には、小室さんがギク!


永さんはありすぎて、困る話。

パーキンソン病のリハビリで
インドネシア人の理学療法士に、

リハビリの時、下ばかり見てるといけない
頭は重いから、上を向いてなくちゃいけない、

この歌を歌いながらやるといいと
「上を向いて歩こう」にあわせて病院の外来の人がいるところを
歩かされた話。

外来に座って待っている人たちは、
見てはいけないものをみているふうに、目をそらしてくれたと。


小室さんの長い芸歴を祝う会には
井上揚水さんがみえたが、

サングラスをはずすと、一般の人はほとんど気付かないという話や、
アンコール用にとっておいた歌を、揚水さんが歌っちゃってあわてた話等々。


永さんがモンゴルにいった話から、
モンゴルの人(特におすもうさん)が日本語を流暢にしゃべるのはなぜか、

風をきくように、音で言葉を覚えるから
には、ほほ~~と、皆がうなずく。


気配の話。
最近の人は、気配を感じない。

花島さんのマジックで、
まずエア・マジックがあって

何をしているのでしょう?
には、みなが大いに想像力を駆使する。

とてもセンスのいいマジック、
BGMはさがさんの即興。
とても素敵なマジックの方だった。


最後は、小室さんの「何度でも」。

さがさんは、ギターの弦を張り替えたほうがいいんだって!


ああ、とても、とても楽しいライブでした!
やっぱり、行きたいと思ったら、行くべきですね。

書き忘れていましたが、以前、東中野のポレポレ座に行った時にくらべると、
永さん、とてもお元気そうでした。

客席に、玉川のスキー部といったら
クルッケンハウザー教授でしょ!という方がいて

2年先輩のNさんもご存じ、「シーハイル」の本もご存じとのこと、
にこさんと、おおいに、もりあがった。


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歌いづらい楽譜

2011-08-08 23:54:58 | 歌・コンサートなど
「われら愛す」をハレルヤ会で練習しているのだが
山田耕筰の編曲、重厚味があって合えばとても素敵なのだが
各パートの音の動きが大きく、楽譜を追いながら四苦八苦。

そして、2番3番は詩としてまとめて印刷されているので
そこを見ながら、楽譜のその場所との行き来は難しい。

ということで、切り貼りしたものをコピーして
1~3番までの歌詞を音符の上下に書き入れて
歌いやすくしてみた。

1~3番の歌詞を書き込めるスペースを確保するために
右ページにあった歌詞はカット。

これで、2番3番で、視線をあっちにやったり
こっちに戻ったりの苦労がなくなった。

特に本に仕立てた合唱曲は、ページの制限があって
一曲に何ページもとれないので、こういう形になっているのだろうが。

「われら愛す」、これに加えて
ピアノで全体の伴奏と、各パートとを録音してもらったので

これから歌う歌の、パート録音がいっぱいつまったCD、
しばらく、これを聴いてお勉強。

ピアノのMさん、録音・CD製作のTくんに感謝。

さあ、これで歌えませんとは、いえなくなった?!


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Aさんに孫が生まれて

2011-08-06 18:54:34 | 日常のあれこれ
いや~、風が吹けば桶屋がもうかる、みたいな話なのですが

山吹の里のコンサートで司会してくれる
Aさんに二人目のお孫さんが生まれた。

Aさんは上のお子さんを預からなければ

そこで、長時間勤務が難しくなる

そこで、暇そうな私に仕事がまわってくる

ということで、8月はいつになく仕事が入って

せっかく御殿場に家ができてもいかれそうもなくなり

かなり外に出る機会が増え

食事の支度の手抜きをはじめる

さあ、その先はどうなるのでしょうね。

私にもわかりません。
なにしろ、忙しくなることだけは覚悟。


グループホームって、ぎりぎりの職員でまわしているので
何か起きると、大変だよとは、以前
おばの入っていた施設の方にいわれてはいたが。


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いったり、きたり

2011-08-04 11:37:57 | 古いアルバムから
ミツバチの話を伺いにいった松香家との思い出は、
アメリカ滞在中のこと。

Oregon州のCorvallisという町に住んでいた私たちは、
サンフランシスコに「子連れ留学」なさっていた松香家を訪ねる。

そのとき、海老の解凍を覚えているから、海老の入ったメニューだったのだろう。
たぶん、授業の合間の忙しいところにお邪魔したのだと思う。

泊めていただいて、
翌日は、また主人の仕事仲間のお家に泊めてもらっている。
そして、サンアンドレアス断層を観にいった。
(アメリカ西海岸の大きな断層)

我が家の旅は、常にハードだったが
知り合いがあれば、泊めていただくのは
その頃の仲間の「お互い様」だった。

その頃の写真をいくつか。



サンフランシスコの植物園にて、抱かれているのはmetalくん。



ツウィンピークからサンフランシスコの町を背景に。

今度は、松香家が我が家をたずねてくれたときのもの。
(姉の同級生も一緒だった!)



我が家の前で。



ラズベリーつみ。



同じく。



ラズベリーつみの受付。



New PortのMo'sというお店。
このあたりでは、クラムチャウダースープが美味しいと評判。



かにを売っていた。
買ったのかは、忘れた。



シールロックという奇岩の名所あたり。



集合写真。



姉の友人、辻さん(その頃、メキシコの日本人学校の先生だったので
一緒に来てくれたのだと思う)
男性より凄い剛速球を投げると聴いたことがある、
早速岩によじのぼっていた!



metalくんも、この頃はかわいかった。



ガソリン食いそうだけど、大人数では便利な車。



古い写真でした。

アルバムの各ページにかかっているビニールのカバーを取らずに
写真を撮ったので、所々光ったり、鮮明ではないのですが、ご容赦を。

こんなご縁があったのでした。


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東京でミツバチを飼う

2011-08-01 12:16:50 | 日常のあれこれ
「アマゾンでミツバチを飼っているので話を聞きたい」
という、いとこの子、Aちゃんにに同行した松香家で
東京でミツバチを飼うにはと、聞いた話。

すでに、銀座のビルの屋上や、
自由が丘で飼っている話はテレビ等でみていたので
実際に飼っていらっしゃる松香家の様子をお聞きしながらいろいろ教わった。

まず、普通の住宅地ならば、隣近所に理解してもらうこと。
最近は、ちょっとした虫にも過激反応する人が増えているので
お隣に虫嫌いがいたら、それはやめた方がいい。

幸い、松香家はかなりな勾配の坂に建っているので
ミツバチがとんできても空からそのまま入ってくるので
お隣を刺激することが少なくてなくすむ。

お家の入口には、
「ミツバチを飼っています。どうぞご自由にご覧ください」の
看板があったので、そういう意味でのご近所へのお知らせ。

とれた蜂蜜をお届けしたり、仲間になってもらえたら完璧。

で、蜂が寄ってくる花担当は奥様で、
こういうニュースが伝わって、丈夫で蜜がいっぱいとれて
常時咲いている花が、「どうぞ」と集まってくるらしい。

蜜がとれる花は、園芸店で売っている観賞用の「きれいな」花ではなく
どちらかというと、小さかったり、白かったり、地味なものなのだそうだ。

ミツバチは、巣から約3キロまでが、テリトリーだが
蜂だって、遠くにいくよりは、近場で用がたりれば
近場ですませたいので、必要がなければ、3キロもとばない。

3キロとぶってことは、それなりのエネルギーを使うので
蜜を手にいれても、それなりに消費してしまうからとのこと。

そうか、そうかと聞きながら
ミツバチを飼えるお家はないかな~~などと、考える

勤め先のグループホームで、蜜がとれたら楽しいと考えるが
やはり、虫が苦手な人が多いしな~。
これは、やっぱり駄目だな、とか。
餌を自分で勝手に探してくれる養蜂って、
他の家畜を飼ったりするのに比べれば、餌代いらずで

その意味で、
開発国で立ち上げ時にある金額があれば始められる産業ということらしい。

もちろん、ある程度のメンテナンスは必要でしょうが、
収穫の喜びはなにものにも、代えがたい。


そうそう、ミツバチの巣箱一式、4万円で手に入るらしい。
自宅で採れる蜂蜜を食べるなんて、楽しいと思うのだが。
ご興味ある方、やってみかせんか?

と、このところハチのことが頭から離れなくなっているところです。


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