以前、こんな話をご紹介した。
夫の遠いご先祖で、維新の頃英国に留学し、
現地で病に倒れ、21歳の若さで亡くなった福岡守人という人のことである。
現地で親身に世話してくれて、お墓のことまで面倒をみてくれた
ウィリアムソン教授という方を顕彰する碑ができ、今度除幕式が行われることで
夫とmetal君と、もう一人ででかけることになった。
現地の大使館のお知らせにも、このことが触れられている。
7月2日、今回見つかったお墓の四人に縁のあるものが列席して
ブルックウッド墓地で行われる。
このお墓が見つかって以来、間に入ってゆかりの者を探して下さった関係者や
山口県、鹿児島県のそれぞれの日英協会の方々などと、
福岡県で一回話し合いがもたれ、
今回の旅につながった。
我々も、維新の頃の留学生のようすなど、にわか勉強したり
福岡守人さんなる人物を知るすべを、探したりした。
親戚の者の話では高知にお墓があるという話を聴きこみ
夫が先日探しに出かけた。
守人さんの兄弟は三人で、次男は戊辰戦争で戦死、
三男が生き残って、そのご子孫はいらっしゃるらしく、
守人さんのお墓が、そのご子孫と一緒に集められていたとのこと。
ただ、連絡のとりようがなく、探している仔細を書いた手紙を
残してきたのだそうだ。
本来なら、今回のイギリス行はその方にこそ行っていただきたいのだが。
守人さんの日本のお墓には、「髪塚」と書かれていて、
その遺髪は、どういう経緯でそこにあるのか、わからない。
想像をたくましくすると
一緒に留学していた人が持ち帰ったのか、
それとも、当時、外国へ行くということは今とは比較にならないほど
大変なことだったので、出発の前に、髪を一部残して行ったのか、など。
守人さんのイギリスのお墓は、キリスト教の信者になったように書いてあるそうで
現地で、キリスト教とどのように接したのか、色々考えてみる。
7月3日には、ロンドン大学で、日英学術交流150年ということで
式典があるそうで、そちらは、「英語が堪能な方」という但し書きがついて
夫に招待状がきた。
このところ「英語が堪能な方」という言葉が我が家ではちょっと流行っていて
夫は、苦笑している。
一緒に行く方は総勢60名になるそうで、
我々は、現地で合流、その前は自分たちの予定で旅を計画している。
夫は、これを機会に、以前から交流のあるイギリスの研究仲間の先生にも会う予定を入れ、
手紙のやりとりをしているが、
インターネットで守人さんを調べていたら、
当時のtutorが守人さんにあてた手紙が出てきた。
(PDFの最後の方、書簡33がそうである)
手紙は残るものなのだな、と時代を超えた不思議も味わった。
イギリスへ行く話! クリック!
おかはんをよろしく、ブログもあります!
夫の遠いご先祖で、維新の頃英国に留学し、
現地で病に倒れ、21歳の若さで亡くなった福岡守人という人のことである。
現地で親身に世話してくれて、お墓のことまで面倒をみてくれた
ウィリアムソン教授という方を顕彰する碑ができ、今度除幕式が行われることで
夫とmetal君と、もう一人ででかけることになった。
現地の大使館のお知らせにも、このことが触れられている。
7月2日、今回見つかったお墓の四人に縁のあるものが列席して
ブルックウッド墓地で行われる。
このお墓が見つかって以来、間に入ってゆかりの者を探して下さった関係者や
山口県、鹿児島県のそれぞれの日英協会の方々などと、
福岡県で一回話し合いがもたれ、
今回の旅につながった。
我々も、維新の頃の留学生のようすなど、にわか勉強したり
福岡守人さんなる人物を知るすべを、探したりした。
親戚の者の話では高知にお墓があるという話を聴きこみ
夫が先日探しに出かけた。
守人さんの兄弟は三人で、次男は戊辰戦争で戦死、
三男が生き残って、そのご子孫はいらっしゃるらしく、
守人さんのお墓が、そのご子孫と一緒に集められていたとのこと。
ただ、連絡のとりようがなく、探している仔細を書いた手紙を
残してきたのだそうだ。
本来なら、今回のイギリス行はその方にこそ行っていただきたいのだが。
守人さんの日本のお墓には、「髪塚」と書かれていて、
その遺髪は、どういう経緯でそこにあるのか、わからない。
想像をたくましくすると
一緒に留学していた人が持ち帰ったのか、
それとも、当時、外国へ行くということは今とは比較にならないほど
大変なことだったので、出発の前に、髪を一部残して行ったのか、など。
守人さんのイギリスのお墓は、キリスト教の信者になったように書いてあるそうで
現地で、キリスト教とどのように接したのか、色々考えてみる。
7月3日には、ロンドン大学で、日英学術交流150年ということで
式典があるそうで、そちらは、「英語が堪能な方」という但し書きがついて
夫に招待状がきた。
このところ「英語が堪能な方」という言葉が我が家ではちょっと流行っていて
夫は、苦笑している。
一緒に行く方は総勢60名になるそうで、
我々は、現地で合流、その前は自分たちの予定で旅を計画している。
夫は、これを機会に、以前から交流のあるイギリスの研究仲間の先生にも会う予定を入れ、
手紙のやりとりをしているが、
インターネットで守人さんを調べていたら、
当時のtutorが守人さんにあてた手紙が出てきた。
(PDFの最後の方、書簡33がそうである)
手紙は残るものなのだな、と時代を超えた不思議も味わった。
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