toty日記

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村長さん

2008-08-13 22:37:36 | 夏の思い出(一匡邑)
マイミクのおやじさんが村長になられたとのこと。

一匡邑という村、昔、祖父たちが仲間と作った別荘村だが
一種の共同体として、機能していた。

それぞれの家族が、子に、孫にと代が変わって、
これからは共同体を維持するのは大変そうに思う。

おやじさん、持ち前のアイデアと、親しみやすい人柄で
立派な村長さんになってくださることを、祈ります。


ところで、
「おいらが村の村長さんは♪」
ではじまる「ゆかいな村長さん」という歌、知っている人はいないかな?

軽井沢といえば、先日よくお邪魔するHPで
「軽井沢」が歌詞に含まれる歌が、いっぱい並べられていた

どれ一つとして、知っているのはなかった。
田舎がないぶん、夏はいつも行って親しんだ北軽井沢や、旧軽だが、
歌があったとは!


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地雷のない家

2007-04-03 22:00:06 | 夏の思い出(一匡邑)
家によって、その家風がある。
家風なんて、偉そうなものでなくても、
流儀のようなものがある。

夏、一緒に過ごすいとこたちに接していると、
我が家との違いに気付くことも多かった。

我が家では、父が時々、言葉遣いが悪いとか、
態度が生意気だ、などといって、
突然怒り出すことがあった。

父方の家は、長幼の序や、言葉遣いもみな気をつかっていて
兄弟でも、敬語をつかっていた。

そういう育ち方できたので、
母方の家族の自由さが、時に秩序のないものに思えたり、
馬鹿にされたように感じたりするのだと思う。

一匡邑で過ごす毎日は、
親戚とはいえ、よその家庭のようすを垣間見る日々だった。

おじ、おばをつかまえて、
○○ちゃんと呼ぶのには、私は抵抗があった。
あ、これが家庭による差だなと、感じた。

我が家では、時々爆発する地雷が存在したが、
地雷のない家族もあるんだと、妙にうらやましかった。

その頃は、我が家は堅苦しくて、と思っていたが、
年を経ると、いろいろな家庭を見聞きできて、
よかったんだなと、思える。


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写真は、山中湖畔の芽吹き

大じゃんけん大会

2007-03-29 19:04:09 | 夏の思い出(一匡邑)
従兄弟たちと、ひと夏過ごす。

いとこは、6人兄弟のおじおばのところに
上から、3、4、2、2、2、2、計15名。

全員が揃うわけではないが、
常時10人前後はいた。

毎食後に、大じゃんけん大会がある。
食事の後の片づけの役割をじゃんけんで決める。

テーブルから流しにもっていく、まえかた(前の片付けの略)
洗剤で洗う、洗い、
それをすすぐ、すすぎ、
洗いあがったものを拭く、ふき、
戸棚にしまう、あとかた(後の片付けの略)

上記の役割を、じゃんけんに勝ったものから先に選べる。

大したことではないが、いつもテンション高く、
「じゃんけんぽん!」っと、やっていた。

掃除、洗濯、買物、
どれもワイワイやっていた。

10数軒ある、一匡邑の家々の中でも
ひときわ子供の密度が高く、
いつも連なって、行動していた。

邑の管理人をしてくれていたMさんは、
それを、面白がってくれていた。


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写真は、ベランダに咲いたクロッカス。

いっきょうむら

2007-03-28 21:15:30 | 夏の思い出(一匡邑)
以前も、ご紹介したが、
一匡邑(いっきょうむら)について
sourokuさんがブログに書かれている。

大正12年に…とあるように、母の代から夏はここで過ごしたらしい。

母と北軽(略してこう呼んでいた)といえば、
草軽電鉄で怪我をした話がよくでる。

娘時代、北軽井沢から東京に帰るのに
草軽電鉄に乗って、デッキから身を乗り出して、
手を振って別れを惜しんでいたら、

電信柱にあたり、その反動で反対側にたたきつけられ、
落ちて大怪我をしたのである。

もちろん、医者はいない、
軽井沢の外人専用の病院にかつぎこまれ、
意識不明の状態が続いた。

顔を何針も縫う怪我をしたので
女の子なのにと、心配した祖父が、車で東京まで運んだので
その後、目の焦点があわなくなるという後遺症が残った。
(そのため、今かけているメガネは、
片目を黒いシートで覆っている、丹下左膳みたい!)

その時の話、
意識はなくても、皆が言っていることは聞こえる。

ああ、もうだめだとか、
助からないなと言う声が聞こえていたと言う。

だから、病人やけが人の枕元では
聞こえないからと悲観的なことはいってはいけないと
よく言う。
聞こえていることに対して、表現できないだけなのだそうだ。

母にとっても、いっきょうむらは、
いっぱい思い出のあるところなのだ。


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写真は、2月のコンサート、マンドリンクラブの指揮者。
笑顔が素敵だった。みねこぺんさん写す

夏の思い出(一匡邑)

2007-03-27 21:52:50 | 夏の思い出(一匡邑)
子供の頃、夏になると北軽井沢に毎年いっていた。

北軽井沢での生活は
普段出来ない、楽しいことばかりだった。

いとこ10数人が一緒に寝起きし、
家事もみなでやり、合宿のような楽しさだった。

大人は、祖母かおばがお目付け役でいるくらい、
よく考えると、親たちは、約一ヶ月の間、
子供なしで過ごせたのだから、
ある意味ホッとできる期間だったかもしれない。


川の水を汲んできて飲用に、

冷蔵庫はないので、
川にブリキの箱をうかせて、その中が冷蔵庫がわりだった。


その一ヶ月を一緒に過ごしたので、
従兄弟たちとも、仲がよい。

あるときは、おにぎりを作って、
溶岩が固まって出来た鬼押出しへ行ったり、
浅間牧場へ行ったり、よく歩いた。

そんな話を、時々書いてみたい。


夏の思い出(一匡邑)! クリック!

写真は、山吹コーラス隊の重要メンバーKさん
みねこぺんさん写す