峠おやじの「たわごと」

峠、自転車、キャンピングカー、野菜、園芸、時事ネタなどをぼやいてます。

下田・河津桜・黒根岩風呂

2025年02月17日 | 旅行
伊豆伊東のペンション『さらの木』まで。せっかく伊豆まで行くので道中も楽しみたい。下田も初めてなので景色の良いロープウェイに乗ろうと思った。しかし道中は凄い風だった(-_-;)


川を隔てた山のてっぺんまでを結ぶ下田ロープウェイ。運行開始時刻ちょうどくらいに到着。


玄関まで行くと、案の定「強風のため運行を見合わせております」との表示。このままでは時間が大幅に余ってしまう。仕方なく、お土産を物色しながら、下田の観光スポットを聞いてみた。


すると、2・3ヶ所紹介してくれた。そのひとつが下田開国博物館。ペリー来航や下田領事館など幕末の様子を展示してあるとのこと。展示物がディープなので詳細は別記する。


もうひとつが爪木崎の水仙まつり。いまが見頃とのことで、強風のなか咲き誇る水仙を見てきた。海の向こうには伊豆の大島が浮かんでいた。


見頃といえば河津桜もそろそろかと思って行ってみた。1月だと、ところどころ咲いている樹もあったが、半月以上早かったみたい。桜祭りが行われる2月中になると大渋滞になるそうだから、こんなくらいで十分だ。ウチにも鉢植えがあるし・・・


あと『さらの木』に行くまでに『ソロ活女子のススメ2』で紹介された、波打ち際にある温泉露天風呂『北川温泉・黒根岩風呂』に入ってみることに。



写真は露天風呂の受付。ここから階段を下りると男性・女性風呂がある。海上に伊豆大島も見える。湯舟は2つあって溶岩の岩を配したもの。海とは1mくらい離れているだけで殆ど波打ち際の野趣あふれる温泉だ。男性風呂は私を含めて3名。ウイークデイでも人気のお風呂だった。

ソロ活女史のススメ』といえば、去年10月に泊まった東京ステーションホテル。あれも『ソロ活女史のススメ4』で紹介されたことで泊まりたいなと思ったから、この波打ち際の露天風呂は第二弾ということになる v(^^;
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温泉付きペンション『さらの木』

2025年02月05日 | 旅行
前回予告した『さらの木』の宿泊レポート。『さらの木』はブロ友ジャンさんの常宿のひとつで、伊東市にある温泉付きペンション。一日二組限定。ジャンさんのブログにたびたび登場するので行ってみたくなった。

高速道路が充実してきたとはいえ、岐阜から伊豆は遠い。年金生活者だから泊るのはウイークデイに限る。でも高速道路の割引があるのは土日か深夜。したがってキャンピングカーでウイークデイに出発し、適当なSAでP泊。朝ICを出て伊豆の観光(後日レポ予定)をしてからお宿にという行程である。


お宿の隣にある駐車場にキャンカーを入れる。さらの木ならぬ桜の大木がお出迎え。ネーミングにあるさらの木(シャラ、夏椿)は私の前の家に庭木として植えたが、枯らしてしまった。『さらの木』も宿の名前にするくらいだから植えたことがあるのではないかな。ちなみに平家物語冒頭に出てくる『沙羅双樹の花の色』の沙羅は厳密にはシャラとは違うそうだ。

枕木の埋め木に導かれ、つるバラに囲まれたテラスと玄関に向かう。エプロン姿のMさん登場。ご主人もおられるそうだが、ペンション業務すべてに携わる実質的なオーナーさんらしい。



Mさんの案内で客室へ通される。部屋は『ゆずりは』。ネーミングは当然ユズリハという木からだろう。奇しくも春に泊まった恵那峡のホテル名もゆずり葉だったから嬉しい。もうひとつの部屋の名は『やまもも』。やはり木の名前で園芸好きのオーナーさんということがわかる。

部屋にはベッドが2つとソファセットが並ぶ。ソファの窓外には露天風呂。さらに嬉しいことに反対側が畳敷きになっていて炬燵も設置してある。だから和洋両タイプの過ごし方ができる。

16時までにチェックインしたらという予告どおりウェルカムドリンクとお菓子が出た。女房はアイスコーヒー、私はホット。


添えられたフルーツケーキ?が絶品だった。ラズベリー・アーモンド・マカダミアナッツなどが散りばめられた柔らかな品。この柔らかさはケーキ屋さんでは滅多にお目にかかれない。たぶん自家製だろう。

温泉付きペンションなので、まずはお風呂だ。ソファの窓の外に露天風呂が造られている。湯口からは四六時中お湯が注ぎこむようになっていて、湯量センサーで適量の深さになるよう設定されている。また最初に湯温の好みを聞かれたので、「もう少し熱くしてください」とお願いしたら本当に熱めになり、朝でも寒くなかったので大したものと感心した。



露天風呂にはサンルーフと引き戸があり、引き戸を開けたバルコニーにはテーブルセットが置かれている。季節が良ければここでもお茶ができる。バルコニーの眼下には洋風のお庭。その先は道路を隔てて林が見える。



ウェルカムセットをいただいた後、ペンションから出て、この林の中に分け入ってみた。案内道標にもある城ケ崎海岸自然研究路に出た。溶岩が作った30mほどの高さにあるゴツゴツした海岸線上の研究路だ。地図が設置してあったところにはお地蔵さんもいた。ここは『とよ』という地点にあたる。



それぞれの先に行くと、サスペンスなどに出てくる断崖絶壁にかかる吊り橋(門脇つり橋橋立つり橋)がある。どちらも2~3km以上あり、既に16時台、歩いて往復していたら暗くなってしまうし、お風呂にも入りたいので断念して宿に戻った。

美味しいウェルカムセットに感動したくらいだから夕食が楽しみだ。

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答志島・九鬼嘉隆

2024年12月12日 | 旅行
遅れに遅れているブログ更新。基本的にはお風呂のリフォームによるバタバタ他だが、さぼり癖が付いているだけである(,_'☆\ バキ

何にしても写真が撮ってある題材を日にち順にアップしていかざるを得ない。となると、2017年11月24日の『潮騒の舞台・神島』の前に訪れた答志島をアップしておかないと・・・
てことで鳥羽港から連絡船で出航。島へ向かう。


10分ほどで答志島に到着。神島へ向かう船の時間まで島を散策。案内図によると九鬼嘉隆の首塚と胴塚があるとのこと。九鬼氏といえば九鬼水軍の頭領。



よくわからないながら案内図どおり行ってみることに。首塚は小さな山の上にあった。案内板などによると、関ヶ原の戦いの際に九鬼氏も真田氏のように東西に分かれて戦ったとのこと。東軍についた息子が戦後に命乞いをしたところまでソックリ。しかし九鬼家の行く末を案じた家臣が自害を進言し、写真のようなことになったそうだ。


ということで、九鬼氏の鳥羽藩ができた(のちのお家騒動で九鬼家は分裂し、国替えになる)という。

次に九鬼嘉隆の胴塚である。胴塚は山を下った地点にあった。五輪塔になっていた。


九鬼嘉隆の遺蹟を見た後、近くを散策してみた。
岩屋山古墳へ行く途中の坂にこんなものを発見 (゚o゚)『へーふり坂峠』と刻まれた石碑が立てられている。隣には由来の看板まである。自転車を持ってこなかったのが残念(^^;) 


麓の看板にあった岩屋山古墳と蟹穴古墳を見に行ってみた。途中『寝屋子』のモデル校として答志小学校の前に案内が出ていた。寝屋子制度は話には聞いていたので、ここだったのかと感慨深かった。


保育所?のそばに岩屋山古墳と蟹穴古墳の看板が立っていた。子宝の御利益がある美多羅志神社(みたらしじんじゃ) の鳥居の向こうまで行ってみたが、古墳らしきものは発見できなかった。

港まで戻って、お土産など物色。何か買ったような覚えだが、7年も前のことは思い出せない。
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潮騒の舞台・神島

2024年11月27日 | 旅行
三島由紀夫の『潮騒』の舞台・神島
じつは2017年11月24日に訪れていた。なんで今まで記事にしなかったのか不思議だが、先日の同期会で泊ったホテルから海上にその姿を認めたので、思い出して書いてみる。

出発は鳥羽から。二見の夫婦岩駐車場で前泊した。昇る朝日と夫婦岩。


鳥羽港から連絡船で出航。島へ向かう。答志島を経由して神島へ向かったのだが、答志島は別記事にし、まずは神島について・・・

位置的には愛知県渥美半島から4 km 、三重県鳥羽市から14 km 。鳥羽藩の流刑地だったことなどから鳥羽市に属している。


案内板にあるように、『潮騒』によって有名になった。何度も映画化されており、特に2作目の吉永小百合&浜田光男と4作目の山口百恵&三浦友和のものは話題作だった。



島で昼食をとった山海荘(同じ山海でもこちらは「さんかいそう」)に貼ってあったポスターも吉永小百合と山口百恵だった。

昼食はノープランで行ったが、上陸して目に付いた上記の看板を見て食べられるか尋ねたところオッケー牧場だった\(^o^)/



刺身、昆布巻き、玉子焼き、白和え、ブリ?の煮魚、赤だしと及第点のランチだった。

さて、ここから島の観光。まずは島の地図。今いるのは左上の港のところ。

ここから時計回りにめぐっていくことになる。ちなみに、
「その火を飛び越して来い」
『潮騒』のクライマックスシーンは島の反対側にある監的哨(かんてきしょう)が舞台になっている。

てことで、まずはわかりやすい神島灯台。



灯台脇には、こんな至れりつくせりの案内看板があった。原作も読んだことはあるけど、覚えてないもんね。

次にクライマックスシーンの舞台・監的哨(かんてきしょう)。案内板にあるとおり大砲の着弾点を監視した施設。



案内板にあるようにこの日も伊良湖岬が手に取るように見える晴天だった。監的哨の中には「その火を飛び越して来い」の火の跡もあった。

最後はカルスト地形。


カルスト地形といえば石灰岩。地中にできる洞穴は鍾乳洞になるし、地上ではカルスト地形こんな離島でカルスト地形が見られるとは思わなかった。

神島は文学上でも地形上でも楽しめる所で、鳥羽と渥美半島や知多半島を結ぶフェリーにはどちらも乗ったことがあるが途中にある神島は横目で眺めただけだった。あらためて行ってみて本当に良かった。
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東京ステーションホテル(プロローグ)

2024年10月23日 | 旅行
新幹線で東京に行くとき最後に到達するのが東京駅。




赤レンガ造りの重厚な建物です。太平洋戦争で3階部分が焼けてたのを最近復元工事で復活させたと色んな番組で解説していました。そして、その東京駅内がホテルになっていることを『ソロ活女子のススメ』という番組で知りました。


これは是非とも泊ってみたいと、検索したところ

左側の写真が入り口から入ったところのホテルフロント前。抑えた照明が落ち着いた佇まいを演出しています。



真ん中の写真、エレベーターも中が格子付きの鏡張りで豪華です。
右の写真が3階の廊下です。全長330メートルを超える廊下とのことで、部屋にに辿り着くのに随分歩いた覚えがあります。


部屋のタイプは色々あるものの、皇居が見えるパレスビューの部屋。その中でもプレミアムツインの部屋にしました。説明書きどおり
『ホテルの中央付近で丸の内側に位置する客室。開放感あふれる駅前広場と、皇居へと真っすぐ延びた行幸通りが目の前に広がります。 』
という部屋でした。天井のシャンデリアや幾つもある鏡、重厚な執務机などが気持ちいいです。


お風呂とトイレは別部屋になっていて、洗面前に大きな鏡があります。フランスから取り寄せたアメニティが並べられています。

バスルームはガラス張りでシャワーが壁からのと天井からと切り替えられるようになっています。洗い場がトイレとは別なのもチープなホテルと違って嬉しいです。


部屋の入り口から続くエントランスの壁内に衣服のロッカーと飲食物の棚が設けてあります。電気ポットの他にコーヒーメーカーがあり、機械の設定でカプチーノや普通のコーヒーが抽出できます。ここに冷蔵庫も入っています。

右下の写真はベッド脇に用意してあるナイトウェア。ちゃんとしたパジャマです。浴室横にバスローブもかかっていましたが、厚手すぎて入浴後はかえって汗をかきました(^^; 

左下の写真はホテルによくあるメモ帳です。なんとこれが10x10の原稿用紙になってます。このホテルには川端康成とか松本清張などの文豪がよく泊まりに来たそうで、名作「点と線」もここで執筆されたそうです。そんなエピソードにあやかってのメモ帳にしてあるそうです。

------続く------
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大牧温泉(有名人)

2024年10月03日 | 旅行
大牧温泉の初回に書きましたが、ここはサスペンスドラマなどの撮影が多く、廊下には出演者の写真付きサイン色紙が一杯飾られています。
 
 
そんな有名人の色紙を目一杯写してきたので列挙してみます(^^; まずは皇室から。
 
 
表示はないけど、常陸宮殿下と宮妃華子様。今の上皇様の弟君にあたります。
 
次に代表的な『温泉若おかみの殺人推理』から・・・


若おかみ役の東ちづると夫で刑事役の中村梅雀。山村美沙・西村京太郎シリーズには必ず出演する山村紅葉(もみじ、仲居頭役)。女優で犯人役の夏木静子。彼女のマネージャー役の山口果林。 
 

主役の森口瑶子。コンサルタント会社社長役の野際陽子。板前役の東幹久。調査員役の村田雄浩。大牧温泉の女将役の川上麻衣子。


主役の片平なぎさ、夫役の神田正輝。葬儀社の専務役の大村崑。京都府警・狩谷警部役の若林豪。若林豪は温泉若おかみ・大牧温泉の回で中村梅雀の上司役でもありました。


ほかのサスペンスドラマや旅番組の出演者の色紙と写真も数多ありました。長くなるので、それらの紹介は私のHPでやろうかと思います。
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大牧温泉(部屋・温泉)

2024年10月01日 | 旅行
船でしか行けない秘境温泉、富山県の大牧温泉
私んちが泊まった部屋は見た目2階の灯りが点いている部屋。


今回は船着き場から階段を登り、通路を進んで、玄関に辿り着きます。
途中、『大牧温泉』の標柱がいくつも現れます。玄関で靴を脱いでスリッパに履き替えます。そのとき渡された番号札と靴を交換しますから大事に保管しなければなりません(^^;


部屋に案内されると、ビックリするくらい大きな部屋でした。なんで2人なのにこんな大きい部屋?さっぱりわかりません。隣には囲炉裏部屋があって、窓からダム湖が見えます。そしてその囲炉裏部屋から洗面所とトイレへとつながっています。


そんな大牧温泉の館内図です。私たちの部屋は黄色で囲いました。フロントからすぐ近く。お風呂は男女とも3ヶ所。まずは大浴場に行きました。1階から1段降りた地階に相当し、窓からダム湖が見えました。


しかし、私が一番入りたかったのはテラス風呂でした。案内図では露天風呂(檜)と表示してある所。部屋の横の階段を下りて行ったところなのでラッキーでした。ホームページに載っている素敵な写真を拝借します。


2・3人ぐらいしか入れなさそうな浴槽でしたが、夕方も翌朝もたまたま私しか入ってなかったので超ラッキーでしたし、ダム湖に手が届くようなロケーションは最高でした。

そして、もうひとつある露天風呂。館内の裏庭にある階段を登っていったところ(建物の屋根と同じくらいの高さ)にありました。


お風呂の手前には立派な祠があり、湯の神様でも祀ってあるのでしょうか。また木造のトイレもありました。そんな施設群に反比例するように脱衣所は屋根があるだけで外とまったく同じ環境です。その壁に貼ってあったのが『虫に注意』の張り紙。アブとかハチに加え、オロロ(吸血アブ)に言及してあったのがこの辺りらしくて嬉しかったです。

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大牧温泉

2024年09月30日 | 旅行
船でしか行けない秘境温泉、富山県の大牧温泉に先週行ってきました。
私んちが泊まったお部屋は見た目2階の灯りが点いている部屋です。


ここ大牧温泉は庄川の小牧ダム湖の中間地点で、船でしか行けない特殊立地のため、サスペンスドラマの撮影が多く、廊下には出演者の写真付きサイン色紙が一杯飾られていました。


実際には、そのサスペンスドラマ『温泉若おかみの殺人推理』とか『温泉(秘)大作戦』などの再放送を見ていて、女房が行きたいと言ったから予約やアレコレのセッティングをしました。

小牧ダム付近にある乗船場から出航。大牧温泉まで船旅です。


途中にあった旧利賀大橋の廃墟はCBCテレビ『道との遭遇』で今年2月に放送されたものです。事前に知っていたので、この船旅も楽しめました。

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岐阜市役所からの展望

2024年09月28日 | 旅行
先日行った岐阜市役所。レストランを楽しませてもらったが、もうひとつのお目当ては展望である。15Fと17Fの展望デッキで岐阜市北部方面の展望が楽しめる。
代表的なのは金華山と長良川が見えるこの風景。
目の下には旧岐阜県庁舎がある。そして長良川にかかる橋たち。
見える位置順に並べると下流から忠節橋・金華橋・長良橋となる。
それから、このときはお彼岸の中日近くでお墓参りに行こうと思っていた。実は市庁舎からうちのお寺が見えるんだな。ほらすぐ近くでしょ。というのも戦前はこの近所に住んでたの。空襲で焼け出されて川北に行ったんだよね
それから川北のもっと北。岐阜大学や大学病院の近くに完成間近の東海環状自動車道の岐阜IC。そして斎藤道三の隠居城・鷺山が見える。ついでに新庁舎のレプリカ。
近くに目を転ずると、岐阜市図書館・メディアコスモス、旧岐阜県庁舎、少し先に私が務めていた銀行の事務センターが見える。
基本的にここから見える風景の案内図があったので参考までに・・・
濃尾平野部としては360度見える岐阜県庁舎の方が優れている。しかし、ここからは岐阜市北部方面、特に金華橋通り付近を中心にした展望はかなりよく見える。花火大会もそれなりに見えるだろう。でも鵜飼は長良橋の上流でやってるから見えないけどね。
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メナード青山リゾート(食事と温泉)

2024年07月18日 | 旅行

もう先々週の話になってしまったけれど、メナード青山リゾートのハーブ園を見に行った(該当記事)

せつかく行くのならと『おすすめ日帰りプラン』を申し込んでみた。収穫前のハーブ園と温泉・食事を楽しもうという魂胆である(^^; ナビ任せでヘアピンカーブの急な峠越えでアクセスしたから楽しさ半分、疲れ半分でホテルに到着した。

フロントで受付を終え、ハーブ園を見学。お昼時の11時半にホテルに戻って昼食。

昼食は「フレンチミニコース」か「おすすめ膳」。フレンチは量が少なそうに見えたので「おすすめ膳」を頼んだ。とりあえず出てきたお重である。

まずは天ぷら。私ゃ天ぷらといえば天つゆにつけて食べるのが好き。しかしここは塩だった。淡いピンク色の○○塩。もうすっかり忘れてる(-_-;)

刺身、マグロとイカ。可もなく不可もなく。標準的なお味。

次にテーブルにセットしてあった『伊賀牛のすき焼き』。携帯燃料で焼いて食べる。

すき焼の汁はすでに入っていたので関東風の割り下なんだろうな。

すき焼きはそれなりに美味しい。私ゃ基本的に『しゃぶしゃぶ』より好きだから満足の一品には違いないv(^^;

お重の中の続きである。魚はニシンの甘露煮?。白いものは真丈だったと思う。横の黄色いのは茶碗蒸し。熱くないのでイマイチ。

何かの葉っぱにくるまれていたのはジャガイモをすりつぶしたやつで中に鮭の身が入っていた。

最後にご飯、味噌汁、香の物。味噌汁は『赤だし』か『合わせ味噌』か聞いてきたので合わせ味噌にしておいた。

デザートの黄粉餅である。メニューとしてはこれが最後。コーヒーを期待して聞いてみたが、別料金とのこと。自分らでポットに用意していったからいいけどぉ。

 

最後に温泉。本当は食事前に入りたかった。でもスケジュール上この順番のようだ。ホテルの受付で女性は写真のように豪華な化粧セットが貰える。さすが化粧品会社だけのことはある。

温泉はアルカリ性単純温泉。下呂などと同じ美人の湯である。レストランにはけっこうお客がいたのでお風呂も混んでるかなと思ったら、脱衣所ですれ違っただけで、貸し切り状態だった。露天風呂から窓の外のようなゴルフ場の景色が眺められた。

またお風呂のボディシャンプーからラベンダーの香りを感じたので、ホテルの売店で売ってないかと聞いてみた。同じものはなかったけれど、シャワージェルのラベンダー色のものをお土産にした。

行きは峠道で往生こいたので反対方向の伊賀から東名阪国道経由で帰ったので割と楽だった。

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メナード青山リゾート

2024年07月09日 | 旅行

先月末頃、テレビの地方ニュースで、

『三重県伊賀市のメナード青山リゾートではラベンダーの花盛り。7月7日には収穫してしまうので早めに遊びに来てね』

と流していた。女房がラベンダーに食いついた。

「ウチでも少し作ってるけどね・・・」

じゃあ、行けるときに行っとこうと調べてみると温泉やレストランもあるという。そこでハーブガーデンとの三位一体セット(和食洋食)を予約した。場所を正確に調べてみると、なんと布引峠の隣にある。2002年に行ってるから22年前のことだ。

駅名表示板のような峠の標識にはちょっと萌えた。と思う。すっかり忘れてるけど・・・

 

単純にナビ任せで行ってみると、伊勢平野から峠道を延々と登らせてくれた。ヘアピンカーブも含めて道も狭かった。ホテルで聞いてみると伊賀側の方が道が楽だそうだ。で、帰りは東名阪国道経由にした。

青山リゾートのホテルで受付を済ませ、まずはメインのハーブガーデンへ。

ラベンダーが真っ盛りである。パンフレットもよく読まずにブラブラ歩きながら写真を撮りまくった。だから園内の独立樹のように見えている杉(上の右下の写真)が、じつは『幸せの4本杉』ということも後で気が付いた(^^;

そんななかで、綺麗に撮れたものを紹介すると、左上の写真。ラベンダーをバックに咲いている桔梗の花。

右上、ルピナス藤の花に似た小さな花をたくさん咲かせるマメ科植物。南北アメリカ原産で、世界中に200種類以上分布しているそうだ。

左下のラムズイヤーはトルコやイランなどに分布する耐寒性多年草。ハーブの一種。白いふわふわしたシルバーリーフ」は、ほのかにパイナップルのような香りがするとのこと。

右下のダイヤーズカモミールはヨーロッパ~北アジア、西アジア北部~中央アジア北部にかけて分布するキク科コタ属の常緑多年草。花から黄色の染料が採れ、草木染に利用される以外は香りは殆どないので観賞用らしい。

散策したあと入り口のハーブショップでソフトクリームを食べた。無難にカモミールとラベンダーのミックスにした。でも、混ざり合って何の味だかパンチに欠けていた。それぞれ別にした方が香りが際立って良かったのだろうなあ・・・

ほかにもカフェ、苗やハーブ製品などの売店があった。レストランと温泉のあるホテルにも売り場はあるだろうが、品数は多くないと推測し、ハーブショップでアレコレ物色した。思ったとおりホテルの売店は品数は少なくメナードらしい高価な物品が多かった。そして名古屋が本社だとは知らんかった。男はダメだなあ。松坂慶子や深キョンがCMをやってるくらいしか認識してなかったし・・・

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道の駅パレットピアおおの

2024年06月30日 | 旅行

先日、母の施設に寄ったついでに道の駅パレットピアおおのに行ってきた。女房いわく、梅雨にあわせてアンブレラスカイという催しを始めたのでそれが見たいという。傘を何十本もぶら下げて綺麗だとのこと。

6月は遠くへ行かず、リーフの走行距離も少なめ。急速充電カードの無料充電100分相当分(30分3回分)を余らせてもつまらないから、ちょっとした遠出を企てたのだ。

行ってみると確かに傘がぶら下げてあった。

赤・青・黄・緑・透明など色とりどりの傘があり、なかにはハートマーク💕の傘もあった。

でも曇り空で、傘がイマイチ映えなかったのは残念だった。

ここでランチしようと当初は思っていた。でも調べてみると野菜やパンなど軽食が中心で、どっちかというとカフェ程度のレストランらしかった。

周辺を調べたら餃子の王将が見つかった。久しぶりに中華もいいなあと11時過ぎに王将に到着した。いやあ、ビックリした。駐車場が満杯に近い。平日なのに・・・入店するとテーブルも70%くらい埋まってる。でもオーダーしたものは結構早く出てきた。食べ終わって出ていくときにはレジ待ちや順番待ちができていた。餃子の王将、恐るべしだ。

道の駅は広くて明るく、農産物を始め色んな物産が陳列してあった。私的には急速充電機が2台も設置してあったのが嬉しかったけどね。

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恵那峡クルーズ

2024年06月13日 | 旅行

泊ったホテル恵那峡温泉ホテルゆずり葉から見えた風景(下の写真)。

恵那峡越しの笠置山(左上)。恵那峡(右上)。大井ダム(中左)。恵那峡ランドと紅岩(中右)。紅岩山荘内「長島鉱物陳列館」(左下)。恵那峡大橋(右下)。

恵那峡は大正13年にできた日本初のダム式発電所「大井ダム」によってできたダム湖にある人工峡谷である。

その恵那峡をダム湖から観光するのが「恵那峡クルーズ」。せっかくここまで来たなら乗らなきゃソンソン。

割引クーポンもゲットして、船着き場へ。恵那峡クルーズのパンフレットである。

峡谷内の巨石・奇岩など写真は撮ったがパンフレットの方がわかりやすいので。

遊覧船乗り場から出航。恵那峡大橋を潜り、金床岩と将軍岩(左下)や獅子岩(右下)などを見ながら進む。

途中15分ほど前に出たジェット船とすれ違った。この船には香港から?の団体客が乗っていた。私たちは遊覧船乗り場に早く着き過ぎた。出向時刻まで待ってる私たちを後目に後で到着した団体客が時刻表にない便で先に出航 (`へ´) していったから

判ってんだけどね。 " alt="" />

まあ、そんなわけで船内の観光案内も日本語の後で英語のアナウンスが流れてた。というより撮影してたら英語の動画の方が多くなってしまったので、削除・結合してまとめた動画なわけ(^^;

写真の方は雨模様で窓に水滴が付いたりしてクリアな画像が少なかったが、色々楽しめて良かったわ。

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関ケ原古戦場記念館

2024年05月31日 | 旅行

先週の木曜日23日に関ケ原古戦場記念館に行ってきた。本当はすぐにもレポートしたかったが『運転免許の高齢者講習』の次にと思っていたら『大の里が初優勝』したし、すぐに大雨で水に浸かった話などタイムリーな話題が続いたので遅くなってしまった。

戦国時代の歴史に詳しい小和田哲男氏が館長、アンバサダーを竹下景子氏が務める『関ケ原古戦場記念館』の話を女房が同級生から聞いてきて、そんなら行ってみようかということになったからだ。なんでも・・・

「シアターで映像を見てるとき座席が『ゴゴゴ』と振動するよ」

って話を真に受けてのことなんだけどね。

実際には暗い会場のなかで急激に目前に迫る映像の迫力と音、その『ゴゴゴ』の音と振動でビビらせる仕掛けになっていた。

建物には徳川家の家紋と石田三成の旗印を左右(東西)に配した幕がかけられている。1階ガラスには合戦に参加した諸将の家紋などが掲示してある。

ちなみに幕にある石田三成の『大一大万大吉』は家紋ではなく旗印なのだそうだ。あまりにも有名なので家紋と勘違いしてたが、家紋は『九曜紋』と『下がり藤』だったそうだ。

旗印なら家康のは『厭離穢土欣求浄土』なんだけどなあ(-_-;)

入館券はアットランダムに色々な武将のイラスト画になっていて、私たちは島津義弘と小早川秀秋だった。それぞれ関ヶ原の戦いでエポックメイキングになった武将なので嬉しい\(^o^)/

 

館内はほぼ撮影禁止なので写真はない。でも5階は関ヶ原の四方が見える展望室になっていて撮影はできた。

それぞれの方向に東軍西軍の諸将の布陣を表記した案内板が設置してあった。上の写真の真ん中やや右上に石田三成の陣跡が見えている。

他の方向の案内板もあったが、工場があったりしてイマイチ展望が良くないので割愛する。

 

出色だったのが別館にあるレストラン。前もって調べ、両軍の旗差物が2本付くものを食べたいと思っていた。

私ゃ、ハヤシライスが欲しかったので『天下分け目のバトルライス』。ハヤシとカレーの対決だ。女房はエビフライ狙いで『石田三成エビフライ定食』。西軍のハヤシライスには白味噌パウダー、東軍の武将カレーには八丁味噌パウダーが添えてある。エビフライに付いている味噌汁は西軍?の白味噌、味噌汁の中には京都などでみられる丸餅が入っていた。

またもうひとつ是非にも食べたかったのが武将パフェ。大谷吉継、石田三成、徳川家康、小早川秀秋の兜をかたどったものだ。

ここまで来たら、やっぱ三成の乱髪パフェでしょう。店の人いわくオーダーの6割が三成だそうだ。

髪の毛がわたあめ、その毛に振りかけられた黒胡麻パウダーがおどろおどろしい。顔部分のソフトクリームは甘くて美味しいし、抹茶パウダーの苦味も良いアクセントだ。鍬形部分のクッキーはそれなりの味。ガラス容器内のプリンやホイップクリームも美味かった。底に入れられたフルーツグラノーラは硬めで嚙めばいい味がしてくるが、それまでが柔らかな食感だったので異質な感覚だった。

 

それでも十分楽しめた逸品だったよv(^^;

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竹生島は波高し

2024年05月17日 | 旅行

『不憫な長浜駅』で記事にした長浜の同期会に行ってきた。

その元となった竹生島への船の旅。けっこう大変だったので、そこから話をはじめよう。

娘たちと泊まったホテルのロビーにあった『竹生島クルーズ』のパンフレットと1割引きになる割引券。それをゲットしたので企画した同期会だったが、割引券を紛失してしまった。予約したホテルに尋ねるとホテル経由で便を予約すると1割引きになるとのことで泊まった翌日の朝一の便で竹生島にいくことにした。

 

ところが天気予報で16日(木)当日は天候が急変して強風が吹く可能性が出てきた。そのため出航30分前の8時20分になってもゴーサインが出ない。観光船の料金もホテル代に入っているので欠航するかもしれないうちは支払いもできない事態になってしまった。フロントから何度も確認を入れてもらった。

「予約が入っているので、できるだけ出航したいと思っているが、確約はできない」

とのこと。結論が出次第連絡を入れるとのことだった。知床観光船の事故も強風のせいだったから慎重になっているのだろう。

待ってる間、ホテルの目の前にある乗り場に行ってみた。

するとアゴヒゲのスーツ姿で細身のシニア男性(私らより5歳は年上に思えたが1歳下とのこと)がいて、

「観光船に乗るんですか」

という話になった。その男性いわく

「この船にインド総領事が乗る予定なので先に着てお迎えしようと待っているのですよ。」

とのこと。

ホテルへ戻って待っていると出航するとの案内があった。

皆で行ってみると乗り込むお客さんが結構いた(上の写真で後ろにいる大型船は後で動画に出てくる)。そして出航するとき、

「本日、二階席は貸し切りです」

とのアナウンスがあったので、お付きの人?と喋っていた私らはインド総領事ご一行様だなとわかった。

竹生島へ行くときは波もふつうで何事もなく到着した。

あとから到着した彦根からの船は我々の10分後に出港予定である。

竹生島に上陸して90分経つと来た船(左側)で帰る。島の観光は1時間くらいで済んでしまうので港まで下りて時間待ちした。観光の間パラパラと雨が降ってきたので天気予報は当たっていた。しかもだんだん風が強くなってきた。吹き流しが真横になるような強風だ。

それでも沖合を行くクルーズ船(長浜港で隣に停泊していた)は悠々と航行していた(下の動画参照)。 そんななか出港した私たちの船は高波の中を速度を落として航行。大波が窓を叩いたり、遊園地のウォータースライダーどころか何度も水を潜ったので潜水艦みたいに潜っちゃうんではないかと冷や冷やしていた。

ところが後ろから赤い船が我々の船を追い越していった。しかも進路の前を横切って。あれは彦根へ戻る船だよな。なんで向きが違うの?

そして行きには見なかった『沖の白石』が遠くに見えてくると、船は転進、今までのゆっくりした速度が嘘のように速いスピードで航行しだした。波もふつうの高さになっていた。外を見ると『多景島』が見え、その先に彦根や米原が見えた。明らかに行きとコースが違う。

航行時間35分のところ1時間近くかかって無事戻ったわけだが、横波を受けて転覆しないよう南まで行って戻る安全策を取ったのか、それとも2階席を貸し切りにしていた『インド総領事ご一行さま』に対する観光サービスをしたのかは定かではない。

コメント (4)
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