リハビリから帰ると、意外と足が軽い。
買い物も、快調!
気晴らしのドライブでした!
でも、寒いと痛いのは、救えない!
盛岡市にも江戸時代からの商家に「鍵屋」の
屋号が、あるというコメントをいただきました。
昼に更新いたしました「鍵屋」の創始者は、
三重県伊賀上野出身で、酒の小売商を営み、
津藩藤堂家の参勤交代に伴って江戸へ、
1856年「酒問屋」を開いて、評判になります。
場所柄、上野寛永寺などもお得意様のようです。
「鍵屋」の屋号は、
1634年、荒木又右衛門が仇討ちをしたが三重県の伊賀上野。
敵討ちの現場の場所が伊賀上野の「鍵屋の辻」
当時もてはやされた土地名にあやかったのではないでしょうか。
因みに、「鍵屋」が移築できたのは、
三島由紀夫、川端康成などを海外向けに翻訳した、
エドワード・サイデンステッカーさん。
道路拡張の為、こよなく愛した、「鍵屋」が取り壊されるのを惜しんで、
新聞に投稿したのが取り上げられたと!
亦、1959年、江戸日本橋横山長町に花火の店を出した、
花火の今も伝えられる「鍵屋」の創始者は「鍵屋弥兵衛」ですが、
奈良県の五条市にあった花火やに奉公して、のち、
江戸で花火の元締めになった、弥兵衛が付けた、
「鍵屋」はどうして付けたかです。
鍵屋与兵衛の出身は奈良県。
伊賀上野とは70キロ位の近さですから、
噂に聞いた「鍵屋の辻」にあやかったものでは?
全国の「鍵屋」はこの仇討ちの場所「鍵屋の辻」と、
関連付けるというのは、こじ付けすぎますでしょうか。
ー酒席のお話程度にー
詳しく、お判りの方がおられましたら、是非、私にも!