春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

「鍵屋」 ?

2016-11-15 19:49:34 | Extra

リハビリから帰ると、意外と足が軽い。
買い物も、快調!
気晴らしのドライブでした!
でも、寒いと痛いのは、救えない!

盛岡市にも江戸時代からの商家に「鍵屋」の

屋号が、あるというコメントをいただきました。

昼に更新いたしました「鍵屋」の創始者は、
三重県伊賀上野出身で、酒の小売商を営み、
津藩藤堂家の参勤交代に伴って江戸へ、
1856年「酒問屋」を開いて、評判になります。
場所柄、上野寛永寺などもお得意様のようです。
「鍵屋」の屋号は、
1634年、荒木又右衛門が仇討ちをしたが三重県の伊賀上野
敵討ちの現場の場所が伊賀上野の鍵屋の辻」
当時もてはやされた土地名にあやかったのではないでしょうか。


因みに、「鍵屋」が移築できたのは、

三島由紀夫、川端康成などを海外向けに翻訳した、
エドワード・サイデンステッカーさん。
道路拡張の為、こよなく愛した、「鍵屋」が取り壊されるのを惜しんで、
新聞に投稿したのが取り上げられたと!

亦、1959年、江戸日本橋横山長町に花火の店を出した、
花火の今も伝えられる「鍵屋」の創始者は「鍵屋弥兵衛」ですが、
奈良県の五条市にあった花火やに奉公して、のち、
江戸で花火の元締めになった、弥兵衛が付けた、
「鍵屋」はどうして付けたかです。

鍵屋与兵衛の出身は奈良県。
伊賀上野とは70キロ位の近さですから、
噂に聞いた「鍵屋の辻」にあやかったものでは?

全国の「鍵屋」はこの仇討ちの場所「鍵屋の辻」と、
関連付けるというのは、こじ付けすぎますでしょうか。
ー酒席のお話程度にー


詳しく、お判りの方がおられましたら、是非、私にも!

 

コメント
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飲みすぎ、ストップ!

2016-11-15 13:53:04 | Extra

少しだけ青空が見える八王子です。
これから、時間が空いたというので、
リハビリに出かけるところです。

1970年(昭和45年)当時の再現している「鍵屋」の内部ですが、
今も営業していたら、どんな会話をしていたか、
想像しながら、一杯吞みたいものです。

建物と、主人の醸し出す雰囲気、酒の肴が定評で、
噂を聞いた人が、接待の場にしたり、
寄席のはねた落語家や、内田百閒、劇作家、画家、能楽師などが、
夕方、5時頃から、夜2時頃まで、集っていた。
ただし、吞みすぎの客と、女性は主人、清水幸太郎に断られたらしい。

1856年安政3年、

台東区下谷2丁目二作られたと言いますから、全く下町の「酒問屋」。
関東大震災、太平洋戦争などの災禍を免れ、
江戸を知りたい方には、ありがたい建物です。
小金井市小金井公園内では、現地保存ができない30軒の
文化価値のある建造物が移築していて、観光の場所になっています。

 

 

コメント (4)
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