こんにちは。
マネージャーの大木です。
本日も4年生によるブログリレーを行います。
今回は、西原大揮(体育4・大阪府立高津)の文章をご紹介いたします!
こんにちは。日頃より、弊部へのご支援、ご声援ありがとうございます。筑波大学硬式野球部4年、西原大揮です。
ブログリレーも半分を過ぎましたが、今回は私が担当させていただきます。拙い文章になると思いますが、最後までお付き合いいただけると幸いです。
私自身、このような場で何かを伝えたり、言葉にするという機会が滅多にないので、まず始めに、私自身のことについて、少し書かせてもらおうと思います。
私が野球を始めたのは幼稚園の頃でした。兄が行き始めた少年野球のチームに一緒に行き、参加していました。バントのサインに首を振ることもあったことも今でも覚えています。そこから、中学ではシニアチームに入り、高校・大学でも野球を続け、いつしか家族でも1番の野球好きになっていました。
そんな大好きで続けた私自身の大学野球生活は、うまくいかないことがほとんどでした。「レギュラーになる」「リーグ戦に出て活躍する」といったことを目標にして取り組んできましたが、叶えることができませんでした。
冬の練習を乗り越え、今年はやれるというような自信がついた時に、怪我をすることも多々ありました。大学野球を最後まで選手として、やり続けたかったという悔しい想いは、少なからず残っています。それでもやるだけやったという思いもあります。
現在、私は選手をサポートする立場として、チームに関わらせてもらっています。このような立場になってみると、これまで当たり前にしていたことが、誰かのおかげで成り立っているものだと、つくづく感じます。
また、親元を離れて暮らしてみて、特にユニフォームの洗濯など、親が兄弟3人分洗ってくれていたことも、本当に大変なことだったなと実感しています。
そのようなことも踏まえて最後に、この文章を読んでいるかはわかりませんが、この場を借りて、普段言えない感謝の気持ちを述べさせてください。
「高校の監督」
野球の基礎から徹底的に教えていただきました。筑波大学の存在も知らなかった僕に「筑波で野球しろ」と言ってくれたことには、本当に感謝しています。
筑波大学に来れたことが、自分自身にとって1番良かったことと思っています。大学4年になってからも、試合を見にきてくれたり、応援し続けてくれて本当にありがとうございます。期待に応えられず、申し訳ありませんが、筑波大学という存在を知ったおかげで、充実した大学生活を送ることができました。
「両親」
何一つ不自由なく小学1年から野球をさせてくれてありがとう!小学生の頃から、弁当・おにぎりを作ってくれたり、朝早くから、送迎をしてくれたこと。大学に入ってからも、いつも気にかけてくれたり、つくばまで足を運んでくれたりしてくれたことには、本当に感謝しています。
大学に入ってからは、野球している姿を見せることができなくて悔しいです。けど、ここまで野球を続けることができて本当によかったです。
ラストシーズン、私自身は選手として貢献することはできません。それでも、リーグ優勝・日本一を達成するために、これまでと違った立場で、選手を支えてチームに貢献していきます。
最後までお付き合いいただきありがとうございます。
今後とも筑波大学硬式野球部の応援の程、よろしくお願いいたします。
本日はここまでです。
次回は、橋永貴郁(体育4・三鷹中等教育)をご紹介いたします!
ぜひご覧ください!!!
マネージャー
大木綾美