筑波大学硬式野球部のブログ

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2019年 ラストシーズンにかける想い(20)

2019年08月20日 15時46分57秒 | 2019年 4年生ブログ

こんにちは。

マネージャーの大木です。

 

本日も4年生によるブログリレーを行います。

今回は、橋永貴郁(体育4・三鷹中等教育)の文章をご紹介いたします!

 

こんにちは。

4年投手コーチの橋永貴郁です。

平素より弊部へ向けたご支援、ご声援のほど、本当にありがとうございます。

 

今回のブログリレーで「ラストシーズンにかける想い」というテーマをもらいました。

拙い文章になりますが、紆余曲折あった自分の大学野球人生を振り返り、どんな想いで最後のシーズンに臨んでいるかを記したいと思います。

 


大学入学時、自分の下手くそな実力からすると身の丈に合っていないチームに入ることはわかっていながらも、「チームの最前線で選手として戦い、勝ちたい」という想いを持ち、野球部へ入部しました。

なんとなく野球を続けるという気持ちではありませんでしたし、同期は友達ではなく全員ライバルだと思っていました。背伸びはせず、下手なりに誰よりも努力して、上手い人達に何とか食らいついて、抜かしていこうという気持ちで過ごしていました。

しかし、気持ちが続かなかったり、怪我をしたり、自分の実力は伸びませんでした。3年夏にスタッフになるまで数回Aチームに喰いつきましたが、選手として、チームが勝つために何もできませんでした。

 


選手を引退しスタッフになった際は、「何か新しいことがしたい」「選手でなくても野球の知識は得られるから、スタッフやろう」くらいの気持ちでした。

しかし、入学時に抱いていた「チームの最前線で選手として戦い、勝ちたい」という気持ちがだんだんと変化し、立場は変わっても「チームの最前線で戦い、勝ちたい」と感じるようになりました。この想いのもと、自分にできることは何でもやってみようという想いで、現在行動しています。

 


今振り返ると、選手、スタッフの時期に関わらず、何のために筑波大学に入学し、硬式野球部に入ったのかを見失っていた時期が非常に長かったです。

目の前のことで一生懸命になれた経験でしたが、身も心も追いつかなかったと感じています。結果にはつながりませんでしたが、学びの多い時間でした。

 


そんな時期を経ての現在ですが、大学野球は自分の大学生活の全てであると、自信を持っています。

4年間の中で考えると時間にしてみれば短いですが、学生コーチとしてチームの最前線の戦いに身を投じ、選手と共に戦える今の時間は非常に充実していますし、苦しくともなんとか頑張ろうと思わせてくれます。

 


ラストシーズン、何としても勝ちたいという想いだけです。

筑波大学硬式野球部の一員として力を発揮し、「リーグ優勝、日本一」を達成して笑えるように。

支えてくれたすべての人に、結果でこれまでの恩返しができるように。

自分に出来ることを少しでも増やし、チームの目標達成へ向けて全力を尽くします。

 

ご声援のほどよろしくお願い致します。

 

 

 

本日はここまでです。

次回は、福元孝太郎(知識情報4・桐蔭学園)をご紹介いたします!

ぜひご覧ください!!!

 

 

マネージャー

大木綾美

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2019年 夏の甲子園企画 第7弾!(最終回)

2019年08月20日 14時08分52秒 | 2019年 夏の甲子園企画

こんにちは。

マネージャーの大木です。

 

夏の甲子園企画 最終回である本日は、

篠原涼(体育4・敦賀気比)と加藤三範(体育3・花巻東)へのインタビュー内容を紹介いたします!

 

ーー出身高校を教えてください。

 

篠原 「敦賀気比高校です。」

      

三範 「花巻東高校です。」

 

 

ーー夏の甲子園はいつ出場しましたか。

 

篠原 「2年生、そして3年生の夏に出場しました。2年のときはファースト、3年のときはサードを守っていました。

2年の時は準決勝まで進出し、大阪桐蔭に9-15で負けました。当時の大阪桐蔭には正隨選手(現広島カープ)や香月選手(現千葉ロッテ)を筆頭に強打の選手が多くいました。3年の時は2回戦で現チームメイトの三範がいる花巻東に負けました。」

 

三範 「2年生の夏に出場しました。3回戦で平沢選手(現千葉ロッテ)がいた仙台育英に負けました。自分はピッチャーでベンチに入っていました。」

 

 

ーー甲子園で印象に残っている試合はありますか。

 

篠原 「3年の夏の初戦だった明徳義塾戦です。それまでの明徳義塾高校は夏の甲子園を16年連続で初戦突破していました。その連勝記録を自分のサヨナラタイムリーで止められたことは印象に残っています。」

 

三範 「自分は敦賀気比戦です。その試合が甲子園で初めての登板でした。また、春の選抜を優勝したの敦賀気比が相手だったのでびびっていました。」

 

ーー2人は実際に甲子園で対戦していますが、その対戦のことは覚えていますか。

 

篠原 「三範は打ちづらそうなイメージがあり、また、真っ直ぐと変化球の腕の振りが一緒でその軌道が似ていて良いピッチャーだと思いました。

ただ、インコースをあまり攻めてこなかったので思い切って踏み込んで打つことができ、結果としてはホームランを打てました。センターフライだと思ったのですが、伸びてくれました。」

 

三範 「篠原さんにはこわくてインコースを投げられませんでした。アウトコースなら危なくないだろうと思っていましたが、ホームランを打たれました。」

 

 

ーー甲子園で対戦している2人が現在チームメイトなのはすごいことですよね。甲子園と地方大会の違いは何か感じましたか。

 

篠原 「甲子園のほうがプレッシャーを少なく感じ、何をしていても楽しいです。

地方大会は勝って当たり前の風潮があるので、逆にプレッシャーを感じました。スタンドが高く、最前列が低いという球場は甲子園特有だと思います。

また、球場の外の建物がグラウンドからは見えないので、その場だけ異空間でした。全国放送だったので下手なプレーは出来ないという思いがありましたが、それより多くの人に見てもらえる楽しさが勝っていました。」

 

三範 「甲子園の観客の多さには圧倒されました。360度観客がいるので、歓声がすごいです。篠原さんにホームランを打たれたときの歓声は震えました。」

 

ーー甲子園での試合以外での思い出はありますか。

 

篠原 「とくになにかしたということはありません。試合のない日はホテルで休んでいました。」

 

三範 「試合のない日は練習があったのですが、その時間が短かったのは印象に残っています。また、次の試合に向けて相手チームの対策をしていました。」

 

 

ーー2人ともどこかに出かけたりというのはあまりなかったんですね。それでは、あなたにとって甲子園とは?

 

篠原 「永遠のあこがれであり、最高な場所。何回行っても、また行きたいと思います。それに甲子園は最高の思い出ができるから最高な場所です。」

 

三範 「自分は通過点です。日本一に向けてやっていたので甲子園は通過点でした。」

 

ーー最後に甲子園に出場する選手へメッセージをお願いします。

 

篠原 「自分のやりたいように思い切ってプレーしてほしいです。」

 

三範 「選手みんなに頑張ってほしいですが、まだ東北地方は優勝していないので、東北地方の選手には頑張ってほしいです。」

 

 

インタビュアー:中田(応理4・小松)

 

 

 

回にわたってお伝えしてきました、夏の甲子園企画も今回で終了です!

8月6日に開幕した第101回全国高等学校野球選手権大会もいよいよ8月22日が決勝戦です。

選手たちには、最後まで思いっきりプレーしてほしいと思います。

 

最後まで読んでくださり、ありがとうございました!

 

 

マネージャー

大木綾美

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