融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

産みの痛みが恵だった

2014年12月03日 | 聖書のお話

「産みの痛みが恵だった」 ルカによる福音書1章26~38節

 天使は、マリアに「おめでとう」と言いました。何が「おめでとう」なのでしょうか。マリアは、このとき何が起こるか自覚がありませんので、そんなことを言われたら、ただ考え込んでしまうしかありませんでした。マリアは、これから身ごもり、やがて男の子を産んで、その子が成長して神の子と呼ばれて王様になることが「おめでとう」の意味なのでしょうか。けれども、マリアは、王家の血筋を引くような「男の人を知りません」でした。それでも、そうなることについて「おめでとう」と言われているとしたら、マリアの役目は産むことだけだったということなのでしょうか。

 「おめでとう」という意味が、身ごもったことでもなく、男の子を産むということでもなく、その子が成長して王様になることでもないとしたら、それは神の子を身ごもったことによって受ける人間的な痛み、また産みの苦しみを引き受けることに対して言われた言葉ではないかと思います。どのような方法で身ごもったのかが問題ではありません。神の子が、人間として産まれて来るために、自分の命の危険を顧みず、神の子をお腹の中に引き受けたことに対しての「おめでとう」という言葉ではないでしょうか。マリアは、そのような産みの痛みが「この身に成りますように」と言いました。それがマリアの信仰、神さまに対する信頼の証なのです。天使は、マリアのことを「恵まれた方」とも言いましたが、それは、痛みを我が身に引き受けようとする者に対して注がれた言葉ではないかと思います。

 


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最後は心の問題

2014年12月03日 | 日記

 長野県上川村というレタス産地で外国人の農業研修生を組織ぐるみで奴隷のように使っていたという問題が発覚して、5年間の受け入れ停止の厳罰を受けたというニュースを見ました。上川村は、レタスの産地で、農家の収入が1千万円以上あると、これもニュースで伝えられています。つまり、外国人労働者を奴隷のように使い、低賃金で働かせた結果の収入だということです。

 どの商売でも、商売である以上、利益を求めるのは仕方ないことですが、かつての植民地のようなことが現代の日本においても行われていることに驚きます。外国人研修という制度にも問題があるように思います。基本的人権や人間の尊厳が謳われているのに、あまりにも闇が深いと言うしかありません。

 「最後は金目でしょう」と言った政治家がいます。けしからんと思った人もいますし、そういう部分もあると思った人もいたのではないでしょうか。そして、多数決をとれば、「そういう部分もある」と思っている人が勝っているのが現状かと思います。けれども、「けしからん」と思う人が少しでも多くなり、多数決をとれば「けしからん」と思う人が多数を占めるようになれば、誰でも「最後は心の問題だ」と言えるようになるのではないかと思ったりします。

 人は、信仰によってしか闇の部分に光を当てることしかできないのでしょうか、と思いつつ、信仰にも闇の部分があったりもしますので、どうやらこうやらですね。

 


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