融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「自分が主(あるじ)になっていた」

2015年03月04日 | 聖書のお話

「自分が主(あるじ)になっていた」 ルカによる福音書13章31~35節

 ファリサイ派の人々が、イエスさまに「ここを立ち去ってください。ヘロデがあなたを殺そうとしています」と言いました。イエスさまの命を心配したのでしょうか、あるいは後になってイエスさまが逃げ出したと言いたかったのでしょうか、その思惑は定かでありません。けれども、とにかく自分の人間的な思いをぶつけているように思われます。そう思ったのは、イエスさまのことを思うのではなく、自分が主(あるじ)になっていたからではないでしょうか。

 イエスさまは、「今日も明日も、悪霊を追い出し、病気をいやし、三日目にすべてを終える」と言われました。その言葉は、人間的な思いを持っている者に対する形式的な返答のように感じます。また、「だが、私は今日も明日も、その次の日も自分の道を進まねばならない。預言者がエルサレム以外の所で死ぬことは、ありえないからだ。エルサレム、エルサレム、預言者たちを殺し、自分に遣わされた人々を石で打ち殺す者よ、めん鳥が雛を羽の下に集めるように、私はお前の子らを何度も集めようとしたことか。だが、お前たちは応じようとしなかった。見よ、お前たちの家は見捨てられる。言っておくが、お前たちは『主の名によって来られる方に、祝福があるように』と言う時が来るまで、決して私を見ることがない。」と言われました。その言葉は、信仰的な思いを持っている者に対する、十字架と復活、召天と来臨までカバーしている御言葉の解き明かしのように感じます。

 神さまの思いは、人間のアクションから起こるのではありません。神さまの思いを成し遂げるのは、神さまお一人であることをわきまえて、自分を主(あるじ)とせず、謙虚に生き、互いに愛し合いながら、忍耐して待ち続けることができるような信仰者でありたいと思います。

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする