融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

「誘惑に陥らぬよう祈っていた」

2015年03月27日 | 聖書のお話

「誘惑に陥らぬよう祈っていた」 ルカによる福音書22章39~46節

 「誘惑」とは、悪いことをしようとする思いとか、悪いことをするように他人をそそのかすことです。イエスさまは、弟子たちに「誘惑に陥らないように祈っていない。」と言われました。それは、祈ることによって誘惑を防ぎ、誘惑に打ち勝つことができることを教えようとしているのではないでしょうか。実際、イエスさまは一人で祈られました。全身全霊を傾けて、天使がイエスさまを支えていなければならないほどに、そして血が滴り落ちるように汗をかきながら、ご自分の誘惑に打ち勝つために苦悩して祈り続けました。イエスさまにとっての誘惑とは、十字架を回避できないものだろうかという考えでした。そして、イエスさまは、祈りによって誘惑に打ち勝つことができました。
 弟子たちもまた、誘惑に打ち負かされそうになっていました。弟子たちにとっての誘惑とは、イエスさまが自分たちの元から去ってしまうことでした。弟子たちは、自分たちの誘惑に打ち勝つために祈り続けることができず、悲しみの果てに眠りこけてしまいました。イエスさまは、眠りこけている弟子たちに向かって「なぜ眠っているのか。誘惑に陥らぬよう、起きて祈っていなさい。」と言われました。祈りとは、信頼を寄せる神さまとの対話のことです。祈り続けることは、神さまを信頼し続けることの表れでもあります。結局のところ、神さまを信頼し続けることによって、誘惑に打ち勝つ力を得ることもできるでしょうし、励ましも希望も与えられるのではないかと思います。イエスさまは、ご自分の誘惑に打ち勝つために、天使に支えてもらわなければならないほどの無様な姿で祈り続けました。そんなイエスさまだからこそ、弟子たちに、そして私たちに祈り続けることの大切さを教えてくださっているように思います。忘れないようにしたい御言葉の一つです。

 


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