融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

受難週によせて 月曜日

2015年03月30日 | 日記

3月30日(月)

「恐れ」について

 表面的には善人のように見えても、心の内に悪意を持っていたならば、それは「偽善」であり、その悪意は、まるでパン種のように作用して、やがてその人を本当の悪人へと変えてしまうとイエスさまは言われました。そして、弟子たちに「偽善」に気をつけるようにと教えられました。
 イエスさまの教えから学ぶべきことは、不満や敵意が心の内にあるのに気がついたなら、偽善を装うのではなく、不満や敵意が小さいうちに、果たしてそう思うことが本当なのか、正しいことなのかどうなのかをよく考えて、悔い改めるべきところは悔い改め、不満や敵意を公にしてしまわないように気をつけなさいということです。私たちの心の内より敵意が溢れ、公になってしまったなら、敵意が敵意を呼び、やがて争いへと発展してしまうものだからです。
 もし、不幸にして敵意によって攻撃(迫害)を受けるとき、恐怖に囚われてはなりません。本当に恐れるべきは、肉体しか殺すことができない人間ではなく、魂を生かすことも殺すこともおできになる神さまだからです。そんな神さまは、貧しい人が捧げる犠牲の雀一羽のことさえ忘れずに愛してくださるお方です。私たちは、愛の神さまこそ恐れる(畏れる)べきではないかと思います。
 人には必ず「恐れ」があります。互いを恐れるあまり、思考が停止して、争いを起こすときもあります。イエスさまの教えは、恐れに取り憑かれてしまった後でも思い起こすようでありたいと思います。そのためにも、日々聖書に親しむことを欠かさないようにしたいと思います。本当に恐れ(畏れ)るべきは、愛の神さまだからです。
 私たちは、自分の心の内にある罪のパン種を取り除き、私たちを愛してくださっている神さまによって、人と人との間にある恐れを乗り越え、互いに愛し合う者になれるようにと祈りましょう。

 


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受難週によせて

2015年03月30日 | 日記

 昨日の日曜日から、教会暦で受難週に入りました。浜坂教会では、受難週に「受難週の聖書日課と祈り意の課題」というパンフレットを作成し、教会員の日々の祈りの手助けとなるようにしています。今年のパンフレットには、「灰の水曜日」(2月18日)から始まった受難節の主日礼拝において、受難節にちなんだいくつかのテーマをお話ししたものを要約して掲載しています。同じような内容ですが、少し変えたところもあります。日々の聖書日課と必ずしも一致しませんが、これまでの流れを思い起こしながら、大切な祈りの一時にしていただきたいと願っています。(日曜日に更新することができませんでしたので、日曜日の分から掲載します)

 

3月29日(日)しゅろの主日(イエスさまがエルサレムに入城された日)

「証」について
 
 盲人バルティマイは、イエスさまに救いを求めたそのとき、すでにイエスさまによって救われることを確信していました。それ故に、イエスさまは、バルティマイに「あなたの信仰があなたを救った」と言われました。バルティマイは、イエスさまによって癒やされ、目が見えるようにされたと同時に、イエスさまが真の救い主であることを大勢の人々の前で証明して見せました。それが、バルティマイの生き様というものでした。
 「証」(あかし)とは、イエスさまが真の救い主であることを自分の言葉や行動によって証明することです。ですから、「証」をするとき、上からの知識を教えるように語ったり、自分にどれだけ御利益があったかということを自慢するように語ってはなりません。それでは、多くの人々にイエスさまが真の救い主であることを納得させることができません。だから、「証」をするときに注意したいのは、「証」を通して自分が立派な者のように見られないよう気をつけるということです。そして、「証」をすることによって、新たな罪を犯してはいないかと、注意して語り、また行動するようでありたいものです。
 これらは、あくまで理想の「証」というものです。現実は、なかなか理想にほど遠い「つたない証」しかできないのが私たちではないかと思います。それでもイエスさまに支えられて「証」ができるようにと祈りましょう。

 

 

 


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