3月30日(月)
「恐れ」について
表面的には善人のように見えても、心の内に悪意を持っていたならば、それは「偽善」であり、その悪意は、まるでパン種のように作用して、やがてその人を本当の悪人へと変えてしまうとイエスさまは言われました。そして、弟子たちに「偽善」に気をつけるようにと教えられました。
イエスさまの教えから学ぶべきことは、不満や敵意が心の内にあるのに気がついたなら、偽善を装うのではなく、不満や敵意が小さいうちに、果たしてそう思うことが本当なのか、正しいことなのかどうなのかをよく考えて、悔い改めるべきところは悔い改め、不満や敵意を公にしてしまわないように気をつけなさいということです。私たちの心の内より敵意が溢れ、公になってしまったなら、敵意が敵意を呼び、やがて争いへと発展してしまうものだからです。
もし、不幸にして敵意によって攻撃(迫害)を受けるとき、恐怖に囚われてはなりません。本当に恐れるべきは、肉体しか殺すことができない人間ではなく、魂を生かすことも殺すこともおできになる神さまだからです。そんな神さまは、貧しい人が捧げる犠牲の雀一羽のことさえ忘れずに愛してくださるお方です。私たちは、愛の神さまこそ恐れる(畏れる)べきではないかと思います。
人には必ず「恐れ」があります。互いを恐れるあまり、思考が停止して、争いを起こすときもあります。イエスさまの教えは、恐れに取り憑かれてしまった後でも思い起こすようでありたいと思います。そのためにも、日々聖書に親しむことを欠かさないようにしたいと思います。本当に恐れ(畏れ)るべきは、愛の神さまだからです。
私たちは、自分の心の内にある罪のパン種を取り除き、私たちを愛してくださっている神さまによって、人と人との間にある恐れを乗り越え、互いに愛し合う者になれるようにと祈りましょう。