融通無碍 翼を休めてみませんか

新温泉町浜坂にある日本キリスト教団浜坂教会の
牧師日記

明日は礼拝です

2018年08月18日 | 日記

 明日8月19日(日)は、主日礼拝です。午前9時からの教会学校は、いつもの通り開いていますが、夏休みでもありますので来られる子どもがいれば行うようにします。午前10時30分からは、礼拝を守ります。メッセージは「地上にある神の国」です。讃美歌は「このこどもたちが」(今月の歌)、「馬槽のなかに」、「平和を求めて」です。礼拝後は、祈りの一時とお茶の一時があります。ご興味のある方は、どなたでもご参加ください。

 お盆を過ぎると涼しくなると言われていますが、ここ数日、一段と涼しくなりました。体調を崩さないように注意したいと思います。8月中に済ませたい仕事がいくつかありますので、来週もボチボチとやりたいと思います。

 


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「黙らせようとした」

2018年08月18日 | 聖書のお話

「黙らせようとした」 マルコによる福音書 10章46~52節

 バルティマイは、目が見えませんでした。当時の社会では、本人か両親が神さまに罪を犯したから目が見えないのだと考えられていました。それ故に、彼は「罪人」と呼ばれ、そのことを甘んじて受け入れ、物乞いをして生きるしかありませんでした。

 バルティマイは、イエスさんが近くを通られると知り、「ダビデの子イエスよ、私を憐れんでください。」と叫びました。それを聞いた周りの人たちは、彼を黙らせようとしました。当時の社会では、「罪人」が救い主に声をかけてはならないと考えられていたからです。「罪人」が救い主に助けを求めることを黙らせようとした社会にあって、当事者が声を上げたのは驚くべきことです。

 バルティマイは、イエスさんに「目が見えるようになりたいのです。」と言いました。自らが「罪人」と呼ばれている原因が、目が見えないことにあると分かっていたからです。彼は、「罪人」のままで、すなわち弱いままで神さまが救ってくださると信じていました。それが、イエスさんをして、「あなたの信仰があなたを救った。」と言わしめたのではないかと思います。

 


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まともに論戦すらできない人

2018年08月18日 | 日記

 先に自民党総裁選に立候補した石破茂議員に対して、自民党総裁イコール総理大臣を続けることに意欲満々で、「現職がいるのに総裁選に出るというのは、現職に辞めろと迫るのと同じだ。」(←クリックすると、ニュース記事をご紹介できます)という自己中心的な幼児思考を丸出しにする安倍晋三首相なのですが、マスコミを使って「圧勝」の雰囲気作りや地方組織に接待や買収の根回しに余念がないにも関わらず、未だ自民党総裁選の立候補をしていないとのことです。

 記事によれば、未だ立候補していない作戦とは、石破議員との政策議論を避けるためだと分析されています。下の画像をクリックすると、ニュース記事をご紹介できます。この見立てが図星で、本当に告示間際に立候補して、そのために石破議員との論戦が実現しないまま選挙に入ったとしたならば、まぁ何と安倍首相とは姑息で卑怯で、自らまともに論戦すらできない知能の持ち主であるのを証明することになってしまいます。

 以上は、自民党総裁を巡ってのやりとりを受けての率直な感想です。しかし、こんなやり方をする人を首相に祭り上げている自民党はどうなっているのでしょうか。自民党の総裁選挙は、公職選挙法なんて関係ありませんから、接待や買収は当たり前のことなのですが、それでも正々堂々と時間を掛けて相手候補者と議論を繰り広げ、国民に納得してもらうぐらいの度胸も度量も誠意もないのでしょうか。まぁ、全てが嘘で塗り固められたような安倍首相に期待するのも無理というものです。首相が「逃げ恥」とは日本も随分と劣化したものです。

 


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