「目が見えるように」 マルコによる福音書 10章46~52節
当時のユダヤ社会では、目の見えない人がいると、その人が神さまに対して罪を犯したから目が見えなくなっているのだと考え、目の見えない人のことを「罪人」と呼んで差別していました。盲人バルティマイは、イエスさんが近くを通ったとき、「ダビデの子イエスよ、わたしを憐れんでください。」と叫びました。多くの人たちが叱りつけて黙らせようとしましたが、彼は叫び続けました。イエスさんは彼を呼び、「何をして欲しいのか。」と言うと、バルティマイは「先生、目が見えるようになりたいのです。」と言いました。
バルティマイは、目が見えるようになって「罪人」と呼ばれなくなることを願っていました。その上で彼が見たかったものは、神さまが創られた平安な社会でした。彼は、「罪人」と呼ばれて差別される痛みや苦しみを知っている人間として、本来の平安な社会を目指して痛みや苦しみを抱えている人たちに寄り添って生きようとしたのではないでしょうか。イエスさんは、バルティマイに「行きなさい。あなたの信仰があなたを救った。」と言いました。痛みや苦しみを知る者として、痛み苦しむ人たちに寄り添って生きようとすることが信仰であると教えられています。