「愛を持つ」 マタイによる福音書 13章10~17節
弟子たちは、イエスさんに「なぜ、あの人たちにはたとえを用いてお話しになるのですか。」と言いました。イエスさんは、「あなたがたには天の国の秘密を悟ることが許されているが、あの人たちには許されていないからである。持っている人は更に与えられて豊かになるが、持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。だから、彼らにはたとえを用いて話すのだ。見ても見ず、聞いても聞かず、理解できないからである。」と答えました。
人は、自分の心の内に持っているものによって、物事を理解します。そのため、一つの事柄を考えるにしても、人それぞれ持っているものが違うと、理解も違ったりするものです。「御利益」という言葉ひとつとっても、人によってお金であるとか、健康であるとか、あるいは安寧であるとか、心の内に持っているものによって違う理解になるものです。だから、たとえでないありのままの話しを聞いても、同じことが起こるのです。
イエスさんは、ありのままを話して人それぞれの理解に委ねるより、たとえを話して考えさせるという方法を選びました。イエスさんのたとえ話しは、イエスさんの教える愛に基づいて解釈することが求められています。イエスさんの愛を心の内に持って解釈するなら、たとえの話しであっても本当の意味を悟ることができるのです。愛を心に持った人が愛の教えに聞き従うとき、「持っている人は更に与えられて豊かになる」のです。