「金のために魂を売るのか」というフレーズを思い出します。想像ですが、「悪魔に魂を売る」というフレーズが元になっているのではないかと思います。
「悪魔に魂を売る」とは、自分の目的達成のため、多くは私利私欲のためと思いますが、人間でなくなってしまうことを了とすることを意味しています。それと同じように、金目教に目が眩んで、人間であることを捨てるのが、「金のために魂を売る」という意味ではないかと思います。そして、 「金に魂を売った人」は、何でも金を基準にして物事を考えるようになります。そのような考え方は、人間でない考えであるということです。
前置きが長くなってしまいましたが、田舎ではこの季節、自家製の野菜をいただいたりすることがよくあります。たいへんありがたいことです。それで、最近、ささやかながら、自分で小さい畑を作り、わずか数本のトマトとか、ナスとか、子どもピーマンとか、プランターでキュウリとかゴーヤーを育てています。土作りから試行錯誤の連続です。そんな経験をしています。
それで、 「いただく」訳ですから、無料です。何かの機会に何かの形でお返しはしますが、基本、無料です。例えば、スーパーとかで野菜を買うとき、季節や相場によって、値段が安かったり高かったりするものです。特に高いときには、財布の中身を考えて、つまりお金のことを基準に考えて、手を出す出さないの判断をします。
「いただく」場合、お金が介在していませんから、何を思うかというと、最近自分でもにわか野菜作りを始めたものですから、作った人の苦労とか、楽しさとかが頭に浮かんで来るようになりました。お金のことは、基本、考えません。
お金のことを否定しているのではありませんが、お金のことを考えなかったら、こんなにも色々と心豊かになれることが分かったような気がします。これからは、お金で買うにしても、単に安いとか高いとかだけでなく、色々なことを想像して、心が豊かになりたいものだと思います。それと、自分で作った野菜を人に差し上げることができるようになりたいと思います。今は、ちょっと貧相でできません。