多くの場合スイッチバックは、急勾配を上り下りする場合に坂の途中に設置されるのですが、ここ遠軽は平地にあります。
石北本線か開通する前は、鉄道で旭川から北見方面に向かう場合、今は廃線となった名寄本線を経由していました。そこに石北線の旭川から遠軽までが後から開通し、遠軽駅を分岐駅にしたため石北本線の列車がスイッチバックすることになったのです。石北線との分岐点争奪をめぐって遠軽と対立し、それが分村問題に発展してた安国駅が分岐駅になっていれば、このスイッチバックは存在しなかったのですが。
見晴らしの良い高台のアイヌ語「インカルシ」が転訛し遠軽の地名のもととなった瞰望岩を右の見て旭川に向かいます。遠軽からは特別快速の名にふさわしく4つの駅だけに停車していきます。
遠軽の次の駅、瀬戸瀬を通過し、丸瀬布駅に到着します。駅舎は丸瀬布町生涯学習館に併設されていて立派に見えました。「
SLと昆虫のまち丸瀬布」の看板やホームの「名所案内」にある「林鉄雨宮号の走るいこいの森」とあるように、昭和3年に丸瀬布・武利意森林鉄道に配置された、東京・雨宮製作所で製造された初の国産11トン機関車「雨宮21号」が、「森林いこいの森」で動態保存されています。
余談ですが、日本初の森林鉄道は明治42年12月に開通式を行い、昭和42年11月に廃止するまで58年間運行した津軽森林鉄道です。
丸瀬布駅では、網走行特急オホーツク1号の通過を待って出発しました。
ここからは、湧別川に沿って「白滝」と名の付く駅が続きますが、湧別川に注ぎ落ちる「白滝」が地名の由来となっているそうです。
丸瀬布駅の次の下白滝駅は通過。この駅に停車する列車は午前の下り1本と午後の上り3本という少なさです。
次も通過の旧白滝駅。ここも下白滝駅と同じく列車は午前の下り1本と午後の上り3本しか停まりません。旧白滝は名前のとおりここは白滝村で最初に開けた地域だったそうですが、大正時代には村の中心が今の白滝に移っていたそうです。
旧白滝駅から白滝駅の間は途中、両側に山が迫って来たり、狭い平地のは麦や牧草地が点在していました。
白滝駅は、長いホームを持つ特急停車駅。ここから徐々に高度を上げ峠越えにかかります。
次に通過する上白滝駅から隣の上川駅までは34.0km。在来線で日本一長い駅間は石勝線新夕張駅・占冠駅間34.3kmで一歩及びません。
上白滝駅から上川駅までは、上白滝方から順に奥白滝、上越、中越の3つの信号場がありますが、このうち上越は昭和50年まで、奥白滝と中越は平成13年までは駅でした。また、上川駅と中越駅の間には天幕という駅もありましたが、ここは平成13年に完全廃止になりました。
更に列車は登っていきます。奥白滝信号場を過ぎ25‰の勾配を登ったところに、標高857mの北見峠の下を通る開通時には道内最長だった4356m石北トンネルがあります。
石北トンネルを抜け、スノーシェードを通ると、上越信号場です。駅当時設置された「石狩北見国境標高六三四米上越駅」と書かれた看板は今でも健在でした。
道内で、乗客が乗り降りできる最も標高の高い駅は、トマム駅で標高538mですから、それより約100m高いところに有り、開業当時は道内で最も標高の高いところにある駅でした。
上越信号場からは完全な山の中を、今度は25‰の勾配を、国道333号や旭川紋別自動車道と何度も立体交差しながら中越信号場に向かって下っていきます。
中越信号場を過ぎ、開けてくると間もなく上川駅です。
特別快速でありながら、1両という身軽さもあった白滝駅からここまで37.3㎞を37分かけて走ってきました。つまり時速約60㎞。この後の特急オホーツク6号は、特急でありながら4両編成のためか、39分かかります。ちなみに普通列車は途中上白滝駅に停まりますが、1時間14分かかります。それだけ勾配がきついことを意味しています。
特別快速きたみは上川駅を出ると、東雲・安足間・愛山・中愛別・愛別・伊香牛・将軍山と通過し、当麻駅に停車し、その後、桜岡・北日ノ出・東旭川・南永山・新旭川・旭川四条を通過し、終点旭川駅に到着します。
上川駅を出ると、左右に石狩川が見え水田も見られるようになり、ついで市街地らしきものが見えてくると、最後の停車駅当麻に到着します。
当麻駅を出ると田園風景が続き、遠くに旭川市街地が見えてきます。
新旭川駅から宗谷本線と合流し高架上を複線で進み、旭川駅に12時20分に到着しました。
昨年の稚内の旅の時はまだ工事中で、地平ホームだったのが高架ホームになっていました。
つづく
石北本線か開通する前は、鉄道で旭川から北見方面に向かう場合、今は廃線となった名寄本線を経由していました。そこに石北線の旭川から遠軽までが後から開通し、遠軽駅を分岐駅にしたため石北本線の列車がスイッチバックすることになったのです。石北線との分岐点争奪をめぐって遠軽と対立し、それが分村問題に発展してた安国駅が分岐駅になっていれば、このスイッチバックは存在しなかったのですが。
見晴らしの良い高台のアイヌ語「インカルシ」が転訛し遠軽の地名のもととなった瞰望岩を右の見て旭川に向かいます。遠軽からは特別快速の名にふさわしく4つの駅だけに停車していきます。
遠軽の次の駅、瀬戸瀬を通過し、丸瀬布駅に到着します。駅舎は丸瀬布町生涯学習館に併設されていて立派に見えました。「
(丸瀬布駅)
SLと昆虫のまち丸瀬布」の看板やホームの「名所案内」にある「林鉄雨宮号の走るいこいの森」とあるように、昭和3年に丸瀬布・武利意森林鉄道に配置された、東京・雨宮製作所で製造された初の国産11トン機関車「雨宮21号」が、「森林いこいの森」で動態保存されています。
余談ですが、日本初の森林鉄道は明治42年12月に開通式を行い、昭和42年11月に廃止するまで58年間運行した津軽森林鉄道です。
丸瀬布駅では、網走行特急オホーツク1号の通過を待って出発しました。
ここからは、湧別川に沿って「白滝」と名の付く駅が続きますが、湧別川に注ぎ落ちる「白滝」が地名の由来となっているそうです。
(湧別川)
丸瀬布駅の次の下白滝駅は通過。この駅に停車する列車は午前の下り1本と午後の上り3本という少なさです。
次も通過の旧白滝駅。ここも下白滝駅と同じく列車は午前の下り1本と午後の上り3本しか停まりません。旧白滝は名前のとおりここは白滝村で最初に開けた地域だったそうですが、大正時代には村の中心が今の白滝に移っていたそうです。
旧白滝駅から白滝駅の間は途中、両側に山が迫って来たり、狭い平地のは麦や牧草地が点在していました。
白滝駅は、長いホームを持つ特急停車駅。ここから徐々に高度を上げ峠越えにかかります。
次に通過する上白滝駅から隣の上川駅までは34.0km。在来線で日本一長い駅間は石勝線新夕張駅・占冠駅間34.3kmで一歩及びません。
上白滝駅から上川駅までは、上白滝方から順に奥白滝、上越、中越の3つの信号場がありますが、このうち上越は昭和50年まで、奥白滝と中越は平成13年までは駅でした。また、上川駅と中越駅の間には天幕という駅もありましたが、ここは平成13年に完全廃止になりました。
(上白滝駅・奥白滝信号所間)
更に列車は登っていきます。奥白滝信号場を過ぎ25‰の勾配を登ったところに、標高857mの北見峠の下を通る開通時には道内最長だった4356m石北トンネルがあります。
(奥白滝信号場)
(石北トンネル)
石北トンネルを抜け、スノーシェードを通ると、上越信号場です。駅当時設置された「石狩北見国境標高六三四米上越駅」と書かれた看板は今でも健在でした。
(上越信号場)
道内で、乗客が乗り降りできる最も標高の高い駅は、トマム駅で標高538mですから、それより約100m高いところに有り、開業当時は道内で最も標高の高いところにある駅でした。
上越信号場からは完全な山の中を、今度は25‰の勾配を、国道333号や旭川紋別自動車道と何度も立体交差しながら中越信号場に向かって下っていきます。
(上越・中越間)
中越信号場を過ぎ、開けてくると間もなく上川駅です。
(大雪山系 中越・上川間)
(上川駅2・3番ホーム)
特別快速でありながら、1両という身軽さもあった白滝駅からここまで37.3㎞を37分かけて走ってきました。つまり時速約60㎞。この後の特急オホーツク6号は、特急でありながら4両編成のためか、39分かかります。ちなみに普通列車は途中上白滝駅に停まりますが、1時間14分かかります。それだけ勾配がきついことを意味しています。
特別快速きたみは上川駅を出ると、東雲・安足間・愛山・中愛別・愛別・伊香牛・将軍山と通過し、当麻駅に停車し、その後、桜岡・北日ノ出・東旭川・南永山・新旭川・旭川四条を通過し、終点旭川駅に到着します。
上川駅を出ると、左右に石狩川が見え水田も見られるようになり、ついで市街地らしきものが見えてくると、最後の停車駅当麻に到着します。
(愛山・中愛別間石狩川)
当麻駅を出ると田園風景が続き、遠くに旭川市街地が見えてきます。
(当麻駅・東旭川駅間)
新旭川駅から宗谷本線と合流し高架上を複線で進み、旭川駅に12時20分に到着しました。
(旭川四条駅・旭川駅間)
昨年の稚内の旅の時はまだ工事中で、地平ホームだったのが高架ホームになっていました。
つづく