表に「臨時 みちのく」。裏は地金。
材質はホーロー。文字は浮き文字。
主に昭和40年代、急行列車時代の臨時列車に使われた物で、「臨時」の文字が縦・横2種類あります。
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「みちのく」は、戦後初めて東北地方の列車に使われた愛称のひとつです。
1949年(昭和24年)9月14日、上野・青森間を東北本線経由で運転開始した急行列車で、当時は、東京以北には特急列車はありませんでしたから、「みちのく」は当時の優等列車のひとつでです。
ちなみに、東京以北の最初の特急列車は、1958年(昭和33年)10月10日、上野・青森間を常磐線経由で運転開始した「はつかり」です。
急行「みちのく」として愛称がつけられたのは、運行開始の翌年1950年(昭和25年)11月8日からで、前の月には経路も東北本線から常磐線経由に変更になっています。
さらに、1958年(昭和33年)10月1日に東京以北初の特急列車となる、「はつかり」が常磐線経由で上野 ・ 青森間で運行が開始されると、急行「みちのく」は盛岡・青森間が不定期列車に格下げしましたが、実際は、1961年(昭和36年)3月1日に定期列車に復活するまで、盛岡・青森間は毎日運転されていました。
運行形態も、1965年(昭和40年)10月1日からは青森行単独の編成の他に、上野を出て小牛田で分かれる鳴子行・盛岡で分かれる大鰐行・青森行の3階建ての編成が誕生し、翌年には大鰐行きが弘前行に、青森行が花巻で分かれる宮古行に変更されました。
しかし、1970年(昭和45年)9月30日にはすべての急行「みりのく」が廃止されました。
その後、「みちのく」は1972年(昭和47年)3月15日、上野・青森間を常磐線経由の電車特急として復活しましたが、東北新幹線大宮開業の年、1982年(昭和57年)の11月14日廃止されました。
材質はホーロー。文字は浮き文字。
主に昭和40年代、急行列車時代の臨時列車に使われた物で、「臨時」の文字が縦・横2種類あります。
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「みちのく」は、戦後初めて東北地方の列車に使われた愛称のひとつです。
1949年(昭和24年)9月14日、上野・青森間を東北本線経由で運転開始した急行列車で、当時は、東京以北には特急列車はありませんでしたから、「みちのく」は当時の優等列車のひとつでです。
ちなみに、東京以北の最初の特急列車は、1958年(昭和33年)10月10日、上野・青森間を常磐線経由で運転開始した「はつかり」です。
急行「みちのく」として愛称がつけられたのは、運行開始の翌年1950年(昭和25年)11月8日からで、前の月には経路も東北本線から常磐線経由に変更になっています。
さらに、1958年(昭和33年)10月1日に東京以北初の特急列車となる、「はつかり」が常磐線経由で上野 ・ 青森間で運行が開始されると、急行「みちのく」は盛岡・青森間が不定期列車に格下げしましたが、実際は、1961年(昭和36年)3月1日に定期列車に復活するまで、盛岡・青森間は毎日運転されていました。
運行形態も、1965年(昭和40年)10月1日からは青森行単独の編成の他に、上野を出て小牛田で分かれる鳴子行・盛岡で分かれる大鰐行・青森行の3階建ての編成が誕生し、翌年には大鰐行きが弘前行に、青森行が花巻で分かれる宮古行に変更されました。
しかし、1970年(昭和45年)9月30日にはすべての急行「みりのく」が廃止されました。
その後、「みちのく」は1972年(昭和47年)3月15日、上野・青森間を常磐線経由の電車特急として復活しましたが、東北新幹線大宮開業の年、1982年(昭和57年)の11月14日廃止されました。