
冬はともかくとして、青葉若葉の頃は朝一番に窓を開けたくなりますね。

窓から見える道を挟んだ林の中腹には、1969年(昭和44年)7月6日に開館した『財団法人日本ユース・ホステル協会』直営の「おいらせユースホステル」があり、若い頃はよく遊びに行っていました。

そのユースホステルも、2010年(平成22年)11月1日より長期休館となった後、2021年(令和3年)3月31日付で閉館となりました。
看板は今でも残っています。「奥入瀬」は開館当初の表記、ほどなく「おいらせ」の表記になったと記憶しています。

さて昨夜泊まった「奥入瀬渓流ホテル」はかつての「奥入瀬渓流グランドホテル」。

正確には、「奥入瀬渓流ホテル東館」が「奥入瀬渓流グランドホテル」。「奥入瀬渓流ホテル西館」が「奥入瀬渓流第二グランドホテル」だったと記憶しています。

当時のオーナーの杉本行雄さんが岡本太郎と親交があり、その縁でここには岡本太郎作品が残されています。
「東館ロビー森の神話」にある大暖炉は、『森の神話』。

「西館渓流ラウンジ」(案内図では「渓流-BASA」と表記されています)にはかつての大暖炉『河神』が、役目は終わっていますがまだ残されています。

「東館ロビー森の神話」から見えるホテルと渓流の間の渓流の小道には、木立の中に佇む『太郎カッパ神像』もあります。

もう一つ、かつての「奥入瀬渓流第二グランドホテル」の大宴会場には『渓流賛歌』という緞帳があったように記憶していますが、今はどうなっているんでしょうね。
そろそろ朝食の時間です。

会場は、ビュッフェの「青森りんごキッチン」。


イメージ写真です。


郷土料理を中心に50種類以上のメニューですが、全く青森感を感じないものを選びました。

ゆっくり朝食を頂いてチェックアウト。
途中、頼まれたお菓子を買って帰宅しました。


昼食は、久しぶりに青い森鉄道野辺地駅の「駅そばパクパク」の「中華丼」です。掛紙は自作です。あしからず。


『日中』は晴れ、最高気温は7.0度でした。

おまけ。
今夜の肴。
「手羽中と大根の赤酢煮、白菜のなめたけ和え、さきいか人参・鯖の味噌煮」「麻婆豆腐」



窓から見える道を挟んだ林の中腹には、1969年(昭和44年)7月6日に開館した『財団法人日本ユース・ホステル協会』直営の「おいらせユースホステル」があり、若い頃はよく遊びに行っていました。

そのユースホステルも、2010年(平成22年)11月1日より長期休館となった後、2021年(令和3年)3月31日付で閉館となりました。
看板は今でも残っています。「奥入瀬」は開館当初の表記、ほどなく「おいらせ」の表記になったと記憶しています。

さて昨夜泊まった「奥入瀬渓流ホテル」はかつての「奥入瀬渓流グランドホテル」。

正確には、「奥入瀬渓流ホテル東館」が「奥入瀬渓流グランドホテル」。「奥入瀬渓流ホテル西館」が「奥入瀬渓流第二グランドホテル」だったと記憶しています。

当時のオーナーの杉本行雄さんが岡本太郎と親交があり、その縁でここには岡本太郎作品が残されています。
「東館ロビー森の神話」にある大暖炉は、『森の神話』。

「西館渓流ラウンジ」(案内図では「渓流-BASA」と表記されています)にはかつての大暖炉『河神』が、役目は終わっていますがまだ残されています。

「東館ロビー森の神話」から見えるホテルと渓流の間の渓流の小道には、木立の中に佇む『太郎カッパ神像』もあります。

もう一つ、かつての「奥入瀬渓流第二グランドホテル」の大宴会場には『渓流賛歌』という緞帳があったように記憶していますが、今はどうなっているんでしょうね。
そろそろ朝食の時間です。

会場は、ビュッフェの「青森りんごキッチン」。


イメージ写真です。


郷土料理を中心に50種類以上のメニューですが、全く青森感を感じないものを選びました。

ゆっくり朝食を頂いてチェックアウト。
途中、頼まれたお菓子を買って帰宅しました。


昼食は、久しぶりに青い森鉄道野辺地駅の「駅そばパクパク」の「中華丼」です。掛紙は自作です。あしからず。


『日中』は晴れ、最高気温は7.0度でした。

おまけ。
今夜の肴。
「手羽中と大根の赤酢煮、白菜のなめたけ和え、さきいか人参・鯖の味噌煮」「麻婆豆腐」

