寺内貫太郎死す


gooニュース
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20210614-0176

 今日ネットを開いていると作曲家の小林亜星氏が5月30日に、
心不全で亡くなったらしい。

 享年88歳らしく年齢的に不満はないし特に巷では要注意とい
われる巨漢だっただけに長生きしてくれたという感じだが、氏
の訃報を聞くと昭和という時代が一層遠くになっている事を実
感する。

 氏の名前を知ったのはドラマ寺内貫太郎一家で西城秀樹目当て
で見ていたら一度見たら忘れられない巨漢と頑固おやじぶりで、
毎回のように息子役の西城秀樹と乱闘を演じていたわけだから子
供心に凄まじいインパクトを与えてくれた。

 だから氏の本職が作曲家で聴きなれたCMソングや何といって
も科学忍者隊ガッチャマンや、快傑ライオン丸のOP&EDにファ
イヤーマンのOPを作曲していた事。

 科学忍者隊ガッチャマンやライオン丸の歌は一度聞くと耳に
残る名曲だったし、今でも口ずさめる歌ばかりだから凄いと思
うわけでウィキで作品集を見ると特にCMで‘これもそうだった
のか’という歌が多いのだ。

 またママと遊ぼうピンポンパンで歌われたピンポンパン体操
の歌は、OA当時の子供達で知らない子はいないぐらいの名曲だ
った。

 数多くの曲を担当したといえば先日亡くなった菊池俊輔氏も
だが、違うのは菊池氏の作品は似たようなフレーズが多く菊池
氏の作品という感じだったのに対し小林氏の作品は似たフレー
ズに気付かない事。

 寺内貫太郎を演じた時はロン毛でサングラス姿だったのを原作
の向田邦子の希望で坊主頭に黒縁メガネに変えたらしく、これが
凄いインパクトになりTVで度々見る事ができるようになったので
はないか。

 このようにCMソングから歌謡曲に特撮&アニメソングなどの作
曲だけでなく、俳優や司会者としての才能をいかんなく発揮した
人というのも珍しいと思う。

 今頃は一足早く天国に行った樹木希林や奥さん役の加藤治子に、
西城秀樹達から‘父さんやっと来たのか’と歓迎されているのかもし
れない。

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