今から30年前の今頃は高3の3学期だった。
高3の3学期は1月いっぱいで卒業試験を終え2月になると予餞会と卒業式
リハーサルを含めて週に1度しか登校しないのが通例で、それ以外は自宅待機
となり大学進学組は受験本番だし就職組はバイトや自動車学校通いというのが
パターンだった。
ところが家の跡継ぎをする私にとって退屈極まりないものだったのだ。
というのも4月からの修行先の師匠はオヤジの修行時代の兄弟子だったので
事前にオヤジが話をしていたところ、車の免許は店の方針として入店6年目に
なると店から自動車学校に通わせるので修得していくことは不可という事だった。
バイトに関しても当然ながら店の手伝いが優先するのでダメだし、店の手伝い
の合間には修行先に入店してから すぐに戦力になれるようシャンプーのトレー
ニングや髭剃り後の拭き上げの練習など4月からの修行のリズムに慣れるため
の日々になってしまった。
だから就職組の友人と遊びたくても友人達はバイトと自動車学校通いの毎日
なので接点がなく、軟禁生活状態でヒマで仕方なかったのだ。
そんなワケで2月など学校に行くのが凄く嬉しくてたまらなかった。
余談ながら修行先が車の免許修得不可だったのは伝統的に その店は中卒が
殆どだったからなのだが、よくしたもので私と同期に入店する師匠の娘は免許を
取る事を許されていた。
そして娘の運転する車で移動する事に慣れて便利さを痛感した師匠は‘床屋に
車は必要ない’と主張していたのを翻して‘これからは車は必需品’と言い始め、
私の入店から2年後に高卒で入店した後輩が挨拶に来た時に‘車の免許は取って
来た方がいい’と言ったのには愕然としたのだった。
基本的に‘修行’というのは世の中の不条理に いかに耐えるかという要素がある
のだが、さっそく その洗礼を受けたのである。