ヘアサロンうつのみや・オーナーのスポーツやヒーローもの、雑談ネタを徒然なるままに
こーじ苑
76年 選抜高校野球ファイナル・小山 0-5 崇徳
共に初のファイナルだが調子を上げてきた黒田を黒田主将中心の小山
打線が どう捉えるかというのが最大のみどころ。
とはいえ前日に初先発して当っている東洋大姫路打線を3安打完封した
初見のできがカギを握ると思われていた。
試合前に崇徳の久保監督は
‘小山打線は当っているので 6本ぐらいヒットを打たれるでしょう、
ただウチはヒットを10本ぐらい打てると思う。
だから5点差ぐらいつけて勝つと思います’
と言っていた。
先攻後攻は、どちらがジャンケンで勝っても同じだろう。
春雨がそぼ降る悪コンディションの中で小山の先攻でプレーボールと
なった。
2回まで両チームとも3人づつで終わっていたが、3回裏に崇徳は今大会
,529と当っている7番・兼光がセンター前ヒットで出塁すると8番・黒田は
バントを警戒して前進守備を敷いた内野手の頭を越すライト前ヒットで
ノーアウト1,2塁のチャンスを迎える。
ここで槇村の3塁前バントは3塁フォースアウトで失敗、1番・山崎は凄い
当りだったが初見の正面のライナーで併殺となって無得点。
4回にも崇徳は先頭の樽岡がショートへ内野安打を放ち2塁へ盗塁して
ノーアウト2塁と攻め立てるが、小川ライトフライ 永田 3塁ゴロ 応武も
センターフライに倒れ2イニング続けてチャンスを逃す。
5回表に小山は4番・多賀谷が三振して1アウトから5番・石井が3塁ゴロ
エラーで初のランナーとなるが、諸原の3球目に盗塁を仕掛けるものの
見破られ失敗。
直後に諸原はレフト前にチーム初ヒットを放つが、またしても初球に
盗塁を仕掛けてアウト。
その裏の崇徳は1アウトから兼光がレフト線へ2ベースを放ち 2アウト後、
槇村が3塁線を抜くタイムリーで遂に先制する。
直後の6回に小山は先頭の初見がライト線に2ベースを放ってノーアウト
2塁のチャンスを迎えるが、8番・立川の初球にバントをすると勘違いした
初見が大きくリードを取ったため応武からの牽制でタッチアウトになった
のだ。
その後に立川が四球で出塁するなど小山に焦りが見え始めた。
7回にも1アウトから黒田が死球、多賀谷のヒットで1アウト1,2塁のチャン
スを迎えるが石井・諸原が倒れて同点ならず。
8回に崇徳は疲れの見えた初見を攻め先頭の小川がセンター前へ打ち
返すと永田は三振に倒れたが、応武がレフトへ2ベースを放ち 1アウト
2,3塁から釘屋がレフト前に2点タイムリーで待望の追加点。
欲しかった追加点が入った崇徳は釘屋が盗塁すると兼光もセンター前
ヒットで この回3点目。
更に黒田がヒットでつなぎ1,3塁から槇村のスクイズで決定的な 5点目が
入った。
9回の小山は1番からの好打順、先頭の秋山が3塁ゴロエラーで出塁
するが伊東はショートゴロ併殺打で2アウト。
最後は黒田はカーブを打って3塁ゴロに倒れ5-0で崇徳が勝って初出場
で初優勝を飾った。
関東大会を制し新チーム結成以来30戦無敗だった小山だったが、崇徳
とは歴然とした力の差があった感は否めない。
特に黒田の出来は素晴らしく、低目にしっかりコントロールされたストレー
トと落差の大きなカーブのコンビネーションもよかった。
試合後の崇徳・久保和彦監督は
‘予想通りですねぇ、ウチが勝つ事は最初から分かりきってました
からねぇ。
期待外れは小山打線が3安打でヒットが3本足りなかった事です
なぁ’
とコチラも型破りなコメントをしていたのが今でも印象深い。
小山 000 000 000 0
崇徳 000 010 04X 5
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昨日、岩崎宏美のCDを聞いていました。95年発売のシングル両面のデジタル復刻盤なのですが、76年の入場行進曲「センチメンタル」を聞くとやはり当時を思い出しますね。歌詞の中に17才~と歌われているところに堀越高校の岩崎宏美がオーバーラップします。声もさすがにハイトーンが効いていて若いですね
高松商とのノーガードの打ち合いを制し、鉾田一戦では奇跡の逆転勝利。福井、日田林工、小山を危なげなく下して崇徳は栄冠を手にしました。崇徳同様、大会前に優勝候補とされながら苦戦を強いられ、準決、決勝で完勝というのは報徳(02年)、横浜(06年)などが思い出されます
小山も崇徳に対してチャンスがあるにはあったようですね。ただ盗塁を立て続けに失敗したのが痛かった。。。他のチーム相手なら成功していたかもしれませんが、片膝を着いたまま二塁へ矢のような鉄砲肩の応武ですから、厳しかったと言わざるを得ませんね
チャンスを集中打で得点できる崇徳と、攻撃に迷いが見え隠れした小山。13安打と3安打。同点機を生かせなかったところで勝敗が決したといえるでしょう
閉会式をテレビで見ていたのですが、雨が叩き付けるように降り続いていて、グランドの土は水溜まりで光っていたような‥。佐伯高野連会長の挨拶などは文書通達にして、ずぶ濡れの選手を早く引き揚げさせてやれ~!と小学3年の私は怒りを覚えていました
前年春から少しずつ高校野球を見始めた私は、高知高校、習志野高校、崇徳高校と順に優勝校を記憶するようにもなり現在に至っています。まだ当時はPL学園や箕島を知らなくて、その夏に中村誠二で準優勝のPL、翌春 東で優勝の箕島をようやくインプットできましたね。
雨の中、準優勝メダルを掛けてもらっていた小山に夏は優勝して欲しい。。。そんな思いで両校の場内一周を見ていたように思います。始業式でクラス替えだったのですが、名前が書かれた張り紙を見ながら口々に「崇徳強かったな」と皆で話していました。今の小3の子供はそんなネタで話しないでしょうね
5年3組魔法組というドラマが放送されていたのをふと思い出しました‥
♪陽は舞いおどる甲子園~若人よ雄々しかれ~
両校選手がバックスクリーンに整列し、国旗と大会旗を降納するセレモニーも閉幕らしさがあって良かったですよね☆
そうそう雨が降っていました。
何かあれよ、あれよ、という間に淡々とした感じで崇徳が勝ったような記憶があります。
崇徳と言えばバレーボールの方ではよく知っていたのですが、野球も強かったということを知りました。
この時の久保監督はこれで勇退でしたね。
久保監督の放言は今なら問題になったかもしれませんが、この方の風貌が水戸黄門(東野英治郎)風の感じでそれほど「嫌味」な気はしなかったです。
そしてこの年の夏は酒井擁する長崎海星に0-1と一点差負け。
山崎隆造はC入りして、スイッチヒッターに転向して
活躍。
エ-ス黒田はFsがドラフト一位で指名しましたが、
「監督さんの名前も知らない」とか行って拒否。
その後選手としては表舞台で活躍することはほとんどありませんでしたね。
夏の大会も発熱したりして、あまり投げられませんでした。
兼光内野手も専修大学に入りましたが、これも中退・・・。
あまり活躍できませんでした。
この年の崇徳高校は右打者ばかりでしたが、よく好投手を攻略して優勝しましたね。
ホント、この頃から高野連の横暴さというか、融通のきかなさには腹が立ってましたよ。
本来なら、あれだけ押されていて1チャンスが来ると
点が入るケースってあるのですけど、そのスキすら崇徳は与えませんでした。
考えてみれば、あれほど3試合で盗塁していた日田林工が盗塁0ですからバッテリーの磐石さが分かります。
徐々にペースアップしていった崇徳の戦いぶりは、
今の優勝チームと同じような感じだと思いますよ。
だからしくじるとしたら2回戦ぐらいまででしたね。
小山は夏も出てきましたが、むしろ春よりチャンスがあるのに得点できないという感じでした。
東海大相模に勝って終わった感じでしたね。
>トクタサツオ様
そうですね、そういえば全員右打者だったような気がします。
今では珍しいですよ。
兼光が専修に進んで中退とは知りませんでした。
黒田は知ってましたけど。
久保監督は一説には降ろされたという噂もありましたよ。
あれだけ放言すれば‘ひょっとして’とも思えます。
崇徳については大会前は‘バレーの崇徳から野球の崇徳に’とありました。
後に久保監督は柔道やボクシング、バレーでも全国制覇しているそうですから、凄い監督だったのですね。
惜しむらくは崇徳久保監督が夏もベンチにいてほしかったですね。そして黒田も1回戦から完調ならば‥。海星の酒井は確かに凄かったですが、あの崇徳打線が沈黙するとは子供心にも思えませんでした。現在まででも春夏連覇は僅か5校しか達成してないことを思うと、勝ち続けるのは難しいのですね。
崇徳が負けたことにより、東海大相模、小山、豊見城、あるいは柳川商あたりが優勝かと思いましたが‥。相模を下した小山は豊見城に敗れるし、その豊見城は星稜に苦敗。天理も小松にホームランを食らうなどして春に続き北陸勢にやられましたね
桜美林×PLは新鮮なカードでした。地元ですし、PLには勝って欲しかったのですが、桜美林はよく打ったんですよね。松本‐渋谷のバッテリーや本田、菊地太陽など全員で掴み取った優勝でした。この時代の甲子園のグランドは砂塵が凄いですね。スライディングすると砂が舞い散っていて、選手たちがとても格好よく写りました
宮崎・福島、新潟・高田商、塩山商(現・塩山)、市神港、花北商、釧路江南、日体荏原‥。これらの校名も全く聞かないですね。長いブランクを経て復活を果たすのはいつの日か。
76年春、小山の黒田はサードゴロで最後の打者となりましたが、夏の相模戦で原をサードゴロに打ち取りゲームセットに仕留めたのも黒田。巨体を揺すっての投球は独特でしたし、後輩の広沢を思い浮かべますね。崇徳、小山はその夏が最後の勝利で以後2度出場したのみという共通項も郷愁を覚えます。東海大相模は夏出場へ厄払いでも行かないと‥と思わせる重症ぶり。横浜、慶應、桐光学園らを倒して今年こそ戻ってきて欲しいですね☆
本来なら東海大相模は夏型のチームなのですけどね。
77年に見形の満塁HRで呪いをかけられたかのようですね。
久保監督は聞くところによると‘放言で降ろされた’という噂もありました。
でも日本一を土産に違う部活の顧問になったようで、そこでも日本一にしてますから大したものです。
それにしても76年夏は柳川が優勝してもおかしくない陣容でしたが、PLの2番・山本にやられましたね。
彼は背番号14の2年生。
初戦の松商学園戦でキャプテンの2番ライトだった松下がケガのため代わりに2番レフトに入ったのですが、
彼がラッキーボーイになりました。
もっとも決勝のサヨナラの打球は山本の所に飛んで
キャッチしたもののフェンスに当って落球してのサヨナラでしたね。
76年当時、私はまだ高校野球もさほど詳しくなかったのですけど、柳川が崇徳に匹敵するような陣容であるのは分かりました。特に末次の堂々たる体格と風貌はとても高校生とは思えません(笑)。大型捕手といえば先輩の若菜と被りますよね
PLの中村が若くして亡くなったのはショックでした。特徴としてトルネード気味に投げてましたよね。初優勝までのPLは苦難の道のりだったので、常勝時代よりも思い入れが強かったりします。桜美林も近年も何度か復活出場しましたが、かつてのような輝きが見られないですね。桜美林×PLがいつの日か実現してほしいものです
崇徳の久保監督は、若者の気持ちを掴むのが巧みなのでしょうね。自身、競技経験のない部活で全国制覇するのですから。思うに、各クラブの選手の駒は揃っていた中で、メンタルな部分を久保さんが上手くサポートし、ノビノビと戦える環境作りに手腕を発揮されたのではないでしょうか。選抜を制した野球部も前年から監督復帰だったらしいですし。ですから久保さんは育成型ではなく、采配(策士ではないが)型との見方ができますよね
77年の東海大相模のエースは現 仰星の西茂監督ですね。彼は監督として2度甲子園に出るもいずれも春。相模が長い低迷を抜け出すのが先か、あるいは仰星が初出場するのが先か。激戦区にあって、やはり夏の甲子園は遥か遠い存在なのですね
二松学舎は実に東東京の決勝で9連敗。。。私思うんですけど、ユニフォームの緑がどうも春っぽいのでは…。国士舘は05年にようやく夏に出場を果たしましたが、まだ春男のイメージは変わらないですね(今春も当確)☆
76年の柳川は70年代以降では福岡最強チームだと思ってます。
88年の福岡第一や92年の西短よりもチーム力は上でした。
さすがにPLに負けた時はショックでしたね。
PLの中村はノーワインドアップからシュートを多投していたイメージが強いですよ。
まさかあんなに早死にするとは思いませんでした。
77年の相模のエース・西が監督をしているとは見落としてましたよ。
やはり東海大系列というヤツでしょうね。
私の同級生もバレーで全国制覇をしましたね。そのときは、部長でした。監督は吉川先生でした。そのチームも周りには敵なしといった感じでしたね。
なにか、今の変な政治家よりも大きな人間でしょうか?久保先生のような人間がが居なくなっていく日本という気がしてなりませんね。
いらっしゃいませ、初めまして。
以前も久保監督の教え子の方が‘魅力的な方’だと
いうコメントがありました。
ホントに人間的に大きな教師は昔は多かったのですが、最近は日○組に毒された事なかれ主義の教師が
増殖しているという気がしますよね。
僕は、まだ19歳なのでこの崇徳の強さを知りません
がとても興味があります。
ネットで調べたらノンプロ集団と呼ばれていたくらい強かったと書かれてありました。
最近の高校と比べてどのくらいの強さがありましたか?
あと、槇村さんはどのようなプレーヤーでしたか?
回答お待ちしています。
いらっしゃいませ、初めまして。
19歳にして崇徳に興味があるとは素晴らしいですよ。
残念ながら今日は遅くなりましたので明日の夜にでも しっかり調べた答えをアップしますので、楽しみにしていてくださいね。
崇徳はプロ入りしたのがエースの黒田とショートの山崎隆造、センターの小川達明の3人ですが、キャッチャーの応武はソウル五輪の代表で昨年まで早稲田の監督をするような才能集団でした。
そしてレギュラーの身長も最も低い選手がライトの釘屋で169cm、最長身が小川で182cmという平均で170を越えていたので大型チームと呼ばれてました。
82年の池田以前なら最強チームの1つと言ってもおかしくなかったですね。
なにせ池田よりも上のカテゴリーで活躍した選手は多かったのですから。
もっとも才能集団ゆえ選抜優勝で夏はモチベーションが下がった感も拭えません。
サードの槇村は大型の切り込み隊長だった1番の山崎につなぐタイプで、他のチームなら1番を打ってもおかしくなかったですよ。
何と言っても小山との決勝で5回に先制タイムリーを
打ったのが槇村でしたから。
試合ぶりは76年選抜ネタで検索してください。
けっこう当時の資料を基に詳しく扱ってますので。
http://blog.goo.ne.jp/ue-kj/s/%BF%F2%C6%C1
やまびこ打線の池田やKKコンビのPL、松坂率いる横浜に匹敵するチームと言ってもおかしくないくらいでしょうか?
実は、僕は槇村さんと同じ出身地で小、中学校のときに時々ですが指導も受けました。
打撃の見本で打ったときも軽くあわせるだけでボール
遠くに飛んでいきました。
小学校のときですが地元で講演会みたいのがあって当時の映像をふまえて崇徳の話を聴きました。
記憶は曖昧ですが槇村さんは、練習についていけない部員が辞めていってたまたまレギュラーになったって言われていたと思います。
当時は、運も良かったんだと思っていましたが調べみたらとんでもない勘違いでした(汗)
槇村さんの三塁線を抜くタイムリーとサードへのショートバウンドを一塁へ送球して優勝を決めた映像を見た記憶もあります。
地元に甲子園優勝者がいることとその方に指導を受けたことを誇りに思いこれからも野球をしていきたいです。
資料のまとめもありがとうございます。
読まさせていただきます。
プロ野球選手からの指導もありがたいのですが、
こうして地元出身で甲子園で活躍した人から教えてもらえるというのは嬉しいですよね。
むしろプロ野球選手の指導はありがた過ぎる傾向がありますからね。
正直言って崇徳は桑田・清原時代のPLや松坂時代の横浜よりは力は落ちるでしょうけど、池田とは互角に近いと思いますよ。
こういうのは まぁ主観が入りますけど、この年にベスト4で崇徳から敗れた日田林工は近場のチームで一生懸命応援していただけに負けたのはショックでしたけど広島商などに負けた時のような悔しさはなかったですよ。
九州人は広島商のような野球は好きではないですが
崇徳のようなスケールの大きな野球は大好きでしたから友人の間でも人気チームでした。
何とか復活して欲しいのですけどね。
地元という縁もあってのことなのでとてもありがたいですね。
ちょっと過大評価すぎましたね(笑)
PL高校は5期連続甲子園出場、横浜高校は、3年時は公式戦無敗ですし決勝で松坂はノーヒットノーランですからほんとに凄いチームだと感じます。
広島人でカープの影響もあり機動力野球や緻密な野球も好きですがこーじさんの言う通りスケールの大きい野球もいいですよね。
最近は、広陵が一人横綱って感じですし崇徳にも頑張ってほしいです。
昔の選手の映像などが中々見れないのでこういった話を聞くととても参考になります。
ありがとうございます。
これからもコメント投稿させていただきますのでよろしくお願いします。
私のブログではカテゴリーの高校野球をクリックすれば07年以降の甲子園の試合評が出ますよ。
ちなみに相模すばらしかったですね。
あれこそ理想の野球ですよ。
ちなみに相模の野球は原辰徳の父・貢氏が編み出したものです。
今週中にも それについてはアップしますけどしっかり継承されてますね。