73年1月2日・大場政夫のラストファイト

 今から34年前の73年1月2日は、故・大場政夫のラスト
ファイトが行われた日である。
 出先の福岡市内の小母さん宅で観たのだが、午後から
挨拶周りに行ってから‘大場の試合を観たい’という一
心で早めに戻ったのだ。
 対戦相手は世界2位の元チャンピオンのチャチャイ・
チオノイ、過去2度王座を獲得した経験がある強敵だが
29歳で減量にも苦しんだという情報もあり‘大丈夫だろ
う’という楽観的な予想に支配されていた。
 ところが1R開始早々にいきなりの右フックを振り回して
来たが2発目をモロに貰ってダウン!前回6月のアモレス戦
に続いての初回のダウンだが、あの時はバランスを崩して
尻餅を付いた形だった。ところが今回は効いていたし、足
を引きずっている。後から聞くと倒れた時に足を捻って
捻挫していたらしい。
 観ていた我々も‘こりゃマズイ’と色を失う。
 ラウンドが進むが相変わらず足を引きずったままの戦いで
‘大場危うし’の感が充満していた、ただそれでも大場は
巧くごまかしながら凌いで行き8Rぐらいから徐々にペースを
握り始める。
 8Rを境に大場の攻勢が目立ち始め場内が沸く。
そして12Rの2分過ぎに右ストレートからの連打でダウンを奪
うと残り30秒で猛烈な連打を浴びせ2度のダウンを追加し遂に
逆転KO勝ちし、5度目の防衛に成功した。
 一緒に観戦していた父と握手して喜んだものだ。
 ところがそれから23日後の1月25日に大場は愛車のシボレー
コルベットで首都高速を運転中に中央分離帯を乗り越える事故
を起して死亡した。
 だからチャチャイ戦がラストファイトになってしまった。
あの時早めに挨拶周りを済ませてなければ最初から観られなか
ったわけで、母を説得して早めに帰ってよかった。
 因みに大場の死後タイトルは大場に敗れたばかりのチャチャ
イが決定戦で勝ち3度目の王座に就き3度の防衛に成功したのだ。
ロートルの噛ませ犬挑戦者ではなかったのだ。
 痛烈なダウンを喰い足を痛めながらも不屈の闘志で盛り返し、
最後は1分間に90発は出たといわれる炎の連打で倒すというファ
ンの心を揺さぶる素晴らしいファイトは34年経った今でも忘れる
事ができない。
 
コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
私も観ました。 (中野区民Y)
2007-01-03 14:42:27
73年1月ですから、中学2年ですかね・・
あの頃のボクシング世界戦は、国歌斉唱の時からもうドキドキでした。
西条正三、小林弘、海老原・・・西条と小林戦もありましたね。

大場がチャンピオンになった試合も憶えています。泣きながら両手を上げ、興奮してましたね・・・
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2007-01-03 23:40:19
>中野区民Y様
 そうなのですよ、あの頃ボクシングの世界戦は10日ほど前から煽ってましたからワクワクドキドキ状態でした。
 今にして思うとあの頃プロスポーツで世界一といえばボクシングだけでしたからね、MLBをはじめ世界的なイベントにはカヤの外でしたから希少価値がありました。
 
 
 
村田英雄の? (屯田兵幸男)
2007-01-04 22:33:43
明けましておめでとうゴザイマス!(アケオメ)って言うのですね?それはともかく。日本テレビはあの頃はボクシングに力をやけに入れていてゴルフ場を走る大場をバックに村田先生の ?俺~は~勝~つ~?(曲名不明)音楽がしょっちゅうかかっていたのを思いだします。専属の王者沢山抱えているのに誰一人活かせない日本テレビの罪は重罪だと思いますね。格闘技系は皆深夜ですもの。これでは 今年もヨロシク
 
 
 
書き込み御礼&レス (こーじ)
2007-01-05 23:35:26
>屯田兵幸男様
 あけましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。
 村田英雄の歌をバックに走るとは意外ですし、今ではまず考えられないでしょうね。大場存命中にロッキーシリーズがあったらロッキー系のBGMかかっていたでしょうか。
 まぁそれでも10チャンネルのようにボブ・サップを世界戦のゲストに出させてPRするようなマネはしてないだけいいですか。
 
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