村田諒太が40年目に実現させたビッグマッチ

 先日事実上の引退を表明した村田諒太のプロでの最大の功績は、
ゲンナジー・ゴロフキンという世界の中量級のトップ選手を日本に
招聘して対戦し好勝負を繰り広げた事だろう。

 個人的にプロ転向した村田に関する希望としてアメリカやイギリ
スの強豪選手達とラスベガスでグローブを交える事を楽しみにして
いたのだが、プロ転向時の年齢やスタイルそしてコロナ禍までのブ
ランクを考慮ると時間的に厳しいものがあり結果的にゴロフキンと
の対戦がキャリアのゴールという形になったのはやむを得ないので
はないか。

 ただゴロフキンのようなスーパースターとの対戦は、日本ボクシ
ング界にとっても初の快挙だと思うし40年前からの悲願だった。

 ゴロフキン戦から遡る事41年前の81年11月にアメリカ・ロチェス
ターで行われたWBA:Jミドル級王座決定戦で、1位の三原正は2位の
ロッキー・フラットからダウンを奪って判定勝ちしシュガー・レイ
・レナードが返上したタイトルの後釜に座った。

 この時に三原は2月の初防衛戦から4月’&7月頃の3度の防衛に成功
したら11月頃にレナードと1億円のファイトマネーでノンタイトル
戦を行う話が出ていたのだが、デビー・ムーアとの初防衛戦でガチ
ガチになって6RKOで敗れ初防衛に失敗し84年9月頃にはWBC王者に
なっていたトーマス・ハーンズ挑戦の話まであったが持病の腰痛の
悪化からいずれも実現せず。

 続いて86年にレネ・アルレドントを1RKOしWBC:Jウエルター級
王者になった浜田剛史は、アルレドントとの再戦に勝てばJJライト
&ライト級を制していたヘクター・カマチョが3階級制覇をかけて
対戦する話が出ていたが再戦で敗れて引退。

 さらに92年4月にエドウィン・ロサリオを1RTKOしてWBA:Jウエル
ター級王者になっていた平仲明信はWBC王者で3階級制覇していた
無敗のフリオ・セサール・チャベスとの統一戦が3度目の防衛戦あ
たりでという話が出ていたが、初防衛戦で逆転KO負けを喫しただけ
でなくその試合で軽い脳出血を起こしていた事が判明し引退を余儀
なくされていた。

 軽量級では井上尚弥が大活躍しているし西岡利晃もラファエル・
マルケス相手にラスベガスで判定勝ちするなどビッグマッチを実現
させているが、欧米で花形階級であるライト級以上では先述したよ
うな話が出ながら世界的なスーパースターとの対戦が適わなかった
ので村田によって40年目にして実現したわけである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )
« 市川森一がヤ... 鈴木誠也の代... »
 
コメント
 
コメントはありません。
コメントを投稿する
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません
 
名前
タイトル
URL
コメント
コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。